第4話 夜の顔(2)

 あと数分で日付が変わろうとしている。

 遅い時間にも関わらず、イースターこと〝イスタ〟は自室のソファーに座っていた。


 目の前のローテーブルには本日授与されたばかりのメダルが置かれている。悪魔を退治した者に贈られる希少な物だが、リリー家の屋敷の壁には数えきれないほどの枚数が飾られていた。

 机上には、メダルの他にも開封された手紙が無造作に散らばっている。

 それらを眺めるイスタの様子は、昼間の彼女とはまったく違っていた。メダルの輝きに喩えられた瞳は気怠そうにぼんやりとしており、常にピンと伸びた背中はソファーにだらしなく沈んでいる。


 ギシ、と音をたてながら扉が開いた。


 ノックもせずにイスタの自室へ入ってきた者がいる。そんな無礼な行為をイスタが許している存在は、この世でただ1人。


「よう」


 イスタは振り返って手を振る。目線の先に立っていたのはユウリ・クルマこと〝ユーリ〟。

 ユーリは学校の制服を脱ぎ、マグノリアでは珍しい形の寝巻きに着替えていた。〝キモノ〟と呼ばれる民族衣装で、彼女の先祖が暮らしていた国の民族衣装らしい。ちなみにイスタも同じ装いだ。キモノの着心地が気に入っている。


「イスタに手紙が届いているよ」


 ユーリは淡々とした話し方と共に、薄黄色の封筒を見せてきた。


「それ、もしかして……」


 イスタが気まずそうにすると、ユーリは首を縦に振った。


「うん。君が春祭りで助けたご令嬢からだよ。これで6通目だね」


 6通目。つまりあの日以来、毎日送られてきているのだ。


 ご令嬢は最初こそ感謝の言葉ばかり並べていたが、日が経つにつれて内容は変わっていった。


 貴方を是非私の屋敷に招待したい、貴方のことが気になって仕方がない、勉強が手につかない、食事が喉を通らない、夢にまで貴方が出てくる、貴方は私の王子様です。


……綴られる文字はどんどん熱を帯びていった。


 イスタは差し障りのない返事を出していたが、遠回しな断り方にもそろそろ限界が来ていた。


 ユーリが封筒を手にローテーブルに近づく。令嬢からの手紙を、に重ならないように置くと、机は紙で埋め尽くされた。可愛らしいピンクやら水色やらで、本来の木の色は完全に消えてしまった。


「相変わらずモテるね。僕は家臣として誇らしいよ」

「……お前もモテるだろ。それに」


 イスタはユーリの腕を掴んだ。


「お前は俺の〝〟じゃねぇだろ? 何回も言わせるな」

「……」


 ユーリはイスタの隣に腰を下ろした。橙色のランプに照らされるプラチナブランドの前髪に一度触れて、


「今日の君はイライラしているね。何かあった?」


 静かに尋ねた。


 イスタは少しの間を挟んだ後、


「……メダルを渡された時、教会でシスター様に言われたんだ」


 ゆっくり答え始めた。


「〝イースター・リリー様は、かつてマグノリア王国に勝利をもたらしたタイガー・リリー様の生まれ変わりのようですね〟って」

「それは光栄じゃないか。君はタイガー様に憧れて、目標としているのだろう?」

「あぁ。でも、問題はその後だ」


 やはり今の彼女は、昼間の彼女とは雰囲気が違う。公の場では凛とした口調で人々の耳を打つのに、ユーリしかいないこの空間だとやけに声が細い。


「教会から帰る途中でさ、グランリー伯爵に会ったんだ」


 その名を聞いた途端、ユーリの目元がピクリと動く。

 メダルの授与が行われる教会は、マグノリア王国の城内に建てられており、貴族たちが頻繁に出入りしていた。


「……伯爵に何を言われたの?」

「〝貴女は近頃、ますますお美しくなられましたね。やはり、絶世の美女と呼ばれたリーガル・リリーの血を引いておられるのですね〟……だってよ」


 ユーリには容易く想像できた。

 嫌味と皮肉をたっぷり携えた伯爵の笑顔と、彼の悪意に気づかないふりをして優雅に微笑み返すイスタの光景が。


 グランリー伯爵は没落貴族だったリリー家を嫌い、昔から何かと突っかかってくるのだ。グランリー家には悪魔を倒せるほどの実力者がいないので、妬みも含まれているのだろう。


 それにしてもイスタを〝タイガー〟ではなく〝リーガル〟に重ねるとは。完全に、喧嘩を売っている。


 悪魔との戦争を終わらせ、リリー家を公爵家へと導いた女騎士、タイガー。

 その50年後、類い稀なる美貌で王を操った傾国の美女、リーガル。


 リリー家においてタイガーは光、リーガルは闇の存在だった。リーガルの悪行によりリリー家は爵位を剥奪され、準貴族まで落ちぶれた。それを男爵の位まで引き上げたのが、数々の悪魔退治を成功させたイスタだ。リリー家再興を目指す彼女にとって、リーガルの話は地雷なのだ。


「……君は偉いよ」


 ユーリは囁く。


「僕はイスタを尊敬している。リリー家を男爵の身分にまで戻すまでに、君がどれほどの悪魔を倒し、どれだけの血を流したか、僕は知っている。悪意を持つ者の言葉など忘れてほしい」

「……」


 イスタはソファーに寝転がった。

 そしてユーリの膝に頭を乗せ、腰に右手を回して、ギュッと腹にしがみつく。


 ユーリは、イスタのことをよく知っている。

 嫡男が生まれなかったリリー家を継ぐために軍服に身を包み、武器を手にしたイスタ。

〝男装の麗人〟という物珍しさに、悪魔退治の才能や人柄などの要素が加わり、彼女は一気にカリスマ的存在となった。町民からは〝ヒーロー〟と称えられ、女性陣からは〝王子様〟と慕われる。


 しかし、イスタとて人間。触れられたくない部分を撫でられたら、人知れずこうして落ち込むのだ。


 彼女がカリスマの姿を一旦捨て、子供のように甘えてくるのは必ず夜だった。

 家族が寝静まった時刻。

 外から遮断された自室。

 隣にいるユーリ。

 この3つの条件が合わさった時だけ。


「……〝男爵〟じゃ終わらせねぇ」


 イスタが呟いた。


「もっとだ。俺はもっと上に行く」

「うん」

「俺が生きている間に、この家を必ず公爵家にしてみせる」

「うん」

「悪魔退治は全部が俺1人の功績じゃねぇ。ユーリのサポートがあるから出来ることだ。……なぁ、これからもそばにいてくれるか?」

「うん」

「……今朝、お前に見合いの話が幾つか舞い込んでるって、メイドから聞いた」

「うん。けれど僕は生涯、どこにも嫁がない。僕の全てはイスタに捧げる。……僕は何回でも言うよ」


 しっかりと頷いたユーリを見て、イスタの両目には少しの輝きが戻った。ユーリは安堵する。


「それにしても、伯爵には困ったものだね」

「だよなぁ。いっっつも俺に絡んできやがって! 会いたくないからわざわざ別の道を選んでるのに、何故か鉢合わせするんだぜ?」

「君がわざわざ別の道を選んだのを察して、あちらもわざわざルートを変更しているのだろう」

「うわぁ……。そこまでして、5歳も年下の俺に嫌味を言いたいのか? そんなに俺が嫌いかよ」

「……」


 ユーリは最近、思うことがあった。

 伯爵がリリー家を嫌っているのは確実だが、イスタ個人についてはどうなのだろう?

 イスタに対する伯爵の振る舞いには、ねっとりとした執着を感じてならないのだ。もしかしたら彼は、イスタのことを……。

 悪魔が破壊された際に放つ黒い靄に似た物が、ユーリの胸を占めた。

 

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