第26話
麓についた頃、日はすっかり暮れてしまった。だが、ここまで来られれば、ひとまず安心だ。僕は家に続く大きな道まで出ると歩きはじめた。
父さんは僕のせいで誰かに強請られている。男は「これからも期待している」と言っていた。あの調子だと、相手の要求は今後も続くだろう。僕はどうしたらいいんだろうか。オープンにする? いや、そんなことをしたら、僕だけの問題じゃなくなる。もしかしたら、詩織にも迷惑をかけることになってしまう。だったら、いっそのこと詩織と結婚してしまえばいいんだろうか。疑惑は残るかもしれないが、大きな反証にはなるだろう。慶介も似たようなプレッシャーを感じていた結果の決断だったのかもしれない。
でも、彼女をそんなことに付き合わせていいんだろうか。詩織のことはずっと同志だと思っている。もし、女性と結婚しなくちゃいけないんだとしたら、彼女しか考えられない。でも、もう叶わないかもしれないが、僕が愛しているのは慶介だ。
だが、そもそも彼を好きになったのは本当に僕の意思なんだろうか。男は「美那郷の神さんの呪いがかかっている」と言っていた。だとしたら、慶介に惹かれたこと自体が、もしかしたら自分の意思ではなかったのかもしれない。
今は辛くても、時間が経てば元に戻るんだろうか。それとも、僕の意思と関係なく、また別の男を惹き付けてしまうんだろうか。だとしたら、呪いを解く方法がなければ詩織と結婚しても同じことが起きてしまうかもしれない。そんなことになったら、それこそ問題が大きくなってしまう。詩織をそんなことに付き合わせる訳にはいかない。僕はどうしたらいいんだろう。
その時、クラクションの音が後ろで鳴った。
「お兄さん、ひとり? よかったら乗ってかない?」
後ろを振り向く。スクーターに乗った和樹が笑っていた。僕は無視をして、また前に進む。
「修一。何? スルーされると、むっちゃ恥ずかしいんだけど」
「僕はいい」
「ここからお前の家まで、歩いてどのくらいかかると思ってんだ。どうせ同じ方向なんだからさ」
和樹はぽんぽんと後部座席を叩く。何か言おうと思ったが、今の僕には言い争いをする気力もない。
「わかった」
「そうこなくっちゃ」
和樹の後ろに乗ると、スクーターは走り始める。こうやって和樹の後ろに乗るのは久しぶりだ。和樹が僕に話し掛けてくる。
「修一。進学、決まったんだってな」
「うん。お前も美容師の専門学校だろ」
「ああ、地元の。そっちに行く時はメシでもしようぜ」
「別にいいけど。来る予定なんてあるのか」
「冷てぇな。去年の春に『EKUSOS』を紹介してもらっただろ。ちょっと勉強させてもらえることになったんだ」
「へぇ」
「立花さんには感謝だな。結婚したらしいから、お祝いのひとつくらいしなくちゃ」
「うん」僕は黙りこむ。
「淋しいのか?」
「何で?」
「修一。立花さんとは、かなり仲良かったじゃん。お兄ちゃんを取られた気分なのかなって」
「そんなんじゃない。でも、いろいろと複雑でさ」
だって、取られたのは恋人だ。そして、慶介との関係が原因で、父さんは強請られている。そもそも、彼への気持ちだって、本物なのかわからなくなってしまった。
「ふぅん。修一は頭がいいけど、考え過ぎるところがあるよな。もっとシンプルに考えても、いいんじゃね」
「でも、僕のせいで、いろいろあって」
「そっか。自分のせいで人に迷惑を掛けた、って思うとへこむよな。でも、起きちゃったことは元に戻せない。大切なのはどう対処するかだろ」
「流石、和樹。失敗ばっかりしてるだけあるな」
「だろ。俺は失敗のプロだぜ。修一もたまには失敗してみろ。転び方がわかってれば、大抵のことはなんとかなるもんだぜ」
「お前の場合、なんとかなってるのか、なるようにしかなってないのか、わからないけどな」
「そうかぁ?」和樹が笑う。
どう対処するかが大切。確かにそうだ。それがわかったところで、この状況が解決する訳じゃない。だが、若干気持ちは楽になった。
「ちなみにさ。自分の気持ちが本物じゃないって思ったら、どうしたらいい?」
「本物の気持ち? そんなもんあるのかね。気持ちは常に変わるものだろ」
「えっ?」
「どんなに好きな相手でも、嫌いだって感じることはあるじゃん」
「まあ、そうだけどさ。根本にあるものは変わらないんじゃないか」
「じゃあ、修一の根本にあるものは何なのさ。変わらないんだろ」
和樹の言葉が胸に刺さる。自分が言った言葉だからこそ、反論ができない。じゃあ、僕は慶介のことをどう思ってるんだろうか。
最初は単純な興味だった。でも、彼と結ばれて、一緒にいるうちに自分の一部になっていった気がする。それは慶介の家に行ってから、より強くなった。美那郷を離れてもそう思えたんだったら、白蛇の呪いだけじゃ説明できないかもしれない。
「そうだな。僕は複雑に考え過ぎてたみたいだ」
「だろ」
和樹の背中でしみじみ思う。コイツが友だちで良かった。
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