第24話

 吐き出した息が白くなる。春は近いのにまだまだ寒い。僕は身体が外気に極力触れないよう縮こまって、母屋へ入った。さっさと茶の間へ行こう。僕は玄関に上がった。

 電話のコール音がする。その主は固定電話だ。わざわざこの電話にかけてくるということは、父さんの仕事関係だろうか。周りには誰もいない。僕が出るしかなさそうだ。

「はい、高野です」

「もしもし、立花と申しますが。って、もしかしてシュウ?」

「そうだよ」

 こうやって慶介の声を直接聞くのは、半年ぶりくらいだろうか。そう、夏に会いに行って以来だ。初めて彼の家へ行った後、僕は母さんが「行かせて良かった」と思うような立ち振舞いをした。その甲斐あって、彼の元に行く許可がそれ以降、二回もらえた。

 春休みに行った時は和樹が一緒だったので、思うように過ごせなかった。でも、夏休みはひとりで行けたから、慶介と一緒の時間を取り戻すことができた。とはいえ、受験生だったのでデートらしいことはほとんどしなかったが。

 それからは受験勉強に集中していたこともあって、彼と話をするのは久しぶりだ。受験の時は会おうか悩んだけれど、気持ちの余裕がなくて結局彼とは会わず仕舞いになった。

「そっか。もう入試の結果は出てる頃だよね」

「うん。試験は全部終わってて、今のところ全部受かってる。あとは国立の結果待ち」

「スゴいじゃん。ひとまず、おめでとう」

「ありがとう。だから、国立の結果はどっちでも、三月末からはそっちに行けるよ」

「そっか」

 慶介の言葉が途切れて、沈黙が生まれた。どうしたんだろう。よろこんでくれると思ったのに。空白を埋めるために、僕は言葉を探す。

「今はどの辺りに住もうか、考え中なんだ。できれば慶介の家に行きやすいところがいいんだけどーー」

「シュウ」

 慶介は話を遮るように僕の名前を呼ぶ。

「今日はお父さんに報告があって、電話をしたんだ」

「ああ、ゴメン。じゃあ、父さんを呼んでくるね」

「いや。シュウにも直接言おうと思ってたから、ちょうど良かった」

 再び沈黙が訪れる。慶介は言葉にならない声を出した後、彼は絞り出すように続けた。

「実はさ。オレ、結婚したんだ」

 けっこん? なんだっけそれ。まさか結婚? でも、そんなことが慶介にある訳ない。だって、彼は男が好きなんだから。日本の法律では、同性同士の婚姻はまだ認められていない。何かの聞き間違いだろうか。そうだ。そうに違いない。

「えっ、何? 結婚って聞こえたんだけど。まさか違うよね」僕は笑い飛ばす。

「いや。女性と結婚したんだ」

 頭が真っ白になった。

「なんで」

 僕の口から、ぽろりと言葉がこぼれる。

「母さんが年末に倒れて。なんとか一命は取りとめた。けど、今は先が見えない容態で」

「そう」

「で、何度もオレに言うんだ。『せめて死ぬ前に慶介が結婚した姿を見たい』って」

「へぇ。それで本当に結婚しちゃったんだ」

「だって、いま本当のことを知ったら、母さんはショックで死ぬかもしれない。オレにはそんなことできない。すまない、シュウ」

 慶介の声が耳を右から左へと通り抜ける。廊下の暗闇をぼーっと眺めていたら、向こうから父さんが歩いてきた。僕のところまで来て、僕に尋ねる。

「私に電話かい?」

「うん、立花さんから。立花さん、父さんが来たから、代わるね」

 僕は慶介の返事を待たずに受話器を父さんへ渡した。そして、茶の間へ歩いていく。部屋には母さんがいた。

「お父さんが出て行ったけど、会った?」

「うん。立花さんから電話で、今話してる」

「あら、お久しぶりね。修一も随分とお世話になったわよね。母さんもちょっとお礼を言いに行ってくるわ」

「そう」

 母さんが部屋を出て行くのを見送って、僕は自分の席に座る。しばらくして、父さんと母さんが楽しそう話ながら戻って来た。

「いやぁ、立花くんが結婚とは。めでたいな」

「そうね。まあ、あれだけの美男子ですもの。世間の女性が放って置く訳がないわ」

「そうだな」

「でも、偶然街で出会った同級生だなんて、運命的ね」

「立花くんも何かピンとくるものがあったんじゃないか。彼のお母さんは体調が悪いと聞いていたが、ひと安心だろう。これで快方に向かうといいんだが」

「そうね。『次は子ども』っていう生きる希望があれば、支えになるハズよ」

 父さんと母さんは別世界にいるかのようだ。慶介の幸せについて、楽しそうに話をしている。そんな二人をよそに、僕は運ばれてきたごはんを食べ終えて、「ごちそうさま」と言って茶の間を出る。

 玄関まで行くと、遵二がいた。部活から帰ってきたんだろう。ほこりっぽい。

「ただいま」

 遵二がぶっきらぼうに言う。

「おかえり」

 僕は靴を探しながら、答える。

「アニキさぁ。何かあった?」

「別に。なんだよ、急に」

「いや、この世の終わりみたいな顔してるから」

 今の気持ちをそのまま言い当てられたような気がした。父さんと母さんの前では心配をさせないように振る舞っていたが、気が緩んでしまったようだ。

「何言ってんだよ。バカバカしい」

 遵二は僕の顔をじっと見つめる。僕は思わず顔をそらした。

「俺じゃ力不足かもしれないけど、もっと頼ってくれてもいいんだぜ」

「なんだよ、急に」

「アニキって何でも自分で何とかしようとするところがあるから。家のことだって、全部自分で抱え込もうとするじゃん」

 正直、遵二がそんなことを考えているとは思っていなかった。自分がやるのが当たり前。それに一番囚われていたのは、僕自身かもしれない。

「アニキよりバカだけど、俺もけっこう役にはたつんだぜ」

 確かにコイツは僕より体力がある。人懐っこくて、僕より人の輪に自然と入っていく。そして、こんな風に勘がいい。

「そうだな。期待してる」

 僕の言葉に遵二は歯を出して満面の笑みを浮かべる。僕は身体が少し軽くなった気がして、部屋へ戻った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る