第22話
「シュウ。進学するのは、文系と理系のどっちだったっけ」
土曜日の昼下がり、玄関で靴を履きながら、慶介は僕に尋ねた。
「理系だけど、それがどうしたの?」
「オッケー。文系と理系でキャンパス違うから」
「へぇ。ちなみに、慶介はどっちだったの?」
「オレは法律学部だから、文系だよ」
「ふぅん。せっかくだから、両方見ようよ」
「理系に入ったら、文系のキャンパスなんて、ほとんど用はないと思うけど」
「サークルとかもあるでしょ」
実際には慶介が学生時代を過ごした場所が見たいだけだ。見たからといって何が変わる訳じゃない。けれども、同じ空気を吸ったら、慶介の気持ちがもっとわかるような気がする。
「まあな。じゃあ、両方回るか。まずは近い方だな」
慶介はドアを開けて、僕を先に通す。
「あれぇ? なくなってる」
マンションを出て、大学へ行く道中に慶介が声を上げた。
「何が?」
「弁当屋。ここの唐揚げ、カレー味で好きだったんだよ」
「ふぅん。よく来てたの?」
「大学で昼飯食べる時は大体。やっぱり何年も来てないと変わっちゃうな」
「そういうもの?」
「ああ。街だけじゃなくて、オレ自身も当時から考えたら『変わったな』って思うことはあるよ」
「へぇ。ちなみに、慶介はどんな大学生だったの?」
「普通だと思うけど」
「ロッキーはけっこう交遊範囲広そうだったけど」
「あいつはそうだろうね。オレはサークルと、ゼミの友だちがいるくらいだったな」
「ロッキーはゲイだってことも隠してないみたいだった。都会だとみんなそんな風なの?」
「いやぁ、そんなことないよ。大学の友だちはみんな、オレがゲイだって想像もしてないんじゃないかな。当時は女の子と付き合ってたから」
「えっ、慶介は女の子でも大丈夫なの?」
慶介は僕の言葉に首を横にふる。
「普通のふりをしようと思って、サークルの後輩と付き合ってみたんだ。でも、やっぱり違うなって。相手には悪いことした」
「ふぅん。その子と付き合うまでは、男には興味がなかったの?」
「いや、生まれた時から。高校の時は同級生に告ったりしたけど、上手くいかなくて。嫌な思いもしたから、大学では普通になろうと思って」慶介はため息をつく。
「じゃあ、男とはいつから?」
「人と会い始めたのは、大学卒業してからかな。実家を出たのが大きいよ」
「そっか。じゃあ、それからは何人もお付き合いしたんだ」
「付き合ったのは、ミツアキだけだよ」
「付き合ったのは」か。付き合ってはいないけれども、身体の関係があった相手もいるんだろうか。
話をしているうちに、僕たちは大学へ着いた。夏休みの土曜日ということもあって、人影はほとんどない。構内はロッキーの学校と比べて、新しいビルが多かった。同じ大学とはいっても、ロッキーのところとは雰囲気が違う。これが大学のカラーってヤツなんだろうか。
一通り内部を見た後に、僕たちは理系のキャンパスへ向かう。二人で話をしながら歩いていたら、前から来たひとりの女性が僕たちに話し掛けてきた。
「立花くん、久しぶり」
「おおっ、須藤じゃん。お前、こんなところで何やってんの?」
「私はちょっと大学に用事があって。立花くんは?」
「オレは学校の案内」
「へぇ。立花くん、相変わらず面倒見がいいんだね」
「まあな」
女性は僕の方に目を向けて、にっこりと微笑みかける。
「私、須藤香澄っていうの。立花くんとは大学のゼミで一緒だったんだ。よろしくね」
「僕は高野修一です」
「修一くんか。立花くんとはご親戚なのかな?」
彼女の問いに立花が答える。
「シュウは仕事でお世話になった家の息子さんなんだ。彼には現地で案内をしてもらって。そのお返し」
「そうなのね。立花くんって、仕事は何やってたんだっけ?」
「しがない地方公務員だよ」
「あっ、変わってないんだ。地方公務員ってあんまり遠くへ行く出張がないイメージだったから、転職したのかと思っちゃった」
「そんなことない。今回は災害応援でさ」
「ってことは、この前のあれだよね。だったら、大変だったんじゃない?」
僕は二人の間に割り込む。
「幸いなことに、僕の住んでいるところはたいしたことなかったです」
「そうなんだ。それは良かった」
慶介は自分の腕時計をちらっと確認して、彼女に話し掛ける。
「オレたち、次があるからそろそろ行くわ」
「そっか。そういえば、今度ゼミの何人かで集まって飲み会するんだ。立花くんも来てよ」
「わかった。予定確認するから、後で詳細を送っといて。連絡先は前と一緒だから」
「うん。立花くんが来てくれたら、みんな喜ぶと思う」
「ああ。じゃあ」
慶介が手を振ると、彼女は顔の近くで小さく手を振った。それを確認して、僕は歩き出す。
僕が嫉妬深過ぎるんだろうか。目の前で慶介が自分以外の人間と話をしているのを見ていて、モヤモヤしてしまった。本当の慶介を知っていれば、女性を警戒する必要はないハズだ。でも、僕の心はつい反応してしまう。その前に大学時代、彼に彼女がいたと聞いたからかもしれない。どうしたら、慶介に近寄ってくる「悪い虫」を追い払えるんだろうか。遠く離れてしまったら、僕はもう手を出せない。
いや、美容師の甲斐さんは「遠距離恋愛だけど、続いている」って言ってたじゃないか。確か甲斐さんは、会う機会を作った方が言っていた。だったらそのために、どうしたら良いかを考えた方がいいだろう。
まずは金銭面をなんとかする必要がありそうだ。それにこちらへ来る理由もいくつか作っておいた方がいい。なぁに、僕がこっちに進学するまでのことだ。精々あと一年半。そうだ。そう考えたら、なんとかできそうな気がしてきた。アイディアも頭の中にポンポンと浮かんでくる。
慶介の心をつかんでおくためにどうしたら良いのかを考えるのに、つい夢中になってしまった。せっかく慶介が理系のキャンパスを案内してくれたのに、集中できなかった。一応、雰囲気は何となくわかったので良しとしよう。
見学が終わって、キャンパスを出ると慶介が僕に尋ねる。
「これで終わりだけど、この後はどうしようか。別のところへ遊びに行くかい?」
「いや、いい。それよりも今夜はずっと慶介と家で一緒にいたい。だから、帰ろ」
「わかった」
だって、明日は美那郷に帰らないといけない日だ。それまでの時間を僕は慶介との記憶だけで全て満たしたい。そして、慶介の時間も、僕が独占したい。これからしばらく、二人は離れることになる。それを少しでも埋め合わせられるよう、お互いの身体にその熱を刻みつけなくては。これから帰れば、夕方には慶介の家に着くだろう。いや、それでも足りないくらいだ。
朝日の光を浴びながら、炊飯器を開けると、美味しそうな湯気があがる。ほんのりと甘いにおいがするのは、トウモロコシを入れたからだろうか。
「うん、美味しそうにできたね」
後ろに立っている慶介がうなずく。好きな人にほめられるのはやっぱりうれしい。
僕はトウモロコシごはんを二つの茶碗によそって、慶介に渡す。茄子の味噌汁もいい具合だ。これに、オクラと鶏肉をゴマだれで和えた小鉢を添える。よし、今日の朝ごはんが完成だ。テーブルで「いただきます」を言って、食べ始める。
「うん、美味しい。初めて作ったとは思えないよ」
慶介がほめてくれた。自分で食べてみても、それなりに良くできている気がする。これまで家庭科でしか包丁を握ったことがないにしては、上出来だろう。
「慶介が手伝ってくれたから」
「オレはちょっとアドバイスしたくらいだよ」
今日の朝ごはんは僕から「作りたい」と慶介に言った。とはいえ、僕はほとんど料理をしたことがない。だから、彼と献立を相談して、調理方法を教えてもらった。好きな人と一緒に協力しながら、何かを作るのは楽しい。なんだか、本当の夫婦になったみたいだ。大学に進学して、こっちに来たら、一緒に住むのもいいかもしれない。父さんも慶介ならば、文句はないだろう。僕と慶介ならば、きっといいパートナーになれると思う。だって、二人で協力すれば、こんな美味しいごはんを作れるのだから。
それにしても、ごはんを食べている慶介の顔は幸せそうだ。ごはんって人を幸せにできるものなんだな。今までは自分でごはんを作ろうだなんて、考えたことがなかった。でも、目の前で大切な人の幸せな顔が見られるならば、もっとやるべきなのかもしれない。逆に、普段ごはんを作ってくれている母さんや、お妙さんにはもっと「美味しい」と伝えた方がいいんだろう。
ごはんを食べ終えて、二人で片付けを済ませた。一段落ついて、僕はソファに身を預ける。
「もう動きたくない」
「何言ってるんだか。まだ、午前中だよ」
慶介は笑いながら、僕の隣に腰掛ける。部屋の時計をじっと見つめて、彼はつぶやく。
「電車、何時だったっけ」
「午後二時」
「そっか」
慶介といられるのも、あと数時間だ。それが過ぎれば、当分会うことはできない。
「僕、ここの子になる」
「そうだね。でも、一度はご両親に顔を見せなくちゃ。心配しちゃうだろ」
僕の言葉に対しては絶妙な返しだろう。否定はしないが、帰ることは促す。でも、僕が聞きたいのは、そんな理解をしたふりをする大人の言葉じゃない。もっと僕を欲しがってほしい。しかし、それが慶介を困らせるだけだということもわかっている。そんな子どもみたいなことを言って、彼に嫌われたくない。
「そうだね。でも、ひとつだけお願いしていい?」
「何?」
「この部屋を出る時間まで、抱き締めてほしい」
「わかった」
慶介は僕のことを包み込んでくれた。うん、これだ。僕は赤ん坊のように彼に身を委ねた。
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