第21話

 ロッキーは帰る準備をしているので、こちらのやり取りに気が付いてなさそうだ。ミツアキに、どういう意味なのか聞いてみようか。そう考えていたら、ロッキーが僕に声を掛けてきた。

「シュウは準備できた?」

「うん。大丈夫」

「ミツアキさん。ボクたち、帰りますね」

 ミツアキは僕たちに手を振る。

「じゃあね」

 僕たちは手を振り返して、店を出るとエレベーターに乗る。僕はミツアキの言葉を反すうした。

 あれはどういう意味だったんだろう。ハッキリは言わなかったが、僕と慶介の関係は、ある程度察しているハズだ。その前提がなければ、あの言葉は出てこない。だとしたら、もうミツアキは慶介に未練はないのかもしれない。

 彼の言う通り、慶介は妙に真面目なところがある。考えてみれば、最初は「未成年だから」と言って僕との関係を進めたがらなかった。同じように慶介が「正しい」と思っていることが、僕たちの関係にとって障害になるかもしれない。とはいえ、慶介が話をしてくれなければ、彼が何を「正しい」と思っているのか、わからない。だから、ミツアキは「思いを聞いて」と言ったのだろうか。

 考え事をしていたら、何かが頬に触れる。そちらを向くと、出迎えるようにロッキーがくちびるを重ねてきた。えっ? えっ? ええっ? 頭がついていかないうちに、ロッキーは次々と僕の身体に侵攻してくる。ちょっ、待っ、何とかしなくちゃ。でも、どうしたら? 

 チーン

 エレベーターのドアが開く。目の前に男性が立っていた。だが、ロッキーは止める気配がない。もしかして、カップルがイチャついていると思われて、このままドアを閉められてしまうんだろうか。違うんです。助けてください。心の声が通じたのか、男性は不機嫌そうに口を開く。

「ちょっと。お楽しみのところ申し訳ないけど、一度降りてくれない?」

 男性の声にロッキーの動きが止まる。よし。その隙をついて、僕はロッキーから身体を離して、エレベーターを降りた。しぶしぶといった感じでロッキーも僕に続く。

「まったく」

 男性はため息をついて、エレベーターに乗り込んでいった。僕は駅に向かいながら、ロッキーに問いただす。

「ロッキー。どういう事?」

「ショウが、かわいいから」

「だからって、急にキスするの?」

「うん。だって、シュウは来週には帰っちゃうだろ。チャンスは今しかないじゃん」

 まったく。この積極性、慶介に見習って欲しいところだ。

「僕はロッキーのこと、友だちだと思ってたんだけど」

「ボクも。だから、シュウのことをもっと知りたいんだ」

「でも、僕には慶介がいること知ってるでしょ」

「大丈夫。慶介さん、ボクのこと信用してくれてるから」

「そういう問題?」

「うん。そもそも今相手がいるかどうかは関係ないでしょ」

「えっ、何言ってるの? 関係あるでしょ」

「何で?」

「他人のものは取っちゃいけないと思う」

「人はものじゃないよ。それに相手がこっちの方がいいと思わなければ、そうはならないじゃん」

「それはそうかもしれないけど。相手のことを本当に考えているなら、ちゃんと手順を踏んだ方がいいんじゃない?」

「たとえば?」

「急にキスしない」

「わかった」

 目の前の信号が変わったので、僕たちは横断歩道を渡る。夜も遅いというのに、多くの人が僕たちとは反対方向へ歩いていく。この街には、時間は関係ないようだ。

 隣にいるロッキーは静かにしている。少しは反省してくれたんだろうか。今日、彼が僕のためにいろいろしてくれたのは事実だ。それに、僕もロッキーと仲良くはしたい。そのためにも、きちんと話をしておこう。僕は口を開く。

「大体さ、いきなり身体って性欲しか感じないよ。僕、相手が本気じゃなきゃ嫌だ」

「本気ねぇ。シュウはどういうところに本気を感じるの?」

「そうだな。二人の関係を人に見られても気にしないとか」

 そうだ。慶介は自分の家の近くなのに外で僕と手をつないで、キスをしてくれた。本気じゃなければできないことだと思う。

「オッケー」

 ロッキーはにっこりと微笑みを浮かべる。そして、顔が僕に近付いてきた。また? まさかこんな人通りが多いところで仕掛けてくるなんて。

「これでボクの本気、伝わった?」

 僕はとっさに周りを見回す。僕たちのしたことに、ほとんどの人は無関心そうだ。何事もなかったかのように横断歩道を渡っている。それよりも、止まっている僕たちが邪魔と言わんばかりだ。遠くでこちらを見てキャッキャ言っている女性の二人組がようやく見つけられたくらいか。この街では、この程度のことは注意を払うことではないようだ。バクバク鳴る胸の鼓動を抑えて、僕はこの事態を収集させるための言葉を選ぶ。

「『急にキスしないで』って僕、言ったよね」

「おっと」

「『仏の顔も三度まで』ってことわざ知ってる?」

「わかった。今日はボクの気持ちを伝えるだけにしとく」

「本当にわかってるんだか」

 ゲイであることに後ろめたさを一切感じていないロッキーの姿に、惹かれるところがない訳じゃない。でも、僕には慶介がいる。だが、もし最初に会ったのが慶介じゃなくてロッキーだったら、僕は彼と付き合っていたんだろうか。

 僕はくちびるをおさえた。


 慶介の家のドアに手をかける。手応えが軽い。カギが開いているということは、慶介が既に帰ってきているのだろう。

「ただいま」

 僕はそう言って部屋に入る。キッチンには誰もいなかったが、奥の部屋には明かりがついている。僕は靴を脱いで、玄関へ上がりこんだ。

 部屋に入ると鏡の前で、慶介はネクタイを外していた。僕が帰ってきたのに気付いて、こちらを見る。

「シュウ、おかえり。ゆっくりしてたんだね」

「ごめんなさい」

「いや、怒ってる訳じゃないよ。今日のごはんはどうしたんだい」

「ロッキーと食べてきた」

「そっか」

 慶介は顔色ひとつ変えてくれない。別の男と一緒にこんな時間まで一緒にいたことに、不安や焦りはないんだろうか。実際にロッキーからはキスをされた。もし、それを伝えたら嫉妬のひとつでもしてくれるんだろうか。とはいえ、それをバラしても良いことはひとつもない。責められるのは嫌だが、平然と受け入れられたら、もっとショックだ。

「そのあと、メグミさんのお店に行ってきたんだ」

「シュウ、あの店が気に入ったんだね」

「僕、ミツアキさんに会ったよ」

 慶介の笑顔が一瞬固まったような気がする。

「へぇ、どんな話をしたの?」

「お仕事の話とか、オススメのお店の話とか。最初は僕なんか相手にしてもらえないかなって思ったんだけど、実際には話しやすい人だね」

「だろ。オレも最初話し掛ける時は緊張したもん。でもさ、あいつ意外と抜けてるんだよ」

 慶介が優しい表情でふふっと笑う。まだ、好きなんだろうか。

「僕もいい人だと思う。なんで別れちゃったの?」

 慶介は目を丸くする。僕がロッキーとごはんした話を聞いても平常心だったのに、ミツアキのことだと反応するっていうのはどういうことだろう。

「あいつがどんどんメディアへ出るようになって、俺のことがだんだん目に入らなくなって。心の距離が開いちゃったんだ」

「好きだったんでしょ。縮めようと思わなかったの?」

「だって、表で活躍する人間に男の恋人がいる訳にはいかないだろ。一緒にいて、足を引っ張ることはあっても、役に立つことはない。そう思ったら」

 ミツアキは「愛想を尽かされた」と言っていた。だが、慶介は「自分がミツアキの目に入らなくなった」と言う。慶介が縮めるために行動していたら、二人は別れなかったんじゃないだろうか。僕はそのすれ違いを知っている。でも、それを教える訳にはいかない。

「慶介」

 僕は彼を抱き締める。

「シュウ、オレまだ風呂に入ってないんだけど」

「慶介の匂いだったら、僕どんな匂いでも好きだよ」

「でもさーー」

 言葉を続けようとする慶介の口を僕は塞いだ。

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