四十八 明日の君へ その一 小説とは? の三 ~或いは、過去の自分との邂逅~
本当に馬鹿だったんだなあ。あれだけ長い間やっても、結果は出なかったんだもんな。やっぱり俺には才能がない。それなのに、また、賞とかを取るとか、考えてしまって。俺は何も、変わっていない。いや。今度は皆がいる。俺一人じゃない。いや。それでも、結局、書くという行為は、一人でやる行為だ。合作でもしない限り、いや、合作だとしても、自分で考えなければいけない事はある。もう、あんな人生は嫌だ。俺は、そう、自由になりたかったんだ。それなのに、俺は、その手段として選んだはずの、小説という物に、いつの間にか、縛られてしまっていたんだ。町中一の思考は加速して行き、周りの音も、皆の視線も、何もかもを感じなくなった。
「一しゃん? 一しゃん?」
「むぅぅぅ~? 話~? 続きは~?」
「エッチな妄想でもしてそう」
「スラ恵。お母さんはいつでも準備万端よ」
「もうぅん。しょうがないわぇん。ほらぁん。あんたん。ぼぉーっとしてる場合じゃないわぁん。戻って来なさいよぉん」
ななさんが、町中一の顔に近付き、頬をベシベシと叩き始める。
「ななさん。止めるわん。ななさんは、すぐに暴力を振るうわん。主様の相棒が聞いて厭きれるわん」
いつの間にか、戻って来ていた柴犬が、言い終えると、ななさんを捕まえようとして、跳び上がった。
「ちょっと、あんたん。ああ~ん。そこは、駄目よぉん。そんなとこ、噛んだら、痕になっちゃうわぁん。ああ~んいや〜んんん」
グリップ部分を噛まれたななさんが、満更でもないような声で悲鳴を上げる。
「はっ? 俺は、そうか。すまない。自分の世界に入っちゃっていた。小説を書いていると、小説の事を考えていると、今みたいになる事もある。皆も、きっと、なるだろうから、外を歩いている時とかは、気を付けるように」
ななさんの悲鳴を聞いて、我に返った町中一は、言ってから、えっと、それで、なんの話をしていたんだっけ? おお。そうか。小説とは? だったっけ。さて。次は、何を話そうか? と思った。
「何を考えてたの? エッチな事?」
「スラ恵はブレないな。方向性はともかく、それは良い事だと思うぞ」
「な〜に〜? さっきからやけに褒めるじゃない。ひょっとして、スラ恵とエッチしたくなった?」
「それはない。話を戻そう。自由に書いて良いとは言ったが、実はそこには難しい部分もあるんだ。小説を書いて自分だけが読むなんていう楽しみ方をするのなら良いのだけれどな。人に、しかも、赤の他人に読んでもらうとなると話が変わって来てしまう。もちろん、どんな評価をされても良いとか、どうしてもやりたい事があるとか、自分の思いを優先したい場合は別だ。だが、そうじゃないなら、さっき言った、賞などに出す為に書くのなら、そこには自由がなくなってしまう。まったくないというわけではないが、流行の物に合わせて書くとか、賞を募集している者達の為に書くとかっていうような、それなりの制約を受ける事になってしまう」
町中一は、言葉を切ると、皆の顔を見回した。
「それじゃ、どうするの? 自由を求めていたとしたら、そんなの、つまらないじゃない」
スラ恵が唇を尖らせる。
「そうだな。でも、考えようによっては、自由を諦めても良い位の対価はある。お金や、地位や、名誉といった物が手に入っちゃうかも知れないんだ。小説が売れて有名になれば、人に尊敬されるし、人気者になれる。もちろん、ただ、自由にやっているだけで、そういう物を手に入れてしまう人達もいる。大半の人間、書き手は、そうじゃないけどな」
町中一は、口を閉じると、さて。どうしよう? 才能云々の話をした方が良いのかな? 皆、すぐにやめたりしないで、ある程度書き続ける事ができたとしたら、絶対に、その問題には、ぶつかるはずだ。先に言っておいた方が良いのか。それとも、各々が自分で、気が付いた時に、そういう話をしてやれば良いのか。俺は、人からそういう話を、直接聞いた事はないけど、やり始めた頃は、いや、やり始めてから、ほとんどずっと、自分には才能があると、信じきっていたからな。と、そう思った。
「え~? そうなの? そんな事になったら、わえったら、モテモテのモテリーナになっちゃうかも知れないのかしら?」
お母さんスライムが、急に若々しい口調になって、とっても素晴らしい笑みを顔に浮かべる。
「お母さん。そうなったら、スラ恵は捨てられちゃうの?」
スラ恵が、わざとらしく、悲しそうな表情を作って、お母さんスライムに、縋り付くような仕草をした。
「スラ恵。そんな事はないわ。一緒にモテリーナになりましょう」
「お母さん」
「スラ恵」
「また始まった。エッチな事をするなら、この部屋から出て行けよー」
まあ。でも、話しておくか。楽しい事ばかりじゃないって事を知っておくもの大事だろうしな。あんまり良い事ばっかり言っておいてもな。なんだか、詐欺っぽい事をしている気になっちゃいそうだしな。と、言い終えてから、町中一は思い、再び口を開く。
「小説を書くという事は、良い事、楽しい事ばかりじゃないぞ。才能という物が関係して来るからな」
言葉の途中で、町中一の胸は、ちくりと痛んだ。
「才能、うが?」
「そう。才能だ。さっき言った、自由にやっているだけでも、成功してしまう奴らが持っている物だ。こればっかりはどんなに努力をしてもどうしようもない。持っている持っていないで、差が出てしまう物なんだ」
町中一は、俺には、なかった物だ。と、改めてしみじみと思いつつ、皆の顔を、その表情を確かめる為に、見回した。
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