ふられた夜のできごと

yui-yui

ふられた夜のできごと

「映画になら一人でも行けるよ」

 そんな風に実にあっけなく私の恋は終わりを告げた。

 やっぱり社会人から見た女子高生は子供にしか見てもらえないのだろうか。私がアルバイトをしている本屋にいつも本を買いにくる、営業マン風の人だった。

 名前も知らないし、話したこともなかったから、実はどんな人かも良く判らない。ある時、私が積み上げていた本の山を崩したときに、大丈夫?と笑顔で声をかけて本を拾い集めてくれたのだ。

 その姿に一目惚れだった。

 そして、その後も半年もの間、声をかけられなくてやっと勇気を出した矢先だったのに。

 あっけなく終わってしまった。


 行く気の失せたロードショウのチケットを二枚握り締めたまま、私は中央公園に向かった。特に意味のない行動。映画には行きたくなかったし、家に帰りたくもなかったし……。

 金曜の夜。

 様々な人が中央公園にはいる。酔っ払い(これが一番最初に目に付くのも嫌な話だけど)、カップル、弾き語りをしてるギター弾きの人達。その人達の中で、一人だけギターケースを抱えたまま俯いている人がいた。その人が気になったのか、私は自分でも判らないうちに、その人の前で立ち止まり、見詰めてしまっていた。

「……ん、何?」

 その人は私の視線に気付いたのか、顔を上げるなりそう言った。半端に髪が長くて(というよりも伸ばしっぱなし)、無精髭が生えている。

「あ、いえ、あの……」

 黙って歩き去っちゃえば良かったのに、私はつい生返事をしてしまった。

「あぁ……。おれはね、歌わないんですよ」

 伸ばしっぱなしの髪と無精ひげで少し怖い感じかと思ってたけれど、思ったよりも気のいい感じでその人は笑った。ふられた彼と同世代かもしれない。二〇代中頃か後半に差し掛かるくらいで、その笑顔はどこか人懐っこい。

「何でですか?」

 その笑顔に釣られた(としか言い訳が立たない)のか、私はまたも話しかけてしまっていた。

「ギタリストじゃないんです」

 にっこりと笑ってその人はケースからギターを出した。暗くて正確な色は良く判らないけれど、紺色のほっそりとしたようなデザインのギターだ。

「ギター、持ってるじゃないですか」

 どうかしてる。こういう人に話し掛けるなんて。でも私はふられたんだ。どうかしてたって当たり前か。

 ……当たり前なのかな。

「これはね、ギターはギターでもベースという種類のギターなんです」

 ベース。

 そのくらいなら私も知ってる。でもギターとベースの違いが何なのか、今一つ判らないけど。

「ギターとはどう違うんですか?」

 つい正直に訊いてしまった。やっぱりどうかしてる。でも今日はどうかしてたっておかしくないって無理矢理にでも思うことにした。もうこの際気晴らしでも憂さ晴らしでも何でも良い。この人にはまったくもって失礼な話ではあるけれども。

「ギターは基本的に弦が六本。ベースは四本。ギターよりも重くて音も低い音を出す。なんにせよソロで弾くにはマイナーな楽器だよ」

 そう説明してくれた後にその人はベースをケースにしまってしまった。

(弾いてくれると思ったのに……)

 ちょっとだけベースの音というものを聞いてみたくなったりもしたけれど、残念だ。

「ありがと」

「へ?」

 急にお礼なんて言われて、私は間抜けな返事をしてしまった。

「話し相手になってくれて。ちょっとやりきれないことがあってね。ここの所ずっと考え込んでたから」

 長い髪を乱暴にかき上げて、その人はまた笑った。何となくどこかで見たことのある顔だと思ったのだけれど、思い出せない。

「お嬢さんは見たところ学生さんのようですが?」

「あ、はい。高二です」

「ほぅ、それは随分とお若いですなぁ。でもおれが高校生だった頃と違って、今の高校生は考え方とかもしっかりしてる子が多いよねぇ」

 その人は言って、自分の座っているベンチの空いてる所を指差した。素直にその人の隣に腰かけると、ふと考える。考え方がしっかりしている高校生。少なくとも私ではないな。見ず知らずに近い人を好きになって、映画に誘おうとして失敗して、こんなところをうろついて、全く見ず知らずの人に話しかけている高校生の考え方がしっかりしているとはとても思えない。

「今度はおれが聞き手になるから」

 私が座ったのを確認して、その人はまた笑顔になった。伸ばしっぱなしの髪で目が隠れているし無精髭であまり表情は判らないのに、笑顔なのは判って、私も少し安心する。

「……いいんですか?」

「うん。何も弾いて聞かせてあげられないお詫びってことで」

 見ず知らずの人と話してみるのも面白いかもしれない。どうせ今日はどうかしてることだし、なんだかこの人もいい人っぽいし。

「あ、私……」

「ちょと待った!こういう時はお互いのこと何も知らない方がいいでしょ?ちなみにワタクシは落ちぶれベーシスト、カッコ仮名」

 自己紹介をしようと思った私を制してその人、ベーシストさんは笑って言う。

「私は、じゃああんずってことで」

 いい名前が思いつかなかったから学校で呼ばれているあだ名にしてしまった。ちなみに本名はあずみ、って言うんだけれど。

「おっけい。それじゃ、あんずちゃん、デートでもすっぽかされちゃった、とか?」

「え?」

 半分当っている。凄い。神通力?世捨て人になるとそんな能力までつくというの?

「な、なんで……」

「だって、それ」

 あっけにとられている私の手の方をベーシストさんは指差した。何のことはない、私の左手に握られてる、くしゃくしゃになった映画のチケットを見てベースシストさんは苦笑した。

(やだ、ずっと持ってたんだ)

 私は映画のチケットを慌ててバッグに押し込んだ。恥ずかしい。急に顔が熱くなってくる。気付かずにいたとはいえ、ずっと握りしめていたなんて。言葉が、続かなくなってしまった。

「……」

「煙草、吸ってもいいかな」

 私がはい、と答えるとベーシストさんは早速煙草に火をつけた。人の往来がいつの間にか少なくなり、煙草の燃える音が妙に大きく聞こえる。周りに人がいないというわけではないのに、何故だか妙に静かだった。暫く、ベーシストさんが煙草を吸う音を聞いていたのだけれど、私は口を開いた。

「ふられたんです。名前も知らない年上のひとで……」

 私はその一言を皮切りに、一部始終をベーシストさんに話した。

「そっかぁ、憧れの人ってやつだね」

「そう、だったんです……。映画に誘ったけど断られちゃって、その時に何となく、あぁ、私はまだまだ全然子供なんだろうなぁって思って」

「……子供、ねぇ」

 低く、ベーシストさんは呟くように言った。

「年上の人を好きになるのは別に子供じみてることじゃないと思うよ。ただ、考え方がしっかりしてることが大人な訳でもない、とは思うんだけどさ」

「そう、ですよね」

 とは言ったものの、ベーシストさんの言うことが今一つよく呑み込めていない。それはやっぱり私がまだ子供だということなのだろう。私はベーシストさんの言葉に歯切れ悪く頷いた。

 映画なら一人で行ける。その言葉に私が立ち入れない何かを感じてしまったのだ。まだ学生で自立もできていない子供である私と、働いて自立している人との境界線というか、何か言い知れぬ、届かない、絶対的な隔たりが。

「で、間違っちゃいけないのはさ、あんずちゃんはまだ高校生で、若くてさ、大人って訳じゃない。でもそれが子供じみてるってことでもないと思うんだ。変に色々難しく考えるより、バカみたいに何も考えないでいる時間……っていうか、自然なあんずちゃんでいられる時間っていうのをもっと作った方がいいと思うですよ」

「……難しくてよく判んないです」

 何となく、言わんとしていることは理解できないでもないんだけど。自然な私ってどういうことだろう。何かを見たり感じたりして、誰の影響も受けずに出た素直な言葉が自然な私の言葉、ということになるのかな。

「ようは『自分でいろ、誰かみたいにはなるな』ってことさ」

 そう言ってベーシストさんはまだいくらも吸っていない煙草を足元に落として、踏み消した。

「『誰か』みたいにはなるな、ですか」

 でもそれって難しい。ただでさえ私達は流行を追ったり、好きなアーティストの真似をしたりしてる。可愛いと思う人がつけているアクセサリーなら欲しいと思うし、カッコイイと思った人が言った言葉なら使いたくなってしまう。

「ベーシストさんは、自分でいられるんだ」

「いやいやぁ、それができていないからこそ、こんなところで燻ってるんですが」

 自嘲するように笑ったベーシストさんの笑顔は少し寂しげになってしまった。

「その台詞だって受け売りだからね。でも凄く大切な事だって思ってる」

 特に音楽をやってる人はそうなんだろうな……。

「あんずちゃんはさ、まだ若くて、これからだってまだまだいっぱい出会いがある。その中できっとあんずちゃんにピッタリな人が見つかると思うよ。あんずちゃんが自然にあんずちゃんでいられる相手ってやつがさ」

 ……優しい人なんだ、この人。今日初めて会った人なのに、なんだか凄く勇気付けられてる。これは私がまだ本当の意味を飲み込めていない、反射でしかないのかもしれないけれど、でも、それでも精一杯、返せるものは返したい。だから、わたしもベーシストさんに言ってあげる。

「ベーシストさんだってきっといつか『自分』でいられるようになりますよ。ちゃんと髪切って、髭剃ればまだまだ見た目は若いっぽいし、きっとカッコイイもん」

「ふは……。はは、ぅわはははは!そうだね、確かに、こんなところでフケ込んでる場合じゃねーなぁ!」

 私の言葉にベーシストさんはいきなり笑い出した。しかも凄く楽しそうに。

「あんずちゃん、ありがとね。結局おれが励まされちゃいましたねぇ」

 一頻り笑い続けて落ち着くと、ベーシストさんはそう言いながら私の手を取ってぶんぶんと上下に振った。

「そ、そんなことないですよ!私の方こそ!」

 またもベーシストさんの笑顔に釣られて私も笑顔になった。

 そう、私は今日好きだった人にふられた。でもそれはきっと、いつか私が私でいられる人と出会うために必要な、大切な別れだったんだ。今はそう思うことができる。今だけは。

 きっとまだ何日かは落ち込むだろうけれど、でも、この日の奇妙な出会いがあったっていうことが私を支えてくれる。きっとこのことを思い出して、笑顔になれる。こんな別れと出会いがあった不思議な日を私は一生忘れないだろう。

 それから私とベーシストさんはもう一度握手して判れた。

「じゃあね、あんずちゃん。君と出会えて、良かった」

「私も、ベーシストさんに会えて……」



――一年後

 私は意外な形でベーシストさんと再会することになった。CDショップの『今月のラインナップ』というコーナーにいたのだ。いや、正確にはあったのだ。

 The Guardian's BlueガーディアンズブルーThe Spankin'スパンキン Bacckusバッカス BourbonバーボンPSYCHO MODEサイコモード、伝説のロックバンドのメンバーが集まって結成されたという新しいロックバンド-P.S.Y-サイのファーストアルバム。その中にあの落ちぶれベーシスト、カッコ仮名さんがいたのだ。

 私は生憎、ロックという音楽なんて本当にさっぱり判らないので、何が伝説なのかも理解ができないのだけれど、それでも髪を切って髭を剃ったベーシストさんは中々格好良かった。

 ロックバンドのCDのジャケットなんてカッコつけで攻撃的な表情をして撮らなければならないのかもしれないけれど、ベーシストさんは何というか、実に能天気に笑っていた。その呑気な笑顔を見て、一年前の夜の出来事を思い出すと、やっぱり私も笑顔になれた。

 私は今もきっと私と同じく『自分』を探しているはずのベーシストさんのCDを手に取って、レジに向かった。


  ふられた夜のできごと 終り

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