第12話 夢幻の夜
「す、すまん、ロイドっ! すっかり遅くなっちまった!」
あれから三時間ほどが経過して、ドミニムが帰ってきた。かなり飲まされたらしく顔は真っ赤だ。
「ああ、ドミニムさん。災難でしたね」
「随分と引き止められちま、って、……え?」
懐からバンダナを取り出し、頭に巻こうとしていたドミニムは二度見、三度見、そして四度見、そして瞼が削れるくらいの勢いで擦ってから両目を大きく見開き――
「ええええええええ!? なんじゃ、こりゃああああっ!」
と叫んで腰を抜かし、へたり込んでしまったのだった。
数時間前まで真っ白だった床のタイルが全てが青く塗り替えられていたのだから、そうなってしまうのも無理はないだろう。
「お、俺は夢でも見てんのか!?」
「夢じゃありませんよ、ドミニムさん」
「夢じゃねえ、ってお前さんよお!」
まだ腰に力が入らないらしい大工の親方は、四つん這いの姿勢で塗料塗りたてのタイルに近づくと、至近距離からまじまじと観察し「ほああー」と感嘆の溜息をつく。
「色ムラどころか、はみ出してもいねえ。こんだけ丁寧にやってどうやってこの時間で……」
「やっているうちにコツのようなものを掴みまして」
「コツ、ねえ……。
……ま、細かいこたあどうだっていいか!」
ドミニムはそう言いながらぴしゃりと額を叩き、ニカッと笑った。理解できないなら考えるだけ無駄だ、という結論に至ったらしい。
仮定はどうあれ、最終的に上手くいけばそれでいい。
何となく、この考えはプログラムにも通じるものがある。――そんな気がした。
「とにかく、本当にありがとうよ!
これは礼金だ、取っといてくれ!」
「あ、はい」
しばらく財布の中をゴソゴソとやっていたドミニムだったが、酔った勢いもあったのか、最終的には財布ごとこちらに突き出してきた。
こちらも反射的にそれを受け取ってしまったのだけど、中身は銀貨十枚どころでは無く三十枚は軽く入っている。
「こ、こんなに!?」
「ああ、今回は俺の恩人ってことで特別に上乗せだ!」
「……ありがとうございます。遠慮なく頂きます」
僕はぎっしり詰まったドミニムの財布から空気しか入っていない自分の財布へお金を移し替える。
それが終わると、中から銀貨を二枚摘まみ出し、財布と一緒にドミニムへと差し出した。
「なんだそれは」
「今月分の家賃です。忘れないうちにと思って」
「ああ……いや、いい。向こう半年はタダで良い」
「え?」
「それと、もし俺の弟子になるってんなら一生タダにしてやる。おまけにウチの娘も付けてやるぞ」
娘って。ドミニムの子供は確か一人しかいなかったはず……。それってつまり、自分の跡継ぎになれ、ってことじゃないか。
『金槌』持ちでも『ノコギリ』持ちでもない一般人の僕をそこまで買ってくれるなんて本当に光栄なことなんだろう。でも、今の僕にはやらなきゃならないことがある。
「お気持ちはありがたいのですが……」
「まあまあ、返事はすぐじゃなくても良いからよ」
「それに、ドミニムさんの娘さんってまだ十二くらいだったんじゃ」
「はっはっは、こまけえこたあ気にすんな!」
ドミニムはそう言いながら壁に掛かっていたランタンのバルブを絞り、仕事場の明かりを落としていく。
僕は全然細かい事ではないだろ、と思いながら
「じゃあ、僕はこれで」
「ああ! 今日は本当に助かったぜ! また何かあったらよろしくな!」
入口の扉に鍵を掛け、僕たちが解散した頃には間もなく日付が変わるという時刻になっていた。
鍵は夜間用の通用口にいる衛兵が預かってくれる手筈となっているので、エドール卿に引き渡す明日の朝までは誰も入れないはずだ。
すっかり安心したらしいドミニムは鍵束をチャリチャリ鳴らしながら、軽い足取りで帰って行ってしまった。
さて、自分ももうこの場所には用がない。タブレットのエネルギーも切れかけで早く
ズボンのポケットでずっしりと存在をアピールする銀貨たちの重みを感じ、帰りはどこの酒場で食事をしようか、と考えながら明かりの乏しい通用門への道を歩いていると――例のあの人物に出くわした。
「――貴方……随分と余計な事をしてくれましたのね」
「セルフィナ様」
偶然、では無いと思う。それならば先に行ったドミニムとも顔を合わせているはず。そして『余計な事』と言っている以上、妨害工作が失敗したことも既に知っているのだろう。
恐らくは自分に反抗した僕に一言言いたいに違いない。嫌味か、それとも罵倒か、はたまたその両方か。
「どうして、私の邪魔をするの」
ところが、予想に反して彼女の口から出てきたのは意外なほど弱弱しい疑問の言葉だった。
顔を反らし、先程までの堂々とした態度は欠片も見当たらない。
まあ、こちらから言わせて貰えば邪魔をしてきたのはセルフィナの方なのだけど、これだけしおらしい態度になっているとそれを正面切って指摘するのは気が引ける。
「……先ほどは失礼しました。ですが、決してセルフィナ様の邪魔をしようとしたつもりはありません」
「……」
セルフィナは視線を落としたまま、何も言わない。こんなことを言うためだけにわざわざ僕の前に現れたのだろうか。
いや、そんなことより……夜も遅い時間に、しかも婚約直前という同年代の女性と薄暗い場所で二人きり、というこの状況は非常にまずい。
もし、この場面を誰かに見られでもしたら――僕が破滅しかねない。
「それでは、僕はこれで失礼します」
「お待ちなさい」
一刻も早く危険から遠ざかろうと、脇を通り抜けようとした僕に制止の声が掛かる。
一応は足を止めたけど、ただでさえ良くない今の状況に加え、とんでもないことが起き続けた一日の疲労もあって僕はいい加減うんざりしつつあった。
何か言いたいことがあるのなら、はっきり言って欲しい。――そんな気持ちが、ついぶっきらぼうな態度に出てしまう。
「まだ何か?」
「……その恰好、貴方は冒険者ですのね」
「ええ、まあ」
「そう……
セルフィナの意図が全く掴めない。冒険者や
もしかして、彼女の持つ
「…………あの、もう夜も遅いですし、そういった話は後日にして頂けるとありがたいのですが」
「そう、ですわね。呼び止めてしまってごめんなさい」
「え、あ、こちらこそ。色々済みませんでした」
そんな、僕の受け答えが妙に可笑しく思えたのだろうか。僕と同年代の少女は顔を上げ、「くすっ」と笑うと、ようやく同年代の少女らしい柔らかい表情を見せてくれた。
「何故貴方が謝るのかしら。嫌な思いをさせたのは私の方でしょうに」
何故、って。動揺くらいするに決まっているだろう。だって、あのセルフィナが自分から謝罪の言葉を口にしたのだから。
彼女には『嫌味でいけ好かないお嬢様』と『理知的で不思議な魅力のある令嬢』の二つの噂があることは知っていたけど、いざそれに直面してみると……その緩急にやっぱり戸惑ってしまう。
「……いえ。決してそんなことは――」
「――貴方、名前は?」
セルフィナは僕が並べようとしていた言い訳を遮り、夕方時点では『聞きたくもない』と言っていた僕の名前を聞いてきた。
何がどうなってこうなったのか分からないけど、彼女の中で少しはマシな存在になったということなんだろうか。
「ロイド……ロイド・アンデール、と申します」
「――ロイド、ね。覚えたわ。
ロイドは明日も冒険者ギルドへ行くのかしら」
「ええ、まあ」
「そう。今日のところはもういいわ。お行きなさいな」
「は、はあ。それでは」
最初から最後まで彼女にペースを握られ、そしてあっさりと解放された僕はまるで幻でも見せられたかのような不思議な気持ちを抱えたまま、再び通用口へ向かって足を動かし始める。
「おやすみなさい。ロイド」
「セルフィナ様も、良い夜を」
僕の夢のような、幻のような、そんな一日は――背後から掛かるセルフィナの穏やかな声とともに幕を下ろすことになったのだった。
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