第10話 不条理な悪意


 エドール侯爵の屋敷に到着したときにはもう太陽が沈もうとしていた。

 衛兵に断りを入れ、早足で敷地内に建築中のダンスホールへと向かう。



「ドミニムさん! 遅くなって済みません!」



 ダンスホールの入り口前にドミニムはいた。

 頭にバンダナを巻いて本業モードとなっていた大家の男に駆け寄り、まずは遅くなったことを詫びる。



「はあああ。良かった、来てくれたかあ……」



 しかし、さぞかし怒っているだろう……という予想に反して、彼は僕の顔を見るなり安堵の表情を浮かべ、妙なことを言い出したのだった。



「ちょっと準備に手間取ってしまって……」


「あんまり遅いもんだからロイドボイコットかと思ったよ」


「す、すみませんっ!

 って、え? 『ロイドまで』?」



 不穏な発言に、思わず僕は辺りを見回す。

 おかしい。自分の他にいるはずの三人がいない。確か、手伝いは四人だと聞いていたはずだけど……半開きとなっている扉の向こうを覗き込むも、人が居そうな雰囲気はしなかった。



「……あの、他の人はどこに行ったんですか?」


「俺を置いて出ていっちまったよ……」


「出て行った、って一体、何が――」


「――あら。また随分と薄汚れた方がいらっしゃったのね」



 僕の背後から女性の声がした。

 言葉遣いこそは丁寧だけど、その声色からは隠せないほどの嫌悪――いや、敵意が感じられる。



「こ、これはこれは、セルフィナ様!

 いらしたんですか……?」



 振り返ると、そこには青を基調にしたドレスに身を包んだ金髪の『いかにも高貴なお嬢様』然とした女性と、そしてそれに付き従うように立つ執事風の男の姿があった。


 セルフィナと呼ばれたドレス姿の女性――このエドール家の末っ子であり長女である彼女は、この場所に親しい友人もいない僕でも知っているくらいの有名人である。

 かなりのトラブルメーカーという噂も聞くけど、一方では全く違う評価だったりすることもあったりで、良くも悪くも話題の中心にいることの多い、とにかく目立つ人物――というのが僕の抱いていた印象だった。



「おかしなことを仰いますのね。自分の家の敷地内にいてはいけないのかしら?」


「い、いえっ、そんな、滅相も無い!」



 そんな貴族の箱入り娘は、かつかつ、と高そうな靴の音を鳴らしてこちらへと近づき、少し離れたところで立ち止まると――僕の方を見て眉を顰めた。



「何故お父様はこのような汚らしい平民を敷地に上げるのかしら。まったく理解できませんわね」


「ほらっ、ロイド! ご挨拶を」


「あ、僕は――」


「――結構ですわ。貴方のような人間の名前など聞きたくはありませんの。ついでに言うと顔も見たくはありませんので、今すぐにここから出て行って貰えませんこと?」



 どうやら先程感じた敵意は気のせいでは無かったらしい。


 だとしても、そこまで嫌われる理由が分からない。

 僕は確かに『不明』とバカにされ続けてきたけど、それはあくまでも戦いに身を置く冒険者界隈だけの話。

 普通に暮らす人たちからしたらそんなことは割とどうでも良い事らしく、金払いが良くて話が面白ければランク云々を気にする人はそれほど多くない。


 とても美味しい料理を作れるBランクのフライパンを持つ料理人にSSランクの槍を見せて自慢したところで「へー。それはすごい」以上の感想なんて出ようがないのだから。

 まあ、彼女は彼女で少し特殊な事情があるのだけど……。


 とはいえ、間違いなく理不尽であるこの状況に、普通なら萎えてしまう人もいるだろう。でも、こちらとしても仕事として引き受けた以上、はい分かりましたと引き下がるわけにもいかない。

 自慢じゃないけど――いや、本当に自慢にはならないんだけど、僕は嫌味とか嫌がらせに耐える能力には自信がある。こんなの、痛くもかゆくも無い。



「お目汚し失礼いたしました。

 ですが、僕にはこれから大事な仕事がありまして。ここから去るわけにはいきません」


「そう。――それでは、今ここで帰るというならわたくしが今すぐに銀貨十枚を差し上げますわ。いかがかしら」



 そう言ってセルフィナは執事風の男に「じい。彼にお金を」と呼びかけると、男は懐から銀貨が入っているであろう小さな袋を取り出し、恭しくこちらへと差し出してきた。


 ――なるほど。こうやって僕以外の三人も追っ払った、ってわけか。

 仕事をするなら夜中まで働いても最大で銀貨十枚、一方で何もせずに帰れば同じ銀貨十枚が貰える……というならほとんどの人は後者を選ぶはずだもの。


 だけど、もし僕が効率だとか損得勘定を優先するような人間だったら――『不明ゴミ』の神具アイテムを抱えてまで冒険者なんかにしがみついていない。



「お気遣いありがとうございます。

 大変ありがたいお話なのですが、遠慮させて頂きます」


「えっ?」


「それでは、早速仕事にかかりますので」


「待ちなさい! それなら、二十枚出しますわ。それなら文句はないでしょう?」



 一礼し、振り返って仕事場へと向かおうとする僕に焦った様子のセルフィナが声を掛けてくる。


 ……別に駆け引きをしたつもりは無いんだけど。

 曖昧なことは言わずに、はっきりと断った方が良いのかもしれない。

 僕は再び彼女の方へと向き直り、口を開く。



「申し訳ありませんが、このお仕事はエドール様よりご依頼いただいたものと聞いております。

 ご本人から中止のご指示があれば別ですが、勝手に放棄するようなことがあれば――僕と、僕のお世話になっているドミニムさんの名前に傷がつきます。ですので、手は引けません」


「なっ……」


「ああ、あまりここに近寄りますと塗料でそのお奇麗なドレスを汚してしまうかもしれません。

 ですのでお嬢様は是非、お屋敷の方へお戻りになられた方が良いかと」


「……あ、後になって後悔しても知りませんわよっ!」



 セルフィナはそう言うと、かかかかっ、と靴音を響かせ、屋敷の方へと去って行ってしまった。


 可哀想に執事さん、置いてかれちゃってるよ。それにしても、あんな歩きにくそうな靴で、よくあんなに速く走れるなあ。



「ロイドぉ……お前さんってやつは……」


「ドミニムさん、始めましょう。

 と言っても僕は素人なので……どこから手を付けたらいいのか」


「あ、ああ、そうだな!

 じゃあ、今からやり方を説明するよ!」



――――



 エドール家のお嬢様とのひと悶着はあったものの、それを持ち前のやり過ごし能力で回避することに成功した。

 そしてその後はドミニムよりタイル塗装についての説明を一通り教わり、いよいよ作業開始という段階に入ったのだが……。



「いきなり本番なんですか? 練習もしないで!?」


「ああ。とにかく時間が無いんだ。お前さんなら手先も器用だし、きっと出来るはずだ!」


「ちょっと待ってください。

 ……これっていつまでに終わらせればいいんですか?」



 やけに急かすドミニムに不審なものを感じた僕は、ここでようやく仕事で最も大事な事の一つである『納期』を聞くのを忘れていたことに気付いた。

 そして、僕のその質問に対するドミニムの歯切れは悪いどころでは無く、もはや聞き取れないレベルで口をモゴモゴとさせている。



「……ゅう」


「え?」


「……うじゅう」


「何ですって?」


「今日中。……それも、今日の日付が変わるまで」


「はあ? きょ、今日中?

 え、いやいや、冗談ですよね?」


「冗談だったらどんなに良かったか……。

 これがもし出来なきゃ俺は……俺は……」


「どうしてそんなことに――あ、もしかして!」



 ここで僕の脳裏に浮かんだのはあの青いドレスを着た少女の顔だった。



「そうなんだよ……原因はあのお嬢様さ。

 何でかは分からないけどよ、どうやらこのダンスホール建築に最初から反対だったらしくてな、ああやって手を変え品を変え邪魔をしてくるんだ。

 大工仕事の間はまだ危険だから、って近寄らせないことも出来たんだが……」


「そんな……」


「大体な、床のタイルだって本来は塗る必要なんか無いんだ!

 だってよ、明日にはその上から立派なじゅうたんがビッチリ敷かれるんだから!」


「そ、そうなんですか!?」


「しかも決まったのは二日前だぞ?

 『貴族たるもの見えないところにこそこだわるもの』だとか何とか言ってエドール卿を丸め込んじまってさ!

 終いには『もし出来なかったら私、恥ずかしくてパーティーに参加できません』とか言い出してよお」



 僕はセルフィナにあんな啖呵まで切ってしまったというのに、何という事だ。

 日付が変わるまであと何時間あるだろう。



「あの……延期とかは無理なんですか?」


「それが出来たらこんなに困ってねえよ……。

 なんでもあのお嬢様、ついに婚約するらしくてな。その相手を呼んでのダンスパーティを三日後にやるっていうんだ。

 その準備のために明日の昼にはじゅうたん張りと調度品の運び込みが始まっちまうんだ。

 だけどよお、あの塗料は乾くまでに最低でも半日は掛かっちまう。

 だから、今日の日付が変わるころまでに終わらせておかなきゃ……」


「……わかりました、とりあえず、出来るだけやってみましょう」


「悪いな、妙なことに巻き込んじまって……」


「いいえ。いつも親切にしてくれるドミニムさんのピンチですから」


「は、ははは。

 お前さんってやつは……。

 なあ、冒険者なんてやめてよお、今からでも俺の弟子に――」



 ドミニムが何かを言いかけたとき、入り口の扉が開かれる。

 『またあのお嬢様か?』と振り返ると、そこに立っていたのは『爺』と呼ばれていた初老の男性だった。



「お仕事中、失礼を致します。

 ドミニム様に旦那様よりご伝言がございます」


「あっしに?」


「はい。

 是非ドミニム様を晩餐に招かせて頂きたいと」


「いや、無理ですよ。あっしにはまだまだ仕事が――」


「それは承知しておりますが……旦那様たっての願いでございまして。

 どうか無理をお曲げ頂けないでしょうか」



 『爺』と呼ばれていた男は気まずそうに目を伏せる。

 ……きっとあのお嬢様が手を回したのだろう。ただの平民が、エドール卿本人からのお願いと言われて断れるわけがない。

 どうやら『敵』は思ったより執拗で、その上に悪知恵まで働くようだ。

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