電車で戦うおっさん達
烏目 ヒツキ
おっさんと触手
毎日、同じことの繰り返し。
仕事でミスをした私は、50歳にもなって年下の上司から叱られ、電車の中でくたびれていた。
「……っ……や……」
私は確かに仕事ができない。
だからと言って、怒らなくてもいいではないか。
そんな事を考えていると、何やら目の前の乗客が震えているのを発見した。
女子高生だ。
ショートカットの女の子で、窓には黒いマスクを着けた姿が映っている。
しかし、その表情はどこか怯え切っていて、足をモジモジとさせていた。
「……やだ……たす……けて……」
「っ!」
痴漢だ。
間違いない。
しかも、このポジション。
私が真後ろに立っていることから、相手は私に罪を擦り付けようとしている魂胆が、丸見えだった。
私は拳を硬く握りしめた。
現代日本人は戦えない者ばかり、なんてニュースでバカにされているが、私が行動で否定しよう。
まずは、女子高生に話しかける前に、触られている部分を目視する必要がある。逃げられたら、それまでだ。
私は視線を落として、小ぶりなお尻をじっと眺めた。
「……ん?」
おかしい。
男の手がない。
ならば、物で痴漢をしているのか。
そう思い、注意深く腰回りを見つめる。
首を傾げて、窓に映った女子高生の姿に目を向ける。
すると、何やら女子高生のスカートが、もっこりと膨らんでいた。
「なんだ、あれは」
膨らみは左右に揺れ、その度に目の前の女子高生は泣きそうになっていた。
仕方ない。
本当は相手の姿を確認したかったが、目の前の子が
「君。……おい、君」
女子高生がゆっくりと振り返る。
目には涙が浮かんでいる。
その涙が、どれだけの恐怖かを物語っていた。
私は安心させるために、笑顔を浮かべた。
「痴漢されてるんだな?」
女子高生が、曖昧に頷く。
「どこにいるんだ。私が捕まえてあげるから、教えなさい」
「……ここ、に」
目線は、スカートの膨らみだった。
「参ったな。デリケートゾーンだ」
「さっきから、モゾモゾ動いて。気持ち、悪くて……」
「くっ。どうすればいいんだ。……はっ、待てよ」
手で触れたら、私まで痴漢になる。
しかし、私にはカバンがあった。
これで刺激をする真似はしない。
角で小突くだけさ。
「少し、我慢してもらえるかい?」
「……はい」
女子高生の脇に立ち、カバンを持ち上げる。
角度。位置。標的。
それらを確認して、私は膨らみに向かって、カバンを振り下ろした。
『ぴぎゅっ!』
蛙をミキサーに掛けたような、気色悪い声がスカートから聞こえる。
咄嗟に、私は周りの目を気にした。
まずい。
全員、こっちを見ている。
本当なら、今すぐ離れるべきだろう。
しかし、私には泣いている女子高生を見捨てられるほど、非情な心は持ち合わせていない。
もう一度、カバンを振り下ろす。
『ぴんぎゅっ!』
「い、いや!」
女子高生が恐怖に表情を歪めた。
その時だった。
ビチビチ、と何かがスカートから飛び出してきた。
「な、なんだ、これは……っ!」
ピンク色をした細長いナメクジ。
あるいは、顔のない蛇だった。
その不気味な形をした触手は、ビチビチと跳ねまわると、スルスル乗客の足元を這いまわり、どこかに消えていく。
解放された女子高生は、一気に脱力して、私に寄りかかってきた。
触れたら、痴漢。
それが頭にある私は、すぐにカバンを盾にして受け止め、声を掛ける。
「大丈夫かい?」
「……はぁぁ……っ」
汗が酷かった。
「次の駅で、下りよう」
女子高生は頷く。
私に向けられた他の乗客の目は、一段と厳しいものになった。
*
女子高生をベンチに座らせた。
自販機で買ったジュースを渡し、話を聞くことにする。
「落ち着いたかい?」
「はい。ありがとうございます」
「いいんだ。それよりも、あいつは何なんだ」
女子高生は首を横に振る。
「私にも、分からないです」
「そうか」
「いつも、電車に乗る時、ああやって下着の中に入ってくるんです」
「……なんだと?」
驚くことに、初めてではなかったのだ。
つまり、この女子高生は電車に乗る度に、あの悪夢を毎回味わっていたという事になる。
私は日本男児として、猛烈な怒りを覚えた。
許せない。
罪のない女子高生を泣かせ、毎回イタズラをするとは、何事だ。
怒りを表に出さず、私は気持ちを落ち着けて、女子高生の前にしゃがみこんだ。
「君。名前は?」
「え?」
「おっと。私が先に自己紹介をしよう」
懐からケースを取り、中から名刺を取り出した。
「
遅れて、女子高生がマスクを下げ、小さく会釈をした。
「
「そうか。伊代さん。よければ、あの怪物。私に任せてみないか?」
「と、言いますと?」
「君はもう苦しまなくていい。私が、撃退してやる」
見ず知らずのおっさんに声を掛けられ、怯え切っている彼女は、断るかもしれない。だが、放っておけなかった。
伊代さんは、可愛らしく微笑む。
「あ、ありがとうございます」
「いつも、この時間に乗るのかい?」
「そう、ですね。部活がない時は、……はい」
「差し支えなければ、君が乗る時間を教えてもらっていいかな? あ、変な意味じゃない。撃退が済んだら、私は君の通学時間を忘れるよ」
控えめに頷く、伊代さん。
説得の末、私は彼女の通学時間を把握することができた。
こうして、私の戦いが始まったのだ。
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