High Memories

☆イサミ☆

名前を呼ばれたのかと思った

 初夏。

 梅雨の合間の青空が頭上に広がっている。

 窓際に座る私、上野葵うえのあおいからは、その青がはっきりと見える。

 静かな教室の中で黒板がコツコツと音を立てる。チョークで書かれた文字列を周りの生徒たちはノートに書き写す。しかし、私の手は止まっている。決して勉強のやる気がないわけではない。青空とどこまでも伸びていく飛行機雲に目を奪われているからだ。



 誰に言う訳でもない言い訳を考えていたら、チャイムが鳴り響き先生は荷物をまとめて教室を去って行った。


「うぅ~…」


 椅子の背もたれに寄りかかって伸びをする。


「あんたは疲れるほど集中してなかったでしょ」


 そう言いながら、私の一番の友人である佐藤千夏さとうちかが水筒をおでこに当てきた。


「あたっ」


「ほら、お昼食べよ」


 昼休み。

 千夏はほぼ毎日私の机にやってきて私と一緒に昼食を取っている。

 私が鞄からお弁当を出して机に置くのと同時に、彼女は近くから椅子を持ってきて腰かける。


「そろそろテストかぁ…」


「あんた、また赤点取るんじゃないよ。部活もあるんだから」


「それは、そうなんだけど…。どうしてもやる気でないんだよね」


「まぁ、あんたは練習しなくても強いし。勉強さえできたら完璧なんだけどねぇ~。あっ、あんたの大好きな橋本君にでも教えて貰えば?」ニヤ


「ちょ! あんま大声で言わないでよ!」


「誰も聞いてないって~」


 本人は今いないようだけど、クラスには人がいるんだから。

 橋本怜司はしもとれいじ君。学年でもトップクラスに頭がいい。それに顔もかっこよくて好きだ。


「…本当に、それが出来たら苦労しないんだよね。色々とさ…」


「あんたさ、結構人気あるんだからさ、自分で行けばいいのに。この前だって告白されたんでしょ」


「そうだけど…。でも、自分からなんて恥ずかしいじゃん!」


「ま、その気持ちも分かるけど…。命短し恋せよ乙女ってね」


「なにそれ」


 その後もくだらない話をしているお昼休みが終了した。



 午後の授業も終わり、放課後の部活が始まる。

 しかし、私は今、部活に出ることが出来ない。数日前の練習で足首をひねってしまい捻挫してしまっているのだ。

 そこまで重症という訳ではないけど部活や体育といった激しい運動は控えるように言われている。


「じゃ、葵。また明日ね~」


「うん。部活頑張って」


 千夏はバトミントンのラケットを担いで教室を出ていく。

 友達はみんな部活に向かってしまったので、私は荷物をまとめて一人で教室を出た。

 下駄箱で靴を履き替える。


「暑っ…」


 6月なのに太陽が良く照り付けている。雨続きも嫌だが、暑いのもあまり好きではない。

 でも、夏は嫌いじゃない。楽しいことはたくさんあるし、なにしろ私は夏生まれなのだ。葵という名前も夏にまつわる言葉であり、気に入っている。


「もうちょっと暑くなかったら、もっと好きなんだけどなぁ」


 眩しい陽光の下。私は校門をくぐり、帰路についた。

 いつもは千夏と帰っていた道。一人で帰るのは少しだけ寂しい。話し相手もいないし、何しろ私は一人が苦手だ。


「はぁ~あ。なんか面白いことでもないかなぁ」


 そう思って道端の石ころを蹴っ飛ばす。もちろん怪我に響くと良くないので優しくだ。

 コロコロと転がった石は逃げるように草むらへと入って行ってしまった。


「つまんないの…」


 そんな気持ちのまま通学路の途中にある踏切へとやって来た。

 渡ろうとしたその時、赤色灯が明滅しだし大きな警告音が鳴り響いた。


「止めとくか」


 いつもなら千夏と走りながら急いで渡ってしまうのだが、今日はそんな気分じゃない。足のこともある。

 いつもより長く感じる待ち時間。電車もなかなかやってこない。踏切の真横にある駅に止まっているのだろう。

 その時だった。


「なかなか開かないな」


「えっ? う、うわっ!?」


「…ど、どうした?」


 急に隣から声をかけられて驚いてしまう。突然話しかけられたのでも驚きなのに、その声の主は私の思い人だったから本当に心臓が飛び出るかと思った。


「は、橋本君。おどかさないでよ」


「すまん。そんなに驚くとは思っていなかった」


 申し訳なさそうに謝罪する橋本君。逆に申し訳ない。

 踏切の音は依然として鳴りやまない。私の隣に橋本君が立ち、彼も電車が来るのを待っている。

 何か話さないと。でも、何話したらいいんだろう。


「…そう言えば、上野は部活はどうしたんだ?」


「あ、えっと、足捻挫しちゃってて。部活出ちゃだめって言われてるんだよね」


「そうか、それは災難だな。だから体育も休んでいたのか」


「知ってたんだ…」


 彼が私のことなんて認知しているとは思っていなかった。ほとんど話したこと無いし。

 ガタゴトと大きな音を立てて4両編成の電車が駆け抜けていった。ゆっくりと遮断機が上がり、道は開かれた。

 二人で並んで線路を渡る。図らずも一緒に帰ることになってしまった。


「…そ、そう言えば、もうすぐテストだね」


「そうだな」


「橋本君は頭良いもんね」


「それほどないが。小林にはどうやっても敵わん。どうしてだ…」


「小林君っていっつも一位の人だよね。私には到底無理だなぁ…」


「上野は勉強が苦手なのか?」


「そう、全然分かんない。今回も赤点かな。…どうしたら勉強なんて好きになれるの?」


「どうしたらって言われても…。俺は昔からいろんなことを知るのが面白くてな。その知識を人に話すのも楽しくて、勉強もその延長っていうか」


「そうなんだ。すごいね、なんか」


「まぁ、その代わり運動はからっきしだから、俺からしたら運動の出来る上野は羨ましいぞ」


「そ、そう…///」


 褒められて嬉しい。思わず顔が赤くなる。


「お、タチアオイだ」


「えっ」


 急に名前を呼ばれた気がしてびっくりする。


「い、今、名前…」


「ん? あ、いや、葵と呼んだのではない。あそこに咲いてる花。あれはタチアオイと言うんだ」


「タチ、アオイ?」


 橋本君が指さす先には、2mほどある背丈の植物が見えた。ピンク色の花がいくつも咲いている。


「夏を告げる花って言われてて、てっぺんまで咲くと梅雨が明けると言われているんだ。下から順番に咲いていくから、咲き上がるとも言うな」


「咲き上がるって、なんか良いね」


「そうだろ。美しいよな。逆に雨を知らせるのは飛行機雲とかだな。飛行機雲がはっきりと見えている時は上空の水分が多いってことなんだ。明日あたりに雨でも降るんじゃないかな」


「へ~そうなんだ。あ、ほんとだ。やっぱり橋本君はなんでも知ってるね」


 スマホで調べてみると夜から雨が降るらしい。


「なんでもは知らないけど。知っていることは教えられる。…それこそ、授業のこととかは」


「…赤点じゃ部活も出来ないだろ。も、もし良かったら俺が教えてやろうか?」


「べ、勉強を?」


「あぁ」


 まさかの誘いにドキドキが止まらない。


「め、迷惑じゃ無いのかな…」


「人に教えるのは好きだからな。別に迷惑とは思わないぞ」


「な、なら、教えて欲しい///」


「分かった。なら連絡先交換するか。色々決めたいしな」


「そうしようか///」


 熱い。顔が本当に熱い。

 絶対暑さのせいなんかじゃない。

 新しく追加された“友達”。最初は友達からでも良いか…。


「じゃ、俺こっちだから」


「そ、そっか。じゃ、また明日ね」


「おう、また明日。足、早く治ると良いな」


 そう言い残して彼は去って行った。

 後ろ姿にそっと手を振る。彼には見えていないだろう。



 再び一人になった帰り道を行く。先ほどまでとは足取りも全然違う。


「あ、こんな所にも咲いてる」


 先ほど教わった背の高い植物。私と同じ名前を持つ花。

 蕾はまだまだ残っている。もう少し経ったら一番上まで咲くのだろう。


「一緒に、咲けると良いね」


 私の恋もいつか一番上まで咲くのだろうか。とりあえず、今日一個上の花が咲いたと思う。






〇登場人物紹介

・上野葵(うえのあおい)

 バトミントン部に所属する恋する女子高生。バトミントンを始めとする運動全般が得意だが勉強は大の苦手で赤点も何回か取っているので、佐藤からも怒られている。現在は練習中に足を捻挫してしまったため、治るまでは部活や運動禁止と言われている。部内では一位二位を争うほどの腕前。


・佐藤千夏(さとうちか)

 バトミントン部に所属している。橋本ほどではないが、それなりに勉強は出来る。上野とは高校からの仲だが、部活の無い休日に一緒に遊びに行くなど非常に仲が良い。バトミントンの腕も悪くはないが、彼女に勝てたことは一度もない。上野の恋を応援している。


・橋本怜司(はしもとれいじ)

 テストの点はクラスで一番。学年ではずっと二位。色々なことを知っており、それを人に話すのが好き。部活には所属しておらず、帰宅部である。少し変な奴とも言われるが、友達がいない訳ではない。

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