禁忌 4
閻魔大王の話を聞き終わった鏡子は口を開かなかった。いや、開けなかった。何を言ったらいいのか分からなかった。そんな鏡子とは裏腹に閻魔大王は「すまなかった」と頭を下げる。
「本来妻は地獄に来ることがなかった……。あの時、余が妻に話しかけなければ……」
「――……」
鏡子が一向に口を開かないので司命と司録はわたわたと忙しない動きをしている。
「あのね、鏡子ちゃん。大王サンだって話しかけたかったわけじゃないよ」
「閻魔大王も神とはいえ、罪を犯すこともありますから。ですから」
そんな二人の言葉に奪衣婆は「無駄よ、無駄」と笑みを浮かべる。
「閻魔大王が彼女を騙していた事実は変わらないじゃないの」
奪衣婆は俯いたまま未だ口を開くことのない鏡子の手を取る。
「あなたもこんなところに連れてこられて大変だったでしょう?私達はね、あなたを解放したいの」
「解放……」
ここでやっと鏡子は口を開いた。それに味を占めたのか、懸衣爺も鏡子の手を取りグッと握る。
「君はここに来るべき人ではなかった。だから君の肉体を壊して行くべきところへ送ってあげようとしたわけだよ」
「行くべきところ……」
「駄目だ!!!」
その言葉に閻魔大王は声を荒げる。
「そんなことをしてみろ。それこそ鏡子はっ」
「――――」
鏡子は声を荒げる閻魔大王をただただ見つめる。その鏡子の目に思わず閻魔大王は口を閉ざした。
「っ」
何だ……。今の瞳は。何か強い意志を感じた。
懸衣爺は口元を歪ませる。
「騙されてさぞ悲しいことだろう。さあ、こちらへ」
懸衣爺と奪衣婆は鏡子の手を引っ張る。
「鏡子っ!!!」
閻魔大王が鏡子に向かって手を伸ばす。その瞬間。
「「「!!!」」」
鏡子が懸衣爺と奪衣婆の手を乱暴に振りほどいた。
「何故」と懸衣爺が呟く。
「私はっ」
鏡子は真っすぐに閻魔大王を見る。
「私はっ。それでも私はっ。閻魔大王と一緒にいます」
鏡子は真っすぐに閻魔大王の胸に飛び込む。閻魔大王は鏡子の背中におずおずと手を伸ばして「いいのか」と問いかけた。
「……正直、良くはないです。けど。あの時。閻魔大王が声をかけてもかけなくても地獄に来ていたと思うんです」
あの時の鏡子は友達を失うのが怖くて、悪いことだと分かっていても万引きをしようとしていた。
――だから結局は閻魔大王が声をかけてもかけなくても地獄に来ていたはずだ。
「それに私は地獄で生きていくと。とっくに決めています」
覚悟は出来ている。地獄で生きていく、と。閻魔大王と一緒に。
鏡子は閻魔大王から体を離して再び閻魔大王を見つめた。閻魔大王も鏡子を見つめ返す。そして頬に手を当てた。
「本当にすまなかった……」
「…………はい」
鏡子が頷くと閻魔大王は静かに懸衣爺と奪衣婆に目線を移した。
「妻よ。この二人、どうしてやろうか」
閻魔大王は人頭杖を懸衣爺と奪衣婆に向けている。今すぐにでも二人を灰にしてしまいそうな雰囲気だ。
鏡子は「閻魔大王」と口を開く。
「先程懸衣爺と奪衣婆は私の体を壊すと言っていましたが。そうなるとどうなるんですか」
閻魔大王がかなり取り乱していた。それだけの何かがあるはずだ。鏡子はそう考えてゴクリと唾を飲んで答えを待つ。
「それはどこにも行けなくなってしまうからだ」
「?」
懸衣爺と言っていることが違う。
鏡子が首を傾げていると「そもそも地獄とは」と閻魔大王は口を開く。
「死んだ者が罪を償い、次の生をうける場所だ。だが余も妻も死んだ者というより中間に位置するものだ。だから怪我もするし、死んだらどこにも行けなくなる」
「っ!」
鏡子は懸衣爺と奪衣婆を思わず睨みつけた。
危なかった。懸衣爺と奪衣婆の誘いに乗っていたら……。
鏡子は自分で自身の体を抱き締める。
「大丈夫か」と閻魔大王から声がかかり、鏡子はなんとか頷いた。
「やはり灰にしてしまおう」
閻魔大王は人頭杖を掲げる。人頭杖についている翁がガクガクと震え、大きな口を開けた。閻魔大王は懸衣爺と奪衣婆を完全に消し去るつもりだ。
鏡子は「待って!!!」と閻魔大王の持つ人頭杖に飛びついた。
「!」
「待って下さい。閻魔大王」
「……」
閻魔大王がゆっくりと人頭杖を下ろす。それを確認してから鏡子は懸衣爺と奪衣婆に歩みを進めた。
「鏡子!!!」
閻魔大王が叫ぶのと同時に鏡子は「大丈夫です」と閻魔大王に顔だけを向けて強く頷く。そして再び歩みを進める。
「私達を許そうとしてくれるのかい? お優しいことだ」
「いえ、違います」
鏡子は懸衣爺に向けて右手を掲げる。そしてとびきりのデコピンをかました。
「ぐ!!!」
懸衣爺はあまりの衝撃におでこを手で押さえ蹲る。鏡子は懸衣爺を横目で見ながら続けて奪衣婆にもデコピンをかました。奪衣婆も懸衣爺と同じくおでこを押さえ蹲った。
鏡子は蹲っている二人の前で仁王立ちをする。
「いいですか。次に同じようなことをしたら今度はこれだけじゃ済ませませんからっ」
それだけ言うと鏡子は勢いよく振り返って、今度は閻魔大王にズンズンと歩いていく。そして閻魔大王にもデコピンをかました。閻魔大王はさすがに蹲りはしないが眉をひそめる。
「痛いですか」
「っ……ああ。かなりな」
「じゃ、私のおでこにもデコピンしてください」
「は!?」
いきなりの鏡子の申し出に閻魔大王はおでこの痛みも忘れて声を上げた。それに対して鏡子は少し大胆不敵な笑みを見せる。
「これで喧嘩両成敗……いや、四成敗? とにかく、今回の件はこれでお終いです」
「だが」
「懸衣爺も奪衣婆も。閻魔大王も。そして私も。罪を犯していますから。だから皆で罰を受けましょう。それでこの件は終わりです」
閻魔大王はマジマジと鏡子を見る。
――どうも妻は余が思っている以上に強い女性になっていたようだ。
「そうだな」
閻魔大王はフッと笑って鏡子のおでこに強めのデコピンをかました。そのデコピンの衝撃に今度は鏡子がおでこを押さえて蹲ったのだった。
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