五件 1
ポロン、ポロンとどこからか音が聞こえてくる。
なんだか懐かしいメロディーだな、とうつらうつらしながら鏡子は目を開けた。膝の上には閻魔帳が開かれたまま置いてある。
どうやら地獄のことを勉強している間に寝てしまったようだ。
鏡子は瞼をこすりながらドアの向こうの音に耳を澄ます。ポロン、ポロンと音はまだ鳴っている。
ギターと鉄琴を混ぜたような音だ。優しく温かい音がする。
鏡子は閻魔帳を机に置いておそるおそるドアを開けてみる。長い廊下が見える。廊下には誰もいない。
そのままちょっとずつドアを開けて鏡子は廊下に一歩踏み出す。
ドクン、ドクンと心臓が音を立てる。
実は鏡子は一人で部屋から出たことがなかった。今まで司録や司命が一緒にいたからだ。おそらく鬼たちから私のことを守ってくれているのだろうと思っていたから鏡子もわがままを言わなかった。
本当なら誰か呼ぶべきなんだろうけれど。でも今何もいないし。
鏡子はへっぴり腰になりながら、しかし早歩きで音のする方へ向かう。
やっぱり。聞いたことないのになんだか懐かしいメロディーだ。
鏡子はそのまま何とも会うことなく、やがて音のする扉の前で立ち止まった。
ここって……。
鏡子が立ち止まった扉の向こうは閻魔大王の部屋だった。鏡子は控えめにコンコンとドアをノックする。
「開いているぞ」と閻魔大王のぶっきらぼうな声が聞こえる。
「失礼します」
鏡子は少しだけドアを開けて顔だけを覗かせた。と、ガタンと椅子を派手に倒して立ち上がる閻魔大王の姿が見えた。
「だ、大丈夫ですか!?」
鏡子は一気に閻魔大王の部屋に入る。
「あ、ああ。それよりも妻はどうしてここに」
「音がして……。優しい音と懐かしいメロディで」
「司命と司録はどうした」
「すみません。つい衝動的になってしまって。一人でここまで……」
閻魔大王はわずかに瞳を伏せて息を吐く。
「まあ……無事ならいい。それにしてもこのヨナヌキにそこまで惹かれるとはな」
閻魔大王の部屋も鏡子と一緒だ。本棚の反対に寝具。真ん中に机と椅子。その真ん中の机に琴が置かれている。
閻魔大王はその琴にそっと手を置く。
「あの。それは」
「これはヨナヌキという楽器だ。地獄での生活は同じことの毎日だからな。たまにだが裁判の合間に息抜きで楽器を演奏したりする」
「な、なるほど」
「それにこの楽器は」と閻魔大王が言葉を続けようとしたところ、コンコンとドアがノックされる。
「どうやら楽しい時間はここで終わりのようだ」
閻魔大王が「いいぞ」と声をかけると司録が部屋に入ってきた。
「おや。お楽しみの最中でしたか」
「え」
鏡子がポカンと口を開けていると司録はクスリと笑う。
「!」
からかわれてるっ……。
「いや。問題ない」
「いやいや。そこは何も起こってないと否定してくださいよ」
閻魔大王の返答に鏡子はため息を吐く。
「それより閻魔大王。そろそろ裁判の時間ですよ」
「分かっている。久しぶりに息抜きしてたんだがなぁ」
閻魔大王はやれやれとわざとらしく肩を落とした。鏡子は司録の「裁判」という言葉に「あのっ!」と声をかける。
「私は裁判には」
「ああ。妻は今日は休みだ」
「休み……」
前ほどではないが、閻魔大王と鏡子だと仕事量に差がある。鏡子に休みがあるのに対して閻魔大王は不眠不休で働いていた。
――――。
「私も。行きます」
「ん?」
「私も。裁判に」
その言葉に閻魔大王と司録は顔を見合わせた。今まで鏡子は自分から裁判をしたいと言い出したことはなかった。
でも。ただでさえ地獄に罪人が溢れているのに閻魔大王だけで裁判をするのは無理がある。それに泰山王に啖呵を切ってしまったし。
これからは一歩踏み出していかないと。
鏡子は閻魔大王に対して力強く頷く。それを見て閻魔大王はフッと笑うと鏡子に手を差し出した。
「それでは頼もうか」
「はいっ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます