訪問者 3

 刀葉林は鏡子の手を引いていく。閻魔大王のいる屋敷から外へ連れ出され、だんだんと屋敷が見えなくなっていく。

 さすがに鏡子の心には焦りが生まれていた。


 今からこの人の手を振り払って……と思うものの、ここは地獄。周りを鬼で囲まれているのを確認してその考えは諦めた。


 さすがに鬼に切り刻まれて死ぬのは嫌だ。それならまだこの刀葉林の方が安心、なのかな。


 まだ話が通じるみたいだし、と刀葉林の背を見ながら鏡子は歩き続ける。と、やがて目の前に山が見えてきた。

 だがどうもその山の様子がおかしい。山に近づけば近づくほど人の悲鳴と怒号が聞こえてくる。


 なんだか嫌な予感がする――。


 その予感は当たり前のように的中した。

 山は森林で出来ていない。針で出来た樹で出来ていた。そしてその樹には大量の男性が串刺しになっている。

 男性の体から流れた血が樹をつたって地面に水たまりをつくっている。


「っ! ここは……」

「ここは衆合地獄。その中でも刀葉林地獄と呼ばれているところね」


 刀葉林地獄。不倫や強姦などを行ったものが落とされる地獄。樹のてっぺんに美女が現れ、美女が情緒的に罪人を誘う。罪人は刃物で出来た樹を傷だらけになりながらも美女の誘惑に抗えず樹に上ってしまう。


 刀葉林は串刺しにされた男性を見向きもせず「アタシの屋敷はこの山のてっぺんにあるの。ちょっと歩くけど我慢してね」と鏡子の手をグイグイと引っ張っていく。


「っ!」


 こわい――。


 そう思うものの今の鏡子を助けてくれる人物はいない。


 こういう時……いつも閻魔大王が助けてくれた――。


 鏡子は周りを見ないようにギュッと目を閉じてただただ刀葉林に着いていった。




 やがて「ここよ」と刀葉林の声が聞こえた。刀葉林の声に反応して鏡子はおそるおそる目を開けた。


 そこには一つの屋敷があった。薄い桃色を基調とした建物だ。ただ閻魔大王や泰山王の時と違い、入り口が二つないしこじんまりとしている。


 もしかして仕事部屋はまた別にあるのかも。


 そう思っていると刀葉林はクスッと魅惑的な笑みを浮かべる。


「閻魔大王の屋敷とだいぶ違うでしょう? ここに住んでいるのは基本アタシ一人だし。仕事部屋もないから屋敷が小さいの。仕事っていっても樹の上で微笑むだけなんだけどね」


「さ、入りましょう」と刀葉林は扉を開けて中に入っていく。鏡子もおずおずと中に入っていった。


 中は意外と質素だった。真ん中にちょっとした机と椅子がある。そして左右それぞれに扉があった。刀葉林はそのうちの右の扉に足を踏み入れる。


「ここはね。アタシのお気に入りの場所なの」

「!」


 鏡子はハッと目を開く。


 壁は箪笥で一面埋めつくされており、その箪笥には余すところなく着物が収まっている。部屋の真ん中には大きな姿見がある。

 先程の質素な部屋と違い、この部屋は煌びやかだ。


「ここって衣装部屋?」と鏡子は呟く。


「ええ、そうよ! 鏡子さん、さっそくお着替えしましょう」

「え、いや、でも」

「ささ、早く、早く」


 刀葉林は鏡子に構わず、着物の帯に手をかける。


「ちょ、ちょっと待って下さい。自分で脱ぎますから!」


 そう言った鏡子の瞳には前より光が灯っていた。




「あら、似合うじゃない」


 鏡子はいつもと違う桃色の着物を着て姿見の前に立っていた。しかも普通の着物ではない。胸元はがっつり開いているし、膝下から生地が薄くなっていて鏡子の白い足が透けてしまっている。


 鏡子は「あの、さすがにこれはちょっと」と小声で話すも「そう?」と刀葉林は首を傾げる。それどころか「これは閻魔大王も喜ぶんじゃない?」と少女のような笑みを浮かべた。


 刀葉林は部屋の端からちょっとした椅子を引きずり出し、姿見の前に置く。


「さ、ここに座って。白粉おしろいしてあげるから!」

「でも」

「いいから、いいから」


 これは何を言っても無駄だろうな……。


 鏡子は小さくため息を吐いて大人しく椅子に座る。刀葉林は箪笥の一つから木箱を持ってきて、そこから白粉と筆を取り出した。刀葉林は白粉を筆に多めにとって鏡子の顔に塗っていく。


 鏡子は姿見に映る自分の顔を見る。

 自身の疲れた顔とは反対に、刀葉林の無邪気な笑みが映っていた。


 なんだか不思議な人。大人っぽい笑みを浮かべたかと思えば、次の瞬間には子供っぽく笑っている……。

 この人がどんな人か読めない。


 そう思っていると、刀葉林は「ごめんなさいね」と話し始める。


「あの人、少しは素直になったらいいのにねー。鏡子さんに意地悪ばっかりするんだから」

「……あの人?」

「泰山王のことよ」

「!」


 突然の泰山王、という発言に鏡子は過敏に反応する。


「あの人、分かりづらくてね。本当はね、誰よりも仕事熱心で情熱的な人なの。人間が好きだし、結構地獄にいる人たちをよく見てるのよ」

「……」

「それなのに、どうもあの人はそれを言葉や態度に出せなくてね」


 刀葉林は細い筆をとって鏡子の瞼を桃色に塗りながら「困った人よねー」と何故か嬉しそうに笑う。

 鏡子はその笑みに余計に刀葉林という人物が分からなくなる。


「あの……」


 鏡子は大人しく瞳を閉じながら刀葉林に話しかける。


「刀葉林さんは泰山王とお友達なんですか?」

「お友達?」


 刀葉林はフフフと妖艶に笑う。そして「違うわよ~」と鏡子の唇に手を触れた。

 その刀葉林の仕草に同性なのに思わずドキッとしてしまう。

 刀葉林は鏡子の唇に紅をさしながら「泰山王はね」と言葉を続ける。


「泰山王はね、アタシの夫なの」

「へ?」


 オットって夫? 夫婦の夫?


「ええええええええええええ!?」


 予期せぬ答えに鏡子の絶叫が響き渡った。


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