80話 一騎当千の予告編
―― 『
任務に失敗し、逃走している最中。脳裏によぎったのは、ルルーファ・ルーファが楽しそうに笑う顔だった。
死ぬ前にまた彼女の笑顔が見たい。そう思ってしまったからだろうか。気がつけば、逃走経路の行き先は彼女の家となってしまった。無我夢中だった。
迷惑をかけるつもりは無かった。でも彼女なら自分の状況に希望の光を見出してくれる。
そんな漠然とした願いを込め、私は彼女の家に飛び込んだのだ。
「リン。その通信、俺に取り次ぎ願えるかな?」
そんなたくさんの迷惑をかけた私に対し、ルルーファ・ルーファは優しい声で語りかけてくる。その声に対して私は頷いて返事し、端末を操作した。通話のスタイルを皆に聞こえるようスピーカーモードで対応する。
「こちら
『定期連絡の時間だ。そちらからの連絡が無かった。理由を報告されたし』
普段通りの、抑揚のない声。私の心配など微塵もしていないだろう。当然だ。彼らにとってエージェントは駒に過ぎないのだから。
「申し訳ございません。トラブルに巻き込まれておりました」
『応答ができたということは解決できたのだな』
「……いえ」
『なんだと? 詳細を報告しろ、
ルルーファが私に通話交代の合図を送る。私は彼女に端末を手渡した。彼女は公安の男に口を閉じるよう合図を送ってから、その端末をスマホの隣に置き、怒りを感じさせない軽快な口調で語りかけた。
「やあ、はじめまして。リンの上司だな?」
『ルルーファ・ルーファ!?』
「いかにも。君らが絶賛追っかけ中のルルーファ・ルーファだ。
不躾ですまないが、先にお伝えしておこう。リンと君らの目標物は無事だ。俺が預かっている。ちなみに目標物の中身は聞かせてもらった。用途もだいたい検討がついとるぞ」
『………………』
通話相手の司令官は混乱して暫く閉口していた。無理もない。ある意味、一番関わってほしくない人間に関わられてしまったのだから。彼女の行動力と武力の前では、どんな結果になるか想像がつかないだろう。
『要求は?』
「2つ。目標物の奪取を諦めること。そしてリンの無事を約束して欲しい」
『指令は絶対だ。例外は無い』
「頭が固いのう。君では話にならなそうだ。すまんが責任者を呼んでもらえるか。君やリンに指令を出している人物だ」
『例外は無いと言った――いや待て』
司令官は緊迫した様子で何者かと話し始めた。
まさか。
『ルルーファ・ルーファ。総帥が君と対話したいようだ』
「総帥となると国のトップか。これはわざわざどうも」
「!?」
あっけらかんとしたルルーファの口調とは裏腹に、ありえない状況が飛び出してきたので、私は声にならない声をあげてしまった。口を閉ざすように言われていた公安の男も、思わず「なにっ」と短く声を上げていた。
総帥が国の要人ではない者と対話する。そんなシチュエーション、今まで一度たりとも無かった。世界各国から凶悪な犯罪者として裏の世界で指名手配されており、気軽に露出などできない立場なのだ。
待つことしばし。その声は呆気なく放たれた。
『やあ。初めましてだね、ルルーファ・ルーファ』
総帥の声だ。本当に通話へ出るなんて。
「はじめまして。国のトップにしては随分と若いな」
『父が早くに隠居してしまったから、私が務めさせていただいている。さて、我が国のエージェントがとんだご迷惑をおかけした。配下に変わって謝罪させていただく』
「代わりに素敵な出会いを提供してくれたことには感謝しているよ。さっそく君に交渉をしたいのだが――」
『結論を言おう。エージェントの無事は譲歩する。でもサンプルとデータは渡してもらうよ』
はっきりとした意志のある宣言だった。私を処分しないという判断は意外に思ったけど、きっとルルーファとの繋がりがあるから利用価値がある、というだけの話であろう。
「何故だ。君の目的は金なのだろう? 金なら別の機会で毟り取ればいいじゃないか。俺に関わらないのであれば、君らの所業にも目を瞑るぞ。俺は正義のヒーローを気取るつもりはないからな」
『君は何を勘違いしているんだ。サンプルとデータを我々に寄越せと命令しているんだよ。君は我々にお願いできる立場じゃあないんだ』
「無条件で従えと?」
『その通りだ。ひとつ聞きたいんだけど、ルルーファ・ルーファ。君はとても強いらしいね。瞬間移動や分身の術も使えるのかい?』
「む?」
『瞬間移動と分身の術だ。私達は君の強さの全てを知った訳ではないから、念のための確認だよ。日本各地にいる我々のエージェントは実に優秀だ。しかし、君に同時対応されてしまったら手も足も出ないかもしれない。それは少々困る。だから聞いたんだ』
「……脅迫か。俺の友人たちを殺そうとしているな?」
馬鹿な!? 彼女を刺激するから、その手段は悪手だと伝えたはずなのに!
みるみるうちにルルーファの表情が険しくなる。
『君の肉声データを世間に露出するなりして君が所属する会社を潰すのもいいのだがね。所詮は会社という団体を失うだけだ。君には大したダメージを与えられまい』
「良い判断だ」
『だから君が最も嫌がる方法で行くことにした。エージェント達の指先ひとつで君の友人たちはこの世から抹消される。尊厳は失っても取り戻せる希望がある。しかし人間の死は君とてどうにもならん。シンプルだが有効だろう? ジルフォリア戦記の第10巻を思い出すなぁ。ルーファス団長?』
奥歯を噛みしめる音が私にまで伝わってくる。確か友人を人質に取られて、結局、見捨てることしかできなかった場面だ。作者が描いたルーファスの無念の表情は、私の脳裏に焼き付いている。
「……15分……いや。10分だけ考える時間をくれ」
『5分だ』
そのひと言で通話が打ち切られた。自分の顔面から血の気が引いていくのを感じる。何てことをしてしまったんだ、私は。
組織が彼女の友人を狙うのは分かっていた。でも、たった今もマークしているとは予想の範疇外だ。猶予があれば彼女なら有効な対策ができる……その見通しは甘かった。
私の自分勝手なエゴによって、私は彼女から恨みを抱かれたまま殺される。そして彼女の友人たちを巻き込んでしまった。完全に失態だ。死んで詫びる以外の方法が思いつかない。
――ごめんなさい。
「やれやれ。リン。本当に君はスパイに向いていない性格だよ」
「ひゃっ!?」
いつの間にか俯いていた顔に冷たい金属が当てられる。刃物かと思いきや、まるで違う。
「そんな後悔まみれの顔をされたら責めるのも責められんだろうが」
「缶……コーヒー?」
「温めてなくて悪いがな。ほれ、ヒロシもお疲れだろう。一本くれてやる。こいつも返すぞ」
「ああ悪ぃ……って、サンプルとカルテぇ!?」
国家を揺るがしかねない重要なサンプルとデータが、安物の缶コーヒーを一緒に公安の男へあっさりと渡されてしまった。彼女の表情には怒りが一切見えない。とてもリラックスしている様子だ。
「天結とやらの総帥サマが作ってくれた5分間の貴重なコーヒーブレイクタイムだ。のんびりしようか」
「のんびりって……それどころじゃねえだろ!? あんたのお友達との引換券だぜ、こりゃあ!?」
「俺が保有する価値は無くなったってことさ。
「演技って……まさか」
「リンには前に伝えただろ? 俺なりに対策してるって。今、その対策が発動しているところだよ。君らのエージェント達が友人を狙っているであろうと感づいておったから、カウンターとしてそいつらの監視を依頼していたんだ」
『おくつろぎの所すみません、団長』
ルルーファのスマートフォンから後江慧悟の声が響いた。そういえば彼との通話は繋ぎっぱなしだったのを忘れていた。
「早かったな。状況は」
『全員防衛に成功しました。こちらの被害は一切なし。ご友人がたは狙われていた事にさえ気づいていません。理想形です』
「やるなあ、日本の自衛隊」
「自衛隊だぁ!? 何で一般市民が自衛隊をこき使えるんだよ!?」
公安の男の声が裏返る。それもそのはず。自衛隊ともなれば警察の管轄外だ。後江慧悟どころか、警察のトップである警察庁長官、そして警視総監でさえ彼らを動かすことはできないはず。
「俺はもう派手に動きすぎた。お偉いさんがたには異世界転生者として存在を認知されちまっているんだよ。世間一般に公表されていないだけでな。慧悟を通じてお偉いさんとのパイプくらいは持っているさ」
『おまけに今回は天結の構成員を確保できる可能性がある。特殊部隊を動かせるだけの名目も立っていたということです』
異世界組が談笑し、私と公安の男が呆然としている最中、私の端末から再度コールが鳴った。
「まだ5分も経っとらんと言うのに。おちおちコーヒーも飲んでおられんのう。リン、頼む」
私が端末を操作した瞬間、飛び出してきたのは総帥による怒りの声だった。
『ルルーファ・ルーファ……やってくれるね』
「自分が強者と思いこんで調子に乗っているガキの考える事だ。実に容易い」
『……ッ!』
今度は総帥が悔しさで歯ぎしりをする番だった。
「貴様はリンに2度も俺への監視を強制させた。日本という国の地位を脅かし、混乱に導こうとした。そして俺の友人たちに手をかけようとした。今までは大事に至らなかったから見逃してやったが、もうここまで来るともはや見過ごせるものではない。ライン超えだ」
『ラインを超えたか。そうかそうか。しかし君も私のラインを乗り越えているよ。相応の意趣返しをさせてもらおうか』
「各国の主要都市に潜伏させているエージェント達を暴れさせるかね? 勝手にしろ。ただいたずらに金と戦力を浪費するだけだ。そもそも、暴れさせる前にだがな。そいつらを一人残らず君の国へ帰還させることを推奨する」
『何故かね?』
「俺が直々に乗り込んで貴様ら天結をぶちのめす。戦力が足らなくて歯が立ちませんでした、などと言われても責任は持たんぞ」
発言の内容に対し、彼女の口調があまりにも決意感に欠けた口調だったので、私は自分の耳を疑ってしまった。
『……君が、私の国を滅ぼしに来る? はははっ、光栄だ!
「24時間以内にそちらへ向かう。万全の迎撃体制を期待するぞ。また連絡する」
そう宣言して、彼女は通信を切った。空いた口が塞がらない私と公安の男。彼女はいったいどれだけ私達を驚かせばいいのだろう。
私に端末を返却し、呑気にコーヒーを啜るルルーファを見て、男が怒鳴った。
「ば……バカ言ってんじゃねえぞ、ルルーファ・ルーファ! あんた、なに勝手に国へ喧嘩売ってんだよ!? 国際問題じゃねえか!? 自衛隊はお前のお抱えの軍じゃねえんだぞ!?」
「? なぜ自衛隊を話に上げるんだ? まあ、リンの国へ行くために自衛隊の足は借りるつもりだが」
「は? え?」
「多く見積もっても、たかが2000人の集団だろ? 俺一人で十分だよ。というか実戦で日本の部隊は戦いの邪魔だ」
ちょっと待て。色々と基準がおかしい。喧嘩感覚でも、その見積もりは甘いというレベルを超えている。
「考え直して欲しい、ルルーファ・ルーファ。人数2000と言えど、軍事兵器が少ないとは言っていない。陸海空、全ての軍への迎撃できる程度の軍備は整っている。
それに精鋭クラスになれば一般の兵士とはまるで次元が違う。言うなれば、彼らはアメリカン・コミックスに登場するヒーローやヴィラン達だ。彼ら彼女らに負けず劣らずの
「比較対象がルーファスじゃねえなら何も問題ないな。もし友人がいたら事前に教えてくれよ。不殺は心がけるが、万が一は避けたい」
「不殺なのですか!?」
「加減して戦う気かよ!?」
「無理に押し通そうとは思っとらんがな。令和ではまだ誰も殺しとらんし、今はアイドルだ。なるべく潔白の身でいたいだけだよ」
「生死の基準、軽すぎやしないか……」
彼女は飲み終わったコーヒー缶をゴミ箱に捨ててから、後江慧悟へ自衛隊の協力を仰ぐよう指示を出して通話を終了した。
そして私に優しく語りかける。
「リン。君がこの状況で、なぜ俺の元へやってきたのか、ずっと考えていた。だって俺の元へ来たら100%任務が失敗する状況になる。分かっていながら、それでもなお俺の元に来た。その理由が分かったよ」
彼女は苦笑しながら、私に言った。
「俺が宣戦布告してから、かなり嬉しそうな顔をしているぞ」
「え?」
「よっぽど祖国が嫌いだったんだなあ、リンは。お望みなら丹精込めて殲滅するよ」
ぽかんとする私の頭に、ルルーファ・ルーファは手を乗せて優しく撫でる。
私の環境が正常でないと思い知らされたのは、諜報員として祖国を出てからだ。年齢も14になっていた。
本当に他愛もない光景だった。同じ世代の少年たちが公園に集まり、ゲーム機を持ち寄って遊んでいたのだ。裕福な家庭の14歳がゲーム機のコントローラーを握って架空の敵を倒している頃、14歳の私は銃のグリップを握って彼らの親を撃っている。この状況が
私が標的の頭を撃ち抜く度、私の悪夢は酷くなっていく。誰かに不幸を与える代わりに、組織は幸福だとほくそ笑む。
『我ら天の民が幸福へ導かんことを』。
ふざけたキャッチフレーズだ。誰が考えたんだ。こんなくそったれな組織、滅んでしまえ――そんな口汚い心の声が日に日に大きくなり、私は国の破滅を願うようになっていた。
上層部にも悟られていない、私の隠れた願望だ。
そんな私の心情を、彼女は見抜いてしまった。
彼女なら私を見てくれる。『
この人なら。この御方なら。
私を救ってくれる救世主になってくれる。ありのままの私だって受け入れてくれる。
もっと肩の力を抜こう。もっと自分をさらけ出していこう。
どんな困難にも負けない、自信に満ち溢れた声と表情を見て、私はそう決意した。
「はい! よろしくお願いします!」
「おおう? 元気な返事だな。むはは」
これはもう駄目だ。完全に骨抜きにされてしまっている。困惑しているお顔ですら愛おしいと思う自分がいる。頭が沸騰しそうだ。
そんな彼女に心酔している最中であった。彼女のスマホから着信音が。
「おお、着信アリだ。お嬢か。はいはい、今でますよ」
『助けてルル!』
相手は彼女の一番の女友人である、佐藤のり子だ。しかし状況がおかしい。私達のエージェントは自衛隊が確保したと、後江慧悟が伝えている。命を脅かす要素は無いはずだ。
「どうしたどうした。厄介ファンにでも襲われたか? お嬢のキックなら返り討ちくらい余裕だろうに」
『違うんだよ! 襲われたけど、ストーカーじゃないの!』
『金髪が! 魔法使いが! エルフが! ぽよん豊乳スケベボディが!』
「……エルフ?」
『オリジナル言語盛りだくさんペーラペラで、耳が長くて尖ってて超絶美少女だから間違いない! しかも金髪碧眼でエッチエチ!』
「………………」
『とりあえず私の家に連れて来たよ! 気絶してるけど! どうすればいいかわかんないよ、ルル!』
「……すまんが俺も取り込み中なんだ。明日までに用事を終わらせてお嬢の家に行くから、ちと待っておれ。とりあえず、これ以上は誰にも悟られないでくれ。社長にも無しだ。いいね?」
彼女が通話をオフにする頃には、戸惑うばかりの表情で私と公安の男を交互に見ていた。
「リン。君の組織には金髪エルフの女はいるかい?」
彼女の問いに対し、私は首を横に振るだけだ。
突然湧いて出たカオス極まる状況を目の当たりにし、公安の男も堪らず頭を抱える。
「何だよこれ……天結の親玉がご登場するわ、アイドルが自衛隊をアゴで使うわ、国家に喧嘩を売るわ、挙句の果てにエルフなんてファンタジー単語が飛び出すわ……もう状況が渋滞しすぎて脳みそがパンクしそうだぜ……」
男に対し、私は同情の念を禁じ得ないのだった。
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