幕間2ー6話 メイド長は何処なりや
――
朝の一口は馴染みの喫茶店でいただくブラックコーヒーから始まる。苦味と酸味の強い、寝ぼけまくった朝っぱらの脳みそをガツンとぶん殴ってくるようなブレンドコーヒーだ。
「今日はよく眠れたみたいね」
「そう見えます?」
でも、そのモーニングコーヒーを飲むのはしばらくお預けとなりそうだ。ルルさんの提案で、彼女自身を含むメイドたちの料理のスキルアップを狙いがてら、できるだけ三食を職場で取ることをお願いされたからだ。それに、なるべく現場の様子を見て意見を取り入れながら、ひと月の間で詰められる要素は詰めたいし。
「昨日と違って楽しそう。素敵な出会いでもあったかしら?」
「否定しません」
もしも『最高の出会い』と言われていたら首を傾げていたけどね。『素敵な』であればイエスだ。ルルさんの手腕には期待している。
……そうだ。
「静江さん。ケーキって大丈夫です? いくつかお持ち帰りしてもいいですか? 仕事先の人たちに振る舞おうと思いまして」
「もちろん。喜んで用意するわ。でも嬉しいわー。君の頑張る姿が毎朝の楽しみのひとつなの。そんな貴方が元気になって嬉しい気持ちよ」
「楽しみだった? 本当ですか?」
「嘘じゃないわよ。迷惑だったらごめんなさい」
「いや全然。むしろ光栄というか……でも、もし楽しみにしていたのなら……俺、静江さんに謝らなくちゃいけません」
「?」
「その……明日からしばらく来られないと思います」
「!」
「仕事がちょっと忙しくなりそうで、朝を向こうで取らなくちゃいけなくて」
申し訳無さそうに言ってるけど、そこまで責任を感じているつもりはない。静江さんだって長年この喫茶店を切り盛りしてきたベテランだ。出会いも別れも慣れたもんだろう。
「え?」
だから、静江さんがこの世の終わりを見たような顔をしていた時、俺は思いきり動揺した。泣いてはいないものの、今にも店を飛び出しかねない雰囲気だ。
「ごめんなさい、驚かせちゃって。まさか君が明日から店に来ないなんて考えもしなかったから」
「そんな……こっちこそ身勝手な理由でごめんなさい。元気出してくださいよ。常連さんだって、今日も静江さんの元気な顔を見たいと思ってますよ」
「ありがとう。でも、むしろちょうど良かったのかもしれないわ。だって、もうすぐこの店を畳むつもりだったから」
「閉店するですって!?」
静江さんは申し訳無さそうに頷いた。
「最近はずっと赤字続きで売り上げが下がる一方だったの。もう何人もの常連さんが離れていってるし、そろそろ潮時かなって」
「そんな……初耳です」
「引き払いに向けての準備を始めたばかりだったから、まだごく一部の友人にしか伝えてないの。これから常連さんたちにも伝えていくところよ」
「引き払ったら……どうするんです?」
「まだ何も決めていないわ。でも飲食店はもうやらないかな。ちょっと疲れちゃった。でも、君を含めた常連さん達にはじゅうぶん良くしてもらった。もう未練は無いわ」
静江さんはケーキと保冷剤を箱に詰め、手提げ袋つきで俺に手渡してくれた。ずしりと重い。あからさまに指定した量よりも多いぞ。いやいや、コーヒー豆までおまけしてくれるなんて……離れづらくなるから勘弁してほしい。
「私から君への門出祝い。ケーキの代金も、コーヒー代もいらないわ」
「……ありがとうございます」
「いってらっしゃい。お仕事、頑張ってね」
あまりにも突然告げられた別れを前に、気の利いた慰めを思いつかないまま、俺は静江さんの喫茶店『春の泉』を後にした。
・・・・・
・・・
・
東京を離れる日に見送りへ行く――そんな気の利いた返しをするべきだったと気づいたのは、最寄り駅を発車したばかりの通勤電車の中だった。後悔ばかりが頭の中でぐるぐるして気が重い。
でも『春の泉』の件はルルさん達には無関係だ。俺の陰鬱な気を伝染させる訳にはいかない。引き締めなきゃ。
忘れようと気を引き締めながら我が店の中へ。
『お帰りなさいませ、御主人様』
玄関に整列したルルさん、ミホさん、リエちゃんの三人から出会い頭に声をかけられ、思いきりビクンと体が反応した。いざ自分が言われる側になると違和感あるなー。それに、残りの二人はジャージ姿で全く見慣れないから余計に変な気分だ。ルルさんはメイド服だからそれほど違和感ないけどね。
しかし、語尾が跳ね上がるような元気のこもった挨拶じゃなくて、しっとりと落ち着きのある自然な挨拶だったな。どちらも捨てがたいけど、やっぱり今みたいにおしとやかなほうが俺向きだ。
……あれ。リエちゃんとミホさん、思ったよりも声に抵抗が無いぞ。
「――と白石クンは考えている。そもそも、あたし達は相手が誰だろうとコレより恥ずい挨拶かましてんだ。抵抗なんて無い無い」
「今さらなんだよなー、これが。早くクソダサジャージを卒業してメイド服でやってみたいわー」
「二人の制服はいずれ俺が用意するつもりだ。とっておきの逸品をな」
「本気で楽しみにしてる、ルルさん。それにしても、二人とも本当に見違えたよ。背筋が伸びてピンシャキしちゃって。ルルさんの指導?」
俺の言葉を聞いて、二人は苦笑いした。
「姿勢矯正用のコルセット。マジでキッツイ」
「ルル提案で灯さんに借りてるんだ。むしろ今の姿勢が一番楽まである」
「リエとミホは自然に背筋が伸びるまでは有効に活用させてもらうぞ」
ルルさんが俺のコートを脱がせた後、パンッ、と手を叩いた。
「よし、これで総員出勤だな。ではメイド一同。申し訳ないが昨日の片付けが残っちまっているから、まずは不要な家財の始末から始めようか」
「コルセットはー?」
「もちろん外すな」
「うぇぇ……いきなりハードだよ、ルルー……」
「品格を出すために形は重要だよ。この一件、俺に非があるのは重々承知だが、たとえ
「まあまあ。四人でやればあっという間だよ」
そう言った直後、ルルさんは思いきり顔をしかめた。あれぇ?
「何を寝ぼけたことを言っているシライシ。君がこの件で関われることは、どの家財を始末していいか判断を下す時だけだ。雑務は俺たちメイドの仕事だから手を出すんじゃあない」
「じゃあ俺は皆が汗水垂らして働いてる間、のんびりだらけてろって言うの?」
俺が反論すると、ルルさんは眉間に皺を寄せて俺の目前まで詰め寄った。なんか不機嫌ですね!?
「君にはまだまだまだまだやるべきことが溜まっているだろう。君にしか出来ない仕事が。店内の間取り整備の方針打ち出し、およびその予算の算出。調理器具・食器類・清掃道具・家具・室内装飾品その他諸々、道具類の大まかな傾向の選定、およびその予算の算出。それと――」
「すとっぷストップ! そうッスね、企画と手続きと承認は俺の仕事ですね!」
「勘違いするなよ。俺は君を甘やかすためにメイド長代行を引き受けたんじゃねえからな。君を一人前の主人にすることも俺の使命だ。君の役割はリエ達よりもずっと責任重大なんだよ。常日頃から肝に銘じておけ」
ルルさんが俺から離れると、彼女は俺が手に持っている物に目を移した。そういえば俺も存在を忘れていたな。
「シライシ。その箱は何だい?」
「ケーキだよ。リニューアルに向けて気合を入れるために持ってきたんだ。後で皆でいただこう」
「けーき……とは? 何やら甘い匂いがするな。菓子か? 嗅いでいると頭がくらくらしてくるぞ」
予期せぬ発言を前に、俺たち三人は目を瞬かせた。
「ケーキ知らない? もしかしてルルの世界には無かった?」
「甘味どころか料理すらマトモな代物は無かったな。この国とは雲泥の差だったよ。クッキーとどっちが甘い?」
「物によるけどケーキかな。お値段もケーキのほうが上だね。どっちか選べって言われたら、リエは断然ケーキを選ぶ」
「そうか、そうか……ン、ム……」
さっきまで凛とした態度だったのに、ケーキの箱に気づいた瞬間、一瞬で乙女の顔になったな。
「ルルちゃん、気になるの?」
「いま見ちまうと仕事を忘れそうで怖い。アレは魔性の香りがする」
「よし白石クン。箱オープン。どっちにしろ、あたしも中身が気になる」
「見たこと無い箱だけど、どこの店?」
「俺の行きつけだった喫茶店のやつ。個人経営で『春の泉』ってところ。中身は期待していいよ。何度も食べてるけど、何度も食べる価値のある物ばかりだ」
カウンターに箱を置き、オープンする。定番の苺ショートケーキはもちろん、シンプルなベイクドチーズケーキや栗のモンブラン、そして『春の泉』一番人気のベリータルトなどなど。豪華なラインナップが勢ぞろいだ。もはや『春の泉』オールスターでも過言じゃないな。
著名店のケーキを沢山見ているリエちゃんミホさんも思わず感嘆する出来栄えである。
「分かっちゃいるけど、ウチの冷凍ケーキと比べるのもおこがましいな」
冷凍も最近は進歩してきてるけど、職人さんの手作りにはどうしても一歩譲っちゃうんだよね。
さてルルさんの反応はどうだろうか……って。めっちゃ目を瞑ってる。
「ルル。見ようよ」
「ダメだ! そいつを見ちまったら確実に堕落する……箱の中身の尽くを平らげる自信がある! 後生だから……せめてメイド服を脱いでから……完全に私用の格好で臨ませてくれ……!」
「何だこの生き物。可愛すぎか」
ミホさんのひとことに思わず心の中で頷いてしまった。これで中身が齢70を超すおじいちゃんだなんて信じられん。
リエちゃんは、いつの間にかキッチンから持ってきた皿に苺のショートケーキを乗せ、フォークで一口大に切り取った。ああそうだよね。食べさせたいよね。
「はいルル。あーん」
ルルさんは抵抗することなく口を開け、ショートケーキを頬張った。直後に大粒の涙がルルさんの両目から溢れ出す。そんなに異世界と差があるのね。カルチャーショック極まれりなんだろうなあ。
「シライシは……こんな……こんな美味いものを毎日のように食っているのか……令和の民は皆、王族の世界で生きているのだな……」
「いや毎日はさすがに無理だよ。何だかんだで贅沢品だし」
他の女性陣も残ったショートケーキを食べると絶賛の声を上げている。
「リエ、ショートケーキあんまり選ばないけど、これだったら全然選べる。めっちゃ美味い。お値段もするでしょ?」
「幾らだったかな……値段聞かずに店を出ちゃったからな……」
「?」
「そのケーキは貰ったんだよ。リオープンのお祝いに」
「豪勢だなその人! リエ行きたい! 連れてけ、てんちょー」
「それはちょっと考えさせて。ここは閉店の――店じまいの準備中なんだ」
「何だと!?」
リエちゃんが声を上げるよりも早くルルさんが悲痛な声を上げた。
「このケーキを作るような職人の店が無くなるだと!? 歳か!? 病気か!?」
「強いて言うなら不景気だね。売り上げが落ちてきてたから、潮時だったって言ってたよ」
「このクオリティーで売れなかったの!? ウソだろ、どんだけ厳しいのよ喫茶店業界……」
ミホさんがショックを受ける気持ちも分かる。たとえどんな良質の品を提供できたからって売り上げが順調になるとは限らないのだ。ましてや俺たちが挑もうとしているのは、メイドカフェという既知のジャンル内でも、異世界仕込みの本格給仕という未知なる路線だ。不安になる。
「シライシ。この職人はどんな方だ?」
ルルさんが不意に質問してきた。聞いてどうするのだろう、という考えの結論までに至らないまま、素直に答える。
「女性の方だよ。誰にでも優しくしてくれる皆のお母さんって感じの人だったな。歳はたぶん50近くで――そうだ。スマホに写真があるから見せるよ」
提供される料理やケーキに感動して興奮した外国人客が撮影会を始めて、そのノリに巻き込まれて撮ってしまったのだ。懐かしいな。何年前だったかな。
「………………」
ルルさんの反応は異質だった。鼻息は荒く、そして目を見開いたまま、写真の拡大縮小を繰り返している……って、なんか興奮してないかい?
「背中を写した写真は無いのか?」
「背中? 流石に無いかな」
「なるほど。やはり現地調査が必要だな。シライシ、君のコートを貸してくれ。ちょっと行ってくる」
「へ? どこに?」
「『春の泉』だ。メイド長足り得る人物かもしれん。引退させるにしてはあまりにも惜しすぎる逸材と確信しているよ」
「今から!? ルルさん場所を知らないでしょ!?」
「店の名前さえ分かればどうとでもなる。フフフ……ついにリエから教えてもらったスマホ検索が活躍の時だな!」
ある意味、教えちゃだめな人物の中で世界ナンバーワンの人に教えちまったなあ、リエちゃん!
「行ってどうすんの!?」
ルルさんは俺のコートを羽織り、メイドカチューシャをポケットにしまった。そして真っ直ぐな瞳で俺に断言した。
「無論、口説く」
スカウトってコトぉ!? 何いってんのルルさん!?
「いきなり押しかけてそんなことしたら迷惑だって! そもそもメイド長にこだわらなくたっていいじゃないか!」
思わず詰め寄ろうとした俺を手で制するルルさん。
「いいかシライシ。俺がメイド長の制度を採用するのは酔狂じゃないぞ。実績と経験に基づいた純然たる結論だ。統率の有る無しでメイド達の働きは天地の差を生むんだよ。
それに彼女を見てみろよ。背筋がピンと伸びている。良いメイドの条件ってのは、背中に現れるもんなんだ。こんな良い女を口説かないなんて男が廃るってもんだぞ。
では行ってくる。リエとミホは今日の
唖然とする俺たちを置いてルルさんは店を出ていった。慌てて俺たちも外に出たが、既にルルさんは豆粒ほどの大きさとなるほど遠くにいた。速すぎでしょ! 世界記録、余裕でぶっちぎってんじゃないの!?
「なかなか勝手だな、あたしたちのメイド長代行」
「ルルさんの抑止方法、何か考えなくちゃだね……このままじゃ俺、警察のお世話になる時が来るかも……」
とりあえず、メイド服むき出しの姿で移動しなかった点に関して、ルルさんが現代社会に一歩は適応できたって事で喜ぼう。ポジティブな部分を見つけて気を落ち着かせるのだ。
「でも統率あるなしってルルの意見も一理あるよね。ほら、ミホ姉とセキニン押し付けあってギスる時あるじゃん? そこんとこ整理してくれる人がいると嬉しいかも」
「現場監督ってヤツね。お局様みたいな人じゃなきゃいいケド……ま、白石クンから見た人柄も良さそうだし、ルルちゃんが見誤るってところも想像つかんか」
「でも静江さん、詳しくは話してくれなかったけど、相当暗い顔で送り出してくれたからね。のっぴきならない事情は抱えてると思うよ。期待はしないほうがいい」
「よっしゃ休憩終わり! 仕事だ仕事っ!」「ホント白石クンは部下のテンション下げるのが得意だな」
ウチのメイド達は切り替えが早くて頼もしいなあ。あはは。
さて。俺は自分が出来ることをしますか。ルルさんが帰ってきたら怒られないようにね。
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