47話 三条の光が伸びる先


―― 佐藤のり子 ――


 言葉アリアの復活ライブから一夜が明けた。アリアのライブは『最高』という言葉ですらもチープに思えちゃうくらいに感動で溢れていた。顔面を傷つけられて傷心だった頃に見た藍川アカルのライブ以来の衝撃だったと思う。アリアの新曲を聞き終わった頃には、私と六条さんは配信を忘れてズビズビ泣き散らかしていたし、ルルも興奮が抑えられない様子だった。

 同時視聴配信の後は……何故か分からないけど、私は自宅でアリアのライブ映像を流しながら、アリアの新曲を夜通しリピートし、夜通し歌い続けた。いつもの私なら余韻に浸って気持ちよく寝るか、ヨーミとシズにRIMEでダル絡みするだけなんだけど、その日は謎の興奮が全然収まらず、気持ちが収まるまでひたすら歌い続けた。

 興奮する気持ちも分からなくはない。『Flying For Future』は、言葉アリアが未来に向けて歩き出そうとする力強さで溢れていた。歌うたびに好きになる。歌うたびに元気になる。魔法と神秘で武装したような、明日への活力を貰える歌だ。

 自分が深い挫折を味わったから共感できる。自分がアイドルになれたからこそ分かる。アリアの心を癒した、ルルの凸待ち配信を見たからこそ理解できる。歌うことで、より深く共感したくもなる。

 だからって深夜カラオケは無かろうに。そんな自分に呆れつつ、興奮の正体も分からぬまま、衝動に任せて私は明け方まで狂ったように歌っていた。

  

・・・・・

・・・

 

 ……さて。ライブのエモい感想トークと謎の奇行の報告はここで終わりにさせてもらう。

 ただいま学校の移動教室中。


『今日の佐藤、目つきヤバくね?』

『あれ絶対ひとり殺した後の目だろ』


 いえ、違います。ただの寝不足です。人を殺したら呑気に登校出来てたまるかバカたれ。どんなサイコパスだよ。

 ただの寝不足なら大してダメージを負わないんだけど、あのライブ後に夜通しエモすぎる歌を感動と興奮マックスで歌い続けたせいで、心と体のカロリーをガンガン消費しちまったんだよ。反動クソデカで眠気と疲れのダブルパンチである。あまりにも辛いので休もうかと思ったら、ニコニコ笑顔のお母さんから情け容赦ないヘッドバッドをカマされるし。頭の骨が砕けるかと思ったぞ。

 痛みのおかげで今日の前半はどうにか意識を保てたけど、お昼を過ぎた頃からまた怪しくなってきた。さっきの古典の授業なんか、開始30秒で意識が途切れて、気が付いたら授業終了のチャイムが鳴っていたからね。勉強嫌いなさすがの私も、ここまで長い時間居眠りしたことはない。

 

『次の音楽の授業、イヤなんですけど』

『この年になって『翼をください』とかダッセー。わざわざ一人で歌わせんなよ』


 超絶ダルいよね、音楽の授業。大半が音楽知識の授業だし。

 歌が上手いとチヤホヤされる私(というか紅焔ちゃん)だけど、音楽の成績はめっちゃ悪い。音楽用語とか全然覚えらんない。なに、ト音記号って。何で五線譜なんか読めなくちゃならんのだ。たった五本ぽっちの線とドレミファソラシドで音楽語るんじゃねえよ。意味わからん。

 音楽室に到着。指定の席に座る。今日は独唱のテスト――いわゆる公開処刑ってヤツですな。曲目は、さっきの女子が批判しディスっていた『翼をください』。私はかなり好きな楽曲だ。

 さて、順番的には……私の番も回ってくるね。ちなみに、私は適当に流します。蚊が飛んでるようなか細い声で、かったるいオーラ見せながらしのぎ切ってやりますよ。だって歌声で紅焔アグニスってバレたら困るし。そもそも悪目立ちしたくない。


「次、渡辺ー」

「はい」

 

 テストは順調に進んでいく。だいたいの生徒は小声で歌うか口パクで済ませる、あとはおふざけで流して歌う奴が大半だった。皆考えることは同じですね。私の眠気クソネミゲージもモリモリ上がっていったぞ。

 唯一真面目に歌ったのは、我らがクラスのアイドルの峰さんナナミンだけだった。さすが配信者。肝が据わった芯のあるクリアヴォイスで皆の拍手喝采をかっさらっていった。ま、これ先日の話なんですけどねー。今日だったらよかったのに。最強の気付け薬カンフル剤になること間違いなしだ。

 

「次、佐藤ー」


 おっと私の番か。私は無言で立ち上がった。クラスの大人しそうな子が私の顔を見て息を呑む仕草をする。ちょっと傷つく。だけどこれもまたしょうがない事。

 私への視線は、他の人へ向けるものと同じだった。誰も私に期待していない。そもそも小声で雑談して視線すら向けないやつもいる。音楽の先生ですらも、今の状況にうんざりしている様子だ。まあそうなるよね。今日は誰一人、真面目に歌ったヤツいないもん。

 指定位置へつき、皆の前へ立つ。

 ……あれ。なんだろう。すごい違和感と既視感があるぞ。なんだこれ。めちゃドキドキしてきた。緊張はしてないんだけど。私、興奮しているのか? やる気が無いはずなのに、思い切り歌わなくちゃいけない使命感みたいな気持ちでいっぱいだぞ。


「佐藤。始めて大丈夫かー?」


 おっといかん。眠気で頭が働かない。とりあえずオッケーポーズ送っとこう。


「随分やる気だなー。じゃあ始めるぞー」


 ピアノの伴奏が始まる。途端に、昨日見た言葉アリアのライブの光景が頭の中に思い浮かんだ。そして興奮の正体を理解した。

 今、私、ライブしてるのか。アリアのライブには遠く及ばない、たった数十人しかいない、ちっぽけな会場だけど……これ、ライブだ。


 ライブなら、歌わなくちゃ。


『いま わたしのねがいごとが――』


 私が声を出した瞬間、雑音が消えて皆の驚きの視線が一斉に私へ向けられた。想定していた、蚊が飛ぶ音ではない。しっかりと声を歌に乗せる。

 でも……なんだ、このクソ雑魚ボイスは。喉と心を整えてなかった。こんな腑抜けた声で、こんな無感情な歌い方で、『翼をください』が表現できてたまるか。歌の最中だけど、修正。


『叶うならば 翼がほしい』

「え、ウマ……」

「すっげ……」


 『翼をください』は願望の曲だ。今の私の願望? そんなもん決まっている。

 言葉アリアみたいに感動できるライブを開くことだ。

 

 私はアイドルVtuberである。スパチャやコメントを流して一喜一憂する一般リスナーでいられる時期は終わったんだ。

 アリア達に憧れているだけだった私が、いつかは言葉アリアと同じ、あの舞台に立つんだ。


 なるほど。昨夜の興奮の正体はこれだ。私もアリアに近づけるって理解したからか。そりゃ興奮だってするよね。よっしゃ。帰ったら一発眠って、もう一回練習だ。

 でも今は歌に集中しよう。今なら歌える。歌いつくされた古い歌謡曲だけど、今の私なら最高の『翼をください』が歌えるぞ。私の願望を声に乗せて、ありったけを込めて歌おう。


『――翼はためかせ 行きたい』

「ヤバヤバヤバ!」

「次、私の番なんだけど……ガチ公開処刑じゃん」

 

 やろう。紅焔ちゃんの今後の目標だ。

 

 ライブを開いて成功させる。目指せ視聴者数20万――いや、でっかく30万だ!


『子供の時 夢見たこと――』



 この後の顛末を少し語ろう。調子に乗った私は、本来なら1番歌うだけで良いはずの『翼をください』をフルコーラスで歌いきってしまった。超恥ずかしい。

 そして私の歌を聞いたクラスの皆は化け物を見る目でこっちをガン見したり、一部の生徒は涙が止まらずに歌えないためテストが進まなかったり、先生が動揺しすぎてピアノ伴奏が正確に弾けなかったりと、完全に授業を崩壊させてしまった。すまねえ、音楽の先生。

 唯一の救いは、紅焔アグニスの歌い方をしなかった事かな。歌い終わった時点で紅焔ちゃんの話題が出なかったから、たぶん大丈夫。きっとバレてない。祈ろう。

 それと気になるには峰さんだ。かなりお熱な視線を送られていたような気がする。もしかして峰さんにはバレちまったか? 不安過ぎる。

 

 とりあえず。今後は絶対、配信で『翼をください』は歌わないぞ。



 

―― 六条安未果 ――

 

 YaーTaプロダクションの応接間にて。舞人プロデューサーは目を閉じながら、私のスマホから流れてくる音楽を有線イヤホン越しに聴いていた。私はその様子を、固唾を呑んで見守っている。

 プロデューサーの表情は険しい。眉間に皺を寄せながら、何かに対して耐えている形相だった。いや、原因は分かるんだけどね。

 だって今プロデューサーが聴いているのは、私がカラオケ屋さんで録音してきた歌なんだもん。一応、一番良い感じに歌えた曲を聴いてもらっているんだけど……この様子じゃ残念な返答しか貰えないよね。


「なるほど、分かりました」


 プロデューサーはイヤホンを外して項垂れた。


「あの、はっきり言ってくださって大丈夫ですよ。自分の下手さは自覚しています」

「配信外で罵倒したくはありません」


 やっぱりそうなるよねー。知ってましたよ。ぐすん。


「強いて褒める点があるとすれば――声は良いですね」

「慰めにならないです……」

「いえいえ、立派に褒めるべき点ですよ。声は矯正したくてもできない要素ですからね。

 ちなみに、録音したときは採点しましたか?」

「したんですけど、ちゃんと機能しなかったですね。何回やっても50点でした」

「……それ、採点ソフトで表示される最低点の限界ですね。50点以下の点数は全部50で切り上げ表示になるんですよ」

「え」


 つまり、私の歌は採点不能なほどに下手くそってことじゃないか!


「ちなみにですけど……歌わないアイドルっていますか?」

「いえ、さすがに前例を聞いたことがありませんね。アイドルを名乗る以上は避けて通れないかと。もちろん、歌の実力に関係なく、帝星ナティカにも音楽活動はしてもらいます」

「ですよねー」


 社長からスカウトを受けたときは、お互い気持ちに余裕が無かったから勢いで受けちゃったけど……もうちょっと慎重になるべきだったかなー。

 

「あまり悲観なさらずとも、歌の下手なアイドルもいますよ」

「!?」


 歌が下手なアイドル!? ボールの蹴れないサッカー選手みたいなものじゃない!?


「むしろ上手くないことを個性にしてアピールする方もいらっしゃいますね。要は世間に認められて拒絶されなければいいのです。アイドルの世界において個性は大事ですよ。競合先が無ければ、そのニーズを満たせる者に人気が向かうことは明白です」

「個性かー……でも……」

「そちらの方針では動きたくないと」

「はい、できれば矯正したいです。出来るでしょうか?」

「はい、できますよ」


 舞人プロデューサーは私の質問に対してあっけらかんと答えた。


「本当ですか!?」

「当人のやる気と素養次第ではありますが、十分に可能です。ボイストレーナーの腕の見せ所ですね。ただし、今はまだ我が社での対応は無理です。兎にも角にも資金の調達が肝要ですから。

 とはいえ、もうすぐ収益化が始まるはずですので、その結果次第ではプランの実行も可能でしょう。十中八九動かせる算段を取っていますが――」

「だったら、矯正したいです! お願いします!」


 私は間髪入れずに答えた。プロデューサーは驚きで目を見開いている。


「確かどこかの雑談配信で、カラオケ配信はしたくないと仰っていた記憶があります。心境が変化した理由は、言葉アリアのライブですか」

「私、Vtuberのライブを初めて見ました。すごく感動して、ずっと涙が止まらなくて……あんな風になりたいって憧れました。でも私、下手だから……とてもじゃないけど、今のままじゃ絶対に無理です」


 アリアさんのライブは誇張抜きで素晴らしかった。アイドルも、Vtuberの世界も知らない私ですら泣きじゃくってしまったほど、本当に素晴らしかった。アリアさんの頑張りたいって気持ちが――ファンや社長を安心させたいって気持ちがしっかり伝わるライブだったから。

 成り行きで踏み込んだ世界だけど、私だってアイドルVtuberになったんだ。憧れたくだってなるよ。

 

「本当は歌いたくなんかありません。歌わないままアイドルを続けられるなら、このまま歌わずにアイドルを続けようかなとも思っていました。でも歌からは逃げられないんですよね。だったら、リスナーの皆に感動してもらえるように歌いたいです。

 それに、将来はライブも出ないといけないんですよね。そのとき佐藤さんとも一緒に歌うことになったら……私、足を引っ張りたくありません」


 私が意思を伝えると、プロデューサーは目を輝かせて私を見ていた。その表情はとても嬉しそうだ。でも、プロデューサーを喜ばせたくて言ったんじゃないよ。これは私の意志だ。


 決めたんだ。私は、紅焔アグニスとルルーナ・フォーチュンと並べるようなアイドルになるんだって。

 

「やる気は十分ですね。承知しました。ボイストレーナーの手配とスケジュールの調整はお任せください。ただし矯正は茨の道と思っていただきます」

「がんばります!」


 よーし、やるぞ! 目指せアリアさんや佐藤さん! ……佐藤さんは目指せる気がしないけど、目標にするだけなら大丈夫だよね。

 ところで、ルルちゃんは「アリアみたいなライブを開きたい」って言ってたけど……ルルちゃんってどれくらいの実力なんだろう? 何でも出来ちゃうルルちゃんのことだから佐藤さん並みの実力があってもそこまで驚かないけど。

 


 

―― ルルーファ・ルーファ ――


 食欲は人間が生きるために必要な欲である。だが衝動に身を任せて欲を満たし続けてしまえば、待つのは己の破滅だ。

 

「さ、さすがにもう喰えないっス……」

「一週間分の肉を食べた気分だわ……胃もたれしそう」

「せっかくの高級焼肉店なのに……食堂の定食みたいな食べ方したくなかった……」

 

 ここは焼肉屋『ジョジョ庵』、その座敷の個室である。そして俺の近くでは、限界を超えて食欲を満たしきった三匹の獣が座敷で寝転がっていた。朝倉兄妹と、最近スタッフとして雇用したキィである。

 焼肉屋へ来た目的は、キィの歓迎会ではない。とあるを行った結果、急きょ来訪しなければならなくなったからだ。そして俺は、食欲の暴徒と化した三人を相手に、ひたすら肉を焼き続けるという刑罰を受け終わったところである。


「やれやれ、やっと落ち着いたか。三人ともよく食べたなあ」

「誰のせいだと思ってるのよ……うぇっ、水飲みたい、けど水も入らないわ……」

 

 顔色の悪くなった灯が、恨みがましい視線でこちらを睨んでくる。ううむ、体に響くから、灯は外した方が良かったかもしれないな。

 とはいえ、俺の刑罰もようやく終わりだ。目の前で極上の肉が焼き上げられていく様を眺めるしか出来なかったので、今度は俺の食欲が暴走してしまいそうだよ。


「それじゃ、俺も食べるか。ずっと飲まず食わずで焼肉奉行をさせられていたから、腹がおペコちゃんだ」

「もう、しばらくお肉は見たくないです……」

「にーっくにっくにっく♪」

「ヤ、ヤメロォ!」

「もうやめてぇぇ!」

「おっと。すまん」

 

 あまりにもお腹が空きすぎて、無意識に歌っちまった。まずいな。途端に三人の表情が恐怖に染まってしまった。

 

「団長、やめてくれぇ! もうその歌は歌わないでくだせえ!」

「進、うるさい。それと大声で団長呼びするなと言っただろうか。今度添い寝だな」

「マジで勘弁してください! あ、あんまりだぁ……」

「ま、無意識に歌っちまったのは悪かったし、罰は無しにするよ」


 実験の内容と、ここまでの経緯を説明しよう。

 以前、進に依頼していた、俺の声の音声解析が完了した。初配信の際に俺が言い放ち、多くの感情不安定者を生み出してしまった、「ありがとう」の感謝である。

 そして結果は、特に異常は見られない、とのことだった。喜ばしい報せではある。

 だが同時に問題が出た。異常が見られないのに異常が出ている現実からは目を背けられない。取り返しのつかない大惨事を招く前に原因を解明しなければいけなかった。


 そこで俺は検証を行うことにした。内容は実にシンプル。通信越しで歌を聴いてもらうことだ。

 対象は、俺の正体を知っている、進・灯・キィの三人。三人に進の自宅へ集まってもらい、実験の主旨を説明したうえで俺の歌を通話ツール経由で聴いてもらった。

 歌の内容は、事務所近くのスーパーでよく流れている『おにくカーニバル ~今夜はB・B・Q!~』という、児童向けの販促ソングをチョイスした。その歌を歌ってみたのだ。三日間、動物性タンパクと脂を抜いた食事のみを行い、その後丸一日断食を行った上にグルメ番組を行脚あんぎゃした状態で歌うおにくカーニバルは、俺にとって苦行の極みだったが……成果が確認できたので苦労した甲斐はあったな。

 成果もいちおう説明しておこう。俺の歌を聞き始めてすぐ、三人は空腹を訴え始め、同時に肉食への深い渇望が芽生えてしまった。三人は進が備蓄していた肉類の食材を食い尽くした後、居ても立ってもいられず、近くの焼肉屋『ジョジョ庵』へ直行した次第である。


「まさかここまでの力があるなんて……完全に予想外ッス」

「予想はしていたが、現実になってほしくはなかったな」

「社長……これ、すごくマズい事態じゃないですか?」

「そうね……マズいわ。とてもとても深刻だわ」


 お膳立てをしたとはいえ、俺は感情を込めて歌を歌っただけだ。その結果が三人の暴徒の誕生である。


「ルルちゃんが強く感情を込めて歌うと、その感情が相手の心に深く同調ないし感応してしまう……完全に催眠現象じゃない」

「伝播する電波ソングってか。うははは」

「黙れクソ兄貴」

「進さん、笑えないです」

「進。今夜は添い寝な」

「調子乗りました、ごめんなさい。会計全部出しますんで許してください」


 場を和ませたかったのだろうから今回も不問にするけどな。

 

「とりあえず、ライブとカラオケ配信は解決策が出るまで禁止するしかないわね」


 灯は無念を隠さずに言った。企業の人間としても、そしてアイドルを経験した者としても、俺の境遇には思うところがあるのだろう。俺もまた、アイドル業に身を置くものとして、改めて言葉に出されると辛い。

 

「そもそも配信自体を止めた方がいいんじゃないですか?」

「いや、そこまで怯える必要は無いな」


 進は体を起こした。さすがはラガーマン体型。他の二人よりは回復が早いようだ。


「団長が歌った際、喉や胸、腹の部分に光が見えた。癒術クラーティオ由来の光だ。この現象は癒術が原因だとはっきり分かった以上、発動させなけりゃいい。幸い、団長は感情の起伏が少ないお方だし、よほどの感情を入れなきゃ起こりえない現象だ。今までやっていた配信くらいじゃなんともならんさ」

「この実験を行う前に、進には平常時の俺の歌を聴いてもらっている。その際は何も症状が出ていないのは検証済みだ」

「その報告は助かる。仮にルルちゃんを下ろすにしても理由が無さすぎるし……逆に私たちで支援した方がいいかな」

「でも危険じゃないですか。もしもが起こっちゃったら会社の責任だけじゃ済まされませんよ」

「危険だからこそ私たちが全力で支援するの。そもそも、ルルちゃんを抑えられる機関があると思う? たぶん、この国の国家権力じゃ無理よ。かといって真実の公表も危ないわね」

「黙って拘束されるほど俺はお人よしになれんなあ」

「団長は、俺が生きていた時代よりも……つまり、今の漫画の時代よりもずっとずっと強くなっておられる。当時でさえ、まるで歯が立たなかったのに、ましてや今の団長が暴れでもしたら……それこそ中枢が麻痺して国が終わる」

「大げさに言ってます?」

「俺にビルの解体RTAをさせたら、未来永劫、人類が到達できない新記録を出せるぞ。周囲への被害を想定しない、という条件下ではあるがね」

「ゲーム感覚でぞっとするような事を言わないでください……」


 もっとも、平和を享受させてもらっているのに国を潰す理由も無いがな。


「別に優遇してほしいとは思わんさ。怯えることも崇めることもせず、できれば俺をひとりの人間として接してほしい。俺がキィに願うのはそれだけだよ」

「……善処します」


 ここで素直に「分かりました」と言わないところがキィらしいな。あまり嘘が付けない、嘘が苦手なタイプなのだろう。反骨心があるならば逆に安心できる。反骨の心がある者で一番信用ならんのは、従順になった瞬間だ。

 

「……あの、ごめんなさい」

「ん?」


 俺の顔を覗き込んでいたキィが不意に謝った。とても気まずそうな顔をしている。


「ルルーファさんがやりたかったライブやカラオケが出来なくなった。その状況に一番傷ついているのはルルーファさん自身なのに……酷い事言ってますね、私」


 少々臆病なだけで、悪い子ではないんだがな。

 

「気にしていないと言えば嘘になる。だが、脅威を排除しようとする行為は、人間の本能としてとても自然だよ、キィ。気をかけてくれるだけでも嬉しい気持ちだ。それに、まったく歌えなくなっちまった訳じゃない」

「ライブやカラオケはできないけど、録音なら大丈夫って結果は出ているからね」

「そういうことだ。それに、対策が進めば効果を抑えられる可能性だってある。諦めちゃいないさ」

「気持ちを込めないで歌うって選択肢は無いんですね」

「ああ、無いな。気の抜けた歌なんか歌っちまったら、きっと歌姫ディーヴァをやっていた妻にド叱られちまうだろうからね。

 俺が目指したいのは、言葉アリアや紅焔アグニスの領域だ。そのための努力や創意工夫は惜しまないつもりだよ」

 

 あの言葉アリアのライブは、俺をこの道へ進ませることを決断させた、藍川アカルとのライブ映像に匹敵した――いや、あの感動を凌駕した内容となっていた。元々目指していた領域なのだから、踏み込みたくなるのが業界の者として当然のさがだ。

 おそらくお嬢も……そして姫すらも、俺と同じ考えに至っているだろう。俺たちにとって、あの言葉アリアのライブの影響は計り知れないものがある。

 

 やっぱり、たまらんな。この業界は。俺の知らない世界がどこまでも広がっている。


「ということで、灯。資金が溜まったら、俺は歌ってみた動画に挑戦させてもらうぞ」

「ええ、もちろん喜んで。全力で協力するわ」

「とりあえず曲は『おにくカーニバル』を――」

「それだけは絶対に歌わせません!」

「それだけは絶対に歌わせねえ!」

「それだけは絶対に歌わせないわよ!」

「おおう」


 なんてこった。あの曲、好きだから是非歌いたかったんだが。いかん、思わぬトラウマを植え付けちまったようだ。

 しかし……野菜サラダ抜きの、肉オンリーなドカ盛りセットを頼んじまったんだが、ショック受けねえかな。三人とも気絶しないことを願おう。




 

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