第10話 1−10


 腹部に猛烈な違和感を感じ、あたしは目を覚ました。

 違和感は二種類あった。空腹と、便意だ。

 ご飯も食べてなかったしトイレにも行ってなかった。無論、宇宙服の中では出していなかったし。

 あたしは勢いよく起き上がると手早く艦内服を着て、猛ダッシュでトイレへと向かった。

「あらチヒロ、起きたの?」

 リビングから母さんの声が飛んできたけどそれを無視してトイレの扉を開いて閉じて、艦内服のズボンを脱いて洋式ウォシュレットのトイレへと座り……。一気に催した。

 あー、生き返るわー。溜まっていたもの出すとー。ふぅっ。

 あたしは歓喜のため息をつくと、ウォシュレットで尻と臀部を洗い、それから備え付けのトイレットペーパーで拭いてからそれをトイレへと落とし、立ち上がった。

 いいタイミングで水が流れ、ミントの香水が噴出される。

 あー、いい匂いー。いい気分でトイレを出て、そばにある洗面所で手を洗い、それから部屋へと戻ろうとした時。

 盛大に、腹が鳴った。は、恥ずい。

 そう思った瞬間、姉のカズコが目の前に飛び出してきて、満面の笑みで、

「ねえねえちっひー、お腹空いてるのー? ご飯食べようよー。ほらほらっ」

 そう催促してきた。

 あたしはただ、うん、と頷くしかなかった。

 なんか悔しい……。


                         *


 夕食(?)は、ノア三一四の艦内にあった艦内食をシェルター備え付けの電子レンジで温めたものだった。

 再生紙のトレーに載せられた料理は、日本の一般的な家庭料理を模したもので、米はつやつやしていて温かく、おかずや汁物も山盛りで新鮮味が感じられた。

 これ、なんか酵母食や3Dプリンターとかで作った食事とは違う。

「これって」

「そうよ。これは食料コロニーで作られた天然物を冷凍保存したものだそうよ。農家の人に感謝して、お食べなさい。チヒロ」

「はーい」

 やっぱり、そうだったのね。これは天然物。太陽系の天然物がまたいつ食べられるようになるかはわからないけど。

 じっくり、味わおう。

「……いただきます」

 私は手を合わせてから箸を手にし、トレーの上の食事へと向けた。


 夕食は、とても味わい深いものだった。

 と言うかトレイを見ると、ヤサカグループ製。よく見知ったものだった。これなら美味しいのは、当たり前じゃない。

 ともかく、最後の晩餐とかにならなきゃいいけど。


                         *


 天然物の夕食を味わった後、あたしは浴室で温かいお湯がたっぷりと入った湯船に身を沈めていた。

 全身を覆うお湯が心地よく、気持ちいい。

 このお湯、というか水はシェルター備え付けの水生成装置からの水もあるけど、先程ゴーレム達が近くの川や池などに組み立て式の浄水場などを作って、そこから引いた上水道(無論、下水道もだ)からの水も混じっていた。

 地球に近い水の成分に変換するフィルターなどのおかげで、飲み心地も肌触りも、違和感のない水に仕上がっていた。

 うん、これなら問題ないわ。あたしは安堵すると背中を湯船の縁に寄りかかった。そして、天井を向く。

 後頭部でまとめた髪が、縁にぶつかる。

 白い天井には、ホログラフィックスクリーンで街や工場などを建築する様子がリアルタイムで映し出されていた。

 夜、仮設の照明に照らされた街並みを、ゴーレムやドローン、無人車両などが行き交い、クレーンアームが建物や鉄骨などを手際よく設置していく。

 急ピッチで、街並みや工場群などが造られていく。

 その工事の手際の良さは、見ほぼれるほどだ。

 この街は、あたし達のための街なのよね。なんて贅沢なんだろう。この星でたった二人だけの、ための街。なんて素敵なんだろう。

 そう思うと、自然と頬が緩む。でも。そこまで思ったとき、別の考えが頭に浮かんでくる。

 あたしは首を下ろし、前を向いた。

 なぜアンは、ここまであたし達を大事に思っているんだろう。こんな平凡なあたし達を。ロケットを打ち上げるにしろ、こんなに贅沢な街並みは必要ない気がする。

 それに、もし地球に帰るなら、こんな街並みは本当に必要なの? もしかして、彼女には別の考えがあるのかも。

 それって、何? そう思った瞬間。

 突然、轟音がして、シェルターが揺れた。湯船のお湯も大きく揺れ、浴場内の照明が点滅する。

「な、何!?」

 あたしが大きく叫ぶと、前方にホログラフィックスクリーンが現れ、あたしをサポートするゴーレム、アルカちゃんの顔が現れた。そして慌てた声で告げる。

「大変ですっ! この惑星にいる原住生物が私達を攻めてきましたっ! 只今急いで迎撃準備をしていますがっ」

 原住生物? と声を上げてから思い出す。ああ、そういえば説明の時にそんなのがいるって言ってたような。

 でも、こんなことしてくるぅ?

 あたしは湯船から上がり、浴室を出ながらアルカちゃんに問いかける。

「で、私は」

「シェルターで待機していてくださいっ。入り口に緊急脱出用の車両を横付けさせておきますっ。あと、防御用の車両もシェルターの周囲に配備させておきますので外には出ないでくださいっ」

 言いながらもう一つホログラフィックスクリーンが開き、シェルター外部の監視カメラ映像が開く。入口付近に軍用の乗用車が横付けされ、家の周囲には防御用重力及び物理シールドを搭載したトレーラーが数台停止した。

 これなら大丈夫、か。思いながら下着をつけ、艦内服を着る。脱衣所の扉を勢いよく開き、リビングへと向かう。

 あ、髪を拭くのを忘れてた。まあいいや。

 遠くからの振動。シェルターが揺れる。ちょっと体がぐらつく。構わず前へと進み、リビングへと飛び込むように入る。

 リビングではホログラムの家族達が心配そうにシェルター内のあちこちを見つめていた。サーバロボットも一緒だ。

「大丈夫か!? チヒロ」

「一体何が起きているのかしら」

「お父さん、怖いよー」

「大丈夫よ。カズコお姉ちゃん。心配性だねー」

 その時、リビングの一番大きな壁にホログラフィックスクリーンが開き、そこに二人の人物の姿が現れた。

 サーティと、アンのレンタルボディだ。

「ヤサカさんご無事ですか!?」

「大丈夫です、アンさん。今の状況は?」

「今のところは長距離からの砲撃らしきものを受けているところです。事前の調査では巨大な昆虫のような生物だという報告を受けていたのですが、こんな風に攻撃してくるなんて。ともかく、手持ちの兵器で迎撃します」

「はいはーいっ! ここでアタシの出番ねっ。とりあえず船に戦闘用のパワードスーツがあったからそれ使うわ。飛行可能で機動力もあるしねっ」

「他の機体は私や他のゴーレムのコントロールアシストで操作します。他にも戦車や装甲車両などもあるので、それも迎撃に使います」

「サーティさん、大丈夫?」

「へーきへーき。火星の特殊戦学校で特殊部隊の合格証もらえるぐらいには訓練してるからっ」

「油断してるとひどい目に遭いますよ」

「ヤサカさんは心配性だなぁ。ともかく、アタシ、出るよっ!」

 言ってサーティさんの顔が画面から消えた。アンのウィンドウがスクリーン全体へと広がる。

 大丈夫かなあ。あの人。と同時に、また振動がシェルターを襲う。

「私もアシストしますから大丈夫ですよ。ともかく、ヤサカさんはここで待機してください。非常時になったら、私が報告します。ともかく、全力を上げて私達が貴女をお守りいたします。ご安心を。では」

 アンさんはそう優しい声色で言うと彼女の姿も画面から消えた。代わりに、ノア三一四を中心とした街と工場と、周囲の草原や森などの地形のマップが大型液晶テレビ並の大きさのホログラフィックスクリーンに映し出される。

 あたしはホログラフィックスクリーンに相対するソファに座った。

 振動が、また一つシェルターを揺らす。

 今はこうすることしかできない、か。でも。それは本当なのかな? なにかできることはないかな? こんな平凡なあたしでも。

 疑問が頭の片隅でちらつきながら、スクリーンに広がる戦況を見つめた。

 あたしは両拳を強く握りしめていた。

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