おおきな犬の百合短編

おおきな犬

成人式

 今日は成人式。この日本において知らない人はいないであろうめでたい一日だ。ニュースでは毎年嬉しそうに笑ったり騒いだりする新成人たちが映っているので、もちろんこの私、酒井 美月もその式典については知っている。

 だが、知っているのと実際に参加するのとは別問題だ。テレビの中では男性が金色のリーゼント、女性が花魁のような際どい着物を着て大騒ぎしているのだから、そんな中に放り込まれては子ウサギのような、いや、子リスのようなこの私などは一瞬にしてその猛獣たちに踏みつぶされてしまうだろう。

 私はかつてこの地域で育ち、なるべく不良たちの機嫌を損ねないように隅っこの方で静かに生きていた。もちろん今現在も仲良くしている人など誰一人いない。

決めた。やめよう。おかーさーん!私やっぱり成人式行かないよ~!半笑いでそう言おうとした時、母が言った。

「うっ、うっ、似合ってるわよ美月ちゃん……。お母さんこの日を夢にまで見て、ようやく美月がこんな、こんな綺麗な振袖で晴れ舞台に……」

 目の前で腰をかがめて私の帯に最後の飾りをつけようとしている美容師さんも。

「あの美月ちゃんがこんな……ねぇ、お母さん私も泣きそうですぅ!」

 ですよね。そうですよね。もうほぼ着ちゃってんだもん振袖。


 私はこの地元の中学を卒業してからは、高校も大学も少し離れた場所を選択した。不良の多いこの地域が好きじゃなかったのもある。でも、それよりも重要な出来事があったからだ。

「そういえば陽ちゃんは来ないのかしら?」

 私が地元を離れることになったきっかけを知らない母は、その原因の名前を悪気もなく口に出した。

「よ、陽ちゃん忙しいからどうだろうね」

 あらあらと残念そうな顔をする母だが、本当は私も卒業してからの陽ちゃんの事など一切知らない。不自然に関係を切ってしまった事が後ろめたく、今も連絡を取っている風を装っているだけだ。

「陽ちゃん今何をしてるの?美月ちゃん全然お母さんに教えてくれないんだもん、家にもずーっと連れてこないし!」

 母が思い出したように陽ちゃんの情報を知りたがった。こっちだってお母さんと同じ情報しか知らないんだ、勘弁してくれ。私と同じ中学を卒業した、そこまでしか知らない。

「まさか、喧嘩してるんじゃないでしょうね!」

 母に詰め寄られ、今日だけは厚化粧の私の額を冷汗が流れかけた時、美容室の扉がカランカランと音を立てて開いた。

「おばさん、美月!お久しぶりです。陽ちゃんでーす」

 あ、あ、甘井 陽!!額から冷汗が流れた。

「ちょっと美月、どうして連絡つかないのよ、行くでしょ普通、私と!」

「いや、だって、スマホ変え……ていうか美月、だって……」

 歩きにくい草履でもスイスイと私の元に近寄ってきた中学卒業ぶりの美月に、私は赤面した。彼女は今でも、むしろ今の方がずっと美人で大人になっていたからだ。

「うるさい。昔からこの美容室だって知ってたから会えたけど。とりあえず、おばさん、美月ちゃんと一緒にホールまで行きますので写真撮っていただけませんか?」

 まるで昔のままのように私の母に接して、中学の頃に戻った気持ちだ。

 もう、大丈夫なのかな。


 実際の成人式のホールは意外な事にリーゼントの暴走族はいなかった。変わった事といえば、昔大騒ぎしていた同級生とその取り巻きが金色の裃を着ていたくらいだ。母と父はホールの前で私と陽ちゃんの写真を撮って家に帰った。

「美月、冷たいよ」

 知らないおじさんが壇上で話している時、陽ちゃんが私に囁いた。陽ちゃんの手の甲が私の指に当たったので思わず手を引っ込める。

「陽ちゃんにはもう二度と会わないと思ってた」

「私たちもう大人だよ。私は二度と会わないよりも、誤解を解くべきだと思った」

 引っ込めた手を陽ちゃんが強引に絡めとる。ドキドキして同時にすごく腹が立った。私は昔……。

「悪いけど、一緒に少し席を外して欲しい」

 陽ちゃんは壇上のおじさんに目を向けたまま、私の手を引いた。


 ホールの一番遠いトイレの個室。この状況でこんな所を使っているのは私たちくらいだろう。中は掃除が行き届いており、フィッティングボードもついていて広い。で、どういう状況だか私はトイレの壁に押し付けられて陽ちゃんの腕によって退路を断たれていた。

「か、壁ドン……」

「いちいち言わなくていいから。美月さぁ……まだ私を嫌ってるの?」

 ぎゃ、逆ゥー!嫌ってるの陽ちゃんの方ですから!!予想外の言葉に私は心の中でツッコミを入れてしまったが、よかった、顔には出なかった。

「美月、高校は黙って知らない所に行っちゃうし、気まずくなった後は卒業式の日に顔を見たのが最後じゃん」

「そりゃ、陽ちゃんが私を嫌いって言ったからじゃん……だから視界に入らないようにしたんじゃん……」

 ずっと心の中に仕舞っていた出来事。親にも誰にも高校からの友達にだって黙っていた私のひとつの過ち。それが陽ちゃんを傷つけて、嫌い、顔も見たくないと言われた原因だ。

「美月、さっきも言ったけど私たちもう大人だよ」

 陽ちゃんは泣きそうな目で、鼻の頭を赤くして私を見つめる。

中学3年生の秋、私はこの可愛い顔が見たくて、当時付き合っていたこの彼女に何度もキスをした。そしてこの指を、穢れを知らない太腿に這わせたのだ。

「さっきから、それがなんなの?大人だとか子供だとか、関係ないよ。私は陽ちゃんに嫌いって……」

「美月のバカ!だって、私怖かったんだもん!中学だって卒業してないうちに、妊娠したらどうしようって、美月って無責任な人だったんだって……」

「えっ妊娠……」

「美月は真面目な人だって思ってたのに、裏切られたと思ったんだもん……」

「にん……?」

 陽ちゃんは顔を真っ赤にして震えていた。

「もうわかってるの。女の子同士じゃ妊娠しないってこと……わかってるのぉ!」

「妊娠すると思ったの?」

「すると思った。だからそれからしばらく怖くて、だって美月が触ったりするから……一瞬だったけどリスクがあると思って、こんな気持ちにさせた美月が憎かったの」

 陽ちゃんは当時の自分の勘違いでぷるぷると声も振るわせていた。

「あの、その後すぐ生理も来てたよね?」

「普通に来てました」

「そもそも私、下着の上から触っただけで中にも挿れてないよね?」

「入れられてません……」


 こんなことで私たちはずっと気まずい関係になっていたのか。すぐに話し合わなかったのは私が触りたがった事で完全に気持ち悪がられたと思ったからだ。子供過ぎたんだ。

「私、自分の間違いに気付いてからもずっと美月が好きだった。SNSでも美月見つけられないし連絡つかないし、成人式まで勇気が出なくて直接会いに行けなかった私を許して」

 陽ちゃんは動きにくい振袖で私を抱きしめた。

「私もずっと陽ちゃんに会いたかった。よく話し合わずに触ってごめんって言いたくて」

 化粧を崩さないように涙を堪えたままの真っ赤な目で陽ちゃんはいたずらに笑う。

「今日、成人式だからこのまま大人にしてくれてもいいよ」

 プチンと理性の飛びかけた私の手が、陽ちゃんの胸に触れてぴたっと止まった。

「びっくりした、振袖の胸かたすぎ。着崩れしたら絶対直せないから今度にしよう」

 がっかりする陽ちゃんを連れて個室を出た私は、もう地元にトラウマのある私じゃない。確実に成人式に出る前よりも大人になれたと感じていた。

 ありがとう成人式!そして、おめでとう成人のみんな!!

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