狂気の宿

稲村 朗

第1話

昭和末期。

私の職場、「駆け込み宿」が属していたのは、都内各地に30余りの施設を持つ社会福祉法人敬愛会であった。

旧弊な体質で、照山理事長(当時既に認知症の兆候が現れていた)による独裁体制がしかれていた。気に入らない者は左遷され、愛人を施設長に据えるなどの気まぐれな人事がまかり通っていた。

そのため管理職は、理事長の顔色を伺う事を最優先とし、利用者の処遇は二の次となっていた。

私が新卒で就職した時の、駆け込み宿所長山中は、そのような体質に反発し、相談に駆け込んでくる利用者を第一に行動していたため(利用者の都合を優先して施設長会議を欠席するなど)、照山の怒りを買い、翌年老人ホームの寮母へと降格させられた。

このことで、私は山中がやっていた予算決算他一切の事務を一人でしなければならなくなった。

それでも、次の所長荒木は、老人ホームの生活指導員歴が長い、四十代の女性で、事務は出来ないが、懸命に相談業務をこなすファイトウーマンであった。

ところが、またも翌年、何の理由か、やっと仕事に慣れてきた荒木までもが、他の施設に異動させられた。

代わりに指名された所長大河内は、大規模特別養護老人ホームの園長を長く勤め、職員五人という駆け込み宿への異動は、報復人事と噂された。

これに黙っていない大河内は反発し、異動を拒否したのである。

そのため、駆け込み宿は四月から所長不在のスタートとなり、大卒わずか三年目の私が、事務も相談業務も全てやらなければならない状態となった。深夜までの残業が当たり前の日々が一ヶ月続いた。

結局、大河内はゴネ得で、別の老人ホームの園長となった。駆け込み宿に挨拶に来た大河内に対して、私は目も合わせなかった。

そして、新たな駆け込み宿の所長となったのは、老人ホームの寮母、川本であった。

川本は、五十前の女性で、管理職経験もなく、資格もなく、特段優れている訳でもない人物と、私は荒木から聞いた。

荒木は、「所長はいないものと思って仕事した方がいいわね」とまで言い切った。

川本については、利用者をからかうなどの悪評と、毎年施設合同忘年会で、厚化粧と着物をばっちり決めて、理事長にお酌をするので有名だというエピソードを、駆け込み宿の寮母達から聞いた。

この人事が私の人生を大きく狂わすことになったのである。

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