第45話 姉と妹

 陽の傾き出した昼下がり、お蘭は全ての戸を締め切って、床に寝転がっていた。部屋の中が暑くなり、寝苦しくて仕方ないが、昼間は人目につくので戸を開けておく事ができない。どこかからともなく聞こえてくる風鈴の音が、少しは涼を感じさせてくれた。

 夕暮れ頃、ようやく眠くなってきた。寝汗で着物が体にまとわりつくので気持ちが悪い。しかし、死体になって干からびてしまえばすぐに乾くからと、少々自虐的に考えていた時、すっと意識を失った。

 気がつけば闇の中、一人で立っている自分に気がつく。今度はどこにいるのだろうかと、あたりを見回してみたが、漆黒の空間があるだけで何も見えない。

 遠くから、淡く光る何かが近づいてくる。それが人であり、しかも女性であると分かった頃、頭の中に声が響いた。

「死んでなお、恥もなく姿を見せる無礼をお許しください」

「あなたは、お鈴さん、ですよね?」

 白装束を身にまとい、憂いを帯びた目でお蘭を見つめる。その姿は、雪花と瓜二つであった。お蘭は、その女性が雪花の姉のお鈴であると、すぐに分かった。

「私は、自ら命を絶った後、冥土と現世の間に挟まれ、このように亡霊として過ごしてきました」

「あなたは生き返ったのではないのですか? 反魂の式によって?」

 お鈴は首を横に振った。お初の願いは、まだ叶えられていなかったのだ。

「では、お初ちゃんの術は失敗だったと?」

「そうではございません。妹は反魂の式を完遂しました」

 お蘭には、お鈴の言葉が理解できない。術は成功したのに、その最大の目的が達成されていないのはどうしてなのだろうか。

「では、反魂の式が人を生き返らせるというのは嘘だったんですか? お初ちゃんは、それを知らずにただ呪われてしまったのですか?」

 あまりの悲しみに、お蘭の声は震えた。姉が生き返ると信じて呪いを受け入れたのに、それが間違っていたとすれば、あまりにも悲惨な話である。しかし、お鈴はそれを否定した。

「反魂の式によって、人を蘇生することは可能です。しかし、そのためには多大な犠牲と時間が必要なのです。これからも、多くの方が苦しむことになるでしょう。お初も、そしてあなたもその一人なのです」

「多大な時間・・・ では、あなたが生まれ変わるのは、もっと先のこと?」

 お鈴は静かにうなずいた。反魂の式は、まだ成就していないのだ。

「妹は、七宝を受け継いだ後、人を蘇生する研究に没頭しました。その事を知るものは誰もいません。時三郎様にも秘密にしていたのです。やがて、禁書を見つけた彼女は、その中にあった反魂の式を自力で解読することに成功しました」

 そこまで話した後、お鈴は目を閉じ、黙してしまった。お蘭は、彼女の目に涙が浮かんでいることに気づいた。しばらく待っていると、お鈴は再び話を始めるが、それは、お蘭にとっても辛い内容であった。

「反魂の式を行うためには、最初に一人の生贄が必要になります。術者は、その生贄に呪いを掛け、その代償として一人の人間を蘇らせる権利を得るのです。そのためには、百を超える術を行使しなければなりません。呪いを受ける生贄は、絶え間ない苦痛に苛まれることになります。自らを生贄にして術を使うことなど不可能に近いのです。しかし、お初はそれをやり遂げました」

 苦悶の表情を浮かべるお初の姿を想像し、お蘭は目を閉じて激しく頭を振った。

「ごめんなさい、あなたを苦しませてしまって。でも、お初を救ってくれるのはあなたしかいない。だから、どんなに辛くても、悲しくても、全ての事実を聞いてほしいの」

 涙を拭い、お蘭が目を向けたのを確認してから、お鈴はこう告げた。

「このままでは、妹が完全に消え去ってしまいます」


「お蘭、起きているかい?」

 お蘭の部屋の隣、戸を一枚隔てて、蒼龍と源兵衛が相対してあぐらをかいていた。蒼龍の呼びかけに対し、お蘭の返事がなかったので、二人は会話を始めた。

「お蘭に使えるのかい? 忍術なんて」

「高度な技術がいるものばかりではないからな。素人でもすぐに覚えられる忍術だってある」

「その『影法師の太刀』というのも簡単だということか?」

「ちょっとした勘所が分かれば大丈夫だ」

「どんな術なんだい?」

「二人で組になるんだ。一人が前に立ち、もう片方は背後に立つ。前の者は防御に徹し、背後からもう一人が攻撃を仕掛けるんだ。守りが固くなる上に、相手はどこから攻撃されるか分からなくなるから、かなり不利な状態になる」

 蒼龍は、顎を触りながら源兵衛の説明を聞いていた。話が終わると、その手がピタリと止まる。

「二対一の、相手が不利な状況で、わざわざ使う必要があるとは思えぬが」

「元々、弱い者が仇討ちをするときに使う技なんだ。お蘭殿は、剣術は達者なほうなのか?」

 蒼龍は首を横に振った。

「戦の時は俺が家を空けることがあるから、用心のためにと何回か稽古はしたことがあるよ。まあ、多少は形になっていると思うが」

「それなら、この技は有効ではないかな?」

「盾は俺の役目か」

「夫婦なんだから、息も合わせやすいだろう」

 しばらく考えてから、蒼龍は問題点を指摘し始めた。

「他の取り巻きをどうする? あの赤毛野郎に大男、死人の連中も相手にしなければならぬ」

 不死身の軍団はいなくなったことを蒼龍たちはまだ知らない。その後、新たな死体が十人ほど増えたことも。

「俺たち三人で何とかするしかないかな」

 源兵衛はそう言ってから

「こちらに引き寄せる方法を考えなければならぬ」

 と嘆息した。

「もう一つある。雪花は剣術の達人ではない。妖術使いだ。接近する術を検討せねばなるまい。そう容易にはいかぬぞ」

 今度は源兵衛が考える番になった。しばらくの間、その様子を眺めていた蒼龍はポツリと声を漏らす。

「その前に、不死を葬る方法を見つけねばならぬが」

 彼が視線を移した戸の向こうにいるだろうお蘭の声はなく、聞こえてくるのは、どこかで鳴り響く風鈴の音だけだった。


「消え去るとは、どういう意味ですか?」

 お鈴の言うことが理解できないお蘭は、しかし、嫌な予感を感じながらも尋ねた。

「反魂の式は、生贄の記憶や人としての理性を代償とします。お初は、転生を繰り返す中で徐々に記憶を失い、やがて呪いの奴隷へと変化するのです」

 お蘭は、あまりの衝撃に言葉を失った。目を見開き、自分の顔を見つめたままのお蘭に対して、お鈴は話を続ける。

「呪いに支配された時、彼女は人としての一切を失います。その犠牲の上で、私は生き返るのです」

 お蘭は、もはやお鈴の顔に目を向けていなかった。その視線は、どこか遠くを向いていた。体が左右に揺れ、今にも倒れそうな状態の彼女の耳に、お鈴の強く大きな声が届いた。

「しっかりして頂戴、お蘭さん。あの子にとっては、あなただけが頼りなのです」

 焦点を失ったお蘭の目が再びお鈴に向けられた。

「でも、一体どうすれば・・・ 不死のお初ちゃんを止める方法は・・・」

 お鈴は悲しげな顔で首を横に振った。

「それは私にも分からないのです。私が存じているのは、お初が何をしたのか、どういう運命を辿ったのか、ただそれだけ」

「時三郎様は、お初ちゃんを救う手段を必ず探し出すと仰っていました。何かご存知ではありませんか?」

 再び首を横に振った後、お鈴は手で顔を覆った。

「私の責任です。私が真実を伝えていれば、お初が呪いを受けることはなかったのです」

「真実とは、どういう意味ですか?」

 長い間、お蘭の問いかけに対してお鈴は答えようとしなかった。やがて、顔に当てていた手をゆっくりと下ろし、お蘭の顔をじっと見つめてから、重い口を開いた。

「私は瑠璃の第十七代七宝である安学の次男、安幸の長女としてこの世に生を授かりました。安幸の兄で嫡男の安元は長い間、子宝に恵まれなかったので、私が七宝の座を受け継ぐことになるだろうと父から言われたことがあります。しかし、私が八歳のとき、待望の跡継ぎが誕生したのです」

 お鈴は目を閉じてゆっくり下を向いた。お蘭が待っていると、再び視線を合わせ、彼女は真実を語り始めた。


「おめでたい事ですな。待ちに待った後継者の誕生ですぞ」

 豪華な食事の数々を前に、二人の男性が対座している。銀髪を長く伸ばした丸顔の男が、手に持った盃の酒を飲み干してから陽気な声を出した。それから、細い目を糸のようにしながら小声で話しかける。

「まあ、あなたにとっては喜ばしくない事かも知れませんが」

 聞き手は、狼のように鋭い目を向けて口を開いた。

「兄上の吉事を喜ばない弟がどこにいますか。我らはこれからも誠心誠意、兄上に尽くしていく所存です」

「いや、失礼致した。まあ、お鈴殿は稽古があまりお好きではないご様子でしたからな。これで肩の荷が下りたというものかも知れませぬ」

 その言葉に、相手はため息をついた。色黒で痩せた顔には立派な顎ひげを生やしている代わりに頭は丸坊主で、一見すると寺の住職のようであるが、ギラギラと光る目は野心家のそれであった。

「そんな訳には参りません。少なくともこの私よりは力を身につけて欲しいと願っています。今まで通り、稽古は続けるつもりです」

 丸顔の男は、大きく首を縦に揺らしながら

「しかし、あなたも二人目を授かったばかり。お鈴殿に無理をさせなくとも、その子を稽古すればよいではありませぬか」

 と返す。相手は、すぐに答えようとはせず、酒を一気に口へ流し込んだ。

「腕を磨くのは、七宝を受け継ぐこととは別の話。瑠璃の一族として生まれた以上、優れた使い手になるのは義務ですぞ」

「いや、私には想像もつかない厳しい世界なのですな。うちの道楽息子も、あなたの下で修行させれば少しは鍛えられるかも知れない」

「竜太郎殿は達者にしているかな?」

「お陰様で、元気にしております・・・ そうそう、失念しておりました。いつぞやは息子がお世話になりました。お鈴殿の見事な技を拝見して驚きが隠せなかったようです」

「いや、あの時は失礼しました。小生、ちょうど出掛けておりまして、竜太郎殿にご挨拶・・・」

 話の途中で、部屋の外から声がした。

「ご歓談中、失礼いたします。次郎様、一大事でございます」

「どうした、入れ」

 戸を開けて一礼した後、従者は丸坊主の男の下へ駆け寄り、耳打ちした。この次郎と呼ばれた男はお鈴の父、安幸である。

「なんと」

「どうされた?」

 安幸の驚きの声に、丸顔の男性が思わず尋ねた。しばしの沈黙の後、安幸は静かに答えた。

「兄上夫婦が亡くなられた」


「お鈴、話がある。こちらに来なさい」

 部屋の中央で一人、人形を手にして遊んでいた女の子に安幸は声を掛けた。

「父上、稽古はもう終わったのではございませんか?」

「稽古ではない。伝えておきたいことがあってな」

 少し首を傾げ、愛らしい目でじっと父親の顔を見ていた女の子は、人形を手にしたまま立ち上がり、ゆっくりと父親のほうへ歩み寄る。小さい頃のお鈴の姿だ。

 二人は広い屋敷の廊下を幾度も曲がり、ある一室に入った。そこには黒髪も豊かな一人の女性が赤子を抱いて座っていた。お鈴の母、お里である。

「お鈴、この赤子はお前の妹だ」

 父親の話を聞いても、お鈴は口をポカンと開けたまま立っていた。しかし、その意味が分かったのか、目がキラキラと輝きはじめ、急いでお里の下へ走り出した。

「この子が私の妹・・・」

「名前は、お初かお清のどちらかにしようと思っている。どちらがいいか、お前が決めるといい」

 お鈴は少し驚いた表情を見せた。自分が名前を決められるなどとは思ってもいなかったからだ。眉にしわを寄せて悩み始める娘を見て、安幸は少し笑みを浮かべた。

「じゃあ、お初がいい。だって、初めての妹だから」

「よし、では、この子の名前はお初だ」

「こんにちは、お初ちゃん。私はお鈴よ。よろしくね」

 お鈴がそっと人差し指を差し出すと、赤子のお初はその指を握り、笑った。その姿を見たお鈴の顔にもこぼれるような笑みが広がった。

 安幸夫婦は、なぜかお初にあまり関心を示さなかった。お初は病弱で、寝たきりになることもしばしばあったが、そばで心配そうに様子を見ているのはいつもお鈴だけである。成長するに連れて、両親のお初に対する接し方にお鈴は違和感を持つようになった。

 お初が六歳の時、突然、右の頬に赤黒い痣ができた。

「これでは嫁の貰い手もないな」

 安幸の非情な言葉に、お鈴は怒りを覚えた。

「そのお言葉は、あまりに酷すぎます。なんとか治す方法を見つけなければ」

「どんな薬を使っても、何度ご祈祷をしても、この子の体はよくならない。お初の定命はあまり長くないのだろう。これも運命と受け入れるしかあるまい」

 安幸の言葉通り、お初は長い間、床に伏せた状態が続いた。容態は悪くなるばかりで、一年ほど経過した頃、高熱を出し意識を失ってしまった。両親は、万策尽きたとあきらめていたが、お鈴だけは違った。毎日、神社仏閣を巡っては祈りを捧げ、夜は睡眠時間を削って献身的にお初の看病をする。ほとんど食事をせず、顔のやつれたお鈴を見た安幸が心配そうに

「お前まで倒れてしまっては、瑠璃の家系は途絶えてしまう。お前は大事な後継者なんだ。それを肝に銘じておくのだ」

 とたしなめると、お鈴は

「父上は娘の命よりお家のほうが大事なのですか」

 と反発した。

「瑠璃の血を絶やすことがあってはならぬ。厳しいことを言うようだが、お鈴とお初、どちらかがいれば、我らの血筋は守られるのだ。しかしな、お鈴よ。父はお前が家督を継ぐことを願っている。時三郎殿との縁定も決まり、今はお前にとって大事な時なのだぞ」

「お嫁入りなど、まだ早すぎますわ」

「時三郎殿のことは嫌いか?」

「それは・・・」

 お鈴の頬が少し赤く染まったことに、安幸は気づくことなく話を続ける。

「あの男、強い力を持っておる。いずれは白銀の七宝を継ぐかも知れぬぞ。そうなれば、お前は強大な権力を得ることになるのだ。何の不満もあるまい」

 大きな笑い声を上げながら立ち去る安幸の後ろ姿を、お鈴は恨めしそうに眺めていた。


「お初、あなたに私の大切なお守りをあげるわ」

 苦しそうに喘ぐお初の腰紐に、鈴の付いたお守りを結びながら、お鈴は彼女に向かって語りかけた。

「このお守りがあったから、私は今まで大病を患うことなく過ごすことができたんだわ。きっと、お初にも効果があるはずよ」

 お初の小さな左手を握りしめ、お鈴は涙を落とした。

「だから、お願い、目を覚まして頂戴。死なないで・・・」

 お鈴の言葉に、お初が返事をすることはなかった。看病を始めてから、すでに五日。お鈴も限界に近い状態であった。

 そんな状況の中で安幸は、屋敷全体を清めるために祈祷師を十人雇ったり、さらには物の怪の類に違いないと、屈強な兵士を二十人連れてきて屋敷内を探索させた。まるで、一家全体が呪いに掛けられたとでも思っているような雰囲気であった。

「お初の世話は、使用人たちに任せておけばいい。少しは自分の身を案じたらどうなんだ」

 お鈴は、安幸に叱責されても頑なに拒否した。

「私など比べ物にならないほど、お初は苦しんでいるのです。放っておくことなどできませぬ」

 お初のそばから離れようとしないお鈴に、安幸の堪忍袋の緒が切れた。

「お前は瑠璃の血を絶やさないという重大な努めを蔑ろにする気か!」

 大声で怒鳴られたお鈴は、一瞬だけ怯んだものの、すぐに安幸へ言い返した。

「それは、お初も同じはず。なぜ、もっと大事にしてあげられないのですか?」

 安幸は、すぐには答えなかった。厳しい目でお鈴を睨んでいる。やがて感情を押し殺した声で、父親とは思えない言葉を投げかけた。

「前にも言ったはずだ。お鈴とお初、どちらかが生き残ればいいと」

 お鈴は、冷酷な父の返答を無表情な顔で聞いていた。その目からは涙が溢れてくる。

「私たちは、父上にとって、その程度の存在なのですね。血筋のほうが大事なのですね」

 安幸は頭を振った。頭に上っていた血が一気に冷めたようだった。

「それは誤解だ。お前を愛しているからこそ、こうして注意しているのではないか」

「ならば、お初に対しても愛情を注いであげられるはず。父上も母上も、そのような素振りはなさらない。私は、お初の苦しみを少しでも分かち合ってあげたいのです」

 お初のほうへ顔を向けるお鈴に対し、安幸はそれ以上言葉を投げかけることはできず、しばらくは彼女の姿を眺めていたが、やがて静かに部屋を去っていった。

 お鈴は、それからもお初のそばで看病を続けた。その間、両親が二人のそばへ寄ることはなかった。こうして、さらに数日が過ぎていった。

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