第43話 作戦会議

 蒼龍の指示通り、一行はすぐに旅を再開した。蒼龍はお蘭を背負い、あたりに警戒しつつ、彼女の様子にも気を掛けていた。

「気分はどうだい、お姫様?」

「いやだ、変な呼び方をなさらないで下さい。もう一人で歩けますから下ろして頂戴」

 蒼龍がからかうので、お蘭は少し腹を立てたようだ。

「元気になってきたようだが、顔色のほうはどうですかい、お菊さん?」

「だいぶ良くなりましたわ」

 お蘭のことを心配していたお菊は、蒼龍の横を歩きながら、何度も彼女の様子を観察していた。嬉しそうな表情のお菊を見て

「ごめんなさい、お菊さんにはいろいろと御迷惑をお掛けしてしまいました」

 とお蘭が詫びるので、お菊は頭を横に振った。

「お蘭さんが謝ることなんて何もありませんわ。誰だって、苦手なものはありますもの」

 お菊は、お蘭が幽霊を見た恐怖によって体調を崩したのだと思っていた。しかし、蒼龍は違う見解を持っているようだ。

「お蘭は、自分の見たものが幽霊だと思っているのかい? 何か他のものだと思って驚いたんじゃないのか?」

 蒼龍の問いに、お蘭はすぐに答えなかった。でも、しばらく皆が黙っていると、お蘭は自分の経験したことを話し始めた。

「最初、私は雪花様が姿を見せたのだと思いました」

「もしかして、彼女の姿を見た時に、なにか術を掛けられたのではないか?」

 蒼龍は、雪花が姿を表した理由を、お蘭に対して何らかの幻術を使うためだと考えていた。お蘭を傷つけないために、これ以上、旅が続けられなくなるようにするのは、彼女の力を行使すれば簡単であろう。しかし、お蘭の答えは意外なものだった。

「いや、あの方は雪花様ではありません」

「では、本物の幽霊?」

 そう言ってから、お菊は手に口を当てた。目を大きく見開いている。

「どうして違うと言い切れるんだい? なにか理由があるのではないか?」

 蒼龍は特に驚いた様子もなく、優しい口調で尋ねた。

「彼女はこう言っていました。『妹を助けてほしい』と」

「俺には何も聞こえなかったな。お前だけに話しかけたのだろうか?」

「私にも声は届きませんでしたわ。でも、妹って誰のことかしら?」

 お菊は、お蘭の話を信じているようだ。普通なら空耳ではないかと疑うようなものだが、幽霊を見たという事実が懐疑心を麻痺させているのだろうか。そして、蒼龍もまた、お蘭の言葉を否定することはなかった。

「俺も声は聞いていないが、勘違いということはないのかな?」

 前を歩いていた三之丞が話の輪に加わった。その隣りにいたお松も聞き耳を立てている。先頭にいる伊吹と源兵衛も同様だ。全員が、お蘭の不思議な体験に興味を持っているのである。

「それは囁くような声でしたが、すぐ近くで話しかけられたように、はっきりと聞き取ることができました。寂しそうな目をして、私の顔を見ていたわ」

「妹というのが誰かは分からないが、それがあの妖術使いの女でないという理由にはならないだろ?」

 伊吹がそう指摘するのももっともだ。お蘭は、すぐに答えようとはしなかった。蒼龍だけが、その理由を理解していた。妹が誰を指しているのか分かったのだ。

「その妹というのが、雪花のことなんだな、お蘭?」

 蒼龍以外の者は、何のことなのか全く理解できなかった。お蘭の見る夢の話は、蒼龍を除いて誰も聞いていない。もちろん、蒼龍も雪花に本当に姉がいたとはまだ知らなかった。しかし、お蘭だけが言葉を受け取ったという事実が、彼にそう推理させたのであろう。伊吹が、置き去りにされた皆を代表して質問する。

「俺たちには、さっぱり理解できない。一体、それはどういう意味だい?」

 蒼龍は、今までお蘭が見てきた夢の話や雪花との関係を簡単に説明した。お初という少女と、彼女の姉に会うために旅をしていたこと。その少女が実は雪花らしいということ。お蘭の病気が、雪花と深く関係していること。そして、お蘭の呪いを解くためには、雪花を倒さねければならないということ。お菊は、お蘭の呪いについては何も知らなかったので、かなり驚いたようだ。

「お蘭さん、そんな御苦労をなさっていたなんて・・・」

「今まで黙っていてすまない。お蘭の体が弱いのは、実は呪いのせいなんだ」

 蒼龍は、眠ると死体になる症状については伏せておいた。それでもお菊は心を強く揺さぶられたらしく、少し涙ぐんでいた。

「あの女を倒すとは、また大変な話だな。まあ、それが俺たちの生き残る道でもあるわけだが」

 源兵衛が剥げた頭を撫でながらつぶやくその背後で、お松が尋ねる。

「では、さっきの幽霊の正体は、雪花のお姉さんということですか?」

「はい、お鈴さんというお方で、雪花さんが幼い頃に亡くなられています」

「幼い頃か・・・」

 蒼龍は、まだ皆に伝えていなかった、ある事実を思い出した。

「まだ話していなかったことが一つある。雪花は転生を繰り返し、遠い昔から存在していたそうだ。つまり、彼女は不死だ」


 灰色の空から雨が降り出した。遠くには、山々に囲まれた平野が広がり、二本の川がその中を横切っている。その向こうには細長い湖が、水煙で覆われていた。

 誰もが無言で笠を頭に乗せ、前に進み続けた。蒼龍の発した衝撃の事実に、返す言葉が見つからないのだ。両手の塞がった蒼龍の頭には、背負われたお蘭が笠をポンと乗せる。そして、その傘の下に自分の頭を差し入れた。まるで二人羽織でもしているかのようで面白い姿であるが、当然、笑う者はいない。それどころか、誰も二人へ目を向けてはいなかった。蒼龍は、真剣な顔で話を続ける。

「信じられない話だが、お蘭の見てきた夢が真実ならば、これも本当のことなのだろう。雪花は自らに呪いを掛けて不死となった。お蘭の持つ呪いとは、どうやら対になっているらしい」

「殺すことのできない相手を、どうやって倒せと言うんだい?」

 伊吹が半笑いで尋ねる。蒼龍には答えられなかった。お蘭が死ぬことで、雪花もまた命を落とすことを。

「私と雪花さんの命は一蓮托生。私が死ねば、雪花さんも同じ運命を辿ることになります」

「お蘭、止めなさい」

 代わりに答えるお蘭の声を聞いて蒼龍は動揺した。慌てて話を遮ろうとしたが、お蘭は構わず続ける。

「しかし、それは一時のこと。雪花さんは再び転生するでしょう。この世から離れることは永遠にできないのです」

「つまり、それでは解決しないということね」

 最悪の手段を取る必要がないと、お松は強調したかったのだろう。お蘭の言葉を受けて、すぐに口を開いた。

「じゃあ、あの女を始末するのは不可能ということなのか」

 源兵衛が唸るように声を絞り出す。

「その方法を探している方がいらっしゃいます」

「へえ、それは誰だい?」

 お蘭の話に興味を持った伊吹が尋ねる。お蘭は、少し間をおいてから答えた。

「時三郎様というお方です」

「時三郎・・・ 聞いたことのない名前だが」

 蒼龍は首を傾げた。他の者も当然、知らないわけだから、次にお蘭の口から飛び出す言葉に全員が意識を向けている。

「時三郎様は、お鈴さんの旦那さん、つまり雪花さんとは義理の兄妹になります。そして、私の・・・ 私のご先祖様だと思います」

「お蘭は、その人に会ったというのかい?」

「不思議な話ですが、私は夢の中でお初ちゃん・・・ 雪花さんが自刃して果てるところを目撃しました。そのとき居合わせたのが時三郎様です。初めてお会いした方なのに、なぜか懐かしく感じられて」

「それだけで、自分の親類だと言い切れるとは思えぬが」

「あの方は、私の短刀を携えておられました」

「ふむ、あの刀か・・・ しかし、人手に渡ってお蘭のところへ流れ着いた可能性もあるが。まあ、それはどうでもいい。その時三郎という人が、雪花を倒す方法を探していたわけだな」

 お蘭はゆっくりと首を縦に振ったが、背を向けている蒼龍にはそれが見えない。お蘭はすぐに「はい」と答えた。

「もう一度、その男に会うことができれば、もしかしたら何か分かるかもしれない。お蘭が次に見る夢に期待するしかないか」

「それより、雨がひどくなってきた。もう少しで麓に着くから、すぐに宿を探そう。そこで、作戦会議をしようじゃないか。あの女を倒すために」

 源兵衛がそう提案してから、口を開く者は誰もいない。地面を叩く雨音は激しくなる一方で、あたりの景色は白く濁り、かすれていった。


 蒼龍たちを襲った激しい雨は、あの三人の歩みも止めていた。山間の集落にある神社には、歴史を感じさせる非常に立派な社殿が建てられていた。その軒下に、雪花、猪三郎、銀虫が並んで立っている。雪花は、滝のような雨を見上げながら

「しばらくは降りそうな雰囲気ね」

 とため息混じりに口を開いた。猪三郎は、ほんの一瞬、雪花に視線だけを向けて、言葉を返すことはない。昨夜の件があってから、猪三郎は雪花の話に空返事するだけだ。雪花も、猪三郎の態度に対して特に気にする様子はなかった。最近、両者の距離は接近していたように見えたが、また元に戻ってしまったらしい。

 山の間を縫って、しばらくは田畑が続いていたが、まもなくそれも終わり、また山に登ることになる。三名は、その直前に足止めを食うことになってしまった。もっとも、彼女たちは目的地に向かって旅をしている訳ではない。今まで黙っていた猪三郎が、そのことを指摘した。

「雪花殿、あなたは目的をお忘れになったのではあるまいか?」

 雪花は、猪三郎にゆっくり顔を向けた。

「それは、どういう意味ですの?」

 ずっと目を逸らしていた猪三郎は、問い返す雪花を睨みつけた。

「いつまで、あの連中を野放しにしておくつもりですか。奴らを葬り、伊吹を捕らえることが我々の任務。こうやって旅を続ければ、因幡からどんどん離れることになる。まさか、伊勢までこうして随伴する気ですか」

 雪花は黙って猪三郎の文句を聞いている。無表情なままの彼女に対して、猪三郎も堪忍袋の緒が切れたのだろうか。大声で

「あんた、雇われの身だろ。ちゃんと仕事をしたらどうなんだい」

 と叫んだ。雪花の強力な幻術に囚われる恐怖もあったが、今は怒りのほうが勝っているようで、猪三郎は決して視線を外そうとはしない。それを察したのか、雪花は小さな声で一言つぶやいた。

「ごめんなさい」

 素直に謝る雪花の悲しげな表情を見て、猪三郎は拍子抜けした。視線を外し、やり場のない怒りを収めようと深呼吸する。

「鬼坊様のいない今、私達に命じる権利があるのはあなた様ですわ。私は、あなた様の指示に従います」

 腹立ちから自分で発言したにも関わらず、猪三郎は本来、雪花より立場が上であることに気付かされた。同時に、彼女に対する妙な征服感を覚え、興奮した様子で

「それなら、この先の峠で奴らを迎え撃つ。あの女は生け捕りにすればいい。しかし、伊吹を除く他の連中は皆殺しだ。無論、蒼龍も例外ではない」

 と命じた。雪花が頭を下げ、それに従う意志を示したので、猪三郎はフンと鼻息を立てながら話を続ける。

「これが俺の最期の闘いとなるだろう。蒼龍はこの手で倒してやる。あんたは手出し無用だ。頭の敵は必ず討つ」

 頭を下げたままの雪花は、しかし、その顔に何の感情も見られなかった。


 蒼龍たちは、宿坊に身を寄せていた。

 雨が屋根を打つ音が部屋の中に重く響く。七人は、その中央で円になり、お蘭の話を聞いていた。

「酷い話ですね。占いで人の命を奪おうと決めるなんて」

 話が終わってから、お菊がつぶやいた。それからしばらくは話す者がいなかった。

「雪花も、その犠牲者の一人だったわけか」

「だからといって、同情などできん。あいつを倒さねば俺たちが死ぬことになる」

 ようやく、源兵衛が憐れむように言葉を放つと、すぐさま伊吹が口を開く。彼の発言を聞いたお菊は首を横に振った。

「そんな・・・ なんとかして助けてあげられないものかしら?」

「その救いこそ、彼女を殺すことなんだ」

 お菊は、蒼龍の言ったことにも納得ができない。

「永遠の命を授かることが、そんなに苦しいことなのでしょうか?」

「俺には長く生きた者の気持ちなど理解はできないが、退屈ではあるだろうな」

 お菊の問いに答えられるはずもなく、蒼龍は適当に返した。

「ひとつ気になるのですが、お姉さんを生き返らせるために雪花は呪いを受けたんですよね。でも、本当に生き返ったのかしら?」

 お松がお蘭に尋ねる。確かに、反魂の式の目的は、あくまで人を蘇らせることだ。その結果、呪われた者が転生を繰り返すのである。

「実際には見ていませんが、きっと、あの後に生き返ったんだと思います」

 お蘭のいう『あの後』とは、もちろん夢から目覚めた後のことだ。それから時三郎やお鈴はどうなったのか、お蘭に知る由もない。

「まあ、幽霊になったのだから、不老不死でないことは確かだな」

 伊吹がそう言ってほくそ笑むが、一緒に笑う者はいなかった。

「それも含めて、お蘭が次の夢を見てから確認することになりそうだ」

「あなた、なんだか怖いわ」

 不安げな眼差しを蒼龍に送り、お蘭が訴えかけてくる。

「お前のご先祖様に、お鈴さんに会うことだけを考えるんだ。お前が存在しているということは、きっと生き返ったに違いないのだから」

 蒼龍に励まされ、怯えていたお蘭の顔に少し笑みが浮かんだ。

「しかし、会うことができなかった時はどうするんだい? 雪花を倒す方法は結局分からないことになる」

「気長に待つだけだ。それしか手立てはないんだからな」

 伊吹の否定的な意見に対して、蒼龍は事もなげに答えた。

「それまで相手は待ってくれない。むしろ、今まで襲撃がないのがかえって不気味だわ」

 お松が珍しく、伊吹に加勢する形になった。蒼龍は少し考えてから

「しばらく、ここで厄介になれないかな。奴ら、仕掛けてくるなら山の中だろう」

 と提案した。特に誰も反対しないので、これで作戦会議は終了かというところで、普段はあまり意見を出さない三之丞がゆっくりと話し始めた。

「ふと思ったんだが、その時三郎というお方、雪花にとっては姉の敵に等しい存在ではないのかな?」

「ふむ、姉を殺した張本人だと雪花は思っているだろうから、そういうことになるな」

 源兵衛が相槌を打った後、三之丞は不吉な言葉を口にした。

「すると、その子孫のお蘭殿も同じなのでは? この事が相手に知れたら危険な気がするが」

 その場が凍りついたように静まった。お蘭は青ざめ、膝の上においた自分の手をじっと見つめている。

「自分の命を犠牲にしてまで、お蘭を倒すようなことはしないと思うが・・・ お蘭、あの小刀を雪花には見せるな。自分の素性を晒すことになる」

 蒼龍の話を聞く余裕はお蘭にはなかった。下を向いたままのお蘭に、蒼龍はもう一度、声を掛ける。

「お蘭、心配するな。今は雪花を倒す方法を見つけることだけを考えるんだ。それさえ分かれば、あとは俺たちに任せておけばいい」

 お蘭が急に顔を上げた。蒼龍の顔を真正面から見据え、悲壮な表情ではっきりと断言した。

「雪花さんを倒すのは私の責務です。それがお初ちゃんの願いだから・・・」

 皆が注目する中、お蘭の力強い声が室内に響き渡った。

「私は決して負けない。必ず彼女を救ってみせます」


 いつものように、着物で顔を覆ったお蘭は、目を開けたまま、何も見えない暗闇をぼんやりと眺めていた。どれだけ時間が経過したのか、彼女にもよく分からない。

 お蘭の発言の後、珍しいことに蒼龍が強い口調で彼女を叱った。

「無茶を言うな! 相手がどれだけ恐ろしい人物なのか分からないのか!」

 しかし、お蘭も負けていなかった。

「私が死ねば、雪花さんも命を失うのです。攻撃することなどできないわ」

「命を失うのは一時的、相手は復活しますが、お蘭殿はそうではありません。どうか、危険な真似はお止め下さい」

 お松が止めに入ると、お蘭はそれ以上、何も言えなくなった。他の者も、お蘭に賛同することはなかった。

「雪花を倒すのはわしらに任せてくだされ。お蘭殿が相手をするのは無謀過ぎますぞ」

「お蘭さんと雪花様が闘うなんて、私、耐えられません。お願いですから考え直して下さい」

「皆の言う通りです。お蘭殿が人を殺めるなんて、とんでもない話です」

「そうか、どちらが倒れても、あの女は消え去るわけだ」

 最後にポツリとつぶやいた伊吹の言葉を聞いて、全員が彼の顔に目を向けた。短い間の後、伊吹が慌てて付け加える。

「いや、俺は事実を話しただけだよ」

 結局、お蘭が「分かりました」と言うまで説得は続いた。ガックリと肩を落とすお蘭に、蒼龍が声を掛けた。

「こんなに頑固なお蘭は初めて見たよ。お前の言いたいことも分からないではないが・・・ しかし、俺たちの気持ちも察してほしいな」

 お蘭は、ちらりと蒼龍の顔を覗いてから、そそくさと部屋を出てしまった。それから、蒼龍とは顔を合わせていない。今は、いつものように部屋の中で一人、静かに横たわっている。

 お初は、雪花を倒してほしいと、つまり自分自身を永遠の命という呪縛から解放してほしいとお蘭に依頼したが、自らの手で、とは一言も発してはいない。確かに、自分の手を汚す必要はないとも考えられるのだが、お蘭はあの巨大な黒い門の前で会った不気味な老婆の言葉がずっと心に引っ掛かっていたのだ。あの老婆は、お蘭に対して、人を殺める覚悟があるか、もし、その相手がお初だったら、どうするつもりなのかを執拗に尋ねた。雪花の正体がお初だと分かった時、自分が雪花の命を奪うのだと悟った。そして、時三郎と話をしているうちに、自らが闘わなければならないと思うようになったのだ。それは、お蘭が、七宝である時三郎の末裔であるらしいということも関係している。過去の失態を、今、その子孫が清算する。そんな重責を、お蘭は自身に課そうとしているのだ。

 蒼龍たちが、お蘭の本当の気持ちをどのくらい理解しているのか正確な把握はできないが、恐らくお初に対する情だけでの発言だと思っているに違いない。お蘭には、それが歯がゆくて仕方なかった。

 結局、お蘭は眠れないまま朝を迎えてしまった。

 部屋を出た時、廊下を歩く蒼龍の姿が目に入った。相手もお蘭の存在に気づき、声を掛ける。

「どうだい? よく眠れたかい?」

 その口調は、いつもの優しい蒼龍のそれに戻っていた。お蘭が首を横に振って

「なんだか眠れなかったの。ごめんなさい」

 と謝るので、蒼龍の顔が少し曇り、彼女の下へ近づいた。

「夢のことが気になるみたいだね。一睡もしていないなんて、体によくないよ。今日は前に進むことはないから、今からでも寝たらどうだい? 皆にはそう伝えておくから」

「ありがとう。でも、目が冴えちゃって眠れそうにないの」

「そうか・・・」

 蒼龍は、お蘭の顔をじっと見つめてから、不意に含み笑いをし始めた。

「どうしたの?」

「いや、ごめん。実は、俺も眠れなかった。昨日のことをいろいろと考えていてね」

「気になることでもあったの?」

 お蘭の問いに答える代わりに、蒼龍は玄関のあるほうへ目を遣ってから

「少し外を散策しないか? きっと眠れるようになる」

 と言ってお蘭の手を取った。

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