第6話 一度に一人

「思ったより早かったな」

「夜を徹して歩いたからな」

 伊吹たちが正座させられていた頃、鬼坊たち一行は智頭で蝙蝠らと合流した。蝙蝠と銀虫は、宿ではなく、街道沿いにある空き地で一夜を過ごしていた。雨はすでに止んでいて、二人の服も乾いた状態だ。

「伊吹たちは宿か?」

 銀虫が、伊吹たちの居場所を蝙蝠に確認する。数回のやり取りの後、銀虫は口を開いた。

「まだ宿にいる。追手がないものと安心してるらしい」

「そいつは好都合だ。奴らが宿に入った夜のうちに先行し、待ち伏せして一斉に襲撃する。他の者は殺して構わんが、伊吹だけは必ず生け捕りにするんだ」

 鬼坊が全員に指示を出す。ところが、それに異を唱える者がいた。月光である。

「待て。一気に潰してしまっては、伊吹に恐怖を与えることはできぬ。取り巻きは一人ずつ殺していくほうがよい。それだけ長く楽しめるというものだ」

「一人ずつ、か・・・」

 鬼坊は、月光の意見を否定しなかった。お菊は、伊吹の怯える様子を自分の目に焼き付けたいと言っている。それなら、月光の言い分にも一理あるからだ。

「そうだ、面白いことを考えたぞ。一人ずつ順番に、相手の中の一人を始末するというのはどうだ? やり方は自由だが、必ず一人だけで行うんだ。倒されればこちらの負け。そのほうが刺激があっていいだろう」

 この突拍子もない月光の提案に反発したのが鹿右衛門だった。

「これは遊びではないぞ。どうしてわざわざ、そんな危険な真似をする必要があるのだ?」

「腰抜けは参加する必要はない。お前は黙って見ていればよい」

「なんだと!」

 喧嘩腰になる鹿右衛門を鬼坊が制した。

「待て、他の者の言い分も聞こうではないか」

 まずは銀虫が、蝙蝠と何回かやり取りをした後に答える。

「面白そうじゃないか。俺たちはその話に乗るぜ」

「ふむ。お前たちはどうだ?」

 鬼坊は、猪三郎とお蝶のほうに目を向けた。

「俺たちは反対だ。わざわざ危険を冒す必要などない」

「では雪花殿、あなたはどうですか?」

 雪花は、興味ないと言いたげに

「どちらでも」

 と答えるだけだった。

 賛否が真っ二つに分かれてしまった今、鬼坊はしばらく頭を悩ませなければならなくなった。皆が見守る中、鬼坊がようやく口を開く。

「ならば、月光殿、蝙蝠殿、銀虫殿の三人で、一人ずつ相手を始末してくれ。順番は好きに決めてよい。うまくいく間は三人に任せよう。しかし、一人でも失敗すれば、その時点で終了だ。あとは一斉に始末する」

 月光の瞳が怪しく輝いた。鬼坊は、その目に少しだけ狂気を感じ取り、慌てて目をそらす。

「ふん、いいだろう。では、順番を決めよう」

 月光たち三人は、その場を離れていく。その様子を目で追っていた鹿右衛門は、頭を軽く横に振った。


 蒼龍たちは、峠に差し掛かっていた。

 その峠は現在、志戸坂峠という名で知られ、平安時代後期の官人であった平時範が記した日記『時範記』によれば、承徳三年に因幡国守として赴任する際、峠にて『境迎え』の儀式を行ったと記されている。時範の頃は鹿跡御坂と呼ばれ、志戸坂峠の名に変化したのは江戸時代の頃らしい。ここを越えれば美作国である。

 蒼龍たちの目の前には、つづら折りの峻険な坂道が続いていた。

「これが三十三曲りですね。大変そう」

 お蘭が蒼龍に話しかける。

「体の方は大丈夫かい?」

 蒼龍は、お蘭に優しく尋ねた。

「ええ、私は大丈夫。でも、殿方のほうが心配ですわ」

 蒼龍とお蘭の背後、ピッタリと付いて歩くのはお松とお雪の二人のみ。少し離れて、疾風が後ろを気にしながら歩き、さらに離れたところに五人の男たちが固まって歩いていた。

「まったく、今ここで誰かに襲われたらどうするつもりなのかしら」

 お松は、相変わらず怒りが収まらないようだ。その様子を見て、お雪はただ笑うしかなかった。

「開けた場所があったら、休憩するか」

 蒼龍も苦笑いしながら提案するが

「甘やかさなくてもいいですわ。自業自得ですから」

 と、お松はそれを拒否するのだった。

 結局、休憩できるような場所がないこともあって、頂上まで登ってようやく一休みすることができた。男たちは皆、地面に寝転がり、息を切らしている。そんな光景を横目に、お松は竹筒に入った水を一口飲み

「あとは下るだけね。でも、あれではしばらく動けそうもないかしら」

 とぼやいた。

 雨は降っていないものの、空は灰色の雲に覆われていた。木々は鬱蒼と茂り、なんとなく不気味な印象を与える。旅人の姿は全くない。寂しく静かな峠の風景であった。

「私が寝ているときに現れる世界によく似ているわ」

 お蘭が、小声で蒼龍に話しかけた。

「そうだね・・・ ふふっ、俺は見たことがないのに、情景が分かるようになってきたよ」

 蒼龍はそう言って微笑んだ。お蘭が死体になっている間、必ず夢を見る。その夢のことを以前から何度も聞いているので、蒼龍にもどんな世界なのか想像できるようになったのだろう。

「最近は、誰かとは会わなかったのかい?」

「この間、草原でお婆さんがひとり、草かんむりを編んでいらっしゃったの。でも、話しかけても知らんぷりだったわ。やっぱり、私のことが分からないみたい」

「不思議なものだな・・・ でも、夢だから何があってもおかしくないか」

 蒼龍は夢と言ったが、心の中ではお蘭が死の世界にいるのだと考えていた。しかし、それを口に出したことはなかった。

「私ね、こう思ったの。私のことに気づいてる人がいて、声を掛けてるんじゃないかって。でも、私にはその人が分からないから、知らんぷりして通り過ぎてるのかもしれない。だからね、たまに呼びかけながら歩いたりするのよ。誰か私のこと見えてませんかってね。もしかしたら、それでお互いに気づくこともあるかも」

 お蘭も、毎日見る世界が夢ではないとすでに思っていた。それが死の世界であると確信していた。しかし、あえて自分の考えを蒼龍に話したことはない。

「ふふっ、やっぱり目に映る景色がいつも同じじゃ、話し相手がいないと退屈かい?」

「そうね・・・ でも、この間、お花畑を見つけたのよ。色とりどりのお花があってね。しばらくの間、退屈はしなかったわ」

「へえ、それは珍しい・・・」

 蒼龍が、話の途中ですっと立ち上がった。お蘭だけでなく、お松やお雪も蒼龍のただならぬ様子に気が付いた。

「どうされましたか?」

 真剣な顔で、お松が尋ねる。

「誰か来る」

 蒼龍が答えた。

「旅人では?」

 不安そうに蒼龍を見上げるお蘭の問いかけに対し、蒼龍は小さく首を横に振った。

「殺気を感じる。お松さん、男連中に声を掛けてくれ」

 お松が慌てて伊吹らの下へ駆け出した。蒼龍は、今まで通ってきた坂道をじっと睨んだままだ。

「人数は分かりますか?」

「どうも一人のようだが・・・」

 お雪は、蒼龍の返答に眉をひそめた。すっと立ち上がり、蒼龍が顔を向けている方角に目を凝らしてみる。

 お蘭も立ち上がり、蒼龍の傍らで顔を曇らせていた。蒼龍は

「少し下がっていたほうがいい。なに、心配はいらないよ。相手は一人だ」

 とお蘭に微笑んでみせた。

 やがて、お蘭やお雪にも相手の姿が見えた。蒼龍の言う通り、単身で乗り込んできたらしく、周囲には誰もいない。

「一人だけで我々と闘うつもりなのでしょうか?」

 お松が戻ってきて蒼龍に問いかけた。男性陣も蒼龍の近くに集まり、伊吹とお蘭はその背後に下がっていった。

「分からぬ・・・ もしそうなら、無謀な奴だな。武器も持っていないようだが」

 蒼龍の言う通り、相手は武器を何も持っていない。敵の意図が分からぬまま、一同は近づいてくる者を凝視していた。

 やって来たのは男だった。背は高く、顔に入れ墨があり、燃えるように輝く瞳で蒼龍たちを睨んでいた。

「お初にお目にかかる。俺の名は銀虫。西極屋に雇われた刺客だ。以後お見知りおきを」

 銀虫はそう言ってニヤリと笑った。


「十人か・・・ 一人余るな」

 鬼坊たちはお菊を除いて八名。蒼龍側は伊吹を除き九名だから、一人余ると銀虫は言ったわけだが、蒼龍たちには何のことか分からない。

「その方らを倒すのは造作ないことだが、それでは面白くない。そこで提案だ。俺達は一人ずつ汝らに勝負を挑む。だから、そちらも誰が闘うか、一人選べ」

「そんな要求に応じるわけないだろ。悪いが、この場で始末させてもらうぜ」

 一之助の返答を聞いて、銀虫は薄ら笑った。

「俺一人で汝らを葬ってもいいんだぜ」

 武器はなく、大勢を前にしても全く怯まない銀虫の不敵な笑みが、一之助、宗二、三之丞の三人を苛立たせる。彼らは、一斉に刀を抜いて銀虫に襲いかかった。

 一之助が、無防備な銀虫の脳天に刀を振り下ろす。それを銀虫は右腕で受け止めた。金属同士がぶつかる鋭い音があたりに響き渡る。

「お主、腕に何か仕込んでいるのか?」

 銀虫の両腕をよく見ると、肌色の布が巻き付けられていた。一之助は、中に金属の板が仕込まれているのだと思ったようだ。

 銀虫が一之助の一撃を弾き返した後、すかさず宗二が鋭い突きを銀虫の左の脇腹めがけて繰り出す。しかし、銀虫は左手で切先あたりを鷲掴みにした。そして自分の顔の前にそれを引き寄せると、右手で刃の中央あたりを握りしめ、ポキリと折ってしまった。

 三之丞は背後に回って刀を振り上げたが、強烈な後ろ蹴りに思わず後退りする。一之助がもう一度、銀虫に斬り込もうと構えると、銀虫は宗二を盾にして攻撃を防いだ。

 銀虫は、刀を折られて唖然とする宗二の喉仏あたりを右の拳で思い切り殴った。宗二の身体を一之助が受け止める形になり。二人とも倒れてしまう。

 そこへ蒼龍が突進してきた。鋭い突きを一気に三つ放ち、銀虫の胸や腹に傷を負わせた。

 それは致命傷になるはずだった。しかし、銀虫は平然としている。

「貴様が蒼龍だな。噂に違わぬ腕前のようだ。しかし、今度会った時は必ず倒してやる」

 銀虫は、そう言い残して走り去ろうとした。それを追って駆け出した者がいる。疾風だ。

「待て、疾風! 深追いはするな」

 源兵衛の言葉が聞こえたのかどうかは分からない。二人はあっという間に視界から消え去ってしまった。

 一之助は、上半身を起こして宗二を抱きかかえた。

「おい、大丈夫か?」

 返事はない。宗二は首の骨を折られ、すでに息絶えていた。


 森の中の木々を縫って、銀虫は矢のような速さで走る。

 その後にいる疾風も、人間とは思えない恐るべき速さで銀虫を追いかけていた。

 二人の間の距離は、広がることも縮まることもなかった。銀虫は時々、後ろを振り返る。その顔は笑っていた。しかし、疾風のほうは全速力らしく、かなり苦しそうだ。まるで、銀虫はわざと距離を保ちながら走っているように見える。

 やがて二人の距離は徐々に広がっていった。疾風が失速し始めたのだ。そして、とうとう疾風は走るのを止めてしまった。

 疾風は膝に手を当て、下を向いて激しく呼吸していた。屈辱的なことだった。足の速さでは誰にも負けない自信があったのに、しかも相手は手傷を負っているというのに、全く歯が立たなかったのである。

「人間じゃない・・・ 妖怪の類だ」

 疾風はつぶやいた。

「褒め言葉として受け取っておこう」

 声を聞いて慌てて顔を上げた。走り去ってしまったと思っていた銀虫が、目の前に立っている。今度は、自分が逃げる番になってしまったのだ。

 銀虫は冷笑しているだけで微動だにしない。おそらく、逃げようと後ろを向いたところを襲うつもりだろう。そう考えると、疾風は動くことができなかった。

「さて、お主をどうするか・・・」

 疾風は、生き残るための方法を必死になって考えていた。決死の覚悟で闘うか。しかし、束になってかかっても倒せなかった相手に自分一人が挑んでも、勝てる見込みは全くない。ならば逃げるか。逃げても追いつかれ、捕まるだけだ。

「始末するのは一度に一匹だけ」

 闘うことも逃げることもできない。許しを請うしか助かる術はないのか。だが、それは自分の男としての誇りが許さなかった。疾風は、覚悟を決めた。ゆっくりと刀を抜いて、中段に構える。

「いや、一匹くらい増えてもいいだろう」

 そう言うや否や、銀虫は正面から疾風に襲いかかってきた。疾風が刀を振り下ろす間もなく、機械の手で疾風の喉を掴み、頭上に持ち上げる。疾風の苦しそうな表情を見ながら、銀虫は満足そうに笑った。

 一之助、三之丞、そして源兵衛の三人は、落ちていた石を使って必死になって地面を掘っていた。宗二の墓を作るためである。

 一之助は、流れる涙を拭うこともなく作業を進めていた。他の二人も暗く沈んだ表情をしている。

 蒼龍は、お松やお蘭とともに、疾風が戻ってくるのを待っていた。伊吹とお雪は、宗二の死体のそばにしゃがんでいる。

「たしかに急所を突いたはずなのだが。なぜ倒れなかったんだろう」

 まるで独り言のように、蒼龍は口を開いた。

「腕に鋼を仕込んでいたようですから、身体にも身につけていたのでは?」

 お松が神妙な面持ちで返答する。

「しかし、刃には血が付いていたんだ。感触でもちゃんと突き刺さったことが分かったよ。でも、倒れなかった。不死身なのか?」

「そんな・・・ 死なない人間なんていませんわ。なにか、からくりがあるはずです」

「からくりか・・・ あの男の腕、からくり仕掛けのようだな。素手で刀を折ってしまうとは。もしかしたら、からくり人形じゃないか? いや、それなら刃に血が付かないか」

 今まで真面目な顔をしていた蒼龍が、ふと笑った。この男の笑顔は、相手を安心させる効果があるらしい。お松やお蘭も釣られて微笑んだ。

 ようやく穴を堀り終え、三人が宗二の死体を運ぼうと移動を始めた。

「俺も運ぶのを手伝おう」

 そう言って蒼龍も死体のある場所へ行こうとした時である。何を思ったか、蒼龍はお雪に向かって走り始めた。

「危ない!」

 そう叫んだのは蒼龍だ。お雪の頭を両腕で抱え込み、覆いかぶさるように倒れた。

 その直後、何かがお雪のいた辺りをものすごい速さで通過した。蒼龍がかばっていなければ、それはお雪に衝突していただろう。

 お雪は、何が起こったのか把握することができず、蒼龍の胸に顔をうずめていた。蒼龍はゆっくりと身体を起こし

「大丈夫か?」

 と声を掛けるが、お雪はコクリと頭を下げるだけで精一杯だ。

「これもあの銀虫とかいう奴の仕業だな。気配はもう消えてしまったが・・・」

 そう言いながら、地面に転がっているものを目にして蒼龍は愕然とした。お雪に向かって投げつけられたもの、それは疾風の生首だったのである。

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