第4話 二人の刺客

 翌朝、鬼坊は銀虫と蝙蝠を引き連れて鹿野へと向かった。鬼坊は馬を使って移動するというのに、銀虫は蝙蝠を担ぎながら走って付いていくつもりだ。

「俺は馬より速いからな。心配は要らん」

 そう豪語する銀虫に鬼坊は半信半疑であったが、いざ移動を開始すると銀虫は余裕で付いてくる。その並外れた脚力と体力に、さすがの鬼坊も舌を巻いた。

 海岸に沿うように走る山陰街道を西へ進み、母木からは南に向かう。山間にある鹿野城は、因幡の国人領主であった志加奴氏が長く治めていた。その後、天文十三年の初夏、尼子晴久の手により城内三百余名が壮絶な討ち死にを遂げたという。その尼子氏も今は滅亡し、鹿野城は毛利の属城となっていた。

 戦火によって、鹿野城下は荒れ果てていた。焼け落ちた家々、路上に座り込む人々、日々の食料にも困り、至るところで略奪が横行している。あたりに漂う、焦げた匂いと死体の腐臭に顔をしかめながら、鬼坊たちは町中を進んでいた。この三人を襲おうという猛者はさすがにいない。黒色の馬にまたがる巨人のような鬼坊の姿を目にしただけで、逃げていく者もいた。

 銀虫が、蝙蝠の手の平に自分の手を置いて、指の形を様々に変えていた。蝙蝠も同じようなことを銀虫にしている。聞くことのできない蝙蝠は、こうして相手と会話しているのだろう。やがて、銀虫が馬上の鬼坊に声を掛けた。

「その焼けた家の隣にあるのが、月光の住処らしい」

 鬼坊は、馬から降りて家の前に立ち、木の戸を勢いよく叩いた。

「月光殿はご在宅か?」

 声はしないが、何やら音がする。鬼坊は辛抱強く、戸が開くのを待った。

 引き戸がすっと開いて、月光の顔を目にした鬼坊はぎょっとした。その顔は、まるで幽霊のように青白く、痩せこけていた。表情からは何の感情も読み取ることができない。ただ、蛇のような目だけが、内に秘める激しい殺気を噴出していた。真っ暗な部屋の中で、体の周りがなお黒く闇で覆われているように見える。淡い紫色の小袖からは肋骨の浮いた胸元が露わになり、朱塗りの鞘に収まった刀を持つ右腕も異様に細かった。

「手合わせに来たのか?」

 月光は、地の底から響いてくるような低い声で尋ねた。

「いや、違う」

「では、何用だ?」

「拙者、西極屋壱長の使いで参った鬼坊と申す者。不義を働いた男の誅戮を手伝ってほしい。もちろん、礼はする」

 月光の目は、興味がなくなったかのように輝きを失った。

「金は腐るほどある。他を・・・」

 鬼坊は、月光に最後まで言わせなかった。

「百鬼夜行が敵の中にいる」

 月光が片眉を上げた。

「奴は死んだはずだが」

「いや、生きていた。今は潮鳥屋という土倉で用心棒をしている」

 月光の目が怪しげに光りだす。持っている刀がビリビリと震えだした。

「分かった。しかし、条件がある」

「何だ?」

 鬼坊が問いかけた時、月光は笑みを浮かべた。いや、笑うという表現はおかしいかもしれない。口角は上がったが、それは笑った顔とは呼べなかった。鬼坊は、その表情に嫌悪感を抱いた。

「事が終わったら、お前とも手合わせしたい。お前、かなり腕が立つと見た」

 鬼坊は、月光の顔をじっと眺めていたが、やがて不敵な笑みをこぼして言った。

「いいだろう」


 銀虫と蝙蝠の二人には、月光を西極屋まで案内するよう指示し、鬼坊は単独で、雪花のいるという美徳山を目指した。現在では三徳山と呼ばれる、修験者にとっての聖地だ。途中、ところどころに見られた集落もなくなり、深い谷底を流れる川に沿って山間の道が続く。やがて左側に姿を表した目的の山を眺めていた鬼坊は、途中で馬を止めた。

「あれが・・・」

 木々の間から垂直に切り立った崖が顔を出している。その崖にお堂があった。崖の上にではない。崖の窪んだ箇所を利用し、貼り付いたようにお堂が建てられていた。一体、どうやって崖にお堂を建てたのか、鬼坊には見当もつかない。

「役行者が法力で崖に投げ入れたと言われているが・・・ もし本当なら、この目で見たかったな」

 そう言って鬼坊は笑った。

 今はちょうど、お天道様が最も高くなった頃である。夜になるまで、どこかで時間を潰さなければならない。

「さて、どうするか」

 鬼坊はあたりを見渡したが、あるのは青々とした深い森ばかり。仕方ないので、もう少し進んでみることにした。すると、木々の中に隠れるように、石段が姿を表した。浄土院美徳山三佛寺である。あの崖にあるお堂には、ここから入ってたどり着くことができた。しかし、鬼坊にはお寺に興味などない。それより今は酒でも飲みたい気分だが、修験者が修行するための場所に食べ物屋などあるわけがない。鬼坊は、とりあえず二体の地蔵が安置された祠を探すことにした。

 馬から降りて、石段を登る。登りきったところの右側に細い道があった。そちらへ進むと、やがて祠にたどり着く。中には二体の地蔵が祀られていた。

「ここだな」

 鬼坊は、近くにあった石に腰掛けて、懐から藍染の包みを取り出す。中には白飯の握り飯が入っていた。それを一口頬張り、鬼坊は大きなため息を吐いた。


「明日はいよいよ出発ね」

 荷物の確認をしながら、お雪が口を開いた。

「若旦那、おとなしく付いてくるかしら」

 お松も自分の荷物をまとめながら、お雪に尋ねる。

「どこかで隠れてお蘭さんを口説いたりしないように注意しなきゃね」

 お雪がそう言って笑った。お松はため息をついて

「まさか恩人の妻を口説くなんてね」

 と呆れている。あの後、伊吹は茂吉に散々叱られたようで、自室にずっと閉じこもっていた。

「でも、今回はお蘭さんの病気のおかげで助かったのかな?」

 お雪の言葉を聞いて、お松は動かしていた手を休めた。

「かわいそうね、お蘭さん」

「うん、どんなに辛いか、想像できないわ」

「蒼龍殿もお辛いと思うわ」

 潮鳥屋には古い文献も残っている。お松をはじめ、店の者たちはお蘭のためにその文献を片っ端から調べてみた。しかし、お蘭のような症状についての記述はどこにも見当たらない。もっとも、蒼龍やお蘭が今まで苦労して調べても手掛かりすら見つからないのだから、そんなに簡単に分かるものでもないだろう。

「陰陽師は、巽の方角へ行けばいいって言ったんでしょ? お伊勢さんに何かあるのかも知れないわね」

「神様がお救いくださるのかしら」

 お雪は天井を見上げて

「そうあってほしいなあ」

 と、悲しげな表情をした。


 疾風は、源兵衛と一緒に、旅に携帯する薬の準備をしていた。

「師匠、ドクダミの葉はこれで足りるのでしょうか」

「ドクダミならそこらにも生えているからな。足りなくなったらまた採ればいい」

 源兵衛の指示に従い、疾風は手際よく作業をこなしていた。疾風は、源兵衛が潮鳥屋に雇われた時すでに弟子として一緒にいた。いつ、どこで二人が知り合ったのか誰も知らないが、疾風は源兵衛のことを深く尊敬し、源兵衛も自分の子供のように疾風を可愛がっていた。最初、この旅に疾風は選ばれていなかったが、源兵衛が旅に出ることを知り自ら志願したことからも、二人の絆がどれだけ強いか理解できるだろう。

「そういえば、お蘭さんの薬には益母草が必要ですね」

「おお、そうだった。忘れるところだったわい。益母草は多めに持っていこう。他には何が必要だったかな?」

 茂吉は蒼龍に、お蘭に必要な薬を調合してほしいと頼まれていた。茂吉は、そのための準備を源兵衛に命じていたのだ。

「えっと、芍薬と丁子と・・・ そう言えば、人参も必要ですよ」

「人参か・・・ 二人とも苦労していたんだな」

 当時、高麗人参は栽培することができず、しかも日本には存在しないので、明や朝鮮からの輸入に頼っていた。そのため、入手は困難であり、たとえ可能だとしても、非常に高額で庶民には手の届かない代物だった。

「よかったですよね。薬なしでは不安だって言ってたから」

 お蘭は時々、めまいのために立っていられなくなることがあり、回復するには薬が必要であった。高価なため、たくさん用意しておくこともできず、旅の途中で使い切ってしまったのだ。

 もし薬がないとどうなるのか。お蘭はそのまま意識を失ってしまう。つまり、死体に変化するということである。お蘭が小さい頃、初めて発作を起こし、死体に変化した。両親はお蘭が死体に変化しただけなのか、それとも本当に死んでしまったのか判断できず、三日三晩、娘の死体の前で呆然としていたという。もし、すぐに埋葬していたら、恐ろしい結果になっていただろう。当然、お蘭はすでに、この世にはいなかったに違いない。

 お蘭の発作を治す薬が見つかるまで、両親は苦労していたようだ。発作が起こり、死体に変化すると、長いときには一ヶ月も元に戻らないことがあった。お蘭の秘密を知る者は両親以外にはいない。だから、お蘭が死体から長く戻らないと、周りの人間はお蘭がいなくなったことに気づく。これをごまかすのが大変なのだ。そして、今の蒼龍も同じ苦労をしているのだった。

「私は、お蘭さんの病気を治す方法を是非とも発見したいです」

 疾風が源兵衛に向かって力強く宣言した。

「その前に、医者の勉強を頑張らなくてはな」

 源兵衛の言葉に、疾風は大きくうなずいてみせた。


「明日から、また旅が始まるのか」

 縁側で満月を眺めながら、お蘭は一人つぶやいた。

「身体のほうは大丈夫かい?」

 少し心配そうな顔をして、蒼龍はお蘭に問いかける。

「美味しいものをいっぱい食べて、のんびりと過ごすことができたから、今はすごく元気よ」

 そう答えて、お蘭は微笑んだ。蒼龍も、お蘭の笑顔に釣られたのか優しい笑顔を見せる。

 お蘭は、再び満月に目を向けた。

「きれいな満月ね。次に満月を見る時には、もう伊勢に着いているかしら」

「着いているだろうね。神社をお参りした後は、伊勢の名物を食べよう」

「伊勢の名物って何だろう?」

「俺も知らないんだ。でも、美味しいものがあると思うよ」

「楽しみね・・・ この病気も治ればいいわね」

「ふふっ、食い気に惑わされて、本来の目的を忘れるところだった」

 満月を眺めているお蘭の顔を、蒼龍は愛おしげに眺めていた。澄んだ光に照らされて、お蘭の肌は淡い光のベールをまとったようだった。潤んだ瞳が星空を映し出したように輝き、少し開いた唇は可憐な花を思わせる。この美しい顔が、夜には醜い死体へと変化するのだ。その様子を思い出すだけで、蒼龍は切なくなった。

 自分のほうをじっと見つめる蒼龍の様子に気づき、お蘭がその目を蒼龍に向けた。

「どうしたの?」

 首を傾げ、お蘭が尋ねる。蒼龍は、お蘭の肩にポンと手を乗せて

「元に戻す方法は必ずあるはずさ。諦めず、前に進もう」

 と言った。お蘭は、そっと蒼龍の胸元に顔をうずめた。その顔は、少し寂しげであった。


 満月の夜の中、月の光を浴びながら、鬼坊は一人、石の上に腰掛けたまま目を閉じていた。太い腕を組み、微動だにしないその姿は、さながら天から降り立った金剛力士を想像させた。

 遠くから、あたりに染み渡るような鈴の音が聞こえてくる。鬼坊は目を開いた。

 現れたのは、純白の小袖を着た一人の女性だ。透き通るような白い肌に、憂いを帯びた青い目、清らかな川の流れを思わせる豊かな髪は長く伸びて、その得も言われぬ美しさに鬼坊はしばし魅了されてしまった。

「先客がいらしたのね。珍しいわ」

 耳に直接響いてきたような女性の声で鬼坊は我に返り

「あなたが雪花様ですか?」

 と丁重に尋ねた。

「雪花? ああ・・・ そう呼ばれる方もいらっしゃいますわね。私に名前などありません。好きにお呼び下さい」

 そう言って雪花は笑顔を見せる。先程は青く輝いていた瞳が、今は銅色に変わっていた。桃色の薄い唇は、白い肌から浮き立つようにその存在を示し、妖艶な雰囲気を漂わせている。

「そうですか・・・ 拙者、鬼坊と申します。あなたにお願いがあって、ここでお待ちしておりました」

「この場所におられたということは、誰かから私のことをお聞きになったのね」

「はい。あなたのお力についても教えていただきました」

「では、その力を借りたいと?」

 鬼坊は大きくうなずいた。

「不義を働いた男の始末に手を貸してほしいのです。もちろん、お礼はいたします。前金で十両ではいかがですか?」

 雪花は、口のあたりに右手を添えてしばらく考え込んでいた。

「前金で二十両。成功すればさらに二十両。これでいかが?」

 今度は鬼坊が考え込む番だ。予定していた額の倍を要求され、このまま了承するか、物別れに終わるか、またはさらに交渉を続けるか、鬼坊は選択に迫られた。

 このとき、鬼坊はこう考えていた。すでに蝙蝠、銀虫、月光の三人を雇った今、あえて雪花を仲間に加える必要はないだろうと。しかし、鬼坊は妖術というものに興味があった。可能なら、一度この目で見ていたい、そう思っていたのだ。

「失礼ながら、拙者はあなたの使う術がどのようなものか存じません。試しに拝見させていただくことはできますか?」

「ふふっ、二十両の価値があるか、判断しようということかしら。では、こんなのはどうでしょう?」

 雪花は、鬼坊の目を見据えながら問いかけるが、鬼坊には何が起こったのか分からない。

「拙者には、何も変わらないように見えますが・・・」

 鬼坊がそう口にした途端、今までそこにいたはずの雪花の姿がすっと消えた。

 それと同時に、自分の喉元に刃が向けられていることに気づいて鬼坊は唖然とした。

「このように、相手に幻を見せて始末することができますわ」

 鬼坊は動揺を隠せなかった。似たようなものは忍術にもあるが、相手が近づけば気配で察知できる。しかし、今は全く気づくことができなかったのだ。これが妖術によるものなのか、それとも雪花が完全に気配を消し去っていたのか、鬼坊は判別することができず

「なぜ・・・」

 と言うだけだった。

「私の幻術に捕らえられた人間は、相手の気配を感じることもできなくなります。どんな剣の達人も、私に勝つことはできないのです」

 雪花は、鬼坊の首に向けていた懐刀を、月に照らされて怪しく光る大きな青い宝石が印象的な、漆黒の鞘に収めた。

 確かに、恐るべき刺客であった。蒼龍であろうとも、まともに闘って勝てる相手ではない。それに、鬼坊には伊吹を生け捕りにするという大事な務めもある。その時、この幻術が役に立つだろうと鬼坊は考えた。

「分かりました。前金は二十両払いましょう。しかし、その後の報酬については元締めに相談しなければなりません。どうか、因幡の西極屋までご足労願えませんか? 拙者、ここまでは馬で参った故、差し支えなければお乗せすることができます」

「しかし、支度のため家に戻らなければなりません。お待ちいただくことになりますが」

「家はどちらに?」

「山奥ですから、馬は通れません」

「ならば、拙者はここでしばらく待ちましょう」

「よろしくお願いします」

 雪花は、軽く頭を下げた後、祠の方へ進んだ。そして長い間、地蔵を拝んでから立ち去っていった。雪花がいなくなった後、鬼坊は再び石の上に座り、目を閉じた。

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