死者の見る夢

@tadah_fussy

第1話 修羅の旅路

 桜吹雪の降る並木道を、一人の男が颯爽と歩いている。白地に派手な朱色の縞を帯びた小袖を着て、髪は肩のあたりまで伸ばしていた。非常に美しい顔立ちで、切れ長の目が妖艶な光を放つ。しかし、その女性的な顔とは対照的に、広い肩幅とスラリと高い身の丈が、男性であることを物語っていた。

 男が、ふと前を見ると、女性が困り顔で立ち止まっていた。周りの景色と同じ桜色の着物を身に着けて、黒髪は背中のあたりまで垂れている。

「お嬢さん、どうしましたか?」

 その女性は猫のような目を瞬かせながら、少し驚いた表情で男の顔をじっと眺めていた。頬に少し赤みを帯び、言葉を発しない女性に、男性は

「あの・・・ 何かお困りごとでも?」

 と、もう一度問いかける。

「あっ、ごめんなさい。実は鼻緒が切れてしまって・・・」

 女性は上品な仕草でさっと口に手を当て、慌てて下を向いた。

「それはいけない。貸してごらん。直してあげよう」

 男は袂から布切れを出して細く割いた。

「直している間、俺の肩につかまっているといい」

 言われた通り、肩に手を添えて、女性は切れた鼻緒を大きな手で器用に直している男性の様子をじっと眺めていた。

「ほら、これでもう大丈夫だよ」

 男性に草履を渡され、女性は

「ありがとうございました。なんとお礼を申し上げればよいか」

 と頭を下げた。

「一人で散歩ですか?」

 男性は軽快な口調で尋ねる。女性はうつむき加減でうなずくので、男性は

「少し一緒に歩きませんか? 俺も一人で退屈していたところです」

 と誘ってみた。すると女性は顔をほころばせて

「はい」

 と返事をした。

「俺は伊吹と申します。お名前を教えていただけませんか」

 二人連れ立って歩きながら、伊吹と名乗った男性は静かな口調で女性に尋ねた。

「私はお菊と申します」

 女性は、少しはにかみながらも、小さな声で答えた。


 物静かに降る雨の中、紫陽花が緑の絨毯に浮かぶ泡のように咲き誇っている。空は灰色の雲に覆われ、柔らかな光があたりを包んでいた。

「ほら見て、赤い紫陽花」

 青一色の中で、ひとつだけ紅に染まる紫陽花を見つけ、一人の女性が指差した。紫陽花によく似た淡い藍色の着物に身を包み、愛らしい丸い瞳を輝かせながら、隣にいる男性に顔を向ける。濡羽色の柔らかな髪が肩まで伸びて、ほのかに青白い肌を浮き立たせていた。

「本当だ、どうしてあの花だけ赤いんだろうね」

 傘を持った総髪の男性は、女性に優しげな笑顔を向けた。背丈は女性とほとんど変わらない。童顔で、体格も男性にしては華奢である。傍からは、姉と弟が仲良く並んで歩いているように見えるだろう。腰に刀を帯びているが、この時代は百姓でも刀を持っていたので、武士であるかどうかは分からない。

 二人は一軒の家の前で足を止めた。その家は今にも崩れてしまいそうなほどに壊れ、壁や石置屋根の板がところどころ抜け落ちている。

「こりゃあ、家の中も傘が必要かな」

 男性がつぶやいた。二人は、この家に用事があって出向いたらしい。しばらく外から心配そうに家を眺めた後、やがて意を決して中に入っていった。

 中に入った瞬間、強いお香の匂いに二人は思わず顔をしかめた。薄暗い廊下は地面がむき出しで、土足のまま入れるようになっている。不思議なことに雨漏りは全くしていなかった。地面は乾き、歩く度に土埃が舞い上がる。

 廊下の突き当りは広い土間になっていて、その中央に一人の老婆が座っている。白の小袖を身に着けて、皺だらけの顔を二人に向けながら

「いらっしゃい。さあ、こちらに座って」

 と老婆の前に敷かれたござを手で示した。二人はおずおずと、ござの上に座り、まずは男性が

「占いをしてほしいんだが」

 と切り出した。すぐに老婆が顔をほころばせ

「いくら払う?」

 と尋ねるので、男性は袂から銭を出して老婆の前に差し出した。

「ほう、銀貨十枚とは・・・」

「ここは、よく当たると評判だからな」

 男性は真剣な顔つきだ。興に乗って来たのではないと思ったのか、老婆は真顔になり、うなずきながら

「まずは名前を教えてくれ」

 と静かに言った。

「拙者は蒼龍と申す。そしてこちらは女房のお蘭」

 お蘭という名のその女性は、深々と頭を下げた。その様子を見ていた老婆が、かすれた声で一言つぶやく。

「そなた・・・ 呪われておるな」

 お蘭は顔を上げて老婆の顔を直視した。その表情には驚きと恐怖が入り混じっている。

「呪いとはいったい・・・」

 蒼龍が問いかけても老婆はそれに答えず、そばにあった小さな袋の中のものを地面にばらまいた。それは何かの獣の歯や牙だった。年老いた占い師はそれらのうち何本かを、骨と皮だけの手で無造作に拾い上げては放り投げ、または横に並べたりを繰り返している。二人は占い師の動作を食い入るように眺めていたが、やがて老婆がその動作をピタリと止めてしまったので、蒼龍はすぐに身を乗り出して尋ねた。

「何か分かったのか?」

 一呼吸の間のあと、占い師は

「まあ待ちなさい」

 と言いながら、また同じことを始める。拾っては投げ、また拾っては並べ、地面には徐々に円が形成されていった。

 ようやく占い師の手の動きが止まる。占い師は完成した円陣を目にしながら

「そなたの呪いは強力じゃ。そう簡単には解けないじゃろう」

 とため息をついた。お蘭は必死の形相で尋ねる。

「では、いったいどうすれば・・・」

 沈黙の時間が流れた。雨粒が屋根を叩く音だけが部屋の中に響き渡る。二人は占い師が話し始めるまで、身を固くして待っていた。

「ここから卯の方角・・・ そこに兆しが見える」

「兆し・・・ 何の?」

 蒼龍に問われ、老婆は悲鳴のような声を上げて笑った。開いた口の中には、土色に汚れた歯が半分ほどしか残っていない。

「全てが見えるわけじゃない。何が起こるかは分からんよ。ただ、卯の方角へ行くことが端緒となるじゃろう」

 老婆の占いを聞いて、蒼龍とお蘭は互いに顔を見合わせた。

「その後は巽の方角へ旅するとよいじゃろう。この際、神宮にでも参ったらどうじゃ」

「神宮に? それはまた大変な旅になる」

 神宮とは『伊勢神宮』のことだ。二人が住んでいるこの地は出雲国。ここから伊勢国までは百里を優に超えている。

「そうじゃな。おそらく大変な旅になるだろうよ。お主ら、この先は修羅の道、せいぜい気をつけることじゃ」

 そう言って乾いた声で笑う老婆を前に、二人はそれ以上何も口に出せなかった。


「伊勢へ行けば本当に呪いは解けるのでしょうか?」

 お蘭は不安そうな顔で蒼龍に問いかけた。しかし、蒼龍は唸るだけで、答えることができない。

 家までの長い道のりを、二人はそれ以上何も話さずに歩き続けた。雨はすでに止み、地面には靄がかかっている。雲の切れ間から陽の光が差し込み、二人を優しく照らしていた。

 家に着いた蒼龍は、囲炉裏の前に座るなり、お蘭に話しかけた。

「とりあえず、因幡国へ行ってみるか」

 お蘭も座って蒼龍の顔に目を遣るが、蒼龍は下を向いたままじっとしていた。しかし、お蘭が何も答えないので、ゆっくりと頭を持ち上げる。

「あのお婆さんの言うことを信じていいのでしょうか」

 ようやく、お蘭が口を開いた。

「俺は信じるよ。お前が呪われていると、はっきり答えたからね」

「出任せかもしれません。呪いだなんて・・・」

「医者からは見放された。霊媒師にも全く見当がつかない。ようやく糸口を見つけたんだ。俺はこれに賭けてみたい」

 蒼龍は、お蘭のそばに近づいて、両の手をお蘭の肩にポンと置いた。

「今まで、いろいろと耐えてきたんだ。もう少し頑張ろうよ」

 そう言われたお蘭は、蒼龍の顔をじっと見つめた後、微笑みを浮かべ、肩に乗せられた手にそっと触れた。


 出雲国から伯耆を経て東に三十里。蒼龍とお蘭は因幡国の鳥取城下町に到着した。鳥取城は当時、因幡山名氏の家臣であった武田高信が城主を務めていたが、対立する但馬山名氏との衝突が絶えず、城下町も不穏な空気に包まれていた。

 到着したときには、すでにあたりが暗くなり、二人はすぐに宿を見つけなければならなかった。外を歩く人も見当たらない中、手頃な宿がないか探していたときである。遠くから悲鳴が聞こえてきた。

「誰かが襲われているのでしょうか」

 お蘭が蒼龍に問いかける。

「放ってはおけないな。行ってみよう」

 二人は声のした方向へ走り出した。

 千代川のほとり、柳の木の下で、三人の暴漢に囲まれた女性が一人、身を震わせながら懐の巾着を取り出し

「命ばかりはお助けを」

 と涙声で訴えた。しかし、暴漢は金には目もくれず、女をどこかへ連れ去ろうとする。

 そのとき聞こえてきた足音に三人は後ろを振り返った。見れば男が単身、刀を抜いて近づいてくる。

 三人のうち二人はすぐに刀を構えた。一人は女の首すじに刀を当てている。彼らの刀にはすでに、血糊がベッタリと付いていた。

「その人を放せ!」

 叫んだ男は蒼龍だ。少し遅れてお蘭も駆けつける。

 やって来た華奢な男を見て一人が不敵に笑い、刀を正眼に構えた。対する蒼龍は、刀を顔の前に突き出し、切先を相手の胸あたりに向ける。

 もう一人の男が蒼龍の背後に回ろうと動きかけた時、蒼龍は一気に前へ踏み込み、目の前にいる相手の胸を突いた。その信じられない速さに、相手は全く反応することができなかった。

 あっという間に一人を倒し、すぐに自分のほうへ刀を向ける蒼龍の予想外の強さに、男は戦意を喪失したらしい。人質を捕らえていた者も一緒に慌てて逃げていった。

「大丈夫ですか?」

 暴漢たちが逃げた後、お蘭は、その場に座り込んでいた女性の下へ近づいて声を掛けた。女性は、柿色の地に花菱模様をあしらった派手な小袖を身に着け、顔の美しさも相まって華やかな印象を受ける。

「ありがとう、おかげで助かりました」

 しかし、荒くなった息をなんとか整えようとしながら発したその声は男性のものであった。蒼龍もお蘭も、襲われていたのが男であることに、そのとき初めて気がついた。

 地面には、先程倒した暴漢の他に、二人の死体が転がっている。

「仲間は殺されてしまったようだな」

 蒼龍の言葉を聞いた男は

「そいつらは用心棒ですが、全く歯が立ちませんでした。あなたはお強いんですね」

 と答えた。

「用心棒・・・ ということは、あんた普段から誰かに狙われているのか?」

「二、三日前に同じような輩に追いかけられたことがありまして・・・ 念のためにと用心棒を付けていたんです」

 蒼龍は、男の話を聞いた後、暴漢の死体を探ってみた。懐から巾着が出てきて、その中には結構なお金が入っている。盗んだものなのか、それとも本人のものなのかは分からない。

 すっと立ち上がった蒼龍は

「とにかく、家まで送ろう。また何者かに狙われるかもしれないから」

 と男に話しかけた。


「私は伊吹と申します。お名前をお伺いしてもよろしいですか?」

 道すがら、伊吹というその男が話しかけてきた。

「俺は蒼龍という。それから女房のお蘭」

 お蘭は軽く頭を下げた。

「お蘭さん、ですか。いや、お美しいお方だ。あなたのことを羨んでしまいます」

 伊吹はそう言って笑顔を見せた。

 伊吹の家は、暴漢に襲われた場所からさほど遠くないところにあった。裏手の勝手口から中に入ると、広い庭園がきれいに整備されていた。

「私どもは商いをしておりまして」

 そう言いながら、伊吹は二人を家のあるほうへ案内する。なるほど、庭には大きな蔵がいくつもあり、よほど商いがうまく運んでいるのだろうと蒼龍は思った。

 この頃は、酒屋を営みながら高利貸しを行う『土倉』と呼ばれる商人が多くいた。室町幕府の財政は土倉に依存していたと言われるほどに大きな財力を持ち、戦国時代になってからも諸大名たちと結びついて経済を支えていた。ここは土倉の一つらしく、莫大な富を得ているようだ。

「ここで少しお待ち下さい」

 二人を縁側に座らせ、伊吹は明かりの点いた座敷に一人で入っていく。しばらくして女性が一人、正座して二人に向かい深々と一礼した。

「おまたせしました。どうぞこちらへ」

 女中に案内されて座敷に入ると、そこには小柄な中年の男性が一人、厳粛な顔をして中央辺りに座っていた。その横には満面の笑みをたたえた伊吹がいる。

 蒼龍とお蘭が座敷の奥側に座るや、男性は深々と頭を垂れて話し始めた。

「この度は、倅をお救い下さりありがとうございました。もし、貴方様のお力添えがなければ、倅はどうなっていたか分かりません」

 蒼龍は、頭を下げたままの男性に対して

「いや、礼には及ばない。それより、ご子息は前にも誰かに襲われたと聞いたが」

 と問いかけてみた。男性はようやく頭を上げて

「その通りでございます。念のためにと護衛を付けたのですが、まさか二度も襲われるとは・・・」

 と言って首を横に振った。

「このあたりも物騒になってきたのかもしれませんねえ」

 伊吹が他人事のように口を挟む。

「申し遅れましたが、私は茂吉と申します。失礼ながら、そのお姿を拝見しますに、お二人は旅のお方と存じ上げますが」

「その通り。出雲より旅をして参った」

「それなら、今晩はここを宿としてお使い下さい。お粗末ながら、部屋を用意いたしましょう」

 茂吉にそう言われ、蒼龍とお蘭は顔を見合わせた。

「どうかご遠慮なさらないで下さい。あなた方にはできるだけの恩返しがしたいのです」

 伊吹の後押しもあり、蒼龍はお蘭に対してうなずいた後

「かたじけない。それでは一日ご厄介になろう」

 と茂吉に告げてから、続けてこう切り出した。

「勝手を言って申し訳ないのだが、部屋は二つ用意できないだろうか。俺の寝る場所はどこでも構わないから」

 茂吉は首を傾げる。

「それは構いませんけど、何か不都合なことがございましたでしょうか」

 不思議そうに尋ねる茂吉に、蒼龍は頭をかきながら答えた。

「いや、そういうわけではない。俺たちはいつも別々の部屋で寝るのだ。その、昔からの決め事でな」

 茂吉はしばらく答えに窮していたが、

「お父さん、部屋ならいくらでも準備できるからいいじゃないですか。それより、お二人ともお疲れのご様子。早く部屋の支度をいたしましょう」

 と伊吹が助け舟を出し、茂吉も我に返って笑顔で答えた。

「かしこまりました。すぐに部屋を二つ用意しましょう。その間に、お風呂などいかがですか」


 蒼龍とお蘭は、用意されていた浴衣を着て、蒸気で白く霞んだ部屋の中に並んで座っていた。

「家に風呂まであるとはな。よほど稼ぎがいいと見える」

 蒼龍は両腕を上げて背中を強く伸ばす。

「おかげで旅の疲れが癒されますわ」

 お蘭も蒼龍に倣い、大きく伸びをした。

 天井からは雨のように滴が落ちてくる。聞こえてくるのは、隣で湯を沸かす薪の燃える音と、滴が地面を打つ音だけ。二人は伸びをした後しばらくの間、目を閉じて、漂う湯気に身を任せていた。

「あの婆さんが言っていた兆しというのは、このことなのかな?」

 不意に蒼龍が目を閉じたまま口を開いた。

「それでは、ここのご主人が治し方をご存知なのかも」

 お蘭の顔がぱっと明るくなった。蒼龍は目を開けて、お蘭の顔に視線を送る。

「もしそうなら、これこそ天のお導きなのだが。機会があれば聞いてみたいものだ」

 そう言って蒼龍は笑みを浮かべた。

 同じ頃、伊吹は茂吉の前に正座していた。

「奴ら、金が目的じゃなかったよ。どこかに連れ去るつもりだったみたいなんだ」

 伊吹の説明を聞いて、茂吉は目を閉じたまま大きなため息をついた。

「お前、何か隠し事をしているんじゃないか?」

 茂吉の問いかけに、伊吹は膝に置いた自分の手を見つめながら

「俺は別に悪いことなんてしてないよ」

 と答える。しかし、茂吉は追及の手を緩めなかった。

「また、どこぞの女に手を出して、恨みでも買ったのではあるまいな」

 伊吹は何も答えなかった。茂吉はただ黙って、伊吹が何か白状するのを待っている。その沈黙に耐えきれなくなったのか、しばらくして伊吹が口を開いた。

「お菊という名の女性と恋仲になったけど、少し前に別れた」

「お菊・・・ どこのお方なのだ?」

「西極屋の娘とか・・・」

 茂吉はすっと立ち上がった。顔が真っ青になっている。

「お前、何ということを・・・」

 茂吉が絶句している姿を、伊吹はただ呆然と眺めていた。

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