第13話

 思わず生唾を飲み込み、呪文を食い入るように覗く。

『我が敬愛する魔王陛下に幸あれ、裏切り者に災いあれ、愚かな人間どもに秘密を明かすバカは』

 なんかだんだん呪文が雑になってきたな。

『デデーン! 三流! 存在する価値なし!!』

「呪文雑だな!」

 そのふざけた呪文はみるみるうちにオークを覆ったかと思うと、オーク自体をそのまま消してしまった。残ったのは服一枚。金糸が解けてなくなった、真っ白い絹のワンピースだ。

 俺は信じられなくてそれを拾うが、オークがそれを取り返そうとする気配はない。今までここにいたのが嘘みたいに、すっかりいなくなってしまった。出会ったばかりだし、そもそも殺し合いをしていた最中だったが、これを仕込んだのはオークの味方だろうと思うと吐き気がする。二人の顔を見ると、二人も概ね俺と同じ意見だと言いたそうな顔で服を見ていた。

 顔色一つ変えないイルザはオークの棚に歩み寄って、一つの小瓶を手にして戻ってきた。

「裏切り者を消す呪文か」

「デデーン! 三流! が?」

「そこじゃないよ。最初のほうがね。こんなクソ呪文作るヤツ一人だし」

 イルザはきれいな細工の入った小瓶を俺たちに見せてきた。香水瓶か何かほどの大きさで、薄暗い地下でもその美しさははっきりと見て取れる。削られたかのようにきらめく容器は目に眩しい。

「これが魔物熱の毒ですか?」

 エリーが不安そうな顔でイルザを見た。

「ついてきなよ。あなたの親を殺した毒を作ったヤツは魔王直属部隊の一角だ。私達は魔王打倒の命を国王に受けた。この子はルイス・アインホルン第二王子。このために十五年間秘密裏に育てられたの」

 イルザは俺を指して言った。エリーはなおも不安そうに俺とイルザを交互に見ている。

「一緒に来てよ。私はあなたが欲しい。あなたもそのつもりでここまで私達を追って来てくれたんでしょ」

 イルザのその言葉に、エリーはみるみるうちに目に涙をたっぷりと溜めた。見れば手が震えている。水を浴びて寒いのもあるだろうし、一人で地下道に入るのは緊張しただろう。それに、一人きりだったところを見ると、司祭に黙ってきたのだろうことは明白だ。

「私の両親は回復魔法を使う医者でした。ネーベルで魔物熱の患者を治療し、病を根絶こんぜつするために暮らしていました。あの時は皆優しかった。でも、魔物熱にかかった時、どの回復魔導師も両親を助けてくれはしなかったんです。助けようと努力してくれたのは、回復魔法が使えない司祭様だけ……。ちょうど魔物熱が変異しかけたところで、病気の進行も早かった。両親は死に、私は司祭様に引き取られました」

 見ていて寒々しい。俺は手に火球を作ってエリーに近づけた。少しでも手の震えを止めてあげたい。

 彼女は俺の手の中に浮かぶ火を見ると目を丸くして驚き、すっきりとした目から大粒の涙をこぼした。俺は懐から何か拭くのに良いものを出そうとしたが断念し、比較的汚れていない袖口そでぐちで涙を拭いてやった。

「でも、こうして優しくしてくれる人はいなかった……。肌の色を『魔物でもないのに大げさ』と笑い飛ばしてくれる人もいなかった。ありがとうございます、王子様…‥」

 あんな些細ささいな一言を覚えていてくれるなんて。

 彼女は一体どれだけ寂しかったのだろう。ツンと鼻の奥が痛くなる。

「ルイスって呼んで」

 王子様と呼ばれるのがむず痒くて、俺は笑って誤魔化した。

「俺は森の奥で育てられて、何も言われないで旅に出されたんだ。双子だったからだってさ。俺たち何も悪くないんだからさ、気にするなよ。俺もエリーちゃんが来てくれたら嬉しい」

「俺も嬉しいよ。一緒に行こう」

「もちろん私も」

 エリーはうるんだ目を俺たちに向けて、それは嬉しそうに微笑んだ。花が綻ぶような柔らかい笑顔だ。

 俺たちはイルザの指示に従って毒を破棄はきし、棚をすべて燃やした。毒を一つでも残しておくと、また別の魔物が持ち出して病気の発生が早くなるのだとか。オークの服を持った俺たちに魔物たちは近づいてこようとしなかった。この遺跡のヌシだったのだろう。

 エリーはしばらく遺跡から街の方を見ていたが、泉から清水を掬ってひと口飲むと、黙って街に背を向けた。その背中がさみしげに見えて、俺はなんとなく彼女の隣を歩くことにした。

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