ユメデアエール

バラック

第1話

 丸の内の貿易会社で働くOLのエヌは、週末に一本の缶ビールを開けるのが楽しみだった。楽な服装に着替え、化粧を落とし、ソファに身体を沈める。完全にリラックスしてから缶ビールを開ける音を聞くと、一週間の疲れがじわじわ取れていく気がするのだ。


 今週は特に忙しかった。上半期の締めの都合で、いつもより大量の業務をこなさなければならなかったからだ。


「そんな時だからこそ、いつもと同じことをすることが大事なのよね」


 そう独り言を呟いて缶ビールを開けた。その音と同時に泡が飲み口から溢れてくる。一口、天井を仰いでビールを飲んだ。そして顔を正面に戻すと、得体のしれない不審な老人が目の前に居た。


「おめでとう。君は新製品をテストできるチャンスを手に入れた」


 目の前の老人はそう言った。長い髪と髭はどちらも真っ白。それとはアンバランスな、ぴっちりとした銀色の服を着ている。


「何突然。あんた誰?」

「うむ。未来からやってきた発明家じゃ」

「そういえば最近帰り道につけられてた気がするんだけど。あんたもしかして新手のストーカー?あ、この前ごみ捨て場で会った汚いおじいさんに似ているぞ。」

「失敬な。わしは未来では偉い学者でもあるんじゃぞ」

「で、何だって?チャンス?」

「うむ。新製品ユメデアエールを持ってきたんじゃ」


 目の前の博士風の老人は、アイマスクのようなものを取り出した。真っ黒で、少し重そう。アイマスクと違うのは、眉間に当たる部分からアンテナがピンと伸びていること。


「何これ。」

「これをつけて寝ると、自分が逢いたい人間と夢で会うことができるんじゃ。勿論、向こうの夢にも自分が登場することになる。ま、つまり自分と相手が同じ夢をみることができるんじゃな。この製品の優れているところは、相手はこの装置を着けなくてもいいところ!相手にも着けさせるとなったら中々大変じゃしな。どうだ、やってみたくなったじゃろう」


 エヌはその言葉を聞いて、同期入社のエイチのことを思い出した。爽やかでカッコいいと憧れていたものの、中々話す機会がない。仕事もバリバリこなすので、もう夜中の11時を回っている今頃はもう寝てしまっているだろう。メールや電話でコミュニケーションを取るのも難しい相手だ。


「いいじゃん、それ。相手は誰でもいいの?」

「お互い顔を認識していることと、相手も寝てないのと上手くいかないのが難点だが

それがクリアできればたぶん大丈夫じゃ。ただまだ試しておらん。」

「そんなの自分で試してみればいいじゃん。」

「確かにその通りじゃ。でも未来では皆眠る時間はバラバラだし、それを調べるのも個人情報保護だとか言って難しくなっているのじゃ。だから友人の科学者のタイムマシンで現代に来てみたわけじゃ。」

「最近の感じだと未来ではそうなのかもね。」


 酔いやすい性質のエヌは、「未来から来た」ということもすんなり受け入れてしまっているようだった。


「せっかく作ったんだから、やっぱり試してみたくなる。現代は寝る時間なんて大体同じじゃろう?」

「確かにそうねぇ……」


 夢でいいからエイチに会いたいなぁ。エヌは年頃の女性らしく、恋心を噛み締めた。


「どうすれば使えるの?」

「特別難しいことは要らん。ユメデアエールを着け、会いたい人のことを考えながら寝ればいいだけじゃ。あとは脳波をキャッチして信号を飛ばす、という仕組みじゃ。」

「へー、なるほど。じゃあもう疲れたし、今やってみるよ。」


 エヌはユメデアエールを頭に取り付け、そのままソファに寝転んだ……


*****


 エヌはふっと目が覚めた。近くに謎の博士も変な装置もない。ぬるくなった缶ビールがテーブルの上にあるだけだった。


 なんだ、夢だったのか。都合が良すぎると思ったんだよなぁ、夢で会える装置なんて。大体新製品を試したきゃ自分でやれっつうの。何が「未来から来た」よ。あーあもう一本飲もうかしら。


「つまんないの」


 そう言ってエヌは冷蔵庫に向かっていった。


*****


 その様子を一人の老婆が望遠鏡のようなもので眺めていた。現代では見られない、キックボードのような、立ちこぎサーフボードのようなものに乗っかっている。


 その老婆は望遠鏡のようなものをカバンにしまい、小さくガッツポーズをした。そして隣に寝転んでいる長髪で髭の長い老人を揺り起こした。その老人の頭にはあの「ユメデアエール」。目覚めた老人は、ゆっくりと体を起こすと、老婆と一緒にこどものようにはしゃいだ。


「おぉやったな。一次試験は成功したようじゃ。ちゃんと調査をしてアルコールを摂取するタイミングや寝やすい時間を把握しておいてよかった。何よりもあの信じやすい小娘を選んだ、というのが正解じゃったな。わざわざ汚い服を着た甲斐があったというもんじゃ。あとは未来に帰ってどうやって売っていこうか考えよう。楽しみじゃな……」

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