第24話 ありがとう

 初めに目にしたのは見慣れない白い天井だった。数秒ぼんやりとした後、体が動かないことに気づく。

「あぁ……そうか俺」

 まるで記憶喪失だったみたいに多くの出来事が頭の中に広がる。

 転校生、大門唯我と支配者である帝優の人間を超越した戦い。結果を見届けた音也は安堵して気を失ったのだ。

「今何時だ?」

 誰に聞くでもない言葉が空気に溶けていく。

 あれから、唯我たちはどうなったんだろうか。その後の誤魔化しはどうしたんだろう。あれだけの被害が出れば、今までのように隠し通すこともできないだろう。世間も黙っていないはずだ。

「あれ! 井道さん?」

 考えていると足元から声が聞こえた。すぐに白いナース服の女性が視界に入る。

 体が動かせない音也は、特に意味はないのだが精一杯の元気を装った。

「あぁ、どうも……」

 看護師が声かけてくれたところで音也は再び意識を落とした。



 次に目を覚ますと頭元に見慣れた人物が座っていた。

 一瞬まぶたを閉じただけだと思ったが、また少し時間が経ったようだ。

「…………え! びっくりした! 起きてるなら言ってよ!」

 音也の覚醒に気づいた本田真琴がわちゃわちゃと騒がしい。

「あぁ、ごめん、うるさかったね……看護師さん呼んでくる!」

「待って……」

 ナースコールの存在など知らないかのように駆け出そうとした真琴を消え入りそうな声で呼び止める。

「あれからどうなったかだけ教えてくれ……」

 本当は早く病院関係者に知らせるべきなのだが、音也はとにかく状況が知りたかった。真琴も音也の心中を汲んでくれたようでイスに腰を下ろした。

「まず、音也くんは一週間眠ってました。でも、今朝がた目が覚めたって先生が教えてくれて学校終わってとんできました」

 一週間という言葉に内心驚いたが、同時に一週間でよかったと安心した。

「ご両親は命に別状はないからそのうち目を覚ますって言われてたらしいんだけどね。どうしても心配で……」

 照れくさそうに笑う真琴を見るととても安心した。

「私も目覚めたのは少し後だったんだけど、その日は授業中止。だけど、その後マスコミが学校の前で待ち伏せするようになって、結局三日間は授業できなくて警察も出動してーってすごくバタバタしてた」

 以前から新人類が起こした問題を過剰に取り上げ、大袈裟にすることで社会から新人類たちをつまはじきにしようとする一派はいた。その連中にとっては今回の件は最大のチャンスというわけだ。

「学校側は『グラウンドが壊れたのはあの時に落ちた落雷のせいだ』って言って、意地でも認めてない。このまま乗り切る気だと思う」

 今まで通りの対応だ。音也には今更、期待も落胆もありはしなかった。

「唯我は……どうなった?」

 快活な笑顔が脳裏に浮かぶ。負ったダメージなら唯我の方が大きいはずだ。まだ目を覚ましていない可能性充分にある。

「ああ、唯我くんなら全快で勉学に励んでるよ!」

 音也の胸のざわつきとは反対に真琴はさらっと告げた。心配して損した、と音也は心の中で苦笑した。

「唯我くんも昨日まで来てたんだけどねー、恥ずかしいのか今日だけ行けないって……照れることないのにね〜」

 唯我がいるのなら大丈夫だろうと安心する。あの戦いを見た人間が今までのように好き勝手できるはずがない。

「学校も前とはすごく変わったんだよ! 新人類の人たちの中にも今までみたいな乱暴が嫌って人はいて、その人たちが集まって酷いことを辞めさせてるんだよ!」

 真琴は興奮した様子で語った。よほど嬉しいのか手元が忙しい。

「帝は……それを黙ってみてるのか?」

 いくら唯我が勝ったとはいえ、帝の力が衰えたわけではない。もう一度戦って唯我が勝てるかどうかはわからない。

「それが帝さんはこの件には全然興味ないみたい。帝さんに必死に話しかけてる人を何度か見かけたけど、帝さんは相手にしてなかったから」

 音也は当たり前のように聞き流していたが、帝も一日入院した後、何事もなかったかのように登校していた。

 あれほど恐れていた相手にも関わらず、音也は教室の隅でつまらなそうにしている帝を容易に想像できた。

「それでね、乱暴をやめさせようって最初に言い出してまとめてくれたのがね、高田くんなの」

 高田くん、とは音也たちと同じクラスの高田哲夫のことだ。音也はそれを聞いても特に驚くことはなかった。

 もはや、何を聞いても驚くことはないだろう。

 自分が信じ込もうとしていた、揺るがないはずの現実が崩れて消えたのだから。

 ありえないはずの未来に、その現実に、日常に今いるのだから。

「で、音也くん……まだ退院できないよね?」

 真琴がおずおずと尋ねる。音也は少しだけ視線を下に向けて簡潔に言った。

「今の俺を見てくれ……」

 真琴は、そうだよね! と気まずそうに切り出した。

「唯我くんね……明日転校なんだ」

「…………は?」

 全身を電流のような痛みが走った。



 次に目を覚ますと傾いた太陽が室内を色濃く照らしていた。真琴から話を聞いた後、家族や医師にあれこれ聞かれ、疲れて眠ってしまったのだ。

 これまでにない身体の怠さに辟易としていると足元でガタッと物音がした。

「おい、コソ泥かよ」

 そこには病室から出ようとドアに手をかけた大門唯我がいた。

 唯我は本当に傷一つない、今までと変わらない姿だった。それを見ると音也は入院して動けなくなっている自分が大袈裟なようで少し恥ずかしくなった。

 唯我はバツが悪そうに振り返り

「コソ泥って最近聞かねぇなぁ……」

 と言った。

「聞いたよ、明日転校なんだって?」

 確認しながら音也はゆっくりと身体を起こす。さっきまで動かなかったはずなのに、こういう時、新人類というのはつくづく便利だと音也は思った。

「おう、急に決まったんだ。目ぇ覚めたって聞いたから挨拶しようと思ったんだけど……改まるとなかなか出てこないもんだな」

 唯我とは一ヶ月余りの仲でしかないが、間違いなく人生でもっとも濃く、重要で、楽しい一ヶ月だった。

「俺はお前に言いたいことが山ほどある」

 音也が唯我の方を真っ直ぐ見据えると、唯我は珍しく気圧されていた。

「な、なんだよ……」

「唯我、ありがとう」

 音也はベッドに座ったまま上半身を深く折り曲げた。

「お前がいなきゃ俺は一生あのままだった思う。俺自身の間違いを、他人のせいにして生き続けてた。だから、気づかせてくれたお前には本当に感謝してる」

 感謝の言葉に唯我は「頭上げろよ」と一言だけ言った。

「なら、またジュース奢ってくれ! またこっちに遊びに来るから」

 唯我の笑顔は差し込む夕日より眩しく、音也を照らした。





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