第22話 窮屈

 帝優は冷めた子供だった。

 親からは感情の乏しい、静かな子供だと思われており、帝自身もそれについて何も言わなかった。

 どうでもよかった。

 周りの人間が自分より劣っていることを知っていたから。自分より劣っているのだ。その評価が正しいとは思えない。

 周りの人間に出来て、帝に出来ないことはなかった。逆に帝にしかできないことは山ほどあった。

 自分が特別だとわかっていたが、自分よりも劣っている人間がチヤホヤされているのを見て、目立つのは面倒だと早くに悟った。

 小学生になると、周りに合わせ、溶け込むというのをゲーム感覚でするようになった。いかに自分の力を隠し、紛れることができるか。テストも運動も平均。コミュニケーションも浮かない程度にこなし、大人からの信頼もそこそこ。

 それは競争相手のいない帝にとって唯一の遊びだった。

 しかし、それも帝にとって難しいことではなくなり、飽きがきた頃。

「や、やめてよぉ!」

 同級生の男子一人が数人の女子に小突かれていた。女子たちは幼稚な罵詈雑言を男子に浴びせ、痛めつけている。

 ――なんで、上手くやれないかなぁ。

 それが帝の一番の感想だった。自分なら、ああならないよう上手く立ち回る。そんなに弱々しい声をあげても、相手の嗜虐心しぎゃくしんを煽るだけでやめてくれるわけがない。

 相手は学年カーストの最上位であり、やつらに逆らえば大勢の人間が敵になる。だから、誰も救わない。関わろうともしない。誰かに助けてもらおうなんて甘いんだよ。

 帝は心の中でそう吐き捨てた。自分なら救えるかと考えたが、面倒なことになると思ったのですぐに考えるのをやめた。

「壊すなら一瞬だけどなぁ」

 それからもいじめは続いた。興味はなかったが、女子たちの頭の悪い耳障りな声でいじめられている男子の名前が橋本だというのがわかった。

 側から見れば派手にしているように見えるが、女子たちは狡猾で、大人にだけはバレないように上手くやっていた。橋本が何も言わないのを良いことに見えないところでいじめを繰り返し、周りの傍観者たちに強制して、橋本が居ずらい雰囲気を作らせた。

 自分より程度の低い人間の作ったルールに従いたくなかった帝は同じクラスではなかったのも幸いし、上手く女子たちを躱していた。

 だが、ついに橋本を辱める話が回ってきた。帝にその話を伝えた男子も帝と同じくあまり目立ないタイプの人間だった。ということは、とうとう女子たちのいじめは学年全体を巻き込むまでに広がったということだろう。

 従う気などさらさらなかった帝は小学生になり初めて、目立つリスクのある動きをした。

「お前さぁ、強い方だろ」

 帝は橋本に言い放った。橋本はいつも、放課後は人気のない神社で泣いていた。

 困惑する橋本に帝は続けて言った。

「わかってんだろ。強いタイプと雑魚で全く違うの。あー、シンジンルイとかニュースで言ってたっけ」

 橋本は俯いてゴニョゴニョと喋り出したが何を言っているか聞き取れなかったので、帝は橋本の腹を蹴飛ばした。

「聞こえねぇよ」

 腹を抑えて咳き込む橋本に詰め寄り、帝は当たり前の事実を再確認させる。

「橋本、お前いじめられてるぞ」

 大人しかった帝の豹変ぶりに驚いて、泣くことすらできない橋本は戸惑いつつも言葉を発した。

「な、なんで僕がシンジンルイだって……わかったの?」

 橋本の質問に帝はため息を吐くと、賽銭箱の上であぐらをかいた。

「お前、傷とか全くないじゃん。あんだけやられて。ピンピンしてるし。あいつらは馬鹿だから気づいてなかったけど」

 だからこそ、橋本は学校に来れているし、いじめに耐えている。橋本からすれば小指程度の虫に体当たりされているようなものだろう。

 ここでは言わなかったが、帝が早々に気づけた一番の理由は、橋本と同じように能力を隠していたからだった。

「明日の学年全体でやるお楽しみ会の出し物決め、お前振られるから。そんでそれを女子たちが全力で否定してくるからそこで反抗しろ」

 公の場で揉めれば無能な大人たちも勘付くだろう。そこでイジメがやめば、俺が女子ザコたちの指示に従うこともなく、目立つこともない。後のことは知らん。

 橋本の反応は確認せず、帝は神社を後にした。

 翌日。

 事前に聞いていた通り、橋本に意見が求められた。

「何か意見があるのか? マサヤ」

 何も知らない教師が橋本の方を見る。橋本はゆっくり立ち上がると震えた声で言った。

「ビ、ビンゴとか……」

 決して聞き取りやすい声ではなかったが、普段の橋本からすれば、上出来すぎるほど声は通った。

 悪くない。

 帝は心の中で呟いた。公平な目で見れば否定されるほどおかしな意見ではない。むしろ良い。まともな感覚なら否定などそう簡単にはできない。

 だがそれは、あくまで相手が“まとも”である場合の話。

「ええー! ビンゴとかありえない! 絶対面白くない!」

「橋本くん、それはないよ〜!」

「他のにしようよー他の!」

 女子たちの声を合図にザワザワとほぼ全員が一斉に騒ぎ出す。仕組まれた状況、示し合わせた展開。帝は反吐が出そうだった。自分よりも程度の低い人間が支配している空間にいると気分が悪くなる。質の悪い、レベルの低い。くだらない人間たちが集まったところで、こんなクソを掃き溜めたようなものしか作れない。臭くて息もできない。

 全部壊してやろうか。

 よぎった考えをひとまず置いておく。まだ、終わっていない。帝は立ったまま小刻みに震えている橋本を睨んだ。

「ビンゴはないよねぇー! 橋本くんさぁ、ビンゴなしでいい? なしでよくない?」

 橋本はワナワナと口を何度か動かした後、頷いて座ろうとした。

教師が「まぁまぁ、そこまで言わなくても」と何の役にも立たない言葉を口にする。

 大きなため息が出た。

「――――ビンゴ良いと思うよ」

 教室がピンと静まり返る。その声に女子たちだけでなく、本人の橋本や他の人間たちも驚いており、キョロキョロと声の主を探している。

「は? 誰? 今の」

 リーダー格の問いに立ち上がったのはもちろん帝だった、

「俺だけど。つーか、誰が言ったかなんてどうでもいいだろ」

 女子たちの非道を知っている周りはその言葉にざわつく。そのどよめきの中、帝は一瞬だけ橋本を睨みつけた。

『お前が反抗してりゃこうはならなかったんだよ』

 橋本は金縛りにあったかのように動けなくなる。そこで初めて、帝優という人間の本質、その片鱗に触れる。絶対的強者、圧倒的恐怖。敵うことのない生物としての格。

「ないない、ビンゴとかないでしょ! 急に出てきて邪魔しないでよ」

「なんで? いいじゃん、ビンゴの何がダメなの?」

 教室が異様な空気に包まれる。鈍感な教師もこれには流石に勘付き、下手な掛け声でその場を仕切り直そうとする。焦ったのか、帝の行動をやめさせようと背後の女子が消しゴムのカスを飛ばしてきた。帝はわかっていて、あえて避けなかった。

「なんでダメなの?」

 しかし、帝は許さなかった。自分に楯突く者を。帝の圧に視線を逸らせない女子はやがて顔を真っ青にして泡を吹いて倒れた。

「キャァァァァァァァァ!」

 教室が騒然となる。お楽しみ会の話をできるような状況ではなかったので、結局その場は解散となり、後日決め直すことになった。

 これでもう帝が以前のように紛れることは不可能になった。

 放課後、昨日の神社に腹を押さえてうずくまる橋本とそれを見下ろす帝の姿があった。

「なんかうまく伝わってなかったみたいだな」

 帝は橋本の背中に腰掛けると冷たい口調で言った。

「俺は頼み事をしたんじゃない。決め事をしたんだ。お前にやらない選択肢なんかなかったんだよ」

 腹を踵で蹴り上げると帝はつまらなそうに空を見上げた。

「まぁいいや。もうのも飽きてたし」

 翌日、学校に行くと帝に近づくと呪われるという噂が流れていた。当然、事実無根だがあの場で泡を吹いて倒れる女子を目撃した児童たちはほとんどがその噂を信じていた。

 しかし、それは帝にとって驚くようなことではない。今まで平均で目立たなかった人間が突然、女子たちに歯向かったのだ。気味が悪いと思うのも無理はない。

 元々、仲の良い人間もいない。そんな噂はどうでもよかったが、とりあえず、帝にはやっておくべきことがあった。

「ゃ……っ」

 一人の女子の首根っこを掴んで死角に引き摺り込むと、壁に叩きつけた。帝は手元にある一つのゴミを見せつける。

「二度とするな」

 それは帝の背後から投げられた消しゴムのカスだった。帝はそれを女子の口に無理矢理ねじ込むと声を出さないように口を塞いだ。

「次はない」

 女子は涙を浮かべながらも必死に頷く。以来、その女子生徒は帝の前で笑わなくなった。

 次の学級会、ビンゴに文句を言うものは誰もいなかった。橋本へのいじめがなくなることはなかったが、全員を巻き込むものはなくなった。

 それから帝は少しずつ頭角を現す。

 急に上げると目立ちすぎるので、運動も勉強も少しずつ成績を上げていき、クラス委員や行事にも積極的に参加するようになった。

 好き勝手幅を利かせていた女子たちも帝には表立って反抗してこない。帝にはそれをさせない圧があった。

 一年もすれば、それが当たり前になり、誰も文句を言わなくなっていた。これも遊びに近い感覚でこなしていた帝だが、紛れるよりは自分に合っていると思った。紛れるのは楽だが、自分より下等な人間の支配する空間にいることは、帝にとって思った以上に苦痛なものだったから。

「あ、あの……」

 ある日、帝は橋本に話しかけられた。あの件以降、一度も話したことはなかった。

「放課後……○○公園に来てくれないかな?」

 そこは学校からそう遠くない公園だった。だが、遊具もほとんどなく、広くもない。今時、小学生でもほとんど使わないようなつまらない場所だ。

「来てくれませんか?」

 無言の帝に焦ったのか、口調を変えて頼み直してくる。何か裏があるかと疑ったが、橋本にそんなことはできない。そこまで頭の回るタイプではない。

 それにやけに嬉しそうな様子だった。興奮を抑えきれないといった感じで、女子たちに何かを命令されているというわけでもないだろうと推察した。

 了承すると橋本は嬉しそうにその場を立ち去った。初めて、ほんの少しだけ興味が湧いた。橋本がどういうつもりなのか。仮に何か罠があったとしても問題はない。そうだったら二度とそんな真似ができないようにするだけだ。

 放課後、帝は公園にまっすぐ向かわず、一時間ほどテキトーに時間を潰した。その行動に特に意味はなかった。

 日が落ち始めた頃、ようやく公園に着いた帝が目にしたのは。


















「お前、何してんの」


























 そこには拳を血まみれにした橋本が恍惚とした表情で立っていた。橋本の前にはいじめの主犯である三人の女子が倒れている。

「あ、帝くん」

 橋本は帝の姿を確認すると嬉しそうに女子たちを見下ろした。

「帝くんが見せてくれた手本通りだね。最初からこうすればよかったんだ!」

 返り血で汚れた橋本は声を弾ませた。女子たちはピクリとも動かない。

「僕って強いんだ! もう、なんでこんなやつらにいじめられてたんだろ!」

 完全にハイになっている。まともな思考回路じゃない。

「――――お前何してんの?」

 帝は怒っていた。自分が巻き込まれる可能性のある距離での予期せぬ愚行。帝はこの時、初めて平穏を望んでいたのだと自覚した。

「ひっ……」

 帝の目を見た橋本は突然怯え始めた。まるで蛇に睨まれたカエルのように。さながら、肉食獣に目をつけられた草食動物のように逃げ出す。

 帝は一瞬で橋本との間合いを詰めると顔面を思い切り地面に叩きつけた。

「お前も、お前以外も変わらねぇよ。みーんなクズだ」

 その時、悲鳴が聞こえた。

 振り返ると偶然通りがかったであろう女性がその血生臭い光景を目にして驚いていた。女性がどこかへ逃げ出すと、帝は動かなくなった橋本の上でぼんやり空を眺めていた。

 少しして警察や周りの住人がやってきて、帝は取り押さえられた。帝は抵抗しなかった。

 ただ、喧しい人間たちの声に帝は確信するのだった。

 この世界は下等種族たちのための世界だ。

 この世界はどうしようもないほど他人のためにできている。誰かにとっての他人。いるかもしれない、いないかもしれない他人。

「くだらねぇんだよ……全部」

 少なくとも、その他人の中に帝や新人類たちは含まれていない。

「ぶっ壊してやるよ、こんな世界」

 後からの現場検証と橋本や女子の証言で帝は何もしていないことがわかったが、帝はその件について何も口を開かなかった。帝は橋本や女子たちがどうなったのかを知らない。もう知ることはない。

 帝優という人間はその時、帝優として生まれ落ちたのだ。




 光が収まった。

 帝が出したエネルギー波によって発生した煙幕が徐々に晴れてくる。

「はっ、ハハッ! ははははははははははははははははははッ! 跡形もなく吹き飛んだ! 残念だったなぁっ! 最後にみっともねぇ姿、拝みたかったんだが…………」

 煙幕が晴れると、帝は目を見開いた。

「お前はマジでなんなんだよ」

 そこには音也を守るようにして立っている唯我の姿があった。




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