王(ワン)

 戦力において圧倒的に劣るライラ共和国が帝政レソン相手に善戦できている理由の一つとして、かねてよりこの戦争が起きる日を見越し、ロベの地下鉄を迷宮化していた点が上げられる。

 ただ人々の足とするには過剰なほど複雑に張り巡らされた各路線は、ロベ市街の各所へと通じており、しかも、砲撃などで破壊することは不可能なほど頑強な造りをしていた。


 ライラ共和国軍の基本戦術は、この地下鉄網を使い、市街各所からゲリラ的な攻撃を仕掛けることにある。

 ベトナム戦争が最たる例であるが、圧倒的な戦力を誇る大軍ほど、このような攻撃には弱いものだ。

 心理と物理、両面から足元を突き続けることにより、共和国はレソン軍の前進を阻んできたのである。


 そして、そういった地下からのゲリラ攻撃を成立せしめているのは、地下鉄網の各所に建設された地下壕の存在だ。

 軍隊が作戦活動を行うのには拠点というものが必要不可欠であり、それら地下壕は今日までその役割を果たしてきたのである。


 第二〇三地下壕は、そんな地下壕の中でも最大規模を誇るそれであった。

 いや、これはもはや、秘密基地と称した方が実態に近いか……。

 内部には、数千もの人間が暮らせるほど広大な空間と各種設備が整っており、物質も相応の量が備蓄されている。

 しかも、ここからアリの巣がごとく張り巡らされた地下道の大半は地図に載っていない代物であり、中には出入り口が巧妙に偽装された道や、ダミーとして行き止まりに辿り着く道も存在するのだ。


 それらを駆使しての攻撃は、まさに神出鬼没。

 パイロットの話によれば、レソン軍の戦人センジン小隊はビクビクと震えながら哨戒を行っているらしいが、この事実を考えれば、案外大げさな話でもないだろう。


 そんな地下壕内に存在する、整備ドック……。

 数十機のトミーガンが立ち並ぶ中で、一際異彩を放つ区画があった。

 ドックの壁際を用いたそこはビニールシートで仕切りがされており、外から内部の様子を伺うことができない。

 第二〇三地下壕という秘密基地の中において、文字通り秘密のベールに包まれた一画を見て、整備士の一人が面白くなさそうに鼻を鳴らす。


「どうしたんだ? 『小学校』の方なんか見て」


 仕切りがされた区画の通称を言いながら声をかけたのは、彼と同期の整備士であった。


「いや、面白くないなと思ってさ」


 不満を隠さず口にできたのは、同じ想いを抱く同士であろうと確信しているからである。


「あの新型……タイゴンって名前だっけ?

 ここのドック使っといて、俺らには見せない触らせないってのは、どういう了見なんだか」


「ああ……」


 吐き捨てるように言った言葉へ、同僚がうなずく。


 ――タイゴン。


 マスタービーグル社が製品アピールのため、専属パイロット共々送り込んできた新型機の名前であった。

 特徴的なのは、趣味的にすら感じられる格好良いデザインだ。

 まるで、大昔のカートゥーンから抜け出してきたかのようなあの機体を見た時は、プロのメカニックとして大いに心踊ったものである。


 しかし、実際はこうだ。

 仕切りがされた向こう側はマスタービーグル社専用のスペースとなっており、整備も補給も全て、同社が派遣したスタッフによって行われていた。

 それは、この道のプロにとって屈辱的な扱いなのだ。


「確かに、戦果は抜群だぜ。

 でも、戦場で扱う機械ってのはそれだけじゃいけない。

 現地での整備性ってやつも、実際に現場のスタッフが触って確かめるべきじゃないか?」


「まあなあ……。

 それに俺は、あのワンっていうチーフも気に入らないね」


 うなずいた同僚が、マスタービーグル社から派遣されたチーフの名を口に出す。


「ああ、どうにもうさん臭い人だよな」


 名が出た人物の顔を思い浮かべながら、うなずいた。


「まず、名前からして偽名だよな。

 ワンっていうのは、中国系の名前だろ?

 あの人のどこに、アジア系の要素があるんだよ」


「それに、いつもサングラス付けてるしな。

 別段、視力に問題があるわけでもなさそうだし、顔をごまかしたい理由でもあるのかね」


 今は手が空いていることもあり、そのような雑談に花を咲かせる。

 しかし、他人の噂話というものは、往々おうおうにして噂の本人を呼び寄せるものだ。

 そして、その法則は今回も適用されたのである。


「やあ、僕の話かな?」


 背後からかけられた声に、同僚共々固まった。

 振り向くと、そこに立っていたのはド派手な赤いスーツを着た男である。

 輝く金髪は、少々ラフな形で整えられており……。

 スキのない立ち振る舞いと、全身から漂う野生臭は、男が戦場を住み処にする人種であることを直感させた。


 その証拠といえるのが額に刻まれた古傷で、果たしていかなる理由でついたものなのか……想像することもできない。

 顔つきはおそらく――美男子。

 そうであると断じられないのは、男が分厚いサングラスをかけているからだ。


 見るからに、怪しい。

 見えている要素の全てを、ウソで塗り固めているような人物なのである。


「こ、これはチーフ殿!」


「い、いえ! 自分たちは!」


 マスタービーグル社の社員に向けて、慌てて気をつけの姿勢を取った。

 民間から出向するのに合わせ、共和国は彼に中尉相当の待遇を与えている。

 いち整備兵に過ぎない自分たちが陰口を叩いていたと知られれば、修正されたとしても文句は言えないのだ。


「そう、かしこまる必要はない。

 貴国への兵器供与を見返りとして、好き勝手にしている自覚はあるつもりだ」


 しかし、男――ワンの態度といえば、やわらかなものであった。


「そして、これはあくまで僕個人の見解となるが……。

 貴官らの腕前に関しては、全幅の信頼を置いている。

 この地下壕は実に優れた施設であるが、それでも、地上に置いた場合の基地と比べれば不足がいくらでもある。

 にも関わらず、共和国の戦人センジンが帝政レソンを押し留められているのは、ひとえにこれを預かる貴官らの腕が優れているからだ」


 どころか、そうとまで言い切ったのである。

 淀みなくすらすらと紡がれる言葉は、それが本心からのものであると思わせる説得力があった。


「いや、そんな……」


「自分たちは、任された仕事を精一杯にやっているだけですから……」


 だから、同僚共々に照れた態度を見せてしまう。

 第二〇三地下壕という閉鎖空間において、整備士という裏方をきちんと評価してくれる者は少なく……。

 マスタービーグル社という、軍需産業の最先端で働く人間から褒められるというのは、思いのほかに嬉しいものであったのだ。


謙遜けんそんする必要はない。

 そして、貴官らの腕前を認めた上で、詫びよう。

 僕としても、現地の兵に触れてもらうことで得られるデータは貴重と考えているのだが、上の人間が納得してくれないのだ。

 あのタイゴンという機械は、専属のパイロット含め、デリケートな存在なのでね」


「ああ……」


 同僚と顔を見合わせ、うなずく。

 マスタービーグル社の代表製品といえば、この地下壕でも見慣れたトミーガンを置いて他にない。

 そして、生産性を重視した結果、多少劣悪な環境でもものともしない頑丈さと整備性を獲得するに至った同機に比べると、あのタイゴンという機体は見るからにデリケートな機体であった。

 それこそ、専属パイロットとして機体共々送られてきた、あの三人と同じように……。


 ――ピピピピピ。


「――む、いかんな」


 そんな風にしていると、ワンの腕時計から電子音が鳴り始める。


「会議が何かですか?」


 多少なりとも打ち解けた気安さからそう尋ねると、彼は笑みを浮かべながら首を横に振った。


「いや、クッキーが焼き上がる時間さ」


「は……?

 クッキー、ですか?」


 この整備ドックとあまりにかけ離れた単語へ、間抜けな声でそう聞いてしまう。


「ああ、出来合いの菓子でもいいのだが、あの子たちは僕の作るおやつを好いていてくれてね」


「はあ……」


 仮にも、この第二〇三地下壕は最前線だ。

 こうしている今も、遥か頭上では敵の戦人センジンが歩いているかもしれないのである。

 それを思えば、お菓子作りというのはあまりにのん気すぎる行動と思えた。

 ゆえに、どのような言葉を返したらいいか分からず……。


「お菓子作り、得意なんですか?」


 とりあえず口をついて出たのは、そのような言葉だった。

 そんな自分に対し……。


「ああ、得意分野だ」


 ワンという男はそう言い残し、颯爽さっそうと『小学校』の方へ歩き去ったのである。


「やっぱり……」


「……変な人だ」


 同僚と顔を見合わせ、そんなことを言い合った。

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