第3話 魔王、帰す


 魔王に対してのこの緊張感の無さ。


 本来なら死への恐怖や危機感がひしひしと伝わってくるものだと思うんだけれど。


 というか、そういう物だと思ってたんだけれど。


「わぁ、この素材はなんですの? すごく硬くて王城でも見たことがありませんわ」

「あー、それは大魔石って素材で、死地の一部の地中深くに……」


 なんでこんな説明してるんだ?


「って、そんなことはどうでも良いのだ。とりあえずお前は私の目が届くところで軟禁させてもらう。お前が自由に出入りしてもいいのはお前の部屋があるこの大広間と、左の植樹庭のみだ」

「……えっ?」

「な、なんだ? まだ何か言いたいことでも……」


 俺はまた変な圧を掛けてくるのではないかと少々ビビ……っているわけではない。


 とりあえず何か不満を垂れるならそろそろ魔王の威厳を見せつけてやらねばな、なんてことを思っていると、王女セイリンはぽけーっと俺を見つめた後、一度ガラスの先の植樹庭を見て、ゆっくりと口を開く。


「そんなに、自由な空間があってもいいのです?」

「……え?」

「いや、軟禁と言われましたので、きっと私の部屋からは一歩も出てはいけないと言われると思っていましたので……なんというか、意外でしたわ」

「あぁ、そうか。そういうことか」


 あ、あっぶねぇ。


 さっきの圧で『この魔王城全部を出歩けるようにしないと嫌ですわ!』なんてこと言われたら断れねぇよ。


 だが、それ以上に、こっちが誘拐して人質にしている身なのだ。


 そんな彼女に厳しい生活をさせるのは俺の魔王ポリシーに反する。

 それに、よく見ると確かに王城からそのまま転送してきたカーペットの上から一歩も出ていない。


 ちょっとおかしなやつだが、そこらへんは人質としてはきちんとした振る舞いなのだ。


「それと、ボル様?」

「今度はなんだ」

「私をずっと見ているだなんて、恥ずかしいですわぁ……そんな愛の告白紛いなことをされてしまったら私ぃ」

「うん。わかったもういい。もういいから。適度に見ることにしますからその顔を赤く染めて体くねらせるのやめてください」

「えー。どうしてですのボル様ぁ……」

「どうしてもこうしても無い。とりあえずやめろ」


 曲がりなりにも一応セイリンは美女なのだ。


 それはもう、今まで見た中で断トツとびっきりに。


 だからこそ困る。蕩けた表情なんかされながら近づいてこられたらすごく困る。


 この空間から逃れたかった俺は、捲し立てるように言った。


「俺は夕食を作ってくる。さっき言った場所以外に行かなければ好きにしろ」

「えー。私を見てくれませんのー?」

「見ない!」


 俺は速足で大広間を出た。


 一応、外からの侵入者にも対策を講じるために、魔力結解を張った。


 この結界を破れる実力を持った者のみが出入りできるシステムだ。

 そして、魔王である俺が張った結界と言う事は実質、俺か、いつか現れるであろう勇者にしか出入りは出来ない。


 一応、これでも魔法に関してはそこそこ自信があるのだ。


「それにしても、夕食何にしようかなぁ」


 昼間のように王女様の口にあう物が果たして俺に作れるのか。その不安だけが厨房に向かう俺の心に残っていた。




 なんか意外と食ってくれた。


 大広間に設置していた長机の俺の真向いの席に座る王女セイリン。


 セイリンはふぅ、と少し艶めかしくも感じられる吐息を漏らしながら、ぷるりとした口元をナフキンで拭っていた。


「すごくおいしかったですわ。わたくし、王城ではあまり暖かいご飯を食べたことがありませんの。毒見だったり、面倒くさい作法だったりしきたりだったりのせいで、せっかくの料理が冷めてしまっていましたの。

 けれども、ボル様の食事はどれも暖かくって、すごくおいしかったですわ」


 セイリンの顔は嘘を塗ったようなムラのある表情ではなく、本心からそう思ってくれていると一瞬で理解できるほどの純粋な笑みだった。


 特徴的な縦ロールがふんわりと揺れる。風に乗って幸せがお裾分けされるような、体験したことのない不思議な感覚だった。


 誰かから、こんなに感謝されたのはいつ振りだろう。なんだか、すごく感慨深い。このまま表情を緩ませて、のんびりと彼女の言葉に浸っていたいところだが、俺は魔王。


 魔王として矜持と、責任、そして仕事を忘れてはいけない。


「それはどうも。……それと俺は魔王として、人質であるセイリン、お前にいくつか質問することがある」

「っ…………」


 それは、俺が王女セイリンを人質にした最大の理由であり、これから魔王軍にとって最も有益な情報になりうるものだ。


「もし、嘘の吐けばその首が飛ぶ。本気だ」


 有無を言わせないように、それなりの威圧を掛けながら俺は懐から一冊の本を取り出す。


【悪魔教典】


 下位悪魔から、中位悪魔、そして一部の上位悪魔を対価と引き換えにその能力を使用することが出来る特別な魔導書。


 代々の魔王に受け継がれてきたもので、魔王という立場を得たものにしか使うことが出来ず、そうで無いものが使えば悪魔たちに魔力を吸い尽くされ、命を落とす。


 ちなみに悪魔と契約を交わすときは魔力が一般的だが、一応代償となるに相応しい物なら大抵のものが契約に用いることが出来る。


 そして、今回契約するのは中位悪魔の【フラウロス】。


 この悪魔は俺が知りたいこについて、必ず嘘の結果を俺にもたらす。


 王女が俺の質問に答えた後、王女が嘘を吐いたかどうかを【フラウロス】の力を使って調べる。そして、『嘘を吐いている』とその力が言うならば、本当のことを言っている。


 その逆に、『本当のことを言っている』と【フラウロス】が言えば、王女は嘘を吐いたという事だ。


「さぁ、それじゃあ始めようか。それと再三言うが、嘘を吐くのは得策ではないぞ。それでは一つ目の質問だ。まず、伝説の一振り【ホーリーソード】はどこだ」

「え、あれはもう国中で使われてるものですわよ……?」

「うぅん……」


 そう言えばそうだった。これまでの魔王のテンプレ質問をまとめたカンニングペーパーを読んだものだから幸先の悪いスタートを切ってしまった。


 それにしても一振りで大地を分断させると言われたあの【ホーリーソード】を量産ってかなり馬鹿の所業じゃないのか?


 しかも、一般家庭にも普及しちゃったら一回野菜切るたびにまな板真っ二つ案件じゃん。今思えば結構世紀末だなおい。


「じゃ、じゃあ気を取り直して。現国王の寝室と所在地を……」

「お父様の寝室は王城の最上階すべてですわ。そして、書斎も最上階にあってもしも魔族の侵略があった場合は王城の地下にシェルターがありますので、そこに避難すると思いますわ。それとお母さまはも寝室は同じで、三人いる妾はすべて三階に部屋がありますわ。そして、わたくしの兄妹の部屋はわたくしと同じ階に固まっておりまして、従者たちは…………」


 そうして止まることなく自分の国であるはずのフェリエス王国の内情やらここを攻めればいいやら、絶対に魔王に教えてはいけないはずの情報を丁寧に一つ一つ、顔色変えずにすべて言ってのけた。


 確かに俺は国王の寝室と所在地を聞いただけだったような気がするんだけど?


「他に何かご質問はありまして?」


 何食わぬ顔でそう俺に問うセイリン。悪魔の力を使っても、嘘は一つも発見できなかった。なんか悪魔フラウロスに払った魔力が勿体無く感じてきたんだが。


「……………一つ聞こうセイリン。な、何で全部言っちゃってしまった? え、それダメな奴じゃないの? え、俺の常識がおかしいの? え???」

「いいえ? ボル様は何一つおかしくありませんわよ? 先程の情報が一つでも私から漏れたと分かれば、娘だからとか王位継承権1位だからとか関係なく打ち首レベルですわっ♪」


 俺が入れた紅茶を穏やかに飲みながらとびっきりのえみで言ったセイリン。絶対とびっきりの笑顔で言ってのけることじゃねぇ……。


「は、え、じゃ、じゃあなんでそんな情報を……」

「あ、そういえば最初に言っておかなければいけないことを言うの忘れてましたわ!」

「な、なんだ」


 もしや、と今度こそ身構える。

 勇者が現れたのか。はたまたそれとも何か新しい兵器でも開発したのか。ホーリーソードを量産するくらいだ。そのどれであっても、きっとこちらにプラスなことではない。


 人道的ではないが、いざとなればこの王女を使って……。


「この情報を教える代わりに、わたくしと一緒に魔王城で暮らしてほしいんですのっっ!!」

「……………………は?」


 コイツはナニをイッテイルンダ?


 俺の脳が、脳細胞の一つ一つが理解にもがき苦しんでいる。もはや脳が処理するのを諦めかけるほど人知を超えた言葉の羅列。


 そんな中でも必死に言葉の一つ一つを処理して、かみ砕いて、理解していく。


 そして、すべてを理解する前、追い打ちを掛けるように王女は再び口走った。


「というのもわたくし、貴方に……ボル様にめちゃくちゃ惚れてしまいましてよ!! 一目惚れってやつですの?! それはもうとんでも無いほどに! 例えるなら……そう! 大好物の魔鳥の丸焼き以上、いえ、そんなもの比べ物にならないくらいに深く深く惚れてしまいましたの!!!!!」

「……………………」


 惚れ度の物差しが食べ物なのはまだ許そう。だけど魔鳥って一応魔族なんだが。知能は無いけど一応魔王である俺の味方なんだが。


 そんなことはつゆ知らずな様子で、セイリンは頬をポッと赤く染め、唇をかみしめている。体はプルプルと震え、それにつられて純金のような輝きを放つ縦ロールがゆっさゆっさしていた。


 俺は王女様に近づく。サファイヤのような色の大きな瞳が潤み、頬が先ほどよりも上気する。


 それはまるで、唇と唇が重なり合う、愛の証明を待つ乙女のような表情で。


 そういうこと、か。


 俺は、一歩。また一歩と、向かいに座っているセイリンに近づいていく。


 俺は全てを理解するのが遅かった。もう少し早ければ、と今更ながらに後悔する。


 俺が真横に立つと、セイリンは意を決したように、きゅっと目を瞑った。


 そんな今にも蕩けそうな王女の体に俺は触れ、顔を近づけ、そして──一瞬で王城の所見の間へ飛び、そして一瞬で王女を返して魔王城に戻ってきた。


 途中で「え、あっ、ちょっ――」って聞こえたけど多分幻聴。


 一瞬で戻ってきた魔王城の冷えた空気を肺一杯に吸い込み、そして、吐き出す。


「うん。とんでも無い奴人質にしてしちゃってたぁ……」


 なんでもっと早く気付かなかったんだろう。ああいう奴ほど危険思想を神格化させて狂人になっていくタイプだ。人質の人選完全にミスしてたわ。


 俺はのっそりとした動きで玉座に戻り、どかっと腰を掛けながらため息を吐いた。


「ふぅー。…………新しい人質、どうしよ」

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