第8話 だから、来てほしくなかったの

「……こっちに戻ってこい!」

「いででででで」


 千切れるかと思うくらい木陰に耳をおもいきり引っ張られ、一心は現実に帰還した。


「俺は一体何を……グハアッ」

「漫画のキャラしかしなさそうなリアクションしなくていいから。旭を遠くから見ただけで胸を抑えるなんて大袈裟」

「だって……だって。旭だよ? 旭なんだよ? 俺の大好きな女の子が巫女服着てるんだよ? しょうがないじゃん」


 一心がこうなるのも必然であった。

 遠くからでも分かる。夜鶴は意識を失ってしまいそうなほど可愛いと。


 巫女服は上の部分は真っ白だ。それが、夜鶴の素晴らしい黒髪と対をなし、絶妙な魅力を放っている。

 顔は言わずもがなで、総評とんでもなく似合っている、と一心は見ているだけで胸が痛くなった。


「くっ……私の時はそんな反応しなかったくせに。これが、本気度の違いか」

「ありがとう。ありがとう。俺に旭のレアな姿見させてくれて。雛森は本当に神様だな」

「あー、もういいよいいよ。それより、早く会ってきなよ」

「……今の旭に会いに行く、だと?」


 ごくり、と唾を飲み込んで一心は木陰に確認する。木陰は何を大袈裟な反応しているんだこいつは、と冷めた眼差しを向けていた。


「行っておみくじ買ってきなよ」

「むりむりむりむりむり」


 手をブンブン振りながら一心は後退さる。


「いつもは引くぐらい前向きなのになんで今日はまたそんな後ろ向きなの?」

「だって、あんな旭を直視したら失明しちゃう!」

「しないよ? 旭は光属性の魔法なんて使えないよ?」

「最悪、昇天して死に至ってしまうかもしれない……」

「死なないよ? 旭は呪い攻撃なんて使えないよ?」


 色々と理由を口にする一心だが、本音は緊張して会いに行けない、だ。一心は夜鶴に好きだの愛してるだの口にして伝えることが出来るが何も感じていない訳ではない。

 手に汗をかいて緊張もするし、嫌いと言われたらどうしようと一抹の不安だって抱いている。

 それでも、そんな緊張や不安よりも好きという気持ちが上回り玉砕覚悟でぶつかっているだけなのだ。


 だから、今の夜鶴を近距離から直視すれば間違いなく緊張で上手く言葉が回らなくなって変なことを口走ってしまうかもしれない。

 一生巫女服のまま過ごしてください、とそうすれば一心は夜鶴に近付くことさえ出来なくなるというのに欲望を。


「変にうじうじしてないで早く行ってきな。あと、三十分もすれば旭の勤務終わりだし、今日で最後だから明日後悔したって遅いんだよ」

「うう、でもお……」

「いいから、行ってこい。行って旭のこと目に焼き付けて、貢げ」


 木陰に背中を押された一心は一歩前進する。

 振り返れば木陰は親指を立てていた。

 早く行って貢いで来い、という無言の圧力だろう。


 確かに、木陰の言う通りだ。

 夜鶴の巫女姿を見れる機会なんてそうそうあるものではない。もしかすると、今日が生涯の間で最後になるかもしれない。


 それに、何よりもこの場に踏みとどまってうろうろしているのは一心らしくない。


「うん、行ってくるよ俺。だいたい、俺の旭の可愛い姿を他人は間近で見てるってのに将来の夫である俺は見れない、なんてあってたまるか!」


 一心は駆け出した。

 もし、夜鶴を見て失明しても死んでしまっても夜鶴を見られたのだから悔いはない、という自爆覚悟で。


 おみくじの購入方法はシンプルだった。

 おみくじが沢山入ったケースが外に並べられ、客はそこからおみくじを自分で取って正面にいる巫女さんにお金を渡すという方法。


 一心はおみくじの種類も値段も見ずに一つ選ぶと夜鶴の列の最後尾に並ぶ。スムーズに人が減っていき、その時はすぐにやってきた。


「ありがとうございました。次の方どう――げっ」


 夜鶴が頭を下げている間に一心は中と外を分け隔てる壁の間近まで近付き、ニコニコ顔を浮かべた。


「これください!」


 やっぱり、無理だった。遠くからでも圧倒的可愛さで気を失ったというのに手を伸ばせば夜鶴に触れられる距離で直視するのはあまりにも危険すぎた。息苦しい。

 それでも、一心は必死に緊張を圧し殺すために満面の笑みを浮かべる。


 そんな一心の心情も知らず、夜鶴は嫌そうな表情になった。巫女姿を一心に見られたくなかったのだろう。

 夜鶴の顔に絶対的な異常とまでの好意を抱いているのだ。そんな一心がどんな反応をするのかは夜鶴は恐ろしく感じているのかもしれない。


 それでも、社交的な笑みを浮かべる夜鶴を普段からバイトしている一心は尊敬に値する立派な女の子だと感じた。


「一つ、三百円になります」

「どうぞ」


 百円玉を三枚夜鶴に渡す。

 その際、一心はあえて夜鶴の手に触れた。

 身体的接触はなし、と夜鶴から言われているためこんな些細な触れ合いしか夜鶴と出来ないのだ。今は。

 ――早く付き合って手繋ぎデートしたい。思う存分抱き締めたい。

 しみじみとそう思った。

 だから、一心は少しでも夜鶴に触れようとしてさらに六周した。列から出ては並び直すを繰り返した。


 さすがに、七周目ともなると夜鶴もイライラとし始めたのだろう。


「お客様。お金はこちらに置いてください」


 接客用の作り笑顔で机をトントンと叩く夜鶴に一心は叱られる羽目になった。



 夜鶴の退勤時間まで一心が馬鹿みたいに周回していればいつの間にか木陰の姿が見えなくなっていた。

 代わりにメッセージが一件届いてあり、入り口に戻って待っててとのことだった。


 書かれるがままに入り口に戻り、一心は視界に焼き付けた巫女さん姿の夜鶴を思い返してニヤニヤしながら待つ。

 しばらくすれば、巫女服から着替え、振り袖姿に着替えた木陰が何かから逃げるように一心の背中に隠れた。


「ちゃん説明して!」


 木陰のすぐ後にこちらもまた巫女服から着替え、振り袖姿になった夜鶴がやって来た。

 顔はご立腹で何やら怒っている様子だ。


「なんで、日野が居るの」


 怒っている内容は一心が神社に居たことらしい。


「まあまあ、そんな怒んないでよ。旭も日野と久し振りに会えて嬉しいでしょ?」

「嬉しくない!」

「うわぁ、残酷……旭、可愛くないよ? 好きって言ってくれる相手にそんな酷いことは言うもんじゃないよ?」

「こーのせいでしょ!」

「いけえ、日野ガード」


 かなり、お怒りの夜鶴から身を守ろうと木陰に背中を押され、一心は壊れたロボットのようにぎこちなく足を動かす。

 変な動きをする一心に夜鶴も木陰も首を傾げる。


「どうしたの、日野?」

「旭に酷いこと言われて傷付いた?」

「だから、それはこーのせいでしょ。だいたい、本音じゃ……ないし」

「へえ~ふぅーん。そぉーなんだ~。よかったね~日野」

「いい加減にしないとぶつよ、こー」

「きゃー、こわいこわい」


 一心の周りを夜鶴が木陰を追い掛けてグルグルと駆け回る。

 それでも、一心は何も反応しない。


「……ねえ、日野が何も反応しなくなったんだけどこれ大丈夫? 旭、確認してよ」

「う、うん。おーい、日野ー。大丈夫?」

「目の前で手を振ってるだけで反応するはずないでしょ。もっと、積極的にいかなきゃ」

「なんで、私がそこまでしないと」

「だって、旭のせいで傷付ついて心を閉ざしたかもしれないんだよ。救うのも旭しかいないでしょ」

「わ、分かったわよ。えーっと、さっきのは本当に本音じゃないから……その、日野と久し振りに会えてちょっとだけ……ほんのちょーっとだけ嬉しいから」

「言葉だけじゃなくて手でも握ってあげなよ」

「……日野、お手!」

「ワン!」

「なんで!?」

「……は? 俺は何を――ああああ可愛い。旭可愛い!」

「「はあ?」」


 一心は夜鶴の手のひらにお手をしたまま叫び、夜鶴と木陰は同時に首を傾げた。


「え、なに。日野は旭の姿見てまた気を失ってたの? さっきみたいに?」

「だって、旭振り袖着てるんだよ? 紺色がメインの大人びた振り袖だけど、髪型には飾りがあって可愛いしもう……最高。最高に可愛い。もう好き!」

「あーもう、やっぱりこうなった。だから、日野には来てほしくなかったの。大袈裟に褒めてくるから」


 夜鶴は頭を抱えて、本気で嫌そうにする。


「だって、事実だから。旭は可愛い。世界一可愛い!」


 久し振りに夜鶴と話すことが出来ただけでも嬉しいというのに巫女姿に加えて振り袖姿の夜鶴まで視界に焼き付けることが出来たのだ。

 一心の情緒が可笑しくなったところで何ら不思議ではない。


「……いやあ、日野にいい思いさせてあげようって思って気軽に誘ったけど……誘わない方がよかった?」

「分かったでしょ。日野はね、こーが思ってる以上に私に本気なの」

「それ、旭はどういう心境で言ってるの?」

「嬉しいを通り越して迷惑してる」

「付き合ったら毎日好きと可愛いと愛してるは伝えていくから今の内に慣れよう、旭」

「慣れたくない。てゆーか、いつまでお手してるの」


 夜鶴が手を引っ込め、一心の右手は空を切った。


「うーむ、クリスマスイブを共にしてかなり距離が近付いた認識でオッケー?」

「オッケー!」

「ノッケー!」


 どうやら、夜鶴からすればまだ全然距離が近付いていないらしい。

 これから先、もっと夜鶴との距離が隙間なく縮まっていくのかと思えば一心は悲しむどころか喜びの気持ちの方が強く芽生えた。


「息ぴったりじゃん」


 ワクワクと目を輝かせた木陰が面白いものでも見るように一心と夜鶴を注目していた。

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