Chapter.36 来ちゃった

「おかえりなさい、タクヤ殿!」


 その日、気難しい顔をして俺が帰宅すると、セシリアは普段通りに、それどころか妙に上機嫌で、玄関まで出迎えに来てくれた。


 相変わらず飼い主の帰りを心待ちにする大型犬のような態度でほっとする。

 同時に、今日は話をしないとな、と思う。


「セシリア、話したいことが……」


 そこまで言いかけて言葉を止めてしまった。

 どうもセシリアと目を合わせることが出来なくて、俯いていたからこそ目敏くも気付くものがあったのだ。


「……これ、誰の靴だ?」

「トーキマスが来てくれましたよ!」


 ――その言葉に、弾かれたように面を上げる。

 と、丁度よくリビングから廊下へのそりと姿を表した見覚えのあるその人影に、俺は「マジかよ……」と乾いた笑みを浮かべる。


「来ちゃった」


 平坦な声とハシビロコウみたいな無表情。やぼったいローブにとんがり帽子。ザ・魔女といった出立ちに合わせて、俺やセシリアにはないアンニュイな空気を纏ったどこかとっつきにくい存在。……に見えて、ピースをしながら登場するようなわりとおどけた変なやつ。


 綺麗な菖蒲色をした長いほつれ髪に紫の瞳。服装は全て黒で統一。女騎士としてのセシリアが白銀の狼なら、こいつはさながら漆黒の烏だといえる。


 レイリアム・アルバス・トーキマス。

 この女、自力でこっちの世界にまで来やがった。


 ♢


「靴を脱げという文化はセシリアから教わったよ。この世界はやけに清潔だね」

「……そうか」

「ああ、それから、たぶれっと……? のげえむ……? のがちゃ……? なるものを引いたところ、えすえすあーる……? が出たとも言っていたよ。詳しくはセシリアに」

「あいつは何をやらせてんだ……」


 俺が頭を抱えてしまうと、「む」とこちらの表情を覗き込むようなトーキマスが。


「少し若返った? 頭領」

「こっちの時間軸に戻ったおかげでな」


 頭領呼びが久々すぎてむず痒く感じる。

 少しだけ異世界にいた頃のスイッチが入り、対面についた席で俺は姿勢を正すことになった。


 ここまで、キッチンのほうにすっ込んでいたセシリアは、給仕の真似事のような動きでわざわざ俺のもとに麦茶を持ってきてくれたところ。

 トーキマスの席には飲みかけのグラスが既にあって、結露で汗を掻いているあたり、この世界に来てしばらく時間が経っていることを感じさせた。

 お行儀よくセシリアが俺の隣に座る。


 改めまして。


「……とりあえず、久しぶりだな。トーキマス」

「そうだね。二人とも元気そうで何より」

「ありがとうございます。トーキマスも」


 再会の挨拶は手短に。今生の別れだと思っていたわりに、状況が状況なのもあってか感動より疑問や不安のほうが勝る。

 もちろん、トーキマスの顔をもう一度見れたのは嬉しいが、はてさてなんでこいつはここに来たのか、だ。


 トーキマスは昔から多くを語らないやつで、いつの間にか大ごとを抱えていたり一人で対処してしまうようなところがある。予定や計画、先入観や思い込みを裏切ってくるときこそ何か重大な理由があるわけだ。

 それを今回に照らし合わせてみるなら、『転移魔法陣でセシリアを連れ戻す』という予想に反してこいつ自身が来る理由とは何なのか、をしっかりと考察する必要があった。


 なお、話は若干変わるが、アベリア王国に英雄の予言を託したのも紛れもないトーキマスだったりする。


「どうやってこの世界に来たんだ?」

「簡単なことだよ。おそらくこっちに届いていたはずだけど、頭領が我々の世界に残してくれた衣服が標べになった形だ」


 標べというのがどういう役割かは分からないが、俺の服というと今週入ってからの話だ。それで何をしていたかは正確には分からないが、あれから約三日でご本人の登場とは恐れ入る。


「闇市場に出回っていた話、する?」

「嘘だろ」


 表情が変化しないやつなのでボケてるのか本気で言っているのか分からなくて困る。

 なんで俺の服が流通するんだ。


「英雄が身に付けていたものだから価値がね。高かった」


 マジかよ。というか買うなよ。闇市場から。

 ときたま見せる、ニヤッと笑ったトーキマスの顔はかなり薄気味悪いものがある。


「まあ、持ち帰らずにいてくれて非常に助かったわけだ。なんせ、私のしたかったことには現在進行形の異世界に対して新たな座標を埋め込める異世界産の異分子が必要だったから」


 ……イマイチ話が見えないので、「詳しく」と説明を求める。もっとも魔術なんて聞いたところで基本理解出来るものじゃない。トーキマスもそれは分かっているので、リクエストには答えた上で、えらく噛み砕いた解説をしてくれた。


 その説明は、人差し指を突き立てた両手を使って何やら表現される。


「一の世界と二の世界としようか。私が試みたのは同時並行する二つの世界を並列した時間軸に置いたまま行き来可能な経路を繋ぐことだった」


 そういって、伸ばした親指の先を突き合わせて接続をアピールする。手のひらが世界で人差し指が時間の進行方向のようで、時間経過を表すために人差し指を向けた方向へ手をぐうーっと伸ばしていくような姿は、いい大人が手遊びをしているようにしか見えない。

 トーキマスは……なんというか、天才ゆえの不思議ちゃんなのである。


「そもそも一の世界にあるものを特定の二の世界に飛ばすのって難しいことだから、二の世界にあったものを二の世界に返す方法が理想的。これと同時に一の世界のものを混ぜて、そこから一の世界のものを返却してもらうような形式を作る。二の世界にあったものは衣服。添付した一の世界のものが私のメモということだね」

「……?」


 俺が素直に首を傾げている隣で、セシリアが「なるほど……」とすごく小さな声でウンウン頷いていたりした。お前、絶対、理解してないだろ。


 隣のあほに苦笑してしまいながら、時間を掛けて俺は整理する。


 つまり、俺の服はこの世界にあったものだからこの世界に返すことが容易で、トーキマスがこうやっていまこの場所に来れたのは服のおかげで経路が作れたため、みたいな話だ。おそらくは。


「転移自体は王国に協力してもらえたのか?」

「いや、私が試作したもので実験した」


 転移魔法陣を試作ってお前……。

 相当やばいことだ。人間業ではない。


 期間としてはおおよそ二週間というのもあって、普通に考えれば早い展開だ。トーキマスが指揮をしているにしても王国がサポートなどしてくれているんじゃないかと思っていたが、もしやそれさえなかったということだろうか。


「王国は何をしてるんだ……?」


 不信感から俺がついそう口に漏らすと、特に表情の変わらないトーキマスの視線が一瞬だけセシリアのほうを向いたことに気付いた。しかし、すぐに戻ってくる。


「ちなみにだけどね頭領。さっき、一の世界のものは返却してもらう形式と言ったわけだけど、これは私にも適用される。つまりはあと一時間ほどで私は自動的に帰る」

「……な、待て待て」


 短すぎないかあまりにも。

 一時間で……別れが来る?


「本当はもう少し長い時間で設計して猶予はあるはずだったのだけど、まさか外出しているとはね。待たされたよ」


 やれやれといったジェスチャー付きでトーキマスにそんなことを言われ、おいおいと俺は内心悪態をつく。

 そもそも来れる目処があるのなら連絡の一つや二つ、メモのうちに書いておいてくれれば……。

 そうすれば水瀬で体力を使わなくて済んだって言うのに、俺だって正直いま頭は回っていないぞ。


 戸惑う俺を置いてけぼりにするトーキマスがいる。


「そんなわけで、時間がない。だから本題に入るよ」


 俺が何かを言うよりも早く、セシリアに手のひらを向けたトーキマスが短く呪文の言の葉を紡ぐ。ふいを突かれたセシリアはかくんと意識を手放して椅子からずり落ちそうになったため、慌てて俺が抱き止める。

 努めて冷静に、


「お前何してんだ?」


 ――トーキマスへ圧を掛ける。

 トーキマスは飄々とした様子で、掴みどころがない。


「すまない。彼女に聞かれる前に、頭領に話さなきゃいけないことがあるんだ」


 何のことだ、と考える。それにしても手荒なやり方で、トーキマスを不信視してしまう。

 そもそもこいつの目的はなんなんだ? 連れて帰るのが目的であれば、セシリアの意思が一番重要なはずなのに、眠らせるなんて何を考えている?

 セシリアに聞かれる前に、既にもう英雄ですらない一般人の俺に対して話さなきゃいけないことってなんなんだ……?


 俺が必死になって思考を巡らしている間、目を細めて観察していたトーキマスが、しばらくして爆弾発言を投下する。


「正直こちらの世界には、もう、そちらのセシリアが帰る場所がない」

「……………それはどういう意味の言葉だ?」

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