Chapter.31 予兆

「は……な、いや、待て待て」

「あー、本当に言ったんだ」


 見透かされて気が動転する。その間にルカの目はだんだんと侮蔑の色が混ざりはじめる。思わず咽せてしまったところで、(それは動揺しすぎだろ!)と自覚してなおさら恥ずかしくなってきた。


 ため息ののちに深呼吸する。

 俺は努めて冷静に、……ちょっとした意地から開き直ったように答えた。


「言ったけど」

「最低だ」

「ぐ……」


 自分でも気にしてるんだからやめてくれ。

 図らずもこんな状況になって、なあなあでお互い流している部分なのだ。


 いまそこに向き直ることは難しい。


「にいはセシリアさん嫌いなの?」

「嫌いなわけだろ。恩人なんだから」

「恩人だから好きってこと?」


 畳み掛けるようにそう問われて。


「……いや、人として好きだよ。お前も今日一日で分かっただろ。あいつの明るさは気持ちがいいし、嫌味もないし面白いし。一緒にいて楽しい、ムードメーカーなんだよ。やかましいなんて思ったことは一度もないし」


 セシリアは本当に世渡り上手だと思う。

 人に愛される天性の素質がある。ただ騒ぐだけのバカなんかじゃなくて、楽しい時は思う存分はしゃいで、落ち込んだ時は人に寄り添える奴なのだ。俺はよくセシリアをあほとかポンとか勝手に言ってしまうけど、それだって本当に救えない奴だと思っているわけじゃない。

 彼女の魅力の一つ、愛嬌であることを知っている。


「えっ……じゃあなんで付き合ってあげないの?」

「お前なあ……」


 驚愕した様子でそう口にするルカに、俺はほとほと呆れて答える。


「そんな単純なことじゃないから」

「あんな美人なのに?」

「美人は理由にならないだろ」


 このミーハーめ。

 本当にわけが分からない!と言った様子で首を振るルカが熱心に訴えかけてくる。


「いやっ……だって三年間ずっと一緒にいて、一度も本心から嫌いにはならなかったでしょ!?」


 ……まあ、それはそうだけど。


「それはそうだけどって顔してるじゃん。じゃあいいじゃん! 付き合いなよ、バカ!」


 なんでこいつこんなに俺の背中ぐいぐいと押してくるんだ。いつの間にか話の内容が、俺が異世界にいたことじゃなくてセシリアへの恋愛感情の話になってるし。


「え、ええー……本当に理解出来ない……あんなかわいい人なかなかいないよ……?」


 ぐおお、と頭を抱えて唸っている。助手席で騒がしいな。マジでなんなんだこいつ。

 俺はため息を吐いて答える。


「……あのな。セシリアはこっちに来て右も左も分からない状況で、唯一頼れる相手だと思っている男が、下心で迫ってきたとしたら怖いだろ。今後、気まずくなるだろうし、一緒にいるのも難しくなる。関係は無理に変えないほうがいいんだよ」


 それが俺の考え。そのスタンスは、俗に言うヘタレにも近い、逃げ腰のものであることも自覚している。

 セシリアのためを思ってと口にはしているが、実際のところ俺のためであることも否めないのだ。


「えー……ルカ、そんな悪いことにはならないと思うんだけどなぁ……」


 難問を前にした受験生のような顔で言う。

 ……これはやはり、ルカとセシリアの間で、俺とセシリアとの関係について話になったと見るべきか。俺はなんとなく察しながら、どうしたものかな、と今後のことを考えつつ。


「あと、問題はそれだけじゃないんだ。俺とセシリアの間には異世界っていう絶対的な壁があって、仮に付き合ったとしても一緒にいられるってわけじゃないんだよ」

「えぇー……」

「俺が異世界にいた頃は、全部終わったら帰ることになるって知ってたから絶対に考えないようにしていたし、セシリアがいまこっちにいてもそうだ。セシリアはいつか異世界に帰れるかも知れないのに、それで……関係が進展したとしても、心が虚しくなるだけだろ」

「うーん……でも、それもそっかぁ……」


 誠に渋々そうではあるが、ルカの納得を得ることにも成功する。

 我ながら、チグハグに出来ていると思う。俺があのとき言葉にしたことが一番の間違いだ。

 俺とセシリアは、なんとなく、きっと、叶わない恋に近い関係なのかも知れないとは、ロマンチック過ぎるが思わないこともない。


「……でも、優しくないと思うなあ」


 ルカがそんなことをぽつりと洩らす。俺の脳裏にはセシリアの笑顔が思い浮かぶ。


 ……………うるさい。

 避けては通れないと思ってるよ、俺だって。


 ♢


「着いたぞ」

「ん。ありがとっ」


 最寄り駅まで到着し、ルカが早々に車を降りる。

「気をつけて帰れよ」と言葉を掛けると「ありがとう」と更に言われ、「あと今日来るなって言ったのに来たこと、忘れんなよ」と俺も忘れかけていたことを思い出したので釘を刺して、「ごめんー」と舌を出したルカが謝って。


 そんなやり取りをしてもなお、別れ際、何か言いたそうなルカがいたので、俺は言葉を待つことにした。


「……あのね」

「おう」

「やっぱり、その事、ちゃんと二人で話し合ったほうがいいと思う」


 ルカがまっすぐ俺の目を見てくる。


「……わざわざ助言をどうも」

「セシリアさん、いい人だったよ。一番、お似合いだと思う」

「うるせえよ」


 俺が突っぱねるようにそう言うと、ニヤッと笑い返してきたルカがステップを踏むように車から離れる。


「じゃーねー! 良いニュースをお待ちしています!」

「お節介が過ぎるぞお前マジで……」


 ばいばいと大きく手を振って最後に敬礼のポーズ。ピシッと決めながら人の恋路に多干渉すぎる妹は、そのまま駅のホームへと消えていく。本当にどこまでも騒がしい奴だ。


 残された俺は窓ガラスを閉め、やれやれと首を振ったあと、少しだけ明るい気分で自宅へと戻った。



「おかえりなさい」

「ただいま」


 セシリアに出迎えられたが俺はイマイチ合わす顔がなく。


「洗い物、しておきました」

「ありがとう」


 いまでは我が家にも慣れた様子で色々家事を済ませてくれるセシリアには、本当に頭が上がらないと思う。

 ふいに、今日一日のことを思い返す。


「今日、大丈夫だったか? ルカのこと」

「私はぜんぜん問題なかったです。ルカ殿は素敵な方ですね」

「……あいつもお前のこといい人だって言ってたよ」

「なんと」


 目を丸くして驚き、次第にご機嫌になるセシリアを見る。


「また遊びたいですね」

「そうだな。また遊んでやってくれ」


 たいてい、夏休みに入ると、バイトのスケジュールを一気に入れたがる俺に反して俺と遊びたがるルカが出てきたりする。今年の夏がどうなるかは分からないが、セシリアとルカがこんなに仲良くなってくれたのだ。それほど心配はしていない。


 玄関先でセシリアと二人そんな話をしたあと、一緒になってリビングに戻る。


「……ん?」

「おや?」

「なんで俺の服がここに出てる?」


 ソファの上に丁寧に折り畳まれた俺の上着が置かれている。思わずセシリアのことを疑ってしまったが、セシリアこそ「おかしいですね……」と、俺を出迎える前との違和感を察知して首を捻っている。

 ……じゃあ、どういうことだ?

 片付け忘れ? そんなわけはない。


 俺は、おずおずと手に取る。


「これは……」

「あ、紙が落ちましたよ」


 は見覚えのなかったその上着に俺が思考を巡らせている間、ふいに落ちた紙切れをセシリアが拾ってを読む。


「――実験1、と書かれています」

「……これ、俺が異世界に行ったときに着ていた服だ」


 顔を見合わせる。

 セシリアの持っている紙は、確かに俺に読むことの出来ない異世界の言語で書かれているようだった。


「……………」


「……不穏ですね……」


 セシリアが何を思ってかそう口にする。

 俺たちがこの世界に来てから一週間。着実に慣れている頃合い。

 水面下で、何かの気配も近付いて来ていた。




(第七話 女騎士に会いに来た へ)

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