Chapter.26 ルカの災難

 それから三日ほどが経ち、日曜日。

 土日共に過ごし方は変わらず、午前中はタクヤとアニメの続きを見て過ごし、午後からは家を出てしまうのでセシリアはこの長い時間をどうにか過ごすことになる。

 最近では家事も任せてもらえるようになったので、セシリアとしては充実した日々だ。


「行ってらっしゃいませ、タクヤ殿」


 見送るのも板に付いてきたセシリアは、その日もさっそく日本語の勉強に取り組んだ。


 セシリアにとって、この世界を受け入れることに対する抵抗は実のところあまりない。タクヤが居てくれるのも大きい。だからこうやって机に向かうのは苦手なのだけども、続ける気概を持てている。

 ひらがなを書けると褒めてくれるので嬉しいし、タクヤが当たり前に読めている文字が自分でも読めるようになる喜びはデカい。


 まだひらがなの区別がようやく付きはじめたくらいの、初歩の初歩、ではあるのだが。


 タブレットのキーボードはタクヤの手によって五十音になっており、自力で『り』『ん』『ご』と入力して、検索結果にヒットする林檎の画像に成長を感じていたりする。ゆくゆくは『難易度難しい』の漢字や、『超難しい』の英語も覚えてみたいが、実はまだセシリアはカタカナというもう一つの日本語の存在を知らないでいるので、まだまだ、壁は高かったり。

 なんにせよ、セシリアは熱心に取り組んでいた。


 そんななか、インターホンが鳴る。


「っ?」


 ピクっと反射的に反応したあと、これは一週間前にも聞いた、来訪者を告げる電子音であるという理解をしているセシリアは、同時にタクヤの「誰か来ても絶対に出なくていい」という忠告をしっかり守って無視を決め込むことにした。


 しかし次の瞬間にはガチャガチャと乱暴に鍵を開けようとする来訪者を察知し、セシリアはスッと音を立てずに立ち上がると、警戒した様子で収納棚から長剣を持ち出して玄関に近付いた。息を呑む。

 ガチャリと玄関扉が開く。



「もう、ここほんと開きづらいっ。漏れちゃう漏れちゃう……って、え?」


 扉を開けながら靴を脱ぐほど急いで家に入ろうとしていた人物が、その伏せていた目を持ち上げると、刀身をほんの少しキラッと覗かせてジリジリと間合いを窺ってくる謎の成人女性を目の当たりにすることとなり、「ひゅっ」と息を短く吸い込んでそのまま吐かずに静止する。


「……………あ」


 と、いつの間にやら警戒を解いた謎の女性セシリアの視線が自身の足元に移っていることに気付き、あまつさえ見てはいけないものでも見たかのようなリアクションを見せるものだから、来訪者――タクヤの妹・ルカは自身の内ももにつぅーと伝う妙な感覚の正体を一瞬で理解することになった。


「うわあああああああああん」


 緊張の糸がぷっつりと切れたみたいに、へにょへにょとルカは崩れ込んだ。


 ♢


 ――さいあくサイアクさいあくサイアク!! 兄の家にいた謎の美人な女性にびっくりして失態を晒した挙句、親切にされて場所はお風呂場。ぐっしょりと濡れてしまったパンツを惨めな思いで絞りながら、ルカは心の内側で叫び回る。


 怪しい気はしたのだ! 先週も、風邪だと心配を掛けたわりにぜんぜん平気そうだったし、今週は『念のため言っておくけど来るなよ?』というメッセージまで来ていた! やっぱり隠していたのだ、ひどい!


 ちなみにタクヤが土日は夜中の八時ぐらいまで家にいないことはルカも知っており、明るいうちに勝手に家に上がり込んでは夕飯を作って「私ってば良妻♪」なんて冗談を言いながら、甲斐甲斐しい妹をしてあげていることが多いのであった。


 これは高校を卒業した時期のタクヤが「もう誰にも恋愛感情持ちたくない」と悲観するほどの事件を迎えたことに起因し、それを憐れんだのルカが「せめて女の子にお世話してもらえる経験を味わわせてあげよう」とはじめた究極のお節介で、

 だからこそ、


 そんな! 妹が! いるというのに!

 浮気か!? このクソ兄貴!


 ……と、心のなかに宿るドラゴンをのたうち暴れ狂わせながら、謎の女性セシリアに対するヘイトを沸々と湧き上がらせているところだった。


 なお、「お兄ちゃんが好き?」と誰かに聞かれたら間髪入れずに首を振るような妹のルカになるので、この兄妹は愛情の向け方がどこか似ているのかもしれない。


 ともかく、(この状況はどうしよう)と漠然とした不安感を覚えながら、ルカはお風呂場から出たのだった。


「お洋服ここに―――――あ」


 間の悪いことに替えの衣服を持ち込んでくれたセシリアとばったり遭遇し、ルカは恥じらうように物陰にサッと隠れる。同性に見られる分にはそんな恥じらうこともないけれど、相手がこんな美人ともなると、途端に自分の体が恥ずかしく思えた。


 そんな、見るからに年下のルカを前に、ふんわりと微笑んだセシリアは優しく言葉をかける。


「ここに置いておきますね。居間にお茶を用意しているので、良ければいらっしゃってください」

「あっ、ありがとう、ございマス……。あの!」


 呼び止められてセシリアは振り返る。

 まばたき多めに、目を逸らし気味に、言葉を選ぶように挙動不審なルカがそこにいる。


「あたしっ、佐久間流花って言います! お兄ちゃんの、妹です!」


 それは、思っていたとおりだった。玄関先で声を聞いた瞬間にセシリアは気付いていたのだ。

 そうでなければ、不法侵入者としか見れなくて、相手が誰だろうと何をしようと警戒を解くことはなかっただろう。家主に家を預けられた身として、それくらいの覚悟と心構えはあった。

 その上で。


「えっと……お姉さんは、あたしの兄とどういう関係なんですか!」


 ルカにとっては女っ気一つない兄のもとに突然降って沸いた絶世の美女だ。その関係は親族として知る必要がある! と強く思ったし、場合によっては母に告げ口しなきゃいけないし、こんな芸能人やインフルエンサーにも引けを取らない圧倒的な美人と兄の接点は純粋に気になるところでもあった。

 そんな話、いままで一ミリも出てなかったのに。


 対して。問われたセシリアにとっては、少し悩ましいポイントを含んだ質問内容になっていた。

 というのも、「自分の出自は絶対に話すな」「アッチの世界の名前は出すな」「どうしても必要になったら次の言い訳で口裏を合わせてほしい」とキツく言い付けられており、セシリアとしてもタクヤがしてくれるその配慮は絶対に守っていきたいのだ。


 だけど、相手はタクヤの実の妹で、それはセシリアの騎士道精神としても、親族の方々まで騙すというのは気が引ける。

 セシリアは常に正直に生きてきた。だからこそ、譲れない部分もある。

 その判断の成否は、どうあれ。


「私はアベリア王国聖教騎士団所属、セシリア・ミストリタ。タクヤ殿とは主従の関係にあり、出会いは三年前になります――」



 ♢ ・一方その頃――



 俺とバイト先の友人は、日曜日にシフトが重なる。先週、風邪の心配の電話を頂いてからと言うもの、その翌日にはバイトを俺がドタキャン。それからこの一週間は遊ぶ約束すら取らずに迎えた本日、友人はしつこいくらいに俺に構ってきた。


「サクマタクヤ〜」

「ハクナマタタみたいに言うなよ」


 ちょっとイラッとくる。


「お、ツッコミのキレ上がってんねえ」

「……お前の俺に対する評価軸はなんだ?」


 と、実際のところやり取りはプロレスで。

 いまの俺のなかの優先順位は一番にセシリアの存在があるため、友人に対しては色々と迷惑を掛けているが、この飄々とした態度のとおり「すまん」の一言で許してくれるような彼の心の広さには本当に感謝している。

 後日埋め合わせの約束はさせてもらった。


 その上で、こんなくだらない感じで、作業中でも隙を見て話しかけてくる。


「なあなあ。ここしばらくなんかあったん? 聞いていいならだけど」

「……………まあ、なんかはあったけど」

「ツッコミのキレ上がってるもんマジで。おもろ」

「すごいな。ぜんぜん嬉しくない」

「山籠りでもした? お笑い養成所? なわけねえか……やー、普通に気になってきた」


 興味を持たれて俺は弱る。異世界にいてポンな女騎士と三年間過ごしてたからツッコミが強くなってる、とは口が裂けても言えない。詮索しないでほしい。


 俺が言葉を濁している間、マナーモードでスマホが揺れ、珍しい着信にちらりと画面を確認する。


『にいって異世界転移した?』




「………………………………………………………………………………………………」




「どうしたタクヤ。その顔、まるで、――ぃやチベットスナギツネの物真似かぁい!」

「誰がチベットスナギツネだ。ボケてねえし! あとお前はツッコミ下手だ! やめとけ!」

「そこちゃんと働けー?」

「「すみません!」」


 ああ……まずいな。えらいことになった。

 ここに来て一番の苦難が、俺の身に降り掛かるのだった。




(第六話 女騎士は英雄の妹と へ)

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