Chapter.24 日本語の勉強

 お前はなんでそんな踏み込んでくる……。


「別にどっちでもいい……」

「なっ、どういうことですか」


 本音で言えば、すらっとしている女性のほうが惹かれてしまう部分はある。

 それは水瀬然り、セシリア然りなんだけど。


 でもこれを聞いた理由はたぶん俺にどう思われてるかの話で、本音をそのまま言うのは無粋。この場でそれを言ったらどうせこいつのことだから飯が食いづらくなるんだろうし、だからと言って太っているほうが好きなんて偽るようなつもりも俺にはない。セシリアに気にされたい話でもない。


 こいつはいままで贅沢と無縁に過ごしてきたのだし、何も考えずに好きなもん食ってろが俺の心情の大部分を占める思いだ。

 別に、セシリアなら太ってようが嫌いにならないし。


 と、ここで、タイミングよく牛丼が運ばれてくるので俺が受け取る。


「ほら、これが食べたいんだろう?」

「く……!」


 煽るとセシリアが悔しそうな顔をする。ニヤニヤ。話題は逸らしてやる。


「出来立てだぞ。ほっかほかだぞ。美味しいぞ? ほら、素直に食べたいと言いなさい」

「……っ、食べたいです……ッ!」


 よし。この意地悪はめんだこプリンのリベンジである。


 ♢


 そんなやり取りののち就寝。明日は家にいることを伝えると「ならお散歩してみたいです!」と言うので、近辺の環境に慣れてもらうためにも明日の予定のなかに加えつつ、やっぱり体重が増えるのは怖いみたいなので「気にしないでいいから」としつこく慰めておいた。


 翌日はジャムを塗った食パンで軽く済ませ、百均で購入した面白そうなものをセシリアに遊ばせる。

 その名も五十音カード。対象年齢は二歳から。決してバカにはしていない。実際、読み書きが出来ないだけで聞き取りと発音は問題ない状態にあるので、あとは少しでも識字能力が上がれば出来ることは格段に増えると思うのだ。


「これはなんですか?」

「セシリアはこれから暇なときにこれを覚えてみてほしい」


 五十音カードを説明する。

 これはいわゆるかるたのようなもので、一枚一枚、表面には何かしらのイラストが描かれており、裏面にはその答えがひらがな、漢字、英語読みに分けて表記されている。ようはりんごの絵とりんごという文字を紐付けて覚えさせるようにする知育玩具で、簡単なものしか絵のなかにはないが、逆に言えば基礎が作れるわけだ。


「はいどん。これが何か分かるか?」

「車ですね!」


「そう。えらい」でへへとデレるな。「……んで、車はこの国の文字でこう表記されるんだ」


「ふむふむ……」


 見せつけたカードを裏返して文字を見せる。おだてたこともあり、セシリアは関心を持ってくれているようでほっとする。これなら別に困難じゃない。


 実は俺も異世界にいた頃、言葉を覚えようとしたことは幾度もあるが、教える側の技術が足りていないのでイマイチ理解に欠ける部分があった。それは教育レベルの差もあるし、目の前で字を書いて「これが〇〇」と言うだけの教え方を当たり前にするので、結局俺は最後の最後まで一人で街中を歩くことは出来なかったのだ。


 そこの不安や心細さには理解あるし、だからこそセシリアが向こうでしてくれたように丁寧なサポートを欠かさずにするつもりではあるが、同時に、現代だからこそ出来ることもしていきたい。


 あいにく、俺も付きっきりでいられるわけではないのだ。


「面白いですね。ぜんっぜんまだ見分け付かないですけど」

「だろうな。無理はしなくていいよ。ただこういうのも面白いとは思う」

「これは三つは何か違うのですか?」

「あー、一番下のは共通語で、この世界全体で使われることのある文字だ。こっちは優先度低くてもいい。一番上のはひらがなっていうやつで、このいま俺たちがいる国で使われている言葉の一つなんだけど……」


 ひらがなとカタカナと漢字を扱う日本の言語は世界的に見てもトップクラスに難しいらしいな。

 どう説明したものかと言葉に詰まる。


「間にあるこの角ばった文字も、この国で使われている表記で、これは、省略文字みたいなイメージでいい……かもしれない。この文字一つで車って意味になるけど、上のひらがなでは三つの文字で構成されてるだろ」

「覚えられる気がしません」


 そんな気がした。苦笑する。

 まあ難しいことは全部忘れてもらおう。


「上から簡単、難しい、超難しいだ。簡単だけまず覚えてみてくれ」

「はい! 分かりました!」


 うん、この単純さである。……そんな感じで火のついたセシリアに百均で買ったノートとペンも渡しながら、一緒にカードを一枚一枚捲っていく形で、一時間ほどは熱心に勉強することが出来ていた。


「このペン不思議です。書きやすい」と言いながらセシリアは文字らしきものを書いていたけど、やっぱり俺には読めなかった。

 落書きしてるのかと思った。


「なんて書いたんだ?」

「あっ、えっ、いやこれは……」


 ……本当に落書きだったのかよ。ややこしい。

 まあ、第一回目は文字の書き写しもそれほどしない。とりあえずセシリアはイラストが何かを認識出来て俺もそれが説明出来るので、水はどういう文字なのか、スプーンやフォークはどう表記されるのか。そう言ったものがカードの裏表で対応していることを確かめ合うような作業をした。


「疲れました」

「じゃあリフレッシュするか」


 座学に関しての体力はとんとないセシリアだ。やはり体を動かすほうが好きなのだろう。

 ということで、要望通り散歩に出てみることにする。


「俺から絶対離れるなよ」

「もちろんです!」


 本当に大丈夫かな。過保護なつもりはないのだが、車の隣などを歩いたり横断歩道をきちんと渡れるか気が気じゃない。心配してしまう。


「おおっ」

「バカバカ。こっち歩け」


 予想通り、住宅地で横を通る車に面食らうような彼女を外側に引き寄せる。自然とエスコートするような形になった。車で移動するときは狭い車窓から半自動的に景色は移り変わってしまうので、ゆっくり、自分のペースで街中を見られることが本当に嬉しいんだろう。


 きょろきょろとしていたり突然足を止めたり、電柱の下をじいっと見たりするもんだから、その度に窘めながら二人で歩く。まあ、こんな調子なので、自然と、手を取ってやる必要があるのである。


「この突き当たりで左に行くだろ?」

「はい」

「そしたら右手にちっちゃい公園が見えてくる」


 これは近所のガキンチョが遊び場にするような場所なので俺たちが過ごすにはあまり向かない公園ではあるが、目印の一つとして紹介。その先も適宜道案内をしながら、最終的に一番近いコンビニまで案内する。


 梅雨の散歩はじめっとしてダメだな。

 若干、気持ち悪さもありながら、俺は涼を求めるために足を運んだのであった。

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