第6章 第113話

「さて、どちらの質問からお答えしましょうか」

 貴き宝珠マニ・リンポチェは、笑顔を崩さない。

「ユキさん、あなたのおっしゃる通り、『ユッグゴットフ由来の菌類Fungi from Yuggoth』はあなたがたとは何もかも違う地球外生命体であり、そして、その歴史は地球人類などより遥かに長く、遥かに昔からその英智を、活動を、この地を含む地球上の各地に刻んで来ました。もちろん、その間には、人類だけでなく、人類以外からも、様々な形での干渉を受けたそうですが、その殆どは意思の疎通が不可能であったと、残念ながら武力をもって排除するしか無かったと聞きます。初期の人類もまたそうだったようですが、いつの頃からか、人類は音声によるコミュニケーション手段を持ち、後には画像によるコミュニケーションの補佐と記録手段も持つわけですが、それらを使った原始的かつ非常に低レベル、限定的な社会性、集団内での意思疎通手段を持つ事が判明し、その手法を解析することで『ユッグゴットフ由来の菌類Fungi from Yuggoth』の側からの歩み寄りを試すに至ったと聞き及んでいます」

「その話、長くなる?」

 雪風が、話を割る。

「あたしの質問と関係ないなら、飛ばしてほしいんだけど」

「もう少々、お付き合いください」

 あくまで笑顔を――ケシュカルの顔の下半分と、ケシュカルの頭上の貴き宝珠マニ・リンポチェの目による笑顔を――崩さず、貴き宝珠マニ・リンポチェは続ける。

「人類が音声による意思疎通手段、言語を身につけ、画像によるその補助と記録手段、文字を手に入れる以前から現在に至るまで、『ユッグゴットフ由来の菌類Fungi from Yuggoth』と人類は何度も接触しており、『ユッグゴットフ由来の菌類Fungi from Yuggoth』としては、あまりにも脆弱な肉体を持ち、あまりにも不完全な社会性及び意識の共有しか出来ない、しかしながら恐るべき速度で機械技術を進化させ、武装し、いずれは武力による排除も困難になるだろうその人類に対し、可能な限り早く、可能な限り穏便に、相互意思疎通コミュニケーション手段を構築することが重要との判断に至りました。そうです、人類は、『ユッグゴットフ由来の菌類Fungi from Yuggoth』や、彼らが知る他の知的生命体に比べると、あり得ない程速い速度で機械文明のみ・・を進化させ、それは他の知的生命体にとって充分に危険である、『ユッグゴットフ由来の菌類Fungi from Yuggoth』のような、高度な意思の共有化によって特定の個体が予期しない行動を起こす可能性が皆無な社会を営む生命体にとって、未熟な精神と贅癪な肉体にあまる機械技術を持ち、各個体が独立した意識で行動する、集団としての制御の効きにくい、非常に薄い意識の共有と社会性しか持ち得ない地球人類は、創造を絶する理解困難な生命体、そういう事なのです。それが故に彼らは大量の試料サンプルを必要とし、また、効率良くその試料サンプルの情報を処理するために、地球人類としての構造アーキテクチャを持ち、同時に『ユッグゴットフ由来の菌類Fungi from Yuggoth』としての処理手段アルゴリズムを持ち、『ユッグゴットフ由来の菌類Fungi from Yuggoth』が理解可能な文脈にその処理結果を変換出来る翻訳機トランスレーターを必要としました」

 貴き宝珠マニ・リンポチェは、自分の胸に手を当て、言う。

「それが、この私、貴き宝珠マニ・リンポチェ。過去に『ユッグゴットフ由来の菌類Fungi from Yuggoth』が接触した地球人類から・・・・・・・・・・、地球人類が好感を持つ要素を抽出・・・・・して身体ハードウエアを再構成し、過去に接触した地球人類の行動や言動の記録から常に現状に最適な対応を検索して再現するよう設定された、それがこの『貴き宝珠マニ・リンポチェ』という個体です」

 ペマも、ダワも、貴き宝珠マニ・リンポチェの言葉の意味をまるで理解出来ず、ただただ唖然とする。

「……つまり」

 ただ一人、21世紀の技術体系に裏打ちされた工学的、情報通信学的、そして生物学的知識を持つ雪風だけが、その意味を理解し得た。

「あんたは、過去にここを訪れた人達のいいとこ取り・・・・・・した複製品コピーあるいは模造品クローンであって、その言動はつまるところ過去の人達の言動を記録したビッグデータを検索した結果を継ぎ接ぎつぎはぎしたものに過ぎない、言うなれば『人型のAI端末』に過ぎない、そういう事?」

 貴き宝珠マニ・リンポチェの回答は、ほんの少し、間が空いた。

 雪風は、それを、20世紀中期までの技術体系で造られたデータベースが、21世紀の語彙ワードを理解し、咀嚼し、翻訳し、それからAIが回答を検索する為のタイムラグだと理解した。

「あなたの言葉の多くは初めて聞くものですが、その意味は推測出来、また理解出来ます」

 貴き宝珠マニ・リンポチェは、一点の曇りもない笑顔で、言った。

「その理解で、間違いないでしょう」


「お、恐れながら、王子」

 ペマが、おそるおそる、貴き宝珠マニ・リンポチェに質問する。

「あなたは、本当に、『光の王子』なのでありましょうか……?」

 問われて、貴き宝珠マニ・リンポチェの視線が、ケシュカルの頭上の目が、ペマに向く。

「……わ、私には、その、そのお姿も、お話しいただく言葉も、わかりません、わからないのです、何一つ、何もかも……」

「無理もありません、無理もないことでしょう」

 あくまで、貴き宝珠マニ・リンポチェの言葉は優しい。

「今の私の姿は、あなた方からすれば異形のそれに他ならないでしょうし、言葉はケシュカル少年の口から出ているのですから。ですが、まぎれもなく、私は、あなた方が知る貴き宝珠マニ・リンポチェに他なりません」

「しかし……」

 ダワが、意見する。

「しかし。私の知る王子は、私の知る王子とは、その、語り口も、語られる中身も、その……」

「違和感がある、違うように思える、そうですね?」

 見透かしたように貴き宝珠マニ・リンポチェに言われ、ダワも、ペマも、ゆっくりと、おずおずと、頷く。

「それも当たり前の事。あなた方の知る貴き宝珠マニ・リンポチェは、あなた方の為に存在し、あなた方のために語るものであって、今語った内容は、『福音の少女』、ユキさんに向けて語ったものであるからです。受け取り手が違えば、話す内容も違う、それだけの事に過ぎません」

「『都』に居る同胞団員ブラザーとやらに向けて検索し出力する内容と、それとは違う文化圏に属するあたし相手の内容じゃあ、検索結果も提案内容も違う、そういう事、か……」

 独り言のように、雪風が言う。

「なるほどね。つまるところ、あんたは、ただそれだけの、その程度のAI端末に過ぎない、人工知能どころか、人工無能に毛の生えた程度でしかない、そういう事でOK?」

「ユキさん、あなたの、私に対する評価がそうである事に、私は異論を挟むものではありません」

 笑顔のまま、貴き宝珠マニ・リンポチェは雪風に向き直る。

「何故なら、あなたの判断、あなたの評価はあなたが行うものであって、私という存在そのものに対して何ら影響するものでも、その本質を変えるものでもないからです。そう、かつて、チェディと名乗った一人の来訪者が私をして悪魔と罵った、それでも私は私であって、チェディの評価によって何ら影響を受けたわけではありません。そういう事です。そして」

 改めて、貴き宝珠マニ・リンポチェは両手を広げ、

「私は、私の価値、私の役目を知っています。ユキさん、あなたの私に対する評価は、他者が私を評価するデータの一つとして、私の中で活用されます。そして、私にはもう一つの価値、もう一つの役目がある」

 広げた手を、貴き宝珠マニ・リンポチェは胸の前に重ねる。

「今、こうしている間にも、私の中でケシュカル少年の記憶や経験に対する解析作業は進行し、結果の分析が行われています。大変に興味深い結果、かつて一度もあり得なかった経験、そういったものに対する解析が、です。しかし、ケシュカル少年の記憶や経験だけでは、あまりにもデータが足りない……」

 一歩、貴き宝珠マニ・リンポチェは、雪風に向けて踏み出す。

「……ユキさん。是非、教えていただきたくのです」

 反射的に、雪風は、両手でローレディに構えていたM1911ガバメントから左手を離し、ガンベルトに手挟んだ白木の木刀れえばていんの柄を逆手に握る。

「あなたが打擲ちょうちゃくした時に発する不可思議な力、是非、それを詳しくお話しいただきたいのです」


――アレだ。『れえばていん』でケシュカルを討った時、あの掘っ立て小屋でケシュカルに『念』を通した時。アレのことだ――

 雪風は、瞬時に理解する。

「その時、何が起こったのか。何がきっかけで、何が変わって、今の結果に至ったのか。詳細は、全く分からないのですが」

 貴き宝珠マニ・リンポチェは、小さく首を振る。

「ユキさん、あなたに打擲ちょうちゃくされた時に、ケシュカル少年の中で何かが変わった、それは確かです」

 貴き宝珠マニ・リンポチェの目には、全くもって曇りがない。

――悪意が、ないんだ――

 雪風も、気付く。

 自分で言うように、人と違う、人ならざるものの意思を汲んで動いているとはいえ、この貴き宝珠マニ・リンポチェという存在は、悪意というものからはまったくもって切り離された存在である、と。

 いや、むしろ。

 『悪意』などというものを持ち得ない、そもそも『感情』を持たない『端末』に過ぎないのかもしれない、と。

――だからって、さぁ――

 それでも、雪風は、思う。

――相容れないものは相容れないし。許せないものは、やっぱり許せないんだよね……――

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