第6章 第97話
「……あのさあ」
先頭を切って階段を降りきり、『控えの間』の前の小堂に降り立ったユモは、そこに居並ぶ『
「絵面がまんま予想通りで、面白みがないったらありゃしないわ」
そこに居たのは、『控えの間』に繋がる大扉と、それとは別の合計九つの地下通路の入り口に常に控える各々4人、計36人の召使いと、本来は扉の向こうの『控えの間』に居るはずの高位の『
「皆さんがここにいらしたという事は、ドルマはお役目を果たせなかったという事ですか……」
その
「……ユキさんは、いらっしゃらないのですか?」
「ああ。あの子は」
腰に手を当てたユモが、小首を傾げ、得意そうに片頬を歪ませて、言う。
「今頃、そのドルマさんをボッコボコにしてると思うわよ」
「……は?」
「だから。ドルマさん程度じゃ、ユキの相手には役不足だって事」
ユモは、胸を張る。
「残念だったわね、切り札だったんでしょ?」
怪訝そうなラモチュンに向けて、ユモの『憎たらしい』笑顔が、満面になる。
「悪気があるわけではないのですよね、あれは……」
ユモの二歩ほど後ろで立ち止まったモーセスが、呟く。
「……拙僧、今更ですが仮にも聖職者として、いたいけで無垢な少女があのような憎まれ口をこうも苛烈に叩けるのは、如何なものかと思う事しきりではあるのですが……」
「いたいけで、無垢であるからこそ、なのだと思っています」
モーセスの呟きが聞こえたオーガストが、モーセスに肩を並べて、呟く。
「あの年頃の少女、無垢で、純粋で、世間知らずで怖いもの知らずであるからこその傲慢さ、一途さ、尊大さなのだと……いや」
わずかに、オーガストはかぶりを振る。
「純粋で、一途である事は間違いありませんが、我々が思うほどにはユモさんもユキさんも、世間知らずではないのでしょうね。そして、お二人とも、尊大になれるだけの、裏付けのある実力をお持ちだ。その上でなお、身の程をわきまえる事も、大いなるものを敬う事も実際のところ心得ていらっしゃる。あくまで、彼女達の基準で、ですが……」
「その通りです」
大人二人の耳に、ニーマントの声がする。
「そうであるからこそ、私は、お二人についていく事を決めたのです。最も強く、最も楽しく、最も退屈しない旅の
「然り」
「確かに」
大人二人の耳だけに届いたニーマントの呟きに、モーセスとオーガストは軽く頷いて答えた。
「……切り札とか何とか、よく分りませんが、とにかく、王子の許しのない方をこの先に通すわけにはいきません」
気を取り直したラモチュンが、自分にも言い聞かせるかのように宣言する。
「『光の王子』は、皆さんにお会いになる予定はございません。お引き取りください」
「王子の予定は関係ないのです、ラモチュン」
ずい、と、前に出て、モーセスが言う。落ち着き払った、優しい声で。
「拙僧が、お話ししたいのです。そして、
モーセスの声は、優しいが、しかし不退転の決意がにじみ出ていることを、その場にいる誰もが知る。
「
そこまで言って、モーセス・グースは、何かに気付いたように、ぐっと顔をラモチュンに寄せる。
「まさかと思いますが、ラモチュン、あなたも、それについて何か御存知なのですか?」
その圧に、モラチュンは軽く身を引く。
「……私は……」
「ドルマは、上の扉を通さないのはペーター少尉殿の御指示だと言っていましたが、この『都』の運営に関する限り、王子の採決を仰がずにペーター少尉殿のような外部の人間が決める事はあり得ません。であるならば、これらは直接にしろ間接にしろ王子の御意志によるもののはず。そしてラモチュン、あなたは先ほど、拙僧に、ペーター少尉殿とケシュカル君は王子と会食されていると言いましたね?」
「それは……」
「もちろん、ドルマもこの件には関わっているのでしょうが、拙僧の知る限り、ドルマはまだこの地下深層の奥に至る許可を得ていなかったはずです。もちろん、ドルマのこの『都』に置ける立ち位置は少々独特ですが、それはどちらかというと『元君』によるものであって、王子にそれほど近しいというわけではない。むしろ、その意味では、『
名前を呼びながら、モーセスはラモチュンの後ろに居た白衣の者達にも声をかける。
わずかに動揺の見えるそれらの者達を一瞥してから、モーセスは言う。
「知らなければ結構です、言いたくない、言えないと言うのであればそれもまた善し、全ては御仏の
「子曰く、理非無きときは鼓を鳴らし攻めて可なり、だっけ?ユキが前、そんなこと言ってたっけ」
「『孔子』ですね、さすがは『福音の少女』、博識でいらっしゃる」
話しに横入りしたユモにそう言ってモーセスは微笑み、
「ユキがここに居たら、太鼓鳴らす前に攻め滅ぼしそうだけどね」
ユモも、片微笑んでモーセスを見上げる。
見上げて、チラリと白衣の高官達に視線を流したユモは、彼らに明らかに動揺が走っているのを見て取る。
モーセス・グースが、ユモに頷いて、答える。
「今ならば、拙僧もその言葉、頷けるところです。そして、そも、拙僧は、慈悲の為の嘘偽りには寛容ですが、保身の為のそれには寛容であるつもりはありません。それもまた御仏の思し召し、この経典の」
ずるり、と、モーセスは懐から経典――一般には経文の書き記された短冊を化粧の施された木の経板で裏表から綴じたものだが、どう見てもモーセスの持つそれは成人の前腕ほどもある、書簡を鉄の厚板で綴じたもの――を取り出す。
「示すところ、五戒十悪を行ってこれを恥と思わぬ者であれば、改心するまで折檻を行う事も致し方なし……さて、ラモチュン、ヤマ、ダワ、ペマ、タシ、サンポ、ソナム、あなた方は、いずれの者でありましょうか?」
あくまで、モーセス・グースの顔は慈悲深く微笑みに満ちている。しかし、間近から見上げるユモには、その目が笑ってはいない事がよく見て取れた。
「さて、どうするのかしら?」
腰に手を当てたまま、ユモは白衣の高官達を見まわす。
「このお坊様の不退転の意思はダイヤモンドより硬そうだけど、あんた達はお坊様を通したくない。こういうの、千日手って言うんだっけ?で、そこで提案なんだけど」
ユモは、二歩ほど前に出る。
「あたし達は、別に
ひたりと、ユモの碧の目がラモチュンの目を見つめる。
「落とし所だと思うんだけど?あんた達が、何人たりとも通すなって言われてるんなら仕方ないけど、モーセスさんをケシュカルに会わすなとか、誰も
「……私達に実際に指示を出したのは」
ラモチュンが口を開く、目を伏せて。後ろの白衣の団員の数人が
「確かにペーター様でした。王子からの伝言の形で、事が終わるまで、誰も奥に近付けないでください、との事でした」
「なんだ、なら何の問題も無いじゃない?」
ユモが、ため息をついてから、言う。
「そもそも論として、あんた達は部外者であるペーター少尉の言うことを聞く義理はない、そうじゃなくて?」
「ペーター様は、もはや部外者ではありません」
ラモチュンは、ユモに向けて顔を上げる。
「昨夜、ペーター様は王子に拝謁を許され、その場で高位の団員としての地位を王子から賜ったのです。大変な特例だけれど……」
「あら」
ユモは、眉を上げ、モーセスに振り向く。
「聞いてた?」
「初耳です。それほど重要な決定が、拙僧にこれほど長く知らされないというのは……」
「意図的なもの、でしょうね。で、この場合の『奥』って?」
「普通に考えれば、王子の『謁見の間』を示すと思いますが、ラモチュンらの階位ではこの次のホールの入り口までしか立ち入れません。そこで指示を受けたとするなら、そこ以降と取る事も出来ます」
「曖昧だわねぇ」
「妙ですな」
ユモの苦言に付け足すように、オーガストが顎に手を当てて口を挟んだ。
「命令伝達は可能な限り文章で、可能な限り受け取り手による解釈違いが起こらないような表現で、可能な限り簡潔に伝えるべき。仮にもメークヴーディヒリーベ少尉は親衛隊の将校、一通りの教育は受けているはずですし、私は彼の人となりをそこまで知るわけではありませんが、この数日御一緒した印象としても、らしくない指示の出し方に思えます……もしや?」
オーガストの表情が、曇る。曇ったまま、オーガストはユモを、モーセスを見る。
「……可能性は、高いでしょう。
「一体、何のお話しですか?
白衣の高官を代表するように、ラモチュンが聞いてきた。
「間違いなく、私達は
聞かれていない事まで、ラモチュンは一気にまくし立てる。まるで、何かを恐れているかのように。
「ペーター少尉殿は、ドルマがここまでしか立ち入れないと、いつ知ったのでしょう?」
ラモチュンの言葉を遮って、モーセスが問うた。
「それは……わかりません、ペーター様はドルマと親しくしていらっしゃいましたから、ドルマから直接聞いていたかも知れませんし、あるいは『
ラモチュンに、そして他の高官にも、その顔に不安の影が見え隠れする。
「一体、何が妙なのですか?
ぱあん。モーセスは、右手に持った経典で左手を叩く。鉄の塊の経典で。まるで、
「ラモチュン、あなたも、薄々は気付いているのでしょう?」
地下の小堂に響いたその音にぎくりと身を縮めたラモチュンに、モーセスは、言う。
「ペーター少尉殿の様子が違っていた事に。いえ、そもそも、今までも、『
「それは……高い位を得るという事は、そういう事だと……私達もいずれそうなる、そうならねばならない、悟るとは、高みに至るとは、真理に近づくとはそう言う事だと……一体、それのどこが妙だと……
「そうです、そのように、皆、教えられ、理解しています」
何かにすがるように、うわずる声で必死に訴えるラモチュンに、優しく諭す。
「その意味するところは、『
「しかし」
ラモチュンは、食い下がる。
「ユモさんも、オーガストさんも、外の方は御存知の様子ではありませんか?」
「はい。拙僧が先ほど、お話ししました」
「な……何故、一体、何故!」
「彼らは、この『都』で高みを、真理を目指さない、必要がないからです。そう、彼らには必要がない。何故なら」
モーセスは、菩薩のような微笑みで、言い切る。
「彼らは、このモーセス・グースと同等か、あるいはそれ以上の階位に既に至っているからです」
「そんな……」
「有り得ません!」
言葉に詰まったラモチェンに変わるように、その後ろに居た高位団員の一人が声を上げた。
「この『都』の外で、それほどの魂の鍛錬を、真理に近づく事など、出来るはずが……」
「どうして、出来ないと思うのですか?」
聞き返すモーセスの声は、優しいが、断固たる響に満ちてる。
「在野にも偉大な
「
「おや?お忘れですか?」
呆然と呟いた、別の白衣の男に向けて、モーセスは言う。
「拙僧自身、御仏の教えを戴く以前はキリスト者であり、今なお神を
「この道を信じて突き進むもよし、この道を疑って立ち止まり考えるもよし。悩む事、疑う事は決して悪い事ではないのです。ただ唯一、高みを目指す自分の事を信じさえすれば、自分の努力を疑う事さえなければ。拙僧の言葉を疑い、拙僧とは違う高みにたどり着くのもそれもまたよしなのです。道はあなた方が迷い、選ぶ数だけあります」
「……『都』を出よと、そうおっしゃるのですか?」
ラモチュンが、半ば呆然と、聞く。
「そう思うなら、それも選択肢でしょう。ですが、性急に道を選ぶ必要はありません。あなた方はまだ若い、時間は充分にあります。自由に、心ゆくまで悩む事です。神も御仏も、思い悩んだその末に、道を見いだしたのですから」
モーセス・グースは、歩き出す。
「そして、拙僧もまた、今もなお思い悩んでいます。この道は正しいのか、と」
ラモチュンを、他の白衣の『光の大師』達を振り返り、モーセスは、言う。
「それを確かめる為にも、さらなる高みを目指す為にも、拙僧は進まねばならないのです……通っても、よろしいですね?」
「……はい。どうぞ、お通りください、
半ば呆けて言うラモチュンに、完爾と笑って、モーセスは自分がかぶっていた帽子をその頭に乗せる。
「ラモチュン。あなたには人の上に立つ器量があります。精進するのですよ」
言って、モーセス・グースは懐から鍵を取り出し、扉の錠に差し込み、回す。
ことりと小さな音がして、錠が解かれる。
鍵を懐に戻したモーセスは、両の
「さあ、参りましょう」
扉を通り抜け、ユモとオーガストが扉を
内側から施錠したモーセスは、言う。
「荒事にならずに済みましたが、扉そのものは拙僧を歓迎してはいないようです」
「どういう事です?」
扉は扉だ、歓迎も何もないだろう、そんな思いから、オーガストが聞き返す。
「この扉は、本来こんなに重いものではないはずです。上の扉もそうでしたが……今まで気になりませんでしたが、扉そのものにも、『ユゴスキノコ』による何らかの細工が施されているのでしょう」
「『奉仕種族』の、ではなくて?」
ユモが、聞き返す。
「そうであるならば、むしろ鍵など関係無しに、拙僧が触れずとも開いたと思います」
「なるほどね」
がらんとした『控えの間』、寒々しいほど広いホールに、三人の声が寂しく響く。
「先ほどの7名は、本来ならばこのホール内に控えているはずの者達です」
「まんまと追い出しちゃった格好だけど、よかったの?何かショック与えちゃったみたいだけど」
「かつての拙僧なら、あのような事は言わなかったでしょう」
ユモに振り返らず歩きながら、モーセスが答える。
「彼らも真理に触れる事を願い、いずれは脳を体から切り離す事を受け入れる、そのように思っていました。ですが、何故でしょう、今は、それが正しいのか、わからなくなっています。少なくとも、人である事を止めるのはもったいない、そう思えるのです……何故でしょうね?」
「あたしが知るわけ無いじゃない?」
「然り」
「それこそ、神ならぬ身の知る由もなし、ですね」
オーガストが、言う。
「天啓とは、そういうものなのでは?」
「かも知れません」
モーセスも、頷く。
頷いて、振り向く。
「拙僧もまだまだ未熟、御仏の慈悲を理解するには修行が足りませんな」
「ユモさんやミスタ・モーリーがあなたと同格以上などと、『嘘も方便』で
それまで黙っていたニーマントが、混ぜっ返す。
「嘘は申しておりませんよ?」
てけり・り。笛を吹くような音をたてて、モーセスは、笑う。
「本心であればこそ、心に響くと拙僧は信じております。そも、モーリーさんは拙僧同様にこの世の
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