第6章 第96話

「あと、どれくらい下るの?」

 いいかげん変化のない下り階段の景色に神経をやられそうなユモが、うんざりした気持ちのにじみ出ている声でモーセスに聞いた。

「あと、踊り場数階で『控えの間』の前のホールです」

 モーセス・グースは、即座に答える。

「そう……ごめん、下ろしてもらえる?」

 聞いてすぐの踊り場で、ユモはそう言ってモーセスの背中から下りる意思を示す。

「構いませんが、拙僧ならまだまだ大丈夫ですよ?」

「そうじゃなくて」

 足を停めて膝をついたモーセスの背中から下りながら、ユモが言う。

「上の通廊であれなんだから、下の『控えの間』?だって油断できないでしょ?準備しておきたいの」

 下りて、二、三度屈伸してから背筋を伸ばしたユモは、続ける。

「肉体労働担当は上に置いて来ちゃったし」

 ユモは、階段の上の見上げる。

「心配ですか?」

 ユモの胸元から、ニーマントが聞いた。

「心配……は、してないわ」

 ユモは、視線を上から戻して、言う。

「ユキは、強いもの。あなた達もさっき見たでしょ?」

 ん?そう、念を押すように、ユモは微笑んで小首を傾げる。プラチナに近いブロンドが、緩く結った三つ編みが、揺れる。

「ええ……」

「まあ……」

 以前よりそれを知っているオーガスト、先ほど目の当たりにしたモーセスが、頷く。

「ほんっとに、あの子は強いのよ。最初に会った時から強かったけど、この時空跳躍タイムリープの旅の間に何度も鉄火場で鍛えられたもんだから、口幅くちはばったいこと言うけど、昨日今日ああなった・・・・・ドルマさん程度じゃ、百戦錬磨のユキは歯牙にもかけないわよ」

「それほど……」

「あれから、もっと強くなった、という事ですか?」

 ドルマの正体をはじめから知っていたモーセスは素直に感嘆し、ユモの言う最初の雪風を知るオーガストは素直に驚嘆する。

 その二人に、ユモは鷹揚に頷き、そして、思う。

――ユキは、強い。それは確かだし、この旅の間に成長しているのも本当。だけど……――

 何度か『友誼を紡ぐ呪いバローム・クロース』で『身も心も』一体となったユモは、雪風が気にも留めず、あるいは気付いていない事であっても、知っている。

――……それすらも、あの子に掛けられてるいくつかの『封印』あっての事。全ての『封印』がもし解かれたとしたら、その時、どれくらいの力を発揮するのか、あたしにも分からない……そもそもそれが、一体何を封じているのかも。けど――

 思って、ユモは、言葉を付け足す。

「そうよ。オーガスト、あんたが知ってるユキより、今のユキは遥かに強いわ。だって」

 にんまりと笑って、ユモは言う。

「このあたし『大魔女リュールカ・ツマンスカヤの娘にして一番弟子』魔女見習いユモ・タンカ・ツマンスカヤと等分の契約で結ばれた使い魔一号フェアトラート・アインス、それがあの子、滝波雪風ユキカゼ・タキナミ。どこまで強くなるのか、その上限はあたしにも計り知れないわ」


「なんと……」

「いやはや、なんとも……」

 先ほどの、『人ならざる』状態のドルマを手もなくひねる様子を見ていたからこそ、雪風の強さにまだまだ上があると言われて、モーセスもオーガストも言葉が出ない。

「そして!」

 ユモは、腰に手を当て、胸を張って、言い切る。

「このあたしこそ、その使い魔フェアトラートに勝るとも劣らない魔女!いずれはママムティをも超える大魔女になる魔女見習い、ユモ・タンカ・ツマンスカヤに他ならないのよ!」

「おお、そうです」

 珍しく、ニーマントの声には感情の色が見える。喜んでいるように、モーセスにもオーガストにも聞こえた。

「そうですとも。そうでなければ。私は、そんなあなた達だからこそ、こうしてついて行こうと思ったのです。あなた方ならば、私に新しい世界を見せてくれるだろうと。そして今まで、私のその判断は間違ってはいなかった。恐らく、これからも間違いはないでしょう」

「ええ、請け合ってあげるわ」

 満足そうに頷いて、ユモは言う。

「だから、そんなこのあたし、魔女ユモ様が、誰かに背負われて出てくるなんて無様な登場の仕方なんて、出来るわけがないじゃない?」

「ああ……」

「そういう……」

 絶妙にユモらしい、少女らしいとも言える話しの着地点に、分別ある大人の領域にある成人男子二人は、苦笑して答えた。


「と言うわけだから、ここからはあたしも歩くわ」

 まるでそれがものすごく有り難い事のように言い切ってから、ユモは左腰の銃剣バヨネットをすらりと抜く。

「でも、その前に準備だけはしておかないと」

「準備、ですか?」

 ユモの本意を掴み損ねたオーガストが、聞く。

「そう、準備。だって、今のあたしには身を挺して護ってくれる使い魔一号フェアトラート・アインスが居ないんですもの」

 銃剣バヨネットの先端を右腰の弾薬盒パトローネンタッシェの聖水の小瓶にわずかに浸しながら、ユモが答える。

「だから、万一に備えて、出来る限りの『お守り』は付けておくの」

 聖水の隣の小瓶から聖灰をひとつまみ取り出しながら、ユモはオーガストとモーセスに言う。

「あなた達にもお裾分けしてあげるから、感謝なさい」

 コケティッシュなウィンクを大人二人に向けて投げかけてから、ユモは聖灰を振りまき、呪文を唱え始める。

アテー マルクト王国よ……」

 カバラ十字の技法で自分とその周囲のエーテルを整え、場を清めてから、

パーテル アヴェ クレド天にまします我らが父よ よろこばしきかな 我、祈り称えん

 ユモは起式を宣言する。ユモの足下を中心に、エーテルの横渦が同心円状に、はじめは小さく早く、広がるにつれて大きくゆっくり、聖灰を巻き込んで広がる。

オムニポテンス アエテルネ デウス永遠にして全能なる神よ……」

 この旅の間、何度唱えただろう呪文の定型句を、ユモは瞑目めいもくして唱える。

「これは……」

 仮にもチベット密教を修める身であるモーセスには、見えた。

 ユモの足下から広がる、まるで夜光虫を巻き込んだ波が広がるかのようなエーテルの波動が。

「これが……」

 人ならざるものに半ば変容しているオーガストにも、見えた。

 ユモを中心に、振りまかれた聖灰が淡く光り、次第に五芒星を、さらには大天使の紋章シジルを描くのが。

「……オロ ウト我がもとに スピリトゥム セラフィム デ カマエルセラフィムたるカマエルを遣わし オルディネ ミッタス我に従わしめよ……」

 特定の精霊、大天使を召喚する呪文を唱え、ユモはその精霊に命ずる。

「我は汝、たけき天使カマエルに請い願う!汝の盾をもって我らにあだ奴原やつばらを退け、汝の剣をもって我らに仇成す奴原を切り払いたまえ!」

 凜とした声で精霊に命じると共に、ユモは眼前に構えた銃剣バヨネットを斜めに振り下ろす。聖灰の淡い煌めきが銃剣バヨネットに引かれて横に流れ、ユモと、モーセスとオーガストにも薄く纏いつく。

「我は重ねて汝に請い願う!今暫いましばらく我が元にその威光を留め置きて、我の求めに応じてその力存分に振るいたまわんことを!願わくば、我が剣にその力宿したまわんことを!」

 声に合わせ、ユモは銃剣バヨネットを眼前で水平に構え、その切っ先を左手で支える。燐光が銃剣バヨネットの刀身に集まり、刀身に彫られた唐草模様が淡く光る。

「我、偉大なる魔法使いマーリーンに連なるユモ・タンカ・ツマンスカヤは、今ここに精霊を使役し、我の思いを成し遂げんと欲す。精霊の力在りしところから、あらゆる不幸の力、あらゆる悪しき迷妄と手管が追い払われるように。アテー マルクト王国よ ヴェ・ゲブラー峻厳と ヴェ・ゲドラー荘厳と レ・オラーム・アーメン永遠に かくあれかし……」

 呪文に合わせて再度十字を切ったユモは、うやうやしく、どことなく雪風のそれに似た仕草で、淡く光る銃剣バヨネットを鞘に納刀する。

「……よし!」

 納刀してから一拍置き、深呼吸したユモは、気合いを入れ直す。

「何があるか分からないけど、ちょっとそっとの事ならこれで何とかなるはずよ」

「……魔法の……何かが、我々に……?」

 モーセス・グースが、自分の体を見下ろし、見まわしながら、おずおずと尋ねる。

「大天使の加護、熾天使カマエルセラフィム・デ・カマエルの聖なる盾をあたし達三人に施したのよ」

 胸を張って、ユモは答える。

「何があるか分からないから、もう一つ、精霊を励起状態にして銃剣バヨネットに宿しておいたから、いざとなれば咄嗟の攻めも護りも出来ると思うけど……何?御不満?」

 ジロリと、低い位置から睨めつけるように、ことさら下から見上げるように、ユモは大人二人を睨む。

「いえ、不満などあるわけではないのですが、実感が伴わないもので」

「ああ、わかります」

 魔法など、かけた事もかけられた事もない、むしろ宗教的には魔法を否定する立場ですらあったモーセスの戸惑いに、多少なりともその手の経験を積んできているオーガストが同意する。

「魔法というのは、まじないを行って即座に目に見える変化がある場合と、その時まで何も変わらない場合と、たとえ呪いが発動しても魔法である事に全く気付かない場合と、大きく三つあるように思います。然るに、これはつまり第二の場合に相当するのでしょうね」

「そういう事。分かりやすく、白銀の鎧でも身に着けたいってんならサービスしない事もないけど、そんな見てくれだけの鎧に意味は無いし、そういう趣味でもないでしょ?あんた達は」

「ご心配なく、お二人とも、大変に強靱な放射閃オドを纏っていらっしゃいます。この私が保証します」

 ユモに続けて、ニーマントが太鼓判を押す。

「まあ、ミスタ・ニーマントがそうおっしゃるなら、そうなのでしょう。目の良くない・・・・・・私にはよく見えない、そういう事なのですね?」

「そういう事。オーガスト、あんた、暫く見ないうちにずいぶん物分かりがよくなったんじゃなくて?」

「この十年で、それなりに経験も積みましたから。何より、スラヴの魔女には色々と世話になりましたので」

「そこんとこ、時間があれば詳しく聞きたいところよね……ああ、そうそう、言っとくけど、今の魔法は護りに特化しているから、攻めは自前で何とかしてちょうだいね」

「……何となく、分かりました」

 自分の手を見下ろしていたモーセスが、呟き、視線を上げる。

「ご心配には及びません。この拙僧、モーセス・グース、信仰のあつさと体の丈夫さには少々自信がありますゆえ

 凄みのある笑顔で、モーセスは言う。

「まあ、信仰はともかく体はドルマほどではありませんが……とはいえ、なるべくなら、志を同じくする同胞に手荒な事をしたくはありません。拙僧は、『光の王子』に物申さんと思うのみでありますから、理非を説いて言って聞かせれば、皆、分かってくれる事でしょう」

 モーセスは、自身も無意識に、自分の胸元に手を当てる。そこに仕舞われている、『智の経典のモーセス・グース』の二つ名の所以ゆえんとなった大蔵経の経典を、愛おしそうにさする。

「だといいけど……じゃあ、行きましょうか?」

 袈裟懸けに背負っているGew71アンスヴァルト背負い紐スリングを調整しながら、ユモが言った。

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