第5章 第82話

「それはそうと、糧食レーションですが」

 言って、オーガストは腰を上げると、一抱えほどの木箱の一つをバールでこじ開けた。

「米軍のもので良ければ。乾パンとポーク&ビーンズ、コンビーフとチョコレートが少々、といったところですが」

 油紙でひとまとめにされた缶詰の塊を手に言ったオーガストに、雪風が呟く。

「米軍のレーション、かぁ……」

「何、知っているの?ユキ?」

「や、この時代のは知らないけどさ……」

 ナポレオン戦争頃から、各国軍隊は『糧食』の開発を始めていた。米軍は比較的開発が進んでいた国でもある。

「……贅沢言えた身分じゃないけど。缶詰って、ゴミ処理で悩むのよね……お?あ!」

 隣の、既に蓋の開いている木箱の中を覗き込んで、雪風は声を上げた。

「オーガストさん!これ……」

「ああ、それですか」

 雪風が目ざとく見つけた、.45APC弾とハーフムーンクリップの紙箱を見て、オーガストは苦笑する。

「それも、私には殆ど必要ないですから、要るだけ持っていって結構です。弾薬盒アモ・パウチもありますよ」

「やたっ」

 心底嬉しそうに、雪風は指を組んだ両の掌を顔の横に上げ、満面の笑みを浮かべる。

「いやあ、M1917結構好きになってきたんですけど、弾がね、クリップないとどうにもならなくて」

 いそいそと紙箱を木箱から出しながら、雪風は呟く。

 かつて、スペリオール湖畔で雪風がオーガストから譲り受けた拳銃は、M1911オートM1917リボルバーの二丁だった。そもそも、米軍は1911年に自動拳銃M1911を正式採用したが、直後に勃発した第一次大戦においては調達不足が発生、急場をしのぐ目的でコルト社とスミス&ウェッソン社に、M1911と同じ弾薬を使用出来る『回転式拳銃リボルバー』の製造を指示、1917年に正式採用している。

 両社とも、既に量産中の拳銃を改修する形で軍の要求を満たしたため、銃そのものの性能にはなんら問題はなかったが、自動拳銃オート用の弾薬を回転式拳銃リボルバーに使うのは若干の無理があり、不発や排莢不良などの問題があることは当初より分かっていた。

 これを緩和する方法として、S&W社の特許である『ハーフムーンクリップ』が軍の命令によりコルト社にも提供され、M1917を装備する兵士には、このクリップと弾丸がセットで供給されていた。

「いや、ガバはやっぱ最高なんですけどね、やっぱほら、こういう寒いとことか、リボルバーの方が信頼性が高いって言うか」

 スペリオール湖畔でオーガストから拳銃と弾薬を譲り受けた雪風であったが、そのハーフムーンクリップ(と、そこにセットされた弾丸)はその時にオーガストが持っていた数セットしか無く、現代式の近接戦闘CQB――複列弾倉ダブルカラム自動拳銃オートをダブルタップで撃ちまくるような――が身についてしまっている雪風は、心許こころもとなく思っていたのだ。

 これも譲り受けたガンベルトを介して左腰に付けているホルスターから、クロスドローでコルトM1917を抜いた雪風は、サムピースを引いてシリンダーをテイクアウト、そのシリンダーごと支えた左手でエジェクターロッドをプッシュ、銃から外した右手で排出された2個の、それぞれ三発の弾薬がセットされたハーフムーンクリップを受け取ると、慣れた手つきでその弾薬カートリッジをシリンダーに戻し、そしてシリンダーをフレームに戻す。

「これでやっと、遠慮なくコルトも使ってあげられるなって。ありがとうございます、オーガストさん。遠慮なく、いただきますね」

 笑顔で、雪風はM1917コルトをホルスターに仕舞う。

「どうぞ……しかし、コルトは分かりますが、『ガバ』とは?」

「え?」

 オーガストに聞かれ、雪風は一瞬きょとんとし、一拍置いてから、あ、しまった、という顔になる。

 コルトM1911は、軍用としては、あるいはアメリカではあくまで『M1911ナインティーンイレブン』であり、特に日本のガンマニアに浸透している『ガバメント』あるいは『ガバ』という呼び名は、戦後の特定の市販モデルから発祥した、日本ローカルな呼称であった。

「えーっと……」

 そんな事を口に出来るわけもなく、雪風は、困る。

「……ユキは、なんにでも名前付けるもんね」

 見かねたのか、ユモが絶妙なタイミングで口を挟んだ。

「ちなみに、コレは『Answaldアンスヴァルト』よ」

 自分が背負っていた、自分の身の丈程もある旧ドイツプロイセン王国の旧式ライフル、Gew71を肩から下ろして、ユモは言う。

「アサ神の、とか、支配者、とかいう意味だけど。ガバって、何の事だっけ?」

「あ、えーとね、『governmentガバメント』、政府の略だけど、オーガストさんは知らないかな、民生用のM1911がそう呼ばれてて、その略っていうか」

 あはははは~っと、ユモの助け船に飛び乗った雪風は、後ろ頭を掻きつつ、冷や汗ものでごまかす。

「……なるほど」

 顎に手を当ててその様子を見ていたオーガストは、一拍置いてから小さく頷いて、言う。

「スペリオール湖畔の一件以来、世俗から遠ざかってますから、民間の事情には疎いもので……そうですか」

「は、はい。ガバ自体も、今は改良型のM1911A1が出回ってるはずで」

 そういう事に関しては、雪風は父親譲りの『実生活で全く役に立たないウンチク』を豊富に持っている。

「ほう、それは知りませんでした。何しろ、軍の公報もここには届かないもので。惜しいですな、新型を持っていればお譲りできたものを」

「いえそんな。てゆーか、そんなにポンポン手放しちゃって大丈夫なんですか?」

「今の私には、銃より頼りになる『スラヴの魔女バーバ・ヤガーの加護』がありますし、先ほどユキさんがおっしゃったとおり、これほど寒いと回転式拳銃リボルバーの方が頼りになります」

 軍用コート――に見える白熊の毛皮――を少しはだけたオーガストは、左腰のフラップ付きホルスターに収めたM1917の銃把グリップを雪風に見せる。

「使う事は滅多に無いですし、情報と引き換えに交換した、という方便も使えますし。その辺は大丈夫です、ご心配には及びませんよ」

 言って、オーガストは、ニヤリと笑ってみせる。


「……どうかしましたか?」

 食卓テーブルに並ぶ食事を見て、軽い驚きとも失望とも見える表示をするケシュカルに、貴き宝珠マニ・リンポチェは声をかけた。

 ユモと雪風、オーガストがサンドウィッチを囓りながら『都』から離れた後。ドルマに連れ出され、案内されるままにたどり着いた『都』の寺院の、高位の同胞団員ブラザーのみが使用する食堂の個室で、ケシュカルは貴き宝珠マニ・リンポチェ及びペーター・メークヴーディヒリーベ少尉と食卓を囲んでいた。

「あ、その」

 ケシュカルは、目の前の盆に盛られた食事、普段の食堂で摂るものと代わり映えのしないそれから目を上げて、ちょっとバツが悪そうに貴き宝珠マニ・リンポチェに答える。

「王子は、もっと良いもの喰ってるんだろうなって思ってたんで。予想が外れたなって」

「これ」

 ペーター・メークヴーディヒリーベが、ケシュカルをたしなめる。

「無礼ですよ」

「構いませんよ」

 優しく微笑んだまま、貴き宝珠マニ・リンポチェはケシュカルにさとす。

市井いちいでは、身分の高いものはそれに見合った豪勢な食事を摂るもの。ぜいを楽しむ、それは権力の、あるいは財力の象徴であり、証明でもある。多くの場合、それを行うものは、それに見合った働きをしているのでしょうし、その働きに見合った見返りとしてそのような楽しみを求めたとて、分をわきまえた範囲であれば批難するに値しないでしょう」

 貴き宝珠マニ・リンポチェは、目を細める。

「ですが、この『都』における私は、そういうものとは違うのです。この都においては、私は、私以外の同胞団員ブラザー達も、『求道者』という意味で、他の皆さんと何も変わるところはありません。ですから、私も、他の同胞団員ブラザーも、外からいらした来訪者ゲストも、一様に同じ食事を戴くのです」

「でも、王子は……」

 真っ直ぐに貴き宝珠マニ・リンポチェの目を見て、ケシュカルは聞く。

「王子は、この『都』の支配者で……」

「支配者、ではありませんよ」

 貴き宝珠マニ・リンポチェは、手を振って否定の意を表す。

「王子は、『指導者』であって、『支配者』ではないのですよ」

 ペーター・メークヴーディヒリーベが、ケシュカルに説明する。

「その通りです」

 貴き宝珠マニ・リンポチェは、肯定する。

「『都』の運営においてはまとめ役が必要ですし、より真理に近づけた者は、そうでない者を導く義務があります。とはいえ、私も求道者、道半ばである事に変わりはありません。そして、ここでの食事は主に頭、脳の働きを善くすることを目的に調理されています。そのおかげで、同胞団ブラザーフッドの皆さんも、より早く、より確かに道に辿り着けるとというものなのですが……そうですね」

 顎に手を当て、貴き宝珠マニ・リンポチェは少々考え込む様子を見せる。

「育ち盛りのケシュカル君には、量も味も、物足りないものであるのかも知れませんね」

「そ、そんな事は……そんな事は、ちょっと……」

 ケシュカルは、小さくなってしまう。

「まあ、仕方のない事でしょう」

 ペーター・メークヴーディヒリーベが、ケシュカルを取りなす。

「さあ、それよりも、いただきましょう……ここでは、沈黙のルールは適用されないという事でよろしいのですね?」

 ペーター・メークヴーディヒリーベは、貴き宝珠マニ・リンポチェに確認する。

 頷いて、貴き宝珠マニ・リンポチェは、

「私は、食事の間に『都』の運営に関する情報交換などを行うためにこの部屋を使っています。ですから、この場では、沈黙のルールは適用されないと思っていただいて結構です」

「なるほど」

 ペーター・メークヴーディヒリーベは、大仰に頷く。

「という事なので、ケシュカル少年、失礼にならない程度に、大いに歓談しましょう」

 そう言ってケシュカルに微笑むペーター・メークヴーディヒリーベが完璧なチベット語で話していることに、『言葉通じせしむまじない』の影響下にあるケシュカルは、気付く事は無かった。

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