第4章 第44話

「そういうことであれば……お話をうかがわないわけにはいきません」

 モーセス・グースは、真顔で、まだペーター少尉の隣にいるドルマに命ずる。

「ドルマ、先に行って、ラモチェンにお客様のお部屋と、ちょうど時間ですからお食事を用意するよう伝えて下さい。それから、『光の王子』にこの事が伝わるよう、あなたからラマ達に伝えて下さい」

 そして、モーセス・グースは、一行に向き直る。

「皆様には、用意が出来るまで、しばしお待ちいただくことをお許し頂きたい。なに、ペーター殿の部屋は既に用意済み、ユモ嬢とユキ嬢の部屋も仕度したくは済んでいます。モーリー殿の部屋の用意と、皆様の食事の用意だけですから、大した時間は取らせません」

 そう言って、モーセス・グースはケシュカルに視線を向ける。

「ケシュカル君は、拙僧と来て下さい。あなたには、お客様とは別に、僧院に来ていただきます」

 言いながらモーセスはケシュカルに近づき、その肩に手を回して連れ出そうとする。

「待って」

 そのモーセスの動きを、ユモの一言が、何事かと、地下都市への入口をくぐりかけたドルマが振り向いたほど鋭い一言が止める。

「上手いことケシュカルだけ連れて行こうったって、そうは行かないわよ」

 ユモは進み出て、ケシュカルの肩に置かれたモーセス・グースのキャッチャーミットのような手に、自分の手を載せて引き留める。

「いえ、拙僧はそのような……」

「モーセスさん、あなたは一度、あたし達にウソをついてるんです」

 モーセス・グースの言葉を、ユモの横に立った雪風が遮る。

「あなたはおととい、『ケシュカルを明日連れ出す』と言いましたけど、実際にはケシュカルが連れ出されたのはその晩のこと、ですよね?」

「それは……」

「最初は無関係かなって思ってたけど、昨日、この現場であたし達が見た遺体、その傍に、あたしに斬りつけてきた刃物が散らばってたんですよ」

 モーセスの目が、一瞬だけ、見開かれる。

「……遺体?」

 ペーター少尉が、問う。

「あの晩、ケシュカルを連れ出した男達の、哀れにも無残な最後の姿、よ」

 皮肉そうに片頬を歪めて、肩越しにペーター少尉に視線を投げたユモが答えた。ペーター少尉は、その答えを聞いて、小さく呻く。

「点と点が線で繋がり始めた以上、他の線も繋がないと気分悪いでしょ?だから、あたし達は知りたいのよ」

 モーセスに視線を戻したユモが、下からモーセスの目を見上げ、睨む。

「あんたが、それともあんた達が、この、可哀想なケシュカルに一体何をしたのか、何をさせたのか」

「そして、これから何をさせるつもりなのか」

 ユモの言葉の先を、雪風が引き継ぐ。

「あたし達は異邦人エトランゼだから、全部無視してハイさようならでもいいっちゃいいんです。けどね」

 雪風の手が、ユモの手の隣、モーセスの右手の手首にに載り、握る。

「ただ、腹の虫が治まらないんですよ」

 雪風の右手に、力が入る。わずかに俯いた雪風の表情は背中に届く長い髪に隠れ、すぐ近くから覗きこめるユモ以外には、特に上から見下ろすモーセス・グースにはうかがい知ることは出来ない。

「腹の虫が治まらないって言うか、スッキリしないって言うか」

 ただ、わずかに覗く口元は、笑っているのか、いかっているのか。口角が上がり、ちっりと見える犬歯が、大きく、目立つ。

「スッキリさせとかないと、後悔が残るなあって、そう思うんですよ」

 雪風の声に、ドスが載る。モーセスの右手が、雪風の右手に引かれて、軽々とケシュカルの肩から離れる。

「だから、教えて下さい、全部」

 顔を上げた雪風の真剣な目が、モーセスの目を射抜く。力を緩めた雪風の右手から、モーセスの右手が離れる。

 しばし、雪風の檜皮色ひはだいろの目を見つめ返したモーセス・グースは、視線をユモに移し、そのみどりの目が雪風と同じ力で見返していることを知る。

「……いかっていらっしゃるのですね?拙僧に対して」

「モーセスさんだけが悪いわけじゃないし、事情もあるんだろうってのは頭では解るんですけどね」

 口調は軽いが、雪風の目は笑っていない。

「悪いけど、虚仮こけにされるのは、どうにも我慢出来ない性分なんです」

「ユキを怒らすと本当に怖いわよ。あたしは最初の一回で懲りたもの」

 雪風のすぐ斜め後ろで、ユモが軽口をきく。

「でも、あたしもね、小娘と侮られたのは頭にきてるの。ペーター・メークヴーディヒリーベ少尉、あなたも怒る権利があってよ?」

「私に?」

 急に話を振られたペーター少尉は、驚いて問い返す。

「そして、誰よりも怒るべきは、ケシュカル、あなただわ」

 ペーター少尉の疑問には答えず、ユモは自分よりやや高いケシュカルの肩に手を置いて、まっすぐモーセス・グースに向かせる。

「なんたって、良いようにされた当の本人ですもの」

「本当の事を知って、それからどうするかを君が決めるまで、あたし達は君を護るつもりよ。だから」

 ユモの手に手を重ねるようにして、雪風もケシュカルの肩に手を置いて、言う。

「ケシュカル君、君は、思ってる事を言うべきよ」

「俺は……」

 それまでは萎縮していたのか、ただ話している者の顔を見ているだけだったケシュカルが、口を開いた。

「……俺は、わからないんだ。なんにも。わからないし、思い出せない。だから、知りたい」

 

「昨日、ユキにぶっ叩かれて、そのおかげで少し頭がスッキリしたけど、まだいろんな事が分からない」

 ケシュカルは、モーセス・グースの目を見つめている。

「兄さんの顔は覚えてるけど、兄さんに何をされたか、兄さんに何をしたかは思いだしたけど、他の事が思い出せない。兄さんと、もう一人、変な顔の、変わった男、それしか。だから」

 一歩前に出て、ケシュカルはモーセス・グースの袈裟を掴む。

「お上人様。お願いします。俺、思い出せるなら、何でもします。だから、知ってる事、教えて下さい」

 強く、必死に袈裟を握り、すがりつくケシュカルを見下ろし、モーセス・グースはため息をつく。

「……拙僧の一存では決められません。そして、今あなたが思い出せていない記憶、それを取りもどせる保証も出来ません。ですが、拙僧個人としては、拙僧はケシュカル君の力になりたいと思っています」

 ケシュカルを見下ろしていた視線をユモに、雪風に、そしてその後ろの二人の軍人に向けて、モーセスは言う。

「一つだけ、拙僧の名誉のため、申し開きをしておきます。拙僧は本当に、翌朝にケシュカル君を連れ出すつもりでした。翌朝にはナルブ閣下と葬儀に向かう予定が既に組まれていましたから、その前にケシュカル君を連れ出す理由が拙僧にはありません」

「えっと、それって……」

「……どういう事?」

「……グース師、あなたより上位の何者かによる指示、ですね?」

 咄嗟にモーセスの告白の内容を理解しきれなかった雪風とユモの呟きに、後ろから、ペーター少尉が答える。

「しかし、あなたより上位となると……」

「拙僧は、少なくとも今はその疑問にお答えする事は出来ません」

 顎に手を当てて考え始めたペーター少尉に、モーセス・グースはそう答え、そして、言う。

「しかし、ユモ嬢とユキ嬢のおっしゃりたい事はわかりました。お二人からすれば、こちらの事情がどうあれ拙僧がお二人を騙したと言って間違いはありません」

「少尉さんもよ」

 ユモが、間髪入れず訂正を促す。

「然り。皆様には、この場で正式に謝罪いたします。その上で拙僧は、皆様に納得いただけるまで、ケシュカル君を皆さんの目の届くところに留め置く事をお約束いたしましょう」

「信用して、いいんですか?」

 雪風が、真顔で聞く。普段は優しげな、少し眠そうな垂れ気味の檜皮色の目は、しかし、鉄壁をも射抜きそうな眼光をしたためている。

「拙僧の名誉にかけて、お約束いたしましょう」

「……いいわ」

 腰に手を当ててモーセスの顔を睨みつけていたユモが、息を吐く。燃えるようだった吊り気味の碧の瞳から、ふっと力が抜ける。

「でも、約束が果たされたところで差し引きゼロ、それまでは……」

「……精進いたしましょう」

 モーセス・グースは、二人の少女に向けて合掌し、こうべを垂れた。

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