第四章-月齢27.5-
第4章 第41話
「ここに、いらしたのですか」
下生えを揺らして現れたドルマは、そう言ってペーター少尉に近づく。
「ああ、ドルマさん」
山の端から遅い朝日が顔を出す時間帯、『都』の入り口を見下ろす崖の上。傾斜の緩くなったところを上った先の、灌木の間のちょっとした広場。
適当な岩に腰掛け、
「『都』の方は、もっと遅い時間に起床されるとうかがってはいましたが、どうにも私は早くに目が覚めてしまいまして」
湯の沸いた
「因果なものです。
言いながら鍋の様子を見ていたペーター少尉は、苦笑しながら、同じように傍の岩に腰を下ろしたドルマに向き直る。
「その間、色々と、
「環境……」
ドルマは、小さく呟き、ちょっとだけ口をつぐんでから、
「……いい香り」
「
呟いたドルマに、鍋に目を戻しながら、ペーター少尉が答える。
「……飲みますか?」
小袋に砕いた豆を入れて煮出したコーヒーを
「いえ、お気持ちだけ」
ドルマに遠慮され、差し出した蓋を戻したペーター少尉は、香りを嗜んでから一口含む。
「……ちょっと薄いかな?」
「私、お邪魔してしまいました?」
「いえ、恐らく『挽き』が足りなかったのでしょう……
ドルマの問いかける視線に、ペーター少尉はそう答えて、
「……試してみますか?」
水筒の蓋を外し、一口分だけ
「……では、一口だけ」
見慣れない真っ黒なそれを、今度はドルマは受け取り、匂いを嗅いでからおそるおそる口に含み、そして顔をしかめる。
「やはり、苦かったですか?」
ちょっとだけ悪戯っぽい微笑を浮かべたペーター少尉に聞かれたドルマは、顔をしかめたまま、頷く。
「ミルクと砂糖を入れると飲みやすくなるのですが、ここではちょっと……お口直しに、これを差し上げましょう」
ペーター少尉は、そばに置いてあった
「……甘い……」
「
「……そのために?」
「そればかりではありませんが。慣れると、この苦さと酸味が癖になるのです。
「ちょっと失礼して、朝食を済まさせて下さい。『都』の食事まで、どうにも腹がもちそうにありませんから」
「何なら、ご一緒にいかがですか?
「時に、ドルマさんも早起きされたのですね?」
結構な量の
「……はい、私も昨日まで町に居ましたから、習慣はそう簡単には」
ついばんでいたパンを飲み込んでから、ドルマは答える。
「面白いですね……この
手に持ったパンを見下ろしていた視線をペーター少尉に向けて、ドルマは聞く。
「先ほど、ペーター様は、環境は人を創るとおっしゃいました。だとしたら、食事も、環境の1つでしょうか?」
「重要な要因だと思います」
もう一枚、薄目に
「食は、生活の要であり、文化でもある。文化そのものと言っても良いかもしれません」
「だとしたら……」
ドルマは、服の上のパン粉を払いながら、言う。呟くように。
「ペーター様は、やはり『都』ではお食事をなさらない方が良いかも知れません」
「?」
その言葉の真意をくみ取れなかったペーター少尉は、怪訝な目でドルマを見る。
「『都』の食事は、ペーター様のお口に合わないでしょう、という事です……ごちそうさまでした」
言って、立ち上がったドルマは、うーんと伸びをする。
「あら、お行儀悪くてすみません。お腹が膨れたら、少し眠くなってしまって……実は夕べ、遅くまで頼まれ仕事をしていまして」
「それは良くないですね」
ペーター少尉は、
「もし、この後特に仕事がないのであれば、少し横になられては?日が高くなるまで」
「でも……」
「私ももう少しお茶をして、頭をスッキリさせてから、今までの事とこれからの事を整理したいと思っています。その間に一緒に淑女の見張りするくらいは、任せていただいて結構です」
微笑むペーター少尉に、ドルマは、微笑み返す。
「……では、少しだけ……はしたない女だと思わないでくださいね」
「それはもう」
ペーター少尉は、笑顔で請け合った。
「なあ、あんた、なんであんなに強いんだ?」
昨日通った道を辿って戻るかたわらで、唐突にケシュカルは先頭を歩く雪風に聞いた。
「あたし?なんでって言われてもなぁ……」
半ば正体を晒したとは言え、あまり深い所までは言いたくはない。そう考えて、雪風はありていな回答を咄嗟に脳内で組み立てて、
「……鍛えてるから?」
当たり障りが無いと思った答えを口にする。
「鍛えてるって、あんたは軍隊か何かなのか?」
「軍隊って」
素直にケシュカルに聞き返され、雪風は閉口する。
「そうですね、むしろ、下手な軍人よりよほど近接戦闘は上手いように思います」
後ろを歩くオーガストが、口を挟む。
「どこでどう学んだのか、我が軍の為、是非教えていただきたいものです」
んなもん、あんたら米軍の、何十年か後の標準的CQBとかの教本そのままよ。頭の中だけでそう呟いてから、雪風は作り笑顔で振り向く。
「そこんところは、機密って事で」
そもそも
「剣道は日本刀に特化してるし、銃剣道も日本のは突き重視だし」
もちろん雪風は、より実戦的な自衛隊銃剣格闘も習っているが、そこは黙っておく。
「なるほど。国民全てに訓練が行き届いている、という事ですかな?」
「じゃなくて!」
「やっぱり、軍隊なのか」
「違うってば!」
オーガストとケシュカルの誤解を、即座に雪風は否定する。
「あたしは、ただの中学生よ!ママとパパと、あと師範から教わってるだけ!」
「中学生?」
「ママとパパから?」
「えっと……」
ケシュカルとオーガストに同時に聞かれて、雪風は一瞬、返答に詰まった。
「つまり、剣術は母親とクラブ活動から、銃器は父親から主に教わっており、いずれも全くの民間の活動である、という事ですか?」
ケシュカルとオーガストの質問にまとめて答えた雪風の言葉を要約して、オーガストが確認する。
「まあ、そういう事です」
げっそりした顔で、雪風は肯定する。
「……思い出した、今更だけど」
ユモが、ぼそりと言う。
「
「この時代?」
「あ、いや……」
うっかり口を滑らせたことに気付いて、ユモはごまかす。
「……片やナチスが台頭するドイツと、片や大陸侵出を始めた日本、アメリカとしては頭の痛い時代、って事よ」
「……まあ、その通りです」
オーガストが、低い声で同意する。
「米軍としては、関係国の事情、特に軍事的な素養などは把握しておくべき重要な要件です。残念なことですが……」
「あー……そういう事か……」
雪風も、ユモが何に気付いたか、ピンと来た。
「オーガストさん、『戦力』としての日本の素養が気になる、って事ですね?」
最後尾のオーガストに振り向いて、雪風が軽く言う。
「そういう事なら、あたしん家の事情は特殊すぎて参考にはならないですよ。ただ……」
一息、ため息をついてから、雪風は付け足した。
「……きっと、何かあったら、ろくな結果にはならないだろうって、そう思います。日本も、ドイツも」
「同感だわ」
それ以上の語る言葉を、ユモも雪風も、持たなかった。
「よくわからないけど……」
数瞬の沈黙を破ったのは、ケシュカルだった。
「俺は、強い女は好きだ。
振り向いたケシュカルの笑顔には、一片の邪気もない。
「あんたは、
明け透けな、直球の一言。
「うぇ?」
「ですってよ?」
流石に驚いた雪風を、ニヤニヤ顔でユモは肘でつつく。
「どう?あんたみたいな乱暴者を嫁に欲しいだなんて、金輪際ないんじゃない?」
「いやぁ……」
ちょっと照れつつ、しかし、雪風は、
「……嬉しいけど、さ。あたしたち、多分もうすぐ、ここから居なくなるから……」
ちょっと寂しげに笑って、雪風は、言う。
「……ごめんね」
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