第四章-月齢27.5-

第4章 第41話

「ここに、いらしたのですか」

 下生えを揺らして現れたドルマは、そう言ってペーター少尉に近づく。

「ああ、ドルマさん」

 山の端から遅い朝日が顔を出す時間帯、『都』の入り口を見下ろす崖の上。傾斜の緩くなったところを上った先の、灌木の間のちょっとした広場。

 適当な岩に腰掛け、飯盒コッヘル携帯コンロエスビットに載せて湯を沸かしていたペーター少尉は、足音のした方を振り向き、笑顔でドルマを迎える。

「『都』の方は、もっと遅い時間に起床されるとうかがってはいましたが、どうにも私は早くに目が覚めてしまいまして」

 湯の沸いた飯盒コッヘルの中に、何やら小さな布包みを放り込みながら、ペーター少尉は言う。

「因果なものです。一般親衛隊アルゲマイネ エスエスは組織こそ軍隊に似ていますが基本的に事務職ですし、そもそも私は先祖遺産・古代知識の歴史と研究協会アーネンエルベの職員で、一般親衛隊に出向しているに過ぎません。しかし、今回この地に調査に入って早一月、その前の訓練と、国内での発掘調査その他で私は一年近く、このような生活を続けています」

 言いながら鍋の様子を見ていたペーター少尉は、苦笑しながら、同じように傍の岩に腰を下ろしたドルマに向き直る。

「その間、色々と、国防軍ヴェアマハト武装親衛隊ヴァッフン エスエスから派遣された下士官にみっちりしごかれました。いつの間にか私も、軍隊の生活にどっぷり浸かってしまっていたようです……環境は、人を創るのですね」

「環境……」

 ドルマは、小さく呟き、ちょっとだけ口をつぐんでから、

「……いい香り」

コーヒーカフィーです」

 呟いたドルマに、鍋に目を戻しながら、ペーター少尉が答える。

「……飲みますか?」

 小袋に砕いた豆を入れて煮出したコーヒーを飯盒コッヘルの蓋――取っ手付きで、フライパンやスープ皿に使える――に注ぎつつ、ペーター少尉はドルマに聞く。

「いえ、お気持ちだけ」

 ドルマに遠慮され、差し出した蓋を戻したペーター少尉は、香りを嗜んでから一口含む。

「……ちょっと薄いかな?」

「私、お邪魔してしまいました?」

「いえ、恐らく『挽き』が足りなかったのでしょう……バター茶プージャには慣れましたが、やはり、朝はこれが無いと、どうにも私は。『都』の中では湯を沸かすわけにいきませんし」

 ドルマの問いかける視線に、ペーター少尉はそう答えて、

「……試してみますか?」

 水筒の蓋を外し、一口分だけ飯盒コッヘルからコーヒーを注いで、再度ドルマに差し出す。

「……では、一口だけ」

 見慣れない真っ黒なそれを、今度はドルマは受け取り、匂いを嗅いでからおそるおそる口に含み、そして顔をしかめる。

「やはり、苦かったですか?」

 ちょっとだけ悪戯っぽい微笑を浮かべたペーター少尉に聞かれたドルマは、顔をしかめたまま、頷く。

「ミルクと砂糖を入れると飲みやすくなるのですが、ここではちょっと……お口直しに、これを差し上げましょう」

 ペーター少尉は、そばに置いてあった雑嚢ブロートボイテルからショカコーラの缶を取り出し、中身を二摘まみほどドルマに渡す。受け取ったドルマは、その1つを口に含み、

「……甘い……」

チョコレートショコラーデです、甘さが引き立つでしょう?」

「……そのために?」

「そればかりではありませんが。慣れると、この苦さと酸味が癖になるのです。バター茶プージャのように」

 雑嚢ブロートボイテルからライ麦パンコミスブロートとラードのスプレッドを取り出しながら、ペーター少尉はドルマの質問に答える。

「ちょっと失礼して、朝食を済まさせて下さい。『都』の食事まで、どうにも腹がもちそうにありませんから」

 ライ麦パンコミスブロートと汎用ナイフを持ったままドルマにそう言って、ペーター少尉は笑う。

「何なら、ご一緒にいかがですか?パンブロートコーヒーカフィーしかありませんが」


「時に、ドルマさんも早起きされたのですね?」

 結構な量のパンブロートを――一般にドイツ軍では兵士一人あたり一日パン一斤700ないし750グラムが支給される(もちろん副菜も)。これを三食に分ける――平らげながら、ペーター少尉はドルマに聞く。

「……はい、私も昨日まで町に居ましたから、習慣はそう簡単には」

 ついばんでいたパンを飲み込んでから、ドルマは答える。

「面白いですね……このパンブロート、ペーター様のところでたまに頂きますが、嫌いではありません。酸っぱくて、ほのかに甘くて」

 手に持ったパンを見下ろしていた視線をペーター少尉に向けて、ドルマは聞く。

「先ほど、ペーター様は、環境は人を創るとおっしゃいました。だとしたら、食事も、環境の1つでしょうか?」

「重要な要因だと思います」

 もう一枚、薄目にパンブロートをスライスしながら、ペーター少尉は答える。

「食は、生活の要であり、文化でもある。文化そのものと言っても良いかもしれません」

「だとしたら……」

 ドルマは、服の上のパン粉を払いながら、言う。呟くように。

「ペーター様は、やはり『都』ではお食事をなさらない方が良いかも知れません」

「?」

 その言葉の真意をくみ取れなかったペーター少尉は、怪訝な目でドルマを見る。

「『都』の食事は、ペーター様のお口に合わないでしょう、という事です……ごちそうさまでした」

 言って、立ち上がったドルマは、うーんと伸びをする。

「あら、お行儀悪くてすみません。お腹が膨れたら、少し眠くなってしまって……実は夕べ、遅くまで頼まれ仕事をしていまして」

「それは良くないですね」

 ペーター少尉は、雑嚢ブロートボイテルと一緒においてあった軍用ポンチョツェルトバーンを手に取ると、バサリと広げ、

「もし、この後特に仕事がないのであれば、少し横になられては?日が高くなるまで」

「でも……」

 軍用ポンチョツェルトバーンを地面に敷いて示すペーター少尉に、ドルマは一応遠慮してみせる。

「私ももう少しお茶をして、頭をスッキリさせてから、今までの事とこれからの事を整理したいと思っています。その間に一緒に淑女の見張りするくらいは、任せていただいて結構です」

 微笑むペーター少尉に、ドルマは、微笑み返す。

「……では、少しだけ……はしたない女だと思わないでくださいね」

「それはもう」

 ペーター少尉は、笑顔で請け合った。


「なあ、あんた、なんであんなに強いんだ?」

 昨日通った道を辿って戻るかたわらで、唐突にケシュカルは先頭を歩く雪風に聞いた。

「あたし?なんでって言われてもなぁ……」

 半ば正体を晒したとは言え、あまり深い所までは言いたくはない。そう考えて、雪風はありていな回答を咄嗟に脳内で組み立てて、

「……鍛えてるから?」

 当たり障りが無いと思った答えを口にする。

「鍛えてるって、あんたは軍隊か何かなのか?」

「軍隊って」

 素直にケシュカルに聞き返され、雪風は閉口する。

「そうですね、むしろ、下手な軍人よりよほど近接戦闘は上手いように思います」

 後ろを歩くオーガストが、口を挟む。

「どこでどう学んだのか、我が軍の為、是非教えていただきたいものです」

 んなもん、あんたら米軍の、何十年か後の標準的CQBとかの教本そのままよ。頭の中だけでそう呟いてから、雪風は作り笑顔で振り向く。

「そこんところは、機密って事で」

 そもそも近接戦闘CQBの概念自体がまだ無い時代、戦術だけ教えても武器側の機能がついてこないし、CARシステムなど逆立ちしても理解されようもないだろう。第一、そんなことしたら戦中戦後の戦術の歴史が変わってしまう。

「剣道は日本刀に特化してるし、銃剣道も日本のは突き重視だし」

 もちろん雪風は、より実戦的な自衛隊銃剣格闘も習っているが、そこは黙っておく。

「なるほど。国民全てに訓練が行き届いている、という事ですかな?」

「じゃなくて!」

「やっぱり、軍隊なのか」

「違うってば!」

 オーガストとケシュカルの誤解を、即座に雪風は否定する。

「あたしは、ただの中学生よ!ママとパパと、あと師範から教わってるだけ!」

「中学生?」

「ママとパパから?」

「えっと……」

 ケシュカルとオーガストに同時に聞かれて、雪風は一瞬、返答に詰まった。


「つまり、剣術は母親とクラブ活動から、銃器は父親から主に教わっており、いずれも全くの民間の活動である、という事ですか?」

 ケシュカルとオーガストの質問にまとめて答えた雪風の言葉を要約して、オーガストが確認する。

「まあ、そういう事です」

 げっそりした顔で、雪風は肯定する。

「……思い出した、今更だけど」

 ユモが、ぼそりと言う。

ドイツドイッチュラント日本ヤーパン。この時代、米軍アメリカーニシュアーミーのあんたは警戒して当然って事よね?」

「この時代?」

「あ、いや……」

 うっかり口を滑らせたことに気付いて、ユモはごまかす。

「……片やナチスが台頭するドイツと、片や大陸侵出を始めた日本、アメリカとしては頭の痛い時代、って事よ」

「……まあ、その通りです」

 オーガストが、低い声で同意する。

「米軍としては、関係国の事情、特に軍事的な素養などは把握しておくべき重要な要件です。残念なことですが……」

「あー……そういう事か……」

 雪風も、ユモが何に気付いたか、ピンと来た。

「オーガストさん、『戦力』としての日本の素養が気になる、って事ですね?」

 最後尾のオーガストに振り向いて、雪風が軽く言う。

「そういう事なら、あたしん家の事情は特殊すぎて参考にはならないですよ。ただ……」

 一息、ため息をついてから、雪風は付け足した。

「……きっと、何かあったら、ろくな結果にはならないだろうって、そう思います。日本も、ドイツも」

「同感だわ」

 それ以上の語る言葉を、ユモも雪風も、持たなかった。


「よくわからないけど……」

 数瞬の沈黙を破ったのは、ケシュカルだった。

「俺は、強い女は好きだ。雄牛ヤク雌牛ディを追うのも、畑仕事も、女は強い方が良い」

 振り向いたケシュカルの笑顔には、一片の邪気もない。

「あんたは、チベット人ポパには見えないけど、白人ペーリンにも見えない。あんたさえ良ければ、俺、あんたを嫁に欲しくなった」

 明け透けな、直球の一言。

「うぇ?」

「ですってよ?」

 流石に驚いた雪風を、ニヤニヤ顔でユモは肘でつつく。

「どう?あんたみたいな乱暴者を嫁に欲しいだなんて、金輪際ないんじゃない?」

「いやぁ……」

 ちょっと照れつつ、しかし、雪風は、

「……嬉しいけど、さ。あたしたち、多分もうすぐ、ここから居なくなるから……」

 ちょっと寂しげに笑って、雪風は、言う。

「……ごめんね」

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