第1章 第3話

「よく気が付いたわね」

 背後の丘陵の稜線に現れた複数の人影を見ながら、ユモは言う。

「気配、ってやつ?」

「パパの受け売りなんだけどさ」

 同じものを見つめながら、雪風が答える。

「あくまで仮説だけど、気配ってのは、目とか耳とか、そういうセンサーで居た情報を脳で処理する際に本来はノイズとして排除されるレベルの信号に含まれる情報で、本能とか経験とかによってノイズの中から『正体を特定出来ないけど無視も出来ない』レベルに復元された情報、なんじゃないかって、パパが言ってた」

「なるほどね……神秘学じゃなくて、物理現象として捉えようとするとそういう解釈になるのか」

「大変興味深い解釈です。残念ながら、私にはそのセンサーに相当する器官がないのですが」

「でも、ニーマントさんも外部環境は認識してるわけでしょ?物理的、生物的な器官じゃなくても、なんらかの情報処理は行われているわけだから、原理的には同じ事じゃありません?」

「ああ、そうかもしれません。構造手法に寄らず、原理としてなら、確かに」

「で、あの人たちの気配に気付いた、って事?」

「ま、ね。経験はともかく、センサーの精度と感度に関しては、あたしゃ超一流の一族の血を引いてるんだから」

「期待してるわ、その超一流の一族の血ってヤツ。せいぜい頑張ってあたしを護ってちょうだい、お姉ちゃん・・・・・

「おうよ、任しときな、御主人様マイスター

 肉体年齢で二つ上、体つきならもっと差がありそうなその自らを『聖狼種族』と呼ぶ旅の道連れの『人狼』を見上げて言った、『月の魔女』の末裔にして『大魔女リュールカ・ツマンスカヤ』の娘、『魔女見習い』ユモ・タンカ・ツマンスカヤに、使い魔の契約フェアトラーク フォン フェアトラート、ただし互いに等分で実質的な主従関係を持たない契約をユモと結んだ使い魔一号フェアトラート・アインス滝波雪風たきなみ ゆきかぜは、流し目をユモにくれて、大きく口角を上げてニヤリと笑う。発達した犬歯が、その唇の隙間から覗いた。


 ペーター・メークヴーディヒリーベ一般親衛隊アルゲマイネ エスエス少尉は、近づくにつれはっきりしてくるその人影のディテールに、内心首をひねっていた。

 ひとりは見事な金髪、もうひとりは黒髪。西洋人コーカソイド東洋人モンゴロイド、どちらも少女、金髪の少女は見たところ十代になったかならないか、もう一人も十代半ばほどだろうか。どちらも、明らかにこの地の少女ではない。

 そんな少女二人がこんな荒野に居る時点でおかしいのだが、着ているものにまず違和感がある。

 腰まである金髪をなびかせる少女が着ているのは、見まごうはずもない、国防軍のM36オーバーコート。横流しした兵士がいるなら、実にけしからん事だ。しかし、本来少女が着るようなものではない上に、妙に着古しているし、寸法も体に合わせて詰めているようだ。コートの下の黒いワンピース、それはいいのだがその腰に巻くベルトも、見え隠れする腰の横の弾薬盒パトローネンタッシェも軍用のそれだ。ブーツも、軍用の長靴を詰めたもののように見える。

 もう一人の、肩より少し長い黒髪の少女の着ている服は更に変だ。どう見ても水兵服、しかしボトムはズボンではなくスカート、真っ黒で襟と袖に臙脂色の三本線の入るそれは、それ自体は女学校の生徒に見られるものではある。だが、膝から下が丸見えの短いスカートは女生徒の風紀としてどうなのか。

 そこまでは、まあ、まだ良い。その少女が背中に担ぐライフル、少女がライフルを担ぐ時点でおかしいが、そのライフルがどう見てもモーゼルM1871、我々調査小隊に支給されている旧式ライフルと同じものにしか見えない。一体、その少女はどこからライフルを手に入れ、どうして今それを担いでいるのか?さらには、その少女が腰に巻くベルトと、そこに装備された拳銃はどうだ。左右に振り分けられた二丁の拳銃は、少なくとも国防軍でも武装親衛隊ヴァッフン エスエスでも装備しているのを見たことはない。

 ペーター・メークヴーディヒリーベ少尉は、理解に苦しむ現実から無理矢理に理解可能な回答を導き出すことを諦め、その現実から更に詳細な情報を引き出すことを優先すべきと判断した。

こんにちはグーテンタークお嬢さん方フロイライン。私は、ペーター・メークヴーディヒリーベ、一般親衛隊アルゲマイネ エスエス少尉ウンターシュトゥルムフューラーです。この地域の調査小隊の責任者です」

 少女二人まであと10歩ほど、という所まで来たペーター少尉はそこで足を停め、親愛の情を示すように軽く右手を上げ、左手は少し体から離して垂らしつつ、声をかけた。

「失礼だが、お名前を伺っても?」

 金髪の少女が、先に口を開いた。


「……うわ、ナチの黒服じゃん」

 容姿がはっきりするくらいまで近づいてきたその男を見て、口の端っこだけで雪風は呟いた。

「あれが……パパファティから聞いたことはあったけど、見るのは初めてだわ」

 ユモも、殆ど口を開かず、互いの間でしか聞こえない程度の声で答える。近づいて来る男から目を離さずに。

 その男の身に纏う衣服は、ユモが父母から聞いていた、あるいは雪風が写真で見たことのあるナチ党親衛隊シュッツシュタッフェルの、トレードマークとも言うべき黒い制服だった。

 一分の隙もなく完璧に制服を纏うその男は、長身で金髪碧眼、彫りの深い顔はハンサムと言って良く、官給品の眼鏡の奥の瞳は聡明に、しかし油断なく二人の少女を見つめている。

 その男は、武器を手にしていない事を示すように右手を挙げ、左手は体から離して、口を開いた。

「Guten Tag, die Fräulein.Ich heiße Peter Merkwurdichliebe,Allgemeine-SS-Untersturmführer.Verzeihung, darf ich nach Ihrem Namen fragen?」


 思わず、ユモは返事をしそうになる。それは、ユモと雪風の二人にかけてある『言葉を通じせしむまじない』を介さずとも理解出来る、綺麗な発音の、懐かしき母国語。一瞬、ユモの思考は停止し、真っ白になる。咄嗟に、言葉が出そうになる。

「……あたしはIch heiße

「あたしはユキ・タキ。日本人です」

 そのユモの言葉に被せるように、やや早口で大声で、雪風が名乗る。名乗った名前は、間違いとも言い切れない程度の偽りの名前。ここまでの幾度かの経験から選んだ、本名に近く、しかしさわりのない程度の偽名。

「えと、大日本帝国、って言うべきかな?よろしく、少尉殿」

「これは。同盟国の方でしたか。こちらこそ、よろしく。して、あなたは?」

 忌憚なく差し出された雪風の右手を握ってから、ペーター少尉は改めてユモに目を向ける。

「あたしは、ユモ。ユモ・タンク。よろしく、少尉さん」

 ユモも、右手を出す。その手を、ペーター少尉の大きな手が、優しく握る。

「こちらこそ、よろしく。同胞人ですね?」

 言われて、ユモは黙って頷く。ペーター少尉の目を見ながら。

「確かに、お名前を頂戴しました」

 二人に合わせて少し丸めていた背を伸ばして、ペーター少尉は言う。

「さて、早速で申し訳ありませんが、色々と伺いたいことがあります。つきましては、我々のキャンプにご同行いただきたいのですが、よろしいか?」

 ユモと雪風は、顔を見合わせる。

「何しろ、ここはこんな礼儀正しいお嬢さん方を置いておくには少々埃っぽすぎる。第一……」

 ちょっとだけ、ペーター少尉の目が鋭くなる。

「……この地には、我々以外の外国人は居ないはずなのです。チベット政府の公式記録では」

 やはり、チベット。雪風は、自分の読みが外れていなかったことを知る。

「あなた方がどうやって、何の為にここに居るのか、我々はこの地の知事に報告しなければならない。我々は、党から与えられた仕事でここに居る以上、党の指示にも、この地の決まり事にも従わなければならない。ご理解いただけますでしょうか?」

「そうね。ざっくりの事情は分かったし、正論だし、あたし達にそれを否定する理由は無いわ。でしょ?」

 いつもの調子で、ユモが言って、雪風に流し目をくれる。

「だわね。別に牢屋にぶち込まれる、ってわけでも無いんでしょ?少尉殿?」

 雪風も、ため息をつきつつ同意し、肩をすくめる。

「少なくとも、私にその意思はありません。万が一この地の地方政府がそう要求しても、私の出来る限り、あなた方を御守りすることを約束しましょう」

「なら良いわ……一つお願い。この子」

 首肯して言ってから、ユモは足下に横たわる少年を見下ろして、言葉を続ける。

「このままだと危ないし、怪我してるから連れて行ってほしいんだけど。あと、そうだ、もう一つ教えて」

 視線をペーター少尉に戻して、ユモは重ねて尋ねた。

「今日は、何年何月何日?」

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