特訓の成果


 久しぶりの実家であるフレッツェル伯爵家。


 使用人達はエントランスホールに足を踏み入れた私を見るなりに表情を強張らせたり不快そうに眉を顰めたり、あまり歓迎されていないことはよくわかる。

 きっと、私がまた吐いたりして掃除をすることを憂慮しているのだろう。それか、私の存在自体が気に入らないか。


 私たちはそれを無視してエントランスホールを抜け、メインホールの前に進み出た。

 開け放たれたままの扉の先からは、音楽隊の演奏と招待客の話し声が聴こえる。


 不協和音でしかなかった混ざり合う優雅な音楽と人々の声は、前よりも気にならない。

 音楽の旋律も、一つひとつの言葉の粒も、きちんと聞き取ることができる。

 だけどやっぱり、緊張はしてしまうようで、私は一度大きく深呼吸した。


「大丈夫か?」

「はい、大丈夫です」

 心配そうに横目で私を見下ろす旦那様に、なんとか笑顔を返す。

 その言葉とは裏腹に、唇は震えるし、心臓はバクバクと忙しく動いている。

 せっかく作った笑顔だって、おそらくとてつもなく硬いものになっているだろう。

 生まれ育った家だというのにベルゼ公爵家の方が居心地がいいのは、きっと植え付けられた記憶のせい。


「──大丈夫だ」

「旦那様……?」

 混ざり合う音の中を通り抜けて聞こえる旦那様の静かな声。


「お前はこの数日、死に物狂いで特訓してきただろう? 前よりもマシになったはずだ。自分の通ってきた道に自信を持て」

「自信を……」

「それに……」

「それに?」

「……俺がついてる。──メレディア」


 あぁ、なんでこの人は──。

 こんなに温かいんだろう。

 女性に触れることすら苦痛だろうに、私の手を取ってまっすぐに見つめてくる。


 握られた手から伝わる温もりが私に勇気と安心を与えてくれるようで、少しだけくすぐったくなった私は、旦那様に僅かに頰を緩めた。

「はい、旦那様……!!」

 今度は旦那様の腕に手を添え直し、しっかりと目の前の扉を見つめると、ゆっくりと旦那様とともに歩き出し、メインホールへゆっくりと足を踏み入れる。


 私の姿を認めるなりにざわつき始める招待客の面々。


「お、おい、あれ……」

「ゲロ令嬢だ……」

「フレッツェル伯爵家でのパーティに参加なんて珍しいわね」

「辺境に嫁いだって聞いてたが、まさかわざわざここまで来るとは……」


 まじまじと見られて、まるで見世物小屋の珍獣にでもなった気分だわ。

 そんな声に向かって冷酷公爵として名高い旦那様がひと睨みすれば、たちまち言葉は彼らの口の中に戻って飲み込まれていく。


「お姉様!!」

 そんな中、一際大きくて高い音がホールに響いた。

「……エレノア……」


 いつにも増して気合の入った装い。

 ブロンドの髪は綺麗に巻かれ、キラキラとした宝石が桃色のドレスに散りばめられ豪華さを演出し、所々で大きなリボンが存在を主張している。

 これが似合うのはおそらくエレノアぐらいだろう。

 似合う似合わないじゃなく、これを着るのは私なら死んでもごめんだ。


「お姉様、わざわざ遠い辺境からようこそ。来てくれて、エレノアとっても嬉しいわ」

 エレノアが‘’辺境”を強調させて言うと、今度は私の隣に立っている旦那様へと視線を向けて、愛らしく微笑んだ。


「ロイド様ぁ!! 遠いところ、エレノアのためにありがとうございますぅっ!! エレノア、すっごーく嬉しいっ!!」

 1トーン高めの声を出しながら私が手を添えている方の反対側の旦那様の腕に絡みつくエレノア。


「妻の付き添いできただけだ。礼なら妻に」

 旦那様はそっけなく言いながら絡みついたエレノアの手をさらりと解いた。

 突き放すようなその態度も、きっと今までちやほやされて育ったエレノアにとっては新鮮に映るのだろう。

 全く傷ついた様子もなく、それでも大きな目をパチパチとさせて旦那様を一心に見つめている。


「ねぇロイド様、一曲踊ってくださらない?」

 そんなエレノアの上目遣いのお願いに、旦那様は眉間に皺をぐっと寄せながら「その義理はない」と冷たく言い放った旦那様。

 それを見て安堵する私は、少し性格が歪んでしまっているのかもしれない。

 まさか主役の誘いを断るとは思っていなかったのだろう、エレノアの表情がくしゃりと歪んだその時──。


「これはベルゼ公爵!! 遠路はるばる、エレノアのためにありがとうございます」

 猫撫で声が二人の間に割って入ってきた。

 私の実の父であるフレッツェル伯爵、そして母である伯爵夫人だ。

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