暖かい贈り物

 

 二人揃って静かに夕食をいただき、寝支度を整えてから旦那様が待つ寝室に向かう。

 3日ぶりに二度目の同衾となる私達だけれど、色っぽいことなど何もない。

 なんてったって、初めに初夜をお断りされてるし。

 よくよく考えてみれば、旦那様にだって好みというものがあるだろう。

 愛の無い、しかも好みでもない女相手に反応するとは思えない。


 前世も合わせてそんな経験一度もない私だけれど、本だけはたくさん読んだ。

 それこそ健全から健全超えたものまで全て。

 旦那様がその気にならないのならば仕方がない。

 確か漫画や小説では、初めては痛いって書いてあった気がするし、そんな痛い行為を好きでもない人としなくても良いのだから、ラッキーだと思おう。


 コンコンコン──。


 小さく扉を叩いてからゆっくりと扉を引き開け寝室に足をすすめる。

「来たか」

 声のする方へと視線を向ければ、風呂上がりでどことなく色気を纏った旦那様が椅子に座って読書にふけっていた。


「本、ですか?」

「ん? あぁ。苗の種類を少しな」

 そう言ってパタンと本を閉じたそれを見れば『みんな大好き家庭菜園』というポップなタイトルが書かれていた。


「視察に行っていた来たの村の貯蔵率が、昨年よりも落ちていた。ここ最近、不作続きだったから仕方がないのだが、早急に短期で収穫できる苗を取り寄せる必要がある。短期収穫で、しかも保存の効くものという二重の条件があったが、今日のお前のアイデアのおかげで短期収穫のみに焦点をあてれば良いことになったから、幅が広がった。感謝する」


 そう言って相変わらずの変わらぬ表情で頭を下げた旦那様に、私はぶんぶんと首を左右に振った。

「わ、私はただ、自分の持つ知識を以って意見したまでで……!! それを信じてやってみようとしてくれたラグーンやトルテ、それに旦那様がいてこそです」

 私が言い出したとしても、「そんな馬鹿な」と笑い飛ばされていれば、このアイデアはドブに捨てられていただろう。

 旦那様は私の突拍子もない意見に耳を傾け、挑戦させてくれた。

 だからこれは、旦那様あってのことだ。


「謙遜するな。知識は力だ。それを身につけたお前は、剣に匹敵するほど強い女なんだろうな」

 あぁ。

 同じ考えだ。


 知識は力。

 経験なんかなくてもなんとかなる。

 水泳も、冷食も、なんとかなったのだから。

 それを当たり前のように理解してくれているということに、少しだけ心が震える。


「そろそろ寝るか」

「あ、はい」

 二人揃って布団に入りこんでから、思い出したように旦那様が「そういえば」と声をあげて、ポールハンガーにかけてあったジャケットのポケットから丸い缶を取り出して私に手渡した。


「これは?」

「ハンドクリーム。視察の土産だ」

 缶の蓋を開けてみれば、ふわりとセレニアの花の香りが広がった。

 素敵。

 とっても良い匂い。


「お前は荒れすぎているんだ。もう少し、ちゃんとケアしてやれ。せっかく綺麗な形の指をしているんだから」

「指フェチですか?」

「違うわ!!」

 ナイスツッコミです、旦那様。


 私の指先はあかぎれだらけだ。

 仕方がない。

 だってあの屋敷では、私を手入れしてくれる人なんていなかったんだから。

 使用人が私の身支度だけを手伝わなかったり、私の洗濯だけしなかったりしても、私を忌み嫌っていた父母は見て見ぬふりだった。

 3歳下の妹なんてもっとひどい。

 わざと私のハンカチやドレスを無断で持っていったうえ汚して、そのまま私の部屋に投げ入れて、洗濯物を増やすんだもの。

 だから私は、年中自分で必要以上の洗濯をせざるを得ない状況だった。

 おかげで私の手はボロボロだ。


 結婚式当日に初めて会い、その日1日しか一緒にいなかった相手なのに、私の手のことに気づいてくれたというその事実が、私の心をほんのりと暖かくする。

 相変わらず眉間には深い渓谷が刻まれているけれど、この人は噂みたいな冷酷公爵なんかじゃない。

 領民のことを真摯に考え、領民のために動いてくれる、誰かの気持ちに寄り添ってくれる、素敵な公爵様だ。


「ふふ。……ありがとうございます、嬉しいです」

 初めてかもしれない。

 旦那様にこんな風に気を許して笑ったのは。

 ここに来てから自然と笑顔が出るようになったことには気づいていたけれど、やっぱりこの静かなゆったりとした環境は私に合っているようだ。

 できればこれからも私は、ここで静かにひっそりと生きていきたい。


 感謝を伝える私の頭上から、息を呑む音が聞こえた。

「ッ……別に……。ほれ、寝るぞ。明日はお前も領地の視察に連れて行く。一応、妻、なのだからな」

 そう言って私に背を向け、布団に潜った旦那様の耳がこれでもかと言うほど赤く色づいていた意味を、この時の私はまだ理解していなかった。


 でもこれだけはわかる。

 私の静かなスローライフは、きっと暖かいものになる──。

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