メレディアの秘密とロイドの戸惑い

 私には秘密がある。


 私はまだ言葉を覚えたての頃から、周りの人間にはよくわからない言葉を使った。

 『いただきます』だとか『ごちそうさま』だとか『アニメ』『漫画』──。

 そして時折、話しながら手を動かす仕草をした。

 それが父母や3つ下の妹には不気味に見えて仕方がなかったようで、いつしか私は遠巻きにされ、自ら引きこもるようになった。


 ──私、メレディアは、前世の記憶を持っていた。


 日本という小さな島国で生まれた前世の私。

 生まれつき身体が弱く病気がちで、耳も聞こえなかった私は、手話というコミュニケーション手段を覚えた。

 音のない世界で、周りとの交流の手段は私にとって筆談と手話だけだったのだ。

 20にならないうちに病気で死んで、気づいたら異世界へと転生していたのだけれど、どうしても前世での手話の癖が今世で出てきてしまう。

 手話という概念のないこの世界で、そんな私は異質でしかない。


 突然無言で手と表情を動かし始める私は、変な魔術の印でも結んでるんじゃないかと疑われたことだってある。


 そして前世で生まれつき耳が聞こえなかったからこそ、今の私にとってこの世界の音は大きすぎる。

 音のある世界に慣れていなさすぎて、普通の声一つならば苦痛なく対処できるものの、それが複数重なれば、今や耳が良すぎる私にとっては不協和音にしかならない。


 音の暴力。

 まさにそんな感じだ。


 だからこそ賑やかな社交界に出るのは嫌いだ。

 伯爵家の令嬢として結婚で家と家を結ぶため、何度も婚約者をあてがわれたけれど、婚約者と共にパーティに行けば音酔いをして気持ち悪くなってしまい、吐いてしまったり倒れてしまったりが続いたところで婚約を破棄されてしまう。

 次第に両親の目的は良い家と縁談を結ぶことではなく、恥晒しで厄介な私を引き取ってくれる家を探すことになっていった。


 私、メレディアは、元日本人としての目で客観的に見てもとても美しい。

 長く滑らかな黒曜石の如き黒髪。

 ルビーのような美しい瞳。

 肌は雪のように白く、見た目だけ見れば申し分がないと言われてきたにもかかわらずこの年齢まで結婚しなかったのは、私があまりにも表情を変えない鉄仮面だということと、この音酔いが原因で婚約破棄を繰り返されたからである。


 本来なら長女である私が婿を取って家を継ぐところ、引きこもってあまり外に出ようとしない私を、父母も家から追い出したくて仕方がなかったのだろう。

 とうとうこの国で1番厄介な家に話を持ちかけてしまったのだ。


 人嫌いで有名なロイド・ベルゼ公爵。

 冷酷無慈悲な性格で、今までに何人もの使用人が辞めていったとか……。

 常に難しい表情を崩すことのない強面こわもて顔面凶器は、おそらく普通にしていれば誰もが振り返る美丈夫なのだろうけれど、醸し出すオーラは殺人鬼のよう、というのが社交界での彼の噂。


 申し出を受ける際に、彼は3つの交換条件をつけた。


 1つ『屋敷では問題を起こさず、極力おとなしく静かにしていること』

 2つ『お茶会はしてもいいが、二人以上の人間を屋敷に呼ばないこと』

 3つ『ロイド・ベルゼに必要以上に関わらないこと』


 何とも人嫌い公爵らしい条件だが、私にとっては好条件だ。

 静かに暮らせる。

 それだけでパラダイスじゃないか。


 そんな条件をつけ結婚した夫が、今、戸惑ったような表情で私を見下ろしている。


「フレッツェル伯爵令嬢」

「メレディアです。もうベルゼ家の人間になりましたので」


 もうフレッツェルの名を名乗らなくてもいい。

 あの私を忌み嫌う家族の元に帰らなくていい。

 それだけで私は幸せだと思う。


「っ、……お前、本当にいいのか?」

 あら、名前は呼んでくださらないのね。

「いい、とは?」

 私が首を傾げ短く尋ねると、旦那様は苦々しい表情を浮かべてから一瞬口籠もり、再び口を開いた。


「俺と、結婚して」

「……いいのか、と言われても、もうしちゃいました」

 口づけもバッチリと、と当たり前のことのように返す私に、彼はそのことを思い出したのか右手で自身の唇を覆った。

 うぶか。


 まぁ確かに、さっさと終わらせないと吐くと思って思わずやってしまったけれど、花嫁が強引に奪っちゃった感あったものね。

 申し訳ない。


「その、そういうことに慣れている、のか?」

 やっとのことで若干引き気味に紡ぎ出された旦那様の言葉に、私は一瞬だけぽかんと口を開けて彼を見上げてからすぐに我に返ると、首をブンブンと横に振って否定した。


「初めてですっ!!」

「にしてはものすごく勢いが良かったが……」

「早く、あの場から出て行きたくて……。その……申し訳ありません」

 私が肩を落として謝罪すると、旦那様は少し考える素振りをしてから、1人ベッドの中へと潜り込んだ。


「もういい。寝るぞ」

「はい」


 結婚式の夜。

 初夜だ。

 嫁いだからには覚悟はできている。


 そう思った私は、旦那様の隣へとベッドに上がり込むと、着ていたガウンに手をかけ紐を解き──「っ何をしている!?」──止められた。

 突然の大声に耳が悲鳴をあげる。


「何、とは? これから初夜ですよね?」

「お前に羞恥心というものはないのか……」

 言いながら大きな手で顔面を覆ってしまった旦那様。


 羞恥心よりも何よりも、私はただ静かに暮らせればそれでいい。

 静かに暮らせるならば、ファーストキスの一つや二つ、初夜の一つや二つ、なんてことはない。


「耐えてみせます」

「……」

「……」

「……はぁ……」


 ため息!?


「初夜をする必要はない。元々俺は結婚する気もなかったのだ。ただ多方面でしつこいから条件をつけてみたら何故か成立してしまっただけで」

 あぁ、あの条件をのんで結婚する奴がいるなんて思わなかったってことね。

 おそらくあんな条件で結婚するの、うちぐらいなものだろう。


「だから、お前はその条件通り、ただ静かに過ごしてくれればいい。形だけは夫婦だから、寝所は共にすることになるが、あとは好きに過ごせ。明日から私は仕事で領地の最北端に行くことになっている。3日後に帰る。その間、何か必要なものなどあれば、侍女のマゼラか執事のローグに頼め。以上だ」


 初夜を過ごす必要はない?

 ただ静かに過ごしたらいい?

 しかも明日の朝からいなくて3日後帰ってくる……?


 ──ナニソレ天国パラダイス……!!


「了解しました。旦那様。では失礼して──」

 私はその業務連絡に頷き、彼と同じ布団の中へと潜り込んだ。

 少しだけ隙間の空いた2人の間。

 だけどそれでちょうどいい。


「おやすみなさいませ、旦那様」


「……あぁ。おやすみ」


 こうして私たちの奇妙な同居生活が幕を開けた。


 いや、私の静かなる世界でのスローライフはここから始まるのだ。


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