視野狭窄にはお気を付け下さいまし

蒼珠

視野狭窄にはお気を付け下さいまし

「もう許すわけにはいかない!ダンバルド侯爵令嬢ミュシュカーナ、お前との婚約を破棄する!」


 コンバルート第二王子の宣言に、卒業ダンスパーティ会場の大ホールは静まり返った。

 無理もありませんわね、とミュシュカーナは内心ため息をついたが、王子妃教育と社交で鍛えた表情筋は穏やかに微笑んだままだった。

 月の光を映したかのような輝く銀髪、ミステリアスなアメシストの瞳、女神も嫉妬しそうな美しさに周囲からうっとりとため息が漏れる。


 コンバルート王子の左腕にはピンクブロンドの髪に琥珀色の大きい目と小柄さが小動物を思わせる、男爵令嬢がピッタリと寄り添っている。

 婚約者でもないのに、妙に異性との距離が近く、礼儀も知らない彼女にも、それを受け入れてしまっている殿下にも再三再度と注意をしたのだが、やはり、利いてもらえなかったようだ。


 今日も婚約者であるミュシュカーナのエスコートせず、男爵令嬢との距離が近過ぎるのもはしたないと注意をしたら、これだ。

 貴族としての常識があればこそ、誰でも呆れる。


「殿下の意向だけで一方的に婚約破棄は出来ませんわ。ですが、わたくしという婚約者がありながら、殿下がそちらの男爵令嬢と親密な仲なのは問題視されておりますので、婚約破棄になるのならこちらの方から申し渡すことになりますわね」


 それはちょっと待ってくれ、と王家の意向で止められていたのだが、もう潮時だろう。


「…はぁ?ちょっと待て。何でそうなる?それではわたしの方が悪いみたいじゃないか!」


「みたい、ではございませんわよ。殿下が悪いのはこの場にいる大半の方は承知しておりますわ。わたくしたちの婚約は政略です。婚約者をないがしろにし、メリットがなくなった時点で破棄は当然でしょう。そちらの男爵令嬢の男爵家にも責任を取っていただきますのでそのおつもりで」


「責任ってどういうことなんですかぁ?わたしはただ、殿下に愛されただけなんですけど?あなたと違って」


「そ、そうだ。こんなに可愛いマリアンに嫉妬して嫌がらせしただろう?ミュシュカーナ」


 周囲から失笑が漏れる。

 男神たちでも求婚して来そうな美貌の主が、どうして小動物に嫉妬するのだろう?と。


「注意しかしておりませんわ。嫌がらせの証拠はございますの?そもそも、嫌がらせをする理由がございません。何度言っても理解しない頭が軽い身持ちも悪い人のどこに嫉妬する理由があるのでしょう?」


 あけすけな言葉に会場からクスクスと笑い声が起こった。


「お気付きではないようですが、殿下、わたくしとの婚約を破棄しても、そちらのはしたない人とは婚約出来ませんわよ?家格以前に、王子の婚約者に対して使う予算を、お二人で使い込んでしまわれておりますから。横領です。その罪で王位継承権剥奪は間違いありませんし、当ダンバルド侯爵家の不興を買い、殿下の軽率な振る舞いで王家の威信を傷付けたことの償いとして廃嫡かもしれません。よくて幽閉でしょうね」


「…なっ、何を言ってる!ミュシュカーナ!適当なことを言うんじゃない!横領じゃないんだ!少し借りただけで…」


「怒鳴るのはおやめください。聞こえておりますわ。声が大きければ意見が通ると思わないで下さいまし。そんな考えなしな殿下だからこそ、後先を考えることが出来るわたくしが婚約者だったのですが、頭の軽い者同士、意気投合しても仕方ありませんわね」


「何だとっ?不敬だろっ!…衛兵!不敬罪だ。こいつを捕まえろ」


 まぁ、初めて嫌味を分かっていただけましたわ、とミシュカーナは少し感心した。


「殿下に衛兵や近衛への命令権など、ございませんわよ?命令系統を何だと思っていらっしゃるのやら。火急の際に混乱を招かないようにするためのもの、ですのに」


 やれやれ、とミュシュカーナが大げさに肩をすくめて見せると、コンバルート王子は顔を真っ赤にして腕を振りかぶろうとして、まとわり付いていたマリアンを振り払った。


 勢いがよ過ぎたせいでマリアンはテーブルにガシャンッ!とぶつかり、魔石コンロで温められていた熱いスープがマリアンの顔にかかった!


「ぎゃあああああああああっ!」


 マリアンは大きな悲鳴を上げ、顔を手で押さえて床を転がった。


「あ、いや、わざとじゃ…信じてくれ!ワザとじゃないんだ!」


 うろたえるコンバルート王子は、あちこち視線を飛ばすが、誰もが顔をそむけた。


「そんなこと言ってる場合ではございませんわ!

 出入り口付近の方、至急、医務室へ連絡を。お医者様をお呼びして!

 水魔法、氷魔法が使える方はわたくしの側に。

 応急手当を致します!」


 有無を言わせない凛とした命令に、すぐさまそれぞれが動き出した。

 ミシュカーナはあまり得意じゃない水魔法で、マリアンの顔のヤケドに水をかけるが、痛がって転がるマリアンに避けられてしまう。


「マリアン様、落ち着きなさい!

 その程度のヤケドぐらいで死にはしません!

 ですが、熱いスープが付着したままなら、更にヤケドが進んでしまいます!転がっていては汚れも付き、傷口から雑菌が入るだけです!

 まず、スープと汚れを落とさないとならないのです!

 痛いのを我慢してその場から動かないで!

 手当が遅い程、痕が残りますよ!」


 ミシュカーナの一喝は、マリアンの耳にもようやく届き、その頃には水・氷魔法の得意な者が集まって来たので、ようやく、応急手当をすることが出来た。

 続いて医務室から担架を持った医務官が来て、ヤケドした傷口に消毒ジェルを添付してから、ぐったりとして濡れたマリアンにブランケットをかけて運んで行く。


 ミシュカーナは応急手当に協力した生徒たちを褒めて労い、卒業パーティを運営した生徒会役員たちに指示して、お開きに。

 呆然としたままのコンバルート王子は、側近に王宮へと連れて行かせた。


 ミシュカーナはさっさと屋敷に帰る。

 事後処理をやることになるだろうが、王宮への連絡はとうにされてるだろうし、今日ぐらいはゆっくりしてもいいだろう。




 コンバルート第二王子は廃嫡され、「性根を叩き直してもらえ」と平民として辺境伯の騎士団に放り込まれた。

 気弱で頼りなくて人望もない第一王子アンテルムは臣籍降下して希望していた研究職に就き、王位継承権を持つ公爵家の子息たちに打診があったものの、誰も引き受けず、議会も認めず、全会一致で先王の妹を祖母に持つミシュカーナが立太子することになった。


 ミシュカーナの人気があまりに高く、執務もまったく問題がないため、たった数年で即位することになった。


 この国初の女王の誕生である。



「マリアン、もういい年なんだから嫁ぎなさい。あなたの気に入るような縁談が…」


「ミシュカーナ様!あんまりです!見捨てないで下さいませ!わたしの居場所はミシュカーナ様のお側。今以上に誠心誠意お仕えしますので、どうか…」


 ミシュカーナはあの婚約破棄トラブルの後、改心したマリアンに懐かれたので、しっかりと礼儀作法マナーを教えて侍女にし、意外に使える侍女になったので女王として即位した後も引き続き側付き侍女にしていた。

 ミシュカーナの手当が早く的確だったおかげで、マリアンの顔には何の傷跡も残っていない。それどころか、正しいスキンケアを教えたおかげで肌はつやつやぷるぷるだった。


「まぁ、何を勘違いしていますの?わたくし付き侍女は続けてもらいますわ。良くも悪くも素直で染まり易いあなただからこそ、信用の置けるお方に嫁いで絆を深めてもらいたいの。

 近い将来、お互いの子たちが仲良くなれたら素敵じゃなくて?」


「み、ミシュカーナ様…」


 うっとり瞳を潤ませ頬を染めて手を組むマリアンは、すっかりミシュカーナ信者だった。


「わたくしの王配が中々決まらないのが問題なのだけれど」


 ミシュカーナの人気が高過ぎて、あちこちで決闘騒ぎになり、他国の王子、高位貴族も参戦し出し……しばらく決まるまい。

 「もういい年」なのはマリアンと同い年の自分も一緒だという自覚はあるが、焦りはまったくない。

 王族ならたくさんいるので、養子をもらって教育すればいいかと気楽に考えている女王ミシュカーナ。


 彼女の優れた人心掌握術は、後の世で「失われた魔法ではないか」と物議を醸すことになる。




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視野狭窄にはお気を付け下さいまし 蒼珠 @goronyan55

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