第15話 白熱する怒り

「あ、阿部……? あんた……」




「話は後で。 外します」




私の言葉を遮って、阿部は私を椅子に縛りつけているベルトに手をかけた。


その時ハンマーで潰された私の指や、膝から流れる血に目線が動く。




「……遅くなってすみません」




もう一度謝ると阿部は、あれだけ暴れても緩まなかった革ベルトをまるで紙のように素手で引き千切った。




「えっ……?」




確かに私は非力な方だが、このベルトは人間が素手で引き千切れるようなものではない。




そういえば、阿部が持っていたあの白銀の刀も……さっきまで居た立花の姿も失くなっている。




「杉山さんのを外して来ます」




「あっ……」




色々聞きたいが質問する暇はなく、阿部は夏海の所へ行き同じようにベルトを引き千切って彼女を解放する。




そして、夏海を軽々と肩に担いで私の方に戻って来た。


担いでいない方の手を差し出して私に言う。




「柊さんも乗って下さい。 直ぐに脱出します」




「い、いや、いくら何でも二人背負うのは……というか立花は……あっ!」




その時、洞窟内が大きく揺れた。


バランスを崩し、倒れ掛かった私を阿部が抱き止める。




「あ、ありが……わぁっ!」




そのまま、腰を掴まれ彼の肩に担がれた。




「待って! 歩けるから!」




恥ずかしがっている場合ではないのに、妙な気恥ずかしさを覚えて彼の肩から降りようとする。




そんな私に向かって阿部は冷静に告げた。




「いえ、歩いてたら死にますから、このまま行きます」




「? どういう……」




「揺れが収まりません。 このままだと洞窟が崩壊します」




「なっ……!」




彼の言う通り揺れは収まらず、頭上からは小石が落ちて来ている。




「二人共、舌を噛まないように。 ……とばします」




阿部はそう言うと、私達の返事を待たずに駆け出した。




とても人間二人を担いでいるとは、思えない速度で破壊した鉄扉を抜け、その先にある階段を登っていく。




そして、一気に外へと飛び出した。




私達が出てくると同時に、洞窟の方から崩れる音がしてくる。




外は完全に山の中といった様相で、木々や雑草が繁っていたが、洞窟の周囲だけは比較的、手入れされたかのように綺麗だった。




既に周囲は暗くなっており、阿部は足を止め、私達を近くの地面に降ろした。




すると、直ぐに夏海が私にしなだれかかってくる。




「夏海!?」




「……!」




急いで状態を確認すると、どうやら意識を失っているみたいだ。


監禁生活と助けられた安心感から気が抜けたのかもしれない。




私は意識のない夏海が倒れないよう抱きしめた。




そうしていると阿部が口を開く。




「疲れてるでしょうが、少し休んだら下山します。 こんな所で野宿は出来ませんし、お二人の指も足も治療出来ませんから」




「分かったわ……というかここは何処なの? 見た感じ、山の中みたいだけど」




私の質問に阿部が答える。




「ここはN県にある山脈の浅い所です。 地図にも詳細な場所はありません」




「そんな所に……!? というかよく分かっ……!!」




阿部と話しながら、なんとなく崩壊した洞窟の入口に視線を向けた時だった。






隙間からあの黒い影が這い出て来ていた。






私の様子が変わったのを察した阿部も洞窟の方に視線を向ける。




すると阿部の雰囲気が変わった。


黒い影と私を何度も交互に見比べる。




そして、私に尋ねた。




「もしかして、柊さんにもえてるんですか?」




「な、何が!」




ですよ」




悪意?


何の事だ?




何を言ってるんだ、この男は?




だけど私の疑問は、全部轟音の前にかき消えた。




「きゃあっ!」




「……!」




黒い影が瓦礫を撒き散らし、洞窟の穴から這い出てくる。




さらにそれは上空で集まり、巨大な手の形を作り始めた。




「何よ……アレ……」




「……仕留め損なってたか。 かなり上位ですね」




阿部はそう言って私達を守るように前に立つ。


手にはあの美しい刀が握られていた。




それを握り締め、上空の黒い手を見つめ続ける。




やがて、黒い影は手の形を作り終えるとゆっくりと手を開いた。


開かれた手のひらには唇がついていて、周囲を凍えさせる悪意が言葉と共に放たれた。




《やっぱり退魔師だったか。 警戒した通りだ》




「……」




《それにここに居るという事は、マンションの方も突破してきたという事、相当のやり手だね》




「……」




阿部は、何も答えない。




その様子に黒い手は、つまらなさそうに鼻を鳴らした。




《まぁいい、ここは一旦引くとしよう。 ただし……》




黒い手は唇の端を吊り上げると、今度は私に向けて言った。




《逃がさないよ、香織ちゃん。 君は私の……私だけの獲物だ。 次こそ誰の邪魔も入らせない。 今度こそ確実に捕らえて今日の続きをする。 その時は、夏海ちゃんも捕まえて、彼女の肉を削ぎ落とし君に食べさせてやるから楽しみに……》




私は、何も答えられなかった。




なんなんだ、アレは?




一言発する度に、周囲の温度が下がっていくみたいだ。


身体の震えが止まらなくなる。




出来る事は夏海を抱きしめて、この悪意の塊が過ぎ去るのを待つだけだった。




代わりに、






「黙れ」






阿部が答えてくれた。




同時に白銀の光が阿部の身体を覆っていく。




「次も今度もない。 お前は、ここで終わりだ」




光は、角が生え三つの怒り顔がついた鬼の面になり、阿部の顔を隠す。




さらに、彼の黒髪も伸びて白く染まり、着ていた学生服は白い着物に変わる。


腕も白い腕が新しく二本ずつ生えて、計六本の腕になる。




三面六臂の白い鬼。




凍えるような黒い悪意を溶かす、白熱する怒りの姿。




その姿に黒い手が信じられないものを見たように言う。




《それは……まさか六ど……!!》




「祓います」




阿部は、動揺している黒い手に向けて、落ち着いた口調で告げると、手にした刀を振るう。




修羅道しゅらどう天地一閃てんちいっせん




その一太刀は目で追えなかった。


あまりにも速すぎた。




だけど白銀の残影が、その軌跡を物語っている。




天にどこまでも高く伸び、地をどこまでも裂く、






悪意を祓う、その一閃を。






やがて光が消え、阿部の身体も元に戻る。




黒い手があった上空には夜空が広がり、他には何もない。


洞窟があった場所にはその存在を消すかのように大穴が空いている。




まるでさっきまで味わっていた地獄が祓われたみたいだ。




でも、ただ一つ、私の目から焼きついて離れない光景がある。






それはあの白い鬼の姿だった。




神々しいとすら思える、白熱する怒りの化身の姿だった。






「柊さん……? 柊さん……!?」




ボケっとしていたら阿部が私の名前を呼んでいた。




「はっ……! えっ、な、何……!?」




「いえ、ボっーとしていたので、大丈夫かなと」




「だ、大丈夫よ! 誰もみほれ……痛っ!」




阿部がやたら近かったので咄嗟に押し返そうとしたら、潰れた指が彼にぶつかってしまった。




そのせいで泣きたくなるくらい痛い。




「~~っっ!」




「……」




阿部は無言でそれを見て、何を思ったか潰れた私の指にそっと触れてきた。




「痛っ! ちょっ! や、止め……! !!?」




触れられた部分が淡く白い光を放つ。


すると暖かいが身体に流れ込んできて、痛みが和らいだ。




「治療ではありません、あくまで応急処置です。 下山したらちゃんした病院へ行きましょう」




「う、うん……」




暫くの間、触れ合った部分から暖かい何・か・が私の身体を流れ続ける。




やがて光が収まるとそれは感じられなくなり、阿部も指から手を離した。




「歩けますか? 無理ならまた担ぎます」




「……大丈夫よ」




私がそう言うと阿部は夏海を背負う為に屈んだ。




その様子を見ながら頭の中の疑問が思わず口から漏れる。




「阿部……あんたは……」




だけど、その疑問は最後まで言葉にならなかった。




なぜなら茂みからガサゴソと音がして、二人の人間が出てきたからだ。




彼らは私達を見つけるなり叫ぶ。




「あっー! やっと見つけたっす!!」




「阿部ぇ!! お前、ちゃんと方角くらい考えて行け! 総当たりとか馬鹿か!! お陰で遭難しかけたわ!!」




一人は、昨日事務所で会った、小熊と名乗った男性だった。


相変わらずプロレスラーみたいなすごい体格をしていて、所々着ているスーツが破れている。




もう一人は、いかにも真面目そうな男性で、こちらもスーツを着ているが小熊さんに比べると綺麗だった。




二人は小走りにこちらに駆け寄ってくる。




そして、真面目そうな男性は胸ポケットから手帳を取り出すと私に見せた。




「柊香織だな。 私は警視庁の首藤しゅどうという者だ。 君と杉山夏海の保護に来た。 怪我している箇所は……」




「えっと……」




混乱して言葉が出ない私に代わり、阿部が簡潔に言ってくれた。




「柊さんは指、杉山さんは足を酷くやられています。 早急に救急車の手配を」




「む……分かった。 小熊、意識のない方を運べ。 こっちは任せるぞ、阿部」




「はい」




「うっす!」




そうして夏海は小熊さんに背負われ、私は阿部に抱えられて下山する。




道中は特に何事もなく、麓までたどり着くと救急車やパトカーが待機していた。




「では、よろしくお願いします」




阿部は私を救急車の担架に乗せると、隊員の人に挨拶をして去ろうとする。




私はその背中に思わず声を掛けてしまった。




「あっ、あの……助けてくれて……ありがとう……」




阿部は私のその言葉に振り返ると少しだけ、本当に少しだけ悲しそうに笑って言った。




「どういたしまして、柊さん」




そして、もう振り返らず首藤さんの元へと歩いていく。




私も救急車に収用され、病院へ運ばれた。




途中、考えていた事は一つだけだった。






「阿部修良……あんたは一体、何者なの?」

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