第10話 嘘つき

「阿部ってば! ねぇ!」




マンションから出た私は、阿部に手を引っ張られて進む。




何度か呼び掛けてみるが、阿部はこちらの言葉に一切耳を貸さない。


迷いのない歩調で、でたらめに歩いていく。




その歩みである事を確信した。




(やっぱりこいつ、方向音痴。 道分かってないわ)




このまま阿部に任せてたらワケのわからない道に出てしまう。


そう思った私は強い口調で叫んだ。




「あんた、何処行こうとしてんの!? 私の家は別方向だし、事務所だってこっちじゃない!! 道分かんないんなら止まりなさいよ!!」




通りに響く私の声、それに阿部の足がピタリと止まった。


ゆっくりと振り向き、じっとこちらを見つめてくる。




「どうしたのよ?」




私もその目を見つめ返して尋ねると、阿部は口を開いた。




「寒くはありませんか? 身体に異変は? 痛い所や不調な所はありませんか?」




「ないけど……」




「では、あの管理人から触られたりは……?」




「ないって……!」




「そうですか…………良かった……」




阿部が私から視線を外して息を吐く。


明らかにホッとした様子だ。




(会話してただけでしょうが。 何をそんな……)




あの管理人に何かあるのか?


でも、話しておかしな様子は、




あった。




チラッとだが、あの人から黒い影のようなものが見えた……気がする。




「阿部、あのね……」




事件と関係あるかは分からないが、その事を阿部に伝えようとする。


だが、その前に阿部が言葉を発した。




「これ以上は遅くなりますから、自宅まで送ります。 案内してもらって良いですか?」




「えっ! もうそんな時間!?」




言われてスマホを確認すると時刻はもう三時過ぎだった。


そろそろ帰らないとお母さんと鉢合わせる。




元々の予定では、事務所に行き、依頼をして帰るつもりだったから連絡も入れてない。




「こっちよ!」




私は急いで自宅への道を歩き出す。


阿部もそれに着いて来て、少ししたら話し始めた。




「マンションの裏手を調べた所、非常口がありました。 鍵が掛かっていましたが、内部の人間なら開けられるでしょう」




「それで、夏海を建物の中に連れ込んだって事? ちょっと無茶じゃない?」




「ですが、あの管理人なら……」




そこまで言いかけて阿部は口を噤み、押し黙った。


流石に無理があると思ったのかもしれない。




「ねぇ? どうしてそこまで管理人さんを疑うの? あの人は普通の人よ? 親切だし、人を拐うようには見えないわ」




「…………」




阿部はその質問には反応せず、黙ったまま歩き続ける。




答えたくないみたいだ。




私はその態度にため息を吐くと、黒い影の事は置いておいて、自分が調べた事について報告する。




「とりあえず、あんたに言われた物は調べたわ。 財布やスマホは置いてなかったし、衣服も減ってるように見えなかった。 それと日記やメモ帳はなかったけど、卓上カレンダーにこれが挟まっていたわ」




そう言ってポシェットから夏海の部屋にあった映画の前売り券を差し出した。


阿部はそれを受け取とると、表裏を確認する。




そうやって歩いていると徐々に私の家が近づいて来た。




「明日はどうする? また事務所まで行った方がいい?」




阿部の態度は気になるが、どのみち明日も一緒に探すのだ。


彼の言いにくい事も明日なら言ってくれるかもしれない、




そう思っていた。




だが、阿部の口から告げられたのは思いもよらない言葉だった。




「柊さん……」




「なに?」




「この件に関わるのは止めて貰えませんか?」




「…………はぁ?」




「杉山さんの事は、俺に任せて欲しいんです」




こいつは、一体何を言ってるんだ?




関わらないで欲しいってなんだ?


任せて欲しいってなんだ?




「夏海の事を事務所に持っていったのは私よね? なんでそんな事言われなくちゃいけないの?」




「……」




「それに、あんた、自分も探すって約束したわよね? どういうつもりなの?」




「………すいません」




「謝らないで。 私は、どうしてそんな事言うのか知りたいだけ。 理由を教えて?」




「………………言えません」




阿部はこちらと目を合わせず言った。




その姿を見た瞬間、自分でもよく分からない感情が沸き上がってくる。




その感情のまま、阿部が持っていた前売り券を奪い、彼と距離を取った。


そして、何か言われる前に拒絶の言葉を投げつける。




「もういいわ。 私の家すぐそこだから。 送ってくれてありがとう……さよなら」




阿部に背を向け、早足で歩き出す。


一刻も早くこの場から離れたかった。




だけど、彼はそんな私に追いすがって言う。




「あのマンションには近寄らないで下さい。 必ず、また連絡しま……」




「さよなら!!!」




聞きたくない。




何故こんなにも聞きたくないのか分からないが、聞きたくない。




手で阿部を押し退けて進む。


彼がよろめいたが無視した。




「柊さん……信じて下さい」




背後からそんな声が聞こえてくる。


弱々しく懇願するような声。




一瞬、足が止まりかける。




だが、振り返りはせず、阿部をその場に置いて自宅に戻った。




幸い、お母さんはまだ帰っていなかった。




だから、そのまま泣きそうになるのを堪えても誰にも見られずに済む。




「なんで何も言ってくれないの……?」




明らか気づいた事がある様子なのに、私には教えてくれない。


それどころか夏海の事件から遠ざけようとしてくる。




分からない。


また阿部が分からなくなってしまった。




どうしてあいつが探偵事務所に居たのかも分からない。


あいつが語った事が本当かも分からない。




ただ、あいつは『俺も探します』と言ってくれた。




それだけだ。




「ああ……そっか」




誰も親友を見つけられない。


それどころか諦めて、忘れられようとしている。




そんな中で阿部は、『俺も探します』と言ってくれた。




だから、あんなによく分からない男の言葉が私にとっては、




「嬉しかったんだ……」




自分の心を理解すると、いつの間にか耐えていた筈の涙が流れた。




嬉しかった。




彼の言葉が、夏海を見つけようとしてくれる行動が。


一人じゃないと思わせてくれた事が。




なのに、『俺も探します』って言ったのに、彼は私を遠ざけた。




「阿部の、嘘つき……」




その事実がどうしようもなく悲しかった。

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