第一章「人喰いマンション」
第8話 手がかりを求めて
阿部は歩きながらで良いと言ったが、長くなりそうだったので事務所のビルの一階にある喫茶店へと入った。
店内は全体的にレトロな雰囲気で、抑え目な照明とオシャレな音楽が雰囲気を醸し出している。
冷房も良く効いていて、外の暑さで火照った身体が冷やされていく。
入店すると直ぐに店員さんによって席に案内される。
チラリと店内を見渡すが私達の他にお客は居ないみたいだ。
案内された席に着くなり阿部が切り出す。
「それでは行方不明事件の詳細を教えて下さい」
「分かったわ。 まずは…」
私は阿部に事件の詳細を話し始める。
阿部は私の話を聞きながら手帳を広げ、それにメモを取っていく。
「…以上が今日までテレビやネットで伝えられた情報よ」
「ありがとうございます。 凄く詳細で分かりやすかったです。 これで大体の流れは掴めました」
話し終わると、阿部がメモを取っていた手を止め、書き込んだ手帳を見て少し考え始めた。
その間に私は出されたお冷やを飲み、喋った事で渇いた喉を潤す。
「それで、これからどうしたらいい?」
私が伝えられる情報はこれで全て。
でも、これだけで夏海の行方を突き止められるとは到底思えない。
だからこそ、この情報を元に阿部はどう動くのだろうか?
「そうですね…」
阿部は呟くと手帳をパタンと閉じて言った。
「これからは実際に現場で足取りを追うしかないと思います。 柊さんは現場へ行ってみましたか?」
私はその質問に首を横に振る。
「お母さんの目が厳しくて…でも、今日は抜け出して事務所までこれたし、今なら…」
「行ってみますか?」
阿部の言葉に力強く頷く。それを見た阿部が続ける。
「良くも悪くも世間の感心は移っていきます。 きっと警察もマスコミも殆どいないでしょう。 ただ…」
阿部は何かを言いかけて言葉を切る。
どうにも歯切れが悪い。
まるで言うか言うまいか迷っているみたいだ。
そんな事をされたら気になって仕方ない。
「ただ…? 何よ、はっきり言いなさい」
「いえ、何でもありません」
「嘘つき。 何でもないって顔してな…いや、顔は無表情だけど態度で分かるっていうか…ややこしいわね、あんた」
「…すいません」
阿部は頭を下げて謝ってくるが、やっぱり表情は変わらない。
ここまでくると病気を疑いたくなる。
「はぁ…まぁ、いいわ、あんたの事は後にしましょう。 んで、何に気づいたの? これから一緒に探すんだから隠し事はなしよ、キリキリ吐きなさいな」
そう言って考えている事を話すよう促す。
阿部は僅かに目を伏せたが、直ぐに目線を戻し、自分の考えを話し始めた。
「もし仮にですが、杉山さんが何者かに拐われたとしたなら、拐った犯人はこの辺に土地勘があるのではないかと思いました」
「土地勘?」
「はい。 杉山さんは日中、それも住宅地のど真ん中で行方不明になっています。 そのくせ目撃情報は殆どない。 場当たり的な犯行ならもう少しボロが出てもおかしくない筈です」
「言われてみれば確かにそうね…」
阿部に指摘されて初めて気がついた。
あまりにも目撃情報が少なすぎる。
いくら夏海の自宅マンション周辺が、このT都のS地区屈指の閑静な住宅街だからといってもおかしい。
「ですから、誘拐犯は知っていたのでしょう。 杉山さんが居なくなった時間帯は人通りが少なく、誘拐の瞬間を目撃されるリスクも小さいと、そして…」
阿部はそこで区切って私の目を覗き込んでくる。
まるで「言っても良いですか?」と聞いているみたいだ。
だから私も真っ直ぐその目を見返して言う。
「どうしたの? ほら、続きは?」
「…そして土地勘があるという事は、犯人は杉山さんの友人である柊さんの事も知っているかもしれません」
犯人が私の事を知っている。
そう言われた瞬間、ゾワっと二の腕に鳥肌が立つ。
同時に得体の知れないものに睨まれている感覚もする。
「へぇ、あんたはそう考えた訳ね…」
「はい」
「へぇ…」
どうにか体裁だけは取り繕おうとするが、その努力とは関係なく、声が震える。
言葉が喉にへばりついて上手く出てこない。
その様子を見て阿部が言った。
「犯人がいるのなら、一方的に人相を知られているのはとても危険だと思います。 下手すればあなたの自宅まで知っているかもしれません」
その言葉でようやく気づいた。
この男が何を言いたいのか。
「私の身の安全を心配してるのね」
「はい。 誘拐犯が居るのなら、柊さんの存在は邪魔以外の何者でもありませんから。 相手は既に杉山さんを拐っています。 もう一人くらい何とも思わないかもしれません」
「そう…そうよね。 でもね、私はやるわ」
鳥肌の立った二の腕を掴み、肌に爪を食い込ませる。
痛みが恐怖をかき消す。
思えばこの出来事に対して私はずっと蚊帳の外だった。
それは言い換えれば、安全圏に居たとも言える。
両親や学校の手によって。
だけど、ここから先は違う。
飛び込まないといけない。
「望む所よ…! 夏海を見つけるまで、私は止まらないわ」
決意を固め、阿部を見る。
彼も私から目を逸らさずに言った。
「ご両親に心配をかけるかもしれませんよ?」
「後で謝るわ」
「後はないかもしれません」
「その時は…心の中で謝っておくわ」
更に爪を強く立てる。
血が滲んだ気がするが知った事ではない。
阿部は僅かに私の腕に視線を向け、その後言った。
「柊さん一つだけ約束して下さい」
「約束?」
「一人で突っ走らないで下さい。 あなたは…俺が守りますから」
そう言って阿部は席を立ち上がる。
私は、
「………んん?」
阿部が言った事の意味を理解するのに時間がかかっていた。
(そんなに一人よがりだと思われているのかしら…? いや違う、そこじゃなくて…! こいつ、今、俺が守るって…えっ? 俺が守るって言った?)
「柊さん? 先に行きますね」
「はっ!」
阿部の言葉に現実に戻される。
見ると既に席から立ち上がった阿部は店から出て行こうとしていた。
「ちょっと待って!」
私も慌てて立ち上がると、その後ろ姿を追いかけ、店から出る。
阿部は立ち止まらずにずんずん歩いて行ってしまっている。
何だかそれが照れ隠しに見えたが、それよりも重大な事に気づいた。
急いで阿部の背中に追いつき、肩を掴む。
「どうしました? 立ち止まっている時間は…」
「反対!」
「?」
「だから夏海のマンションは反対方向!」
「……」
「というか、足取りを辿るなら駅前からでしょ。 こっちからじゃ遠回りになるわ」
「……」
阿部は何も答えない。
「えーと、夏海のマンションは分からなくても駅前は分かるわよね…?」
「……」
やっぱり何も答えない。
「あんた、もしかして方向おん…」
「違います」
阿部が今日一の反応の良さで私の言葉を否定する。
「まだこの地区に慣れてないだけです。 なので道案内をお願いします」
「ああ…うん。 そうね…慣れてないなら仕方ないわね…」
「はい」
阿部が圧力をかけるように喰い気味に喋る。
無表情なのだが、態度から方向音痴を恥ずかしがっているのはバレバレだ。
その様子に自然と笑みが零れた。口元を隠して小声で言う。
「ふっ、まぁ、そういう事にしておいてあげるわ」
「何か言いましたか?」
「何も! ほら、こっちよ!」
阿部の前を歩いて、目的地を目指す。
当然、不安はある。
何も解決してないし、何も出来ないかもしれない。
今より状況を悪くするかもしれない。
だけど私の後ろを歩く男、その姿を思うだけで心にあった不安が少しだけ和らいだ。
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